Kamu Number Theoryと相似象

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(その2)1〜3 万物は粒子である─ファインマンの青春の夢─

2020-01-08 10:22:56 | 量子コンピューター


量子コンピューターという思想(その2)- 1〜3 万物は粒子である ─ファインマンの青春の夢─

(その2)-1.万物は球体である

◇トポロジー的球体
「万物は球体」である、という幾何学の定理がある。これ、今ではピタゴラスの定理と同格である。チョットだけ補足しておくと、この定理は「トポロジー的球体」についての定理なので、アメーバのようなものも球体と見做します。

1900年に予想として提出されてからペレルマンが2003年に解決するまで、100年間にわたって数学界では有名な難問だった。ポアンカレ予想として知られるこの定理は宇宙全体の形を決定するだけでなく、ミクロの世界までも含むものとなっている。

ジャー、、人間は球体?、、口から肛門までのトーラス状態じゃないのか?、、危険を感じると身を丸くするか?!

そうです、ここで「量子論の謎」の9番目を思い起こしてください。この定理も同じ謎を避けることが出来ません。ミクロの原子やマクロの宇宙ではすんなり受け入れられることも、人間の世界では謎に包まれます。

科学者はこの問題をカオス問題とか、古典的現象の予測不可能性、自然モデルの無秩序性、バタフライ効果などと呼んでいます。人間の生活次元が関わると、こうした混乱はつきものと思ってしまいます。また、単純な形式から混乱を極める複雑で一見無秩序な図形が発生するフラクタル図形も有名なものです。

◇青春のファインマン
青春のファインマンはこの球体の問題に果敢に挑戦するのですが、それはこれから説明してゆきます。とりあえず、この定理が恐ろしく強力で、時空に対する基本的な考え方を左右するもの、なおかつここから統一問題が展開されるのです。

Kamu Number Theoryではこれを「球体感覚」から生まれた「Tama」と呼んでいます。「Tama」についてはペンローズのところで説明します。


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(その2)-2.時空互換重合量子とペレルマンのエントロピー

この球体定理を証明したというペレルマンの論文はアーカイブに公表されているので、誰でも読むことが出来る。そうは言っても、この論文は難解で知られるものだった。発表されてから数学界は騒然となり、3グループの手で、数年かかって検証された。数学的な厳密さから言えば超難しい論文だった。

◇数学観光
私は遊び心と相似象から観光したいという興味から、ペレルマンの原論文をダウンロードした。難解な数式を斜めに眺め?、、いや相似観光しながら、証明全体の組み立て方などを見ることにした。

◇手術と情報
論文からは「手術」という言葉が飛び込んできた、何に?、、数学者が使うかと!、、とそのとき思った、血管を縫い合わせるように宇宙をつなぎあわせるというのだ。つぎに、「エントロピー」という言葉がきた、ここは情報理論じゃないぞ、、幾何学だ?!、、と、そのとき私は不審に思った。

◇互換重合時空量の集積量
しかし、次第に空間という概念をとことん突き詰めたペレルマンの気迫と先進的センスがここに示されていることに気づいた。そう!Kamu Number Theoryにも相似の概念があった。「容積量=Relativity-Capacitive-Quantity」だ。「容積量」は一言でいってしまうと、「互換重合時空量の集積量」として定義できるものなのだ。

◇公準としての球体
新たな尺度としてエントロピーと言う概念で時空を互換重合的に統合してしまうというアイデアだ。なるほど、考え方が似ているなと感じる事が出来た。Kamu Number Theoryでは「万物は球体である」という公準があるのだ。

◇始元量
ペレルマンの原論文からは相似象の芳香が立ち上っていた、直感とアイデアが相似性の香りとして次第に伝わってきたのだ。球体の尺度として「容積量」があり、その内実として「始元量」がある、これはエントロピーと深く関わり合うものだ。なお「始元量」についてはペンローズのところで説明したいと思いますので、ここでは一応頭の隅に入れておいてください。

何故、ポアンカレの定理が「公準」になるのかというと、定理より重みが大きいからなのだが、説明は別の場所で行います。とりあえず、ペレルマンの証明は正しいことが判明し、Kamu Number Theoryの公準は幾何学的な裏付けが出来たことになるのです。

さて、いよいよファインマンの登場である。物理学者として初仕事に選んだのが「万物は粒子である」という仮説だった。

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(その2)-3.”万物は粒子である” ─ファインマンの青春の夢─

◇アトムの復活
ホイラーの指導の下で青春のファインマンが取り組んだのは、万物は粒子であるという、当時としては驚くべきテーマだった。なぜ驚くべきかというと、「場と波動」の理論が主流の時代、ギリシャ時代のアトムの復活のような印象だったらしい。

存在するものは粒子が相互に「遠隔的に作用」する世界であるとファインマンは考えた。つまり、場と波動を否定して「すべての理論」を粒子の遠隔相互作用で書き直すという思い切ったものだった。遠隔的つまり宇宙の内部は互いにリモートコントロールする粒子の世界だと仮定したのだった。

◇遠隔作用と通信
ここで、ファインマンの設定した遠隔作用には「情報そして通信」というアイデアが隠れている事に気づくことと思う。何ものかを粒子相互がやりとりすることが万物は粒子であるという宇宙観の根本であると設定したからだ。

◇生命とブラックホール
こと情報はエントロピーであり、エントロピーは情報そのもの、もしくは情報量の尺度として使われている。このとき知らず知らず、潜在意識のなかでファインマンは「量子重力場の理論」に最も近づいていたと私には思える。ところで「量子重力場理論」はこの後登場するペンローズが恋い焦がれる世界なのだ。ペンローズにとって物理学に生命を取り込む事の出来る唯一の窓口が「ブラックホール・量子重力理論」だった。

◇粒子だから遠隔作用が解る
つまりファインマンは粒子から情報へ、生命へ、と潜在意識の下に一直線だったことが今になればわかる。粒子から情報へという筋道を、彼は相互作用する粒子の関係の中で数理的に描いていたことになる。

一方、ファインマンは第二次世界大戦の最中、ウラン濃縮工場の計算機を使った膨大な計算業務に就いていたのだった。このことも、彼が何故コンピューターに関心を持つに至ったかという経緯を知る手がかりになるのだ。この後、粒子間のリモートコントロール通信の速度に光速度の難題が立ちはだかって、彼は立ち止まるよりほかなかった。

時代はまだ超光速粒子のタキオンや重力量子、そしてテレポーテーションを容認する空気ではなかった。


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 ─量子コンピューターという思想(その2)4〜6 へ続く

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