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バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1999年7月9日 北海道ツーリング 11日目

2025年03月25日 | 1999年 北海道ツーリング
7月9日(金)
 羽幌~焼尻(白浜キャンプ場)




 午前7時起床。ものすごく疲れた気分だ。
 隣にテント張っていた50代のキャンパー夫婦は、テントだけ置いてどこかに逃げていったようだ。たぶん近場のホテルにでも避難したのだろう。若いカップルも、テント前でもぞもぞやっている。彼らも眠れなかったとは思うが、女性が一緒だと男は気が気じゃなかったはずだ。

 ま、なんだかんだで、午前8時にはフェリー乗り場に着く。
 さっそく8時40分発のフェリーの申しこみをするが、窓口の女性がなんかとまどっている。「予約されてますか?」と訊かれたので「いいえ」と答える。女性は困ったような顔をして、部屋にいた男性係員になにかボソボソと声をかけている。予約しないとだめだったのか! とイヤな予感のまま窓口でぼんやり。
「ちょっと、こっちきてえ」
 と、事務机にいた男性に呼ばれる。
 ああ。なんだなんだ。
「ええと、いきは乗れるけど、帰りはフェリーに乗れないかもしれないよ……」
 どういうことなんだろうと、首を傾げていると、予約の集計表みたいなものをペラペラめくってくれる。帰りのフェリーは、1週間先まで予約で一杯のようだ。バイク1台くらいどうにもなりそうな気はするが、よほど小さいフェリーなのだろうか。
「帰りの期日を決めているわけではないし、余裕はあります。かまいません。渡るだけは渡ります……」
 とりあえず、帰りは11日の便を予約する。
「帰り、ホタテを積みこむようだったら、バイクは無理だから。詳しいことは、その日の朝、現地で訊いてみて……」
「はい。かまいません」

 ということで、焼尻までのバイク運送賃(2600円)を払い、そのあともフェリーの時間を確認したり、キャンプ場の情報を訊いたりする。結局は午前8時50分の便に乗れることになる。なんだかホッとする。待合室に戻って乗船切符(1600円)を買っていると、ライダーから話しかけられる。どうやら、バイクの乗船は断られたらしい。
「何時くらいにきたのですか?」
 と、悔しそうだ。
 8時だと言うと、予約されてたんですかとも訊いてくる。してないと言うと、そうですかとうなだれる。彼もさっききたばかりだが、一足違いだったようだ。ようするに今朝のフェリーは、バイクを載せる余地は1台しかなかったということだ。フェリー乗り場に車を置いて島に渡る人もいるので、そうしたらどうかと言ってみるが、どうもそうする様子はない。とにかく、それじゃと挨拶して、バイクをフェリーに積みこむ。

 やはり、フェリーは車で満杯(といっても10台積んであるかないかだが)、バイクは狭い場所に1台置くだけの余裕しかない。とても小さなフェリーだ。看板に上がって海面を見下ろすと、船影に30センチ以上は軽くあるホッケが群でうようよしている。釣り糸でも垂らせば、ばんばん釣れそうだ。
 ――と、横に「こんにちは」とさっきのライダー。
「やっぱり、バイクを置いてきたの?」
「いや、載せてもらえました」
 と、嬉しそうに言う。
 あの狭い場所にどうやって積みこんだのだろうと訊いてみると、カブの50CCなので、自転車と一緒に開閉扉のすぐ内側に積んでもらったそうだ。彼は九州は福岡西区の出身で、日本一周の途中だという。約1ヶ月半前から沖縄をはじめ、ずうっと北上しているそうだ。顔が日焼けで赤くなっている。

 焼尻には約1時間で到着。周囲12キロの小さな島だ。
 小さな港にフェリーが接岸すると、とりあえず、バイクで島を一周。30分もあれば十分だ。道路は半周だけ2車線、残りは1車線で、一応全面舗装になっている。海岸縁の道路から見える海は、さすがに澄んでいる。島を半周したあたりにある白浜キャンプ場にテントを張ることにする。フェリーで一緒だった福岡のカブライダーも一緒だ。カブは足の覆いになっている前部分(?)が取り外され、車体が黄色く塗り替えられているので、一見しただけではカブとは思えない。エアダクトとなどは剥き出しになっている。

 島の中ほどにあるイチイの木の森――といってもバイクだと5分くらいのものだが――などにいき、メシを食いにまた港のあたりに戻る。食事をすると自転車は無料だという食堂にはいる。この島では2時間700円で自転車を貸し出している。店内には「ウニギリ」というウニを握ったオニギリの写真がある。この店のオリジナルメニューのようだ。3個で1500円。1個が500円ということだ。今朝、穫れたばかりだというウニは定食で2500円、これも壁に見本写真が貼ってある。
「ツブ貝丼、下さい」
「珍しいね。バイクで来る人はたいてい、ウニギリを食べていくんだけどね」
 どうやらツーリング雑誌かなにかで取りあげられたことがあるらしい。でも、今回はパス。丼モノを無性にかっこみたい気分だ。
「あ。もう変便だめだよ。貝をさばいちゃったからね」
 店主は外の水槽から取ってきた貝の身を、カシャカシャと外しながらそう言う。新鮮なものを目の前でさばかれると、気持がいい。

 だが出てきたツブ丼は普通のメシ茶碗容器で、これはあきらかに1食分としてはメシが少ない。ライダーでなくても、少ないと感じるだろう。ガツガツとメシをかっこみたいが、この茶碗だとあまりにも小さくてやる気になれない。なんだか、行儀よく頂きますという感じで頂く。でもさすがに新鮮な磯の香りに、ショクショクという歯ごたえ。美味い。みそ汁も付いて、これで1200円也。もう一品くらいは軽く食べられそうだが、金の余裕なし。あとでインスタントラーメンでも作ろう。

 キャンプ場に戻ると、密漁を監視しているというおじいさんがきている。
「この島にはガソリンスタンドないみたいだね」
 福岡の彼と情報交換をしていると、
「あるよ。警察署横にあるんだよ」
 と、もうバイクに跨って、帰りかけていたじいちゃんが教えてくれる。
 警察署といっても、交番のような本当に小さな建物があるきりだ。それがきっかけになり、じいちゃんはバイクのスタンドを再びかけて、自分らのほうにやってくる。福岡の彼は自分のテントに引っこんでしまい、わたしのテントの前で二人腰を下ろし、世間話となる。じいちゃんにしてみれば、いい案配で話相手ができたというところか。

「今年、ここでキャンプするのは、あんたがたが最初だなあ」
 そういえば昨夜も、あの砂浜でキャンプするのも、自分たちが最初だったんだよな。
「去年は横浜からきた若いやつが、ここで1ヶ月以上、1人でキャンプしてたなあ」
 ここは海の見える高台にあり、眺めはバッチリだが、周囲数キロ以内に民家は一軒もないという場所だ。振り返ると、数キロしか離れていない天売島もばっちり見える。細い道を港方面にいくと、民間の牧場が一軒あるだけだ。前は断崖。うしろは藪、そのうしろに島の半分を占めるように町営の羊牧場が広がっている。もちろん、外灯などというしゃれたものはない。横浜のライダーには、下の海岸で自分が食べる分だけだったら、ウニを獲ってもいいと言ったんだけど、結局、最後まで海にははいらなかったなあ、とじいちゃんは笑って言う。

 当然、
「あんたたちも、自分たちの食べる分だけだったら、ウニ獲ってもいいよ」
 と言われる。
 え。ラッキー。ウニを自分で獲るのは、高校のとき以来。楽しみだ。
 じいちゃんは今年75歳で、この島で生まれ、この島で育ったそうだ。今もウニ漁をしているという。ウニ漁は夏期の2ヶ月ちょいで、このキャンプ場脇にある「旗立て場」で、早朝、旗を揚げて、その旗の色で今日はなにを獲っていいという合図を出すそうだ。ウニは毎日獲っていいわけではないらしい。2ヶ月の間に18回だけだという。他の日はコンブやナマコを獲るらしい。
「昔は、黄金の島って言われたもんだ」
 ニシンのことだなと、ピンとくる。

 港近くに往時を思い起こさせるような洋風建築の郷土館があったが、当時、島で商売をしていた旧家をそのまま使用しているらしい。見学してみたが、島は潤っていたんだなと納得できるものがかなりあった。由緒ありそうな掛け軸、焼き物の皿、壺……。電蓄もあり、SPのレコードもかなり残っていた。今、これを書いていて、ふと思ったのだが、そのころ、どうやって発電していたのだろうか。島には発電するような施設は一切なかったはずだ。
 じいちゃんから聞いた話では、今はこの島で火力発電をしていて、隣の天売島にも海底ケーブルで送電しているらしい。昔、どうやって発電していたのか、訊けばよかった。

 ニシンは昭和30年を境に、ぱったり穫れなくなったらしい。当時の人口は2600人、夜間高校もあったという。今は島民460名、学童数は30人くらいのものだという。もちろん夜間高校はもうない。隣の天売島にはマムシがいるが、焼尻にはいないという話なども聞く。そのうち、軽トラでやってきたもう一人の島のおじさんも、話の輪に加わる。
「バフンウニとムラサキウニ、どっちがうまいですか?」
 以前、バフンウニのほうが美味だと話には聞いていたので、ちゃんと確かめてみる。
「そうねえ。どっちも美味いよ……」
「わしは、ムラサキウニのほうが好きだなあ。あまいしな」
 というそれぞれの返事。

 そうか、ムラサキウニもすてたもんじゃないのだ。そういえば、去年、利尻のフェリー乗り場前で一個いくらで売っていたウニは、すべてムラサキウニだった。バフンウニが殻付で売られている光景はまだ見かけたことがない。今思えば、利尻の民宿で食べたウニがバフンウニだったのだろうか。あの輝くオレンジ色。口にいれると、旨味がノドの奥に溶けるようにすっと消えていったあの味――。あれがそうだったのかもしれない。なんの種類だったか、訊いておけばよかった。そういえば、ウトロの漁協食堂の殻付ウニもムラサキウニだった。たぶん、北海道で圧倒的に水揚げが多いのはムラサキウニのほうなのだろう。
「それにしても、今日も海が凪いでいるなあ」
 この時期、こんな好天が2~3日も続くのは、かなり珍しいという。
「ウニ、獲っていいよ」
 と、あとからきたそのおじさんも言う。
 よーし。
 天売島のほうからヘリコプターが飛んできて、キャンプ場からだと、港のある島の反対側に着陸する態勢をとりはじめる。じいちゃんとおじさんは「おお」という感じで、バイクと軽トラでそれぞれすっ飛んでいく。
 残された自分は、早速、
「ウニ獲りにいかない?」
 と、テントでなにか書きものをしていた福岡のライダーに声をかける。
「いきますか」
 と、言う感じで、キャンプ場から100メートルほど下った岩場の海岸までてくてく歩いていく。ウニを獲った場合に備えて、折りたたみナイフと、海にはいるためのサンダルをもっていく。なんだか、わくわく状態だ。新鮮なウニ、獲りたて! 気持は完全にウニにいっている。いくらでもウニがいるに違いない。ああ、ウニウニウニ。

 ところが、岩場から透明な海水を透かして見てみても、ウニのウも見えない。ただ、海草がゆらゆら揺れているだけ。ジーンズを思いっきりたくり上げて、海にはいり、海草などを手で寄せてみるが、ウニのいる気配なし。もっと沖のほうかなと思って、海にせり出している岩場の先端までいってみるが、やはり、ウニ発見できず。これが戦争映画かなにかだと「ウニハッケンデキズ。タダチニキカンス」と打電する場面だ。干潮だし、パンツ一丁で潜ってもいいかなと一瞬思うが、水中メガネがないと海の底に潜るのは難しい。
 岩場に打ち上げられ、骨が露出している死んだイルカなどをむなしくみつめ、再び、福岡ライダー(彼はTさんという珍しい名前だ)と、坂道をキャンプ場までとぼとぼと無言のまま戻る。はあ、疲れた。

 夕方になっても、キャンパーはわしら2人だけのようで、Tクンと一緒にメシでも食おうかと思ったが、風が強くなってきてストーブを焚くのもままならない。各自、それぞれでテントで食事となる。結局、今日はあの貝丼一杯しか食ってないので、町の雑貨屋から冷凍の味付けジンギスカン500グラム(715円也)、ピーマン一袋を仕入れ、凍ったままの食材をどかどかと鍋にいれて煮る。ビールも飲む。ハラが減っているので、あっという間に平らげる。そのうち風も収まってきたので、ビールを持って党クンのテントを訪問。
「明日、天売島に渡るの?」
「いや、一旦、羽幌に戻ってから、またこっちにこようと思っているんです」
「え?」
「明日、天売に渡って、ここに帰ってくると、羽幌までのフェリー代が足りなくなるんです……」
 どうやら、今朝、羽幌でお金を下ろし損なったようだ。銀行は8時45分から営業するが、フェリーの出航は8時50分だったので、そのまま港に直行してきたらしい。焼尻か天売に銀行くらいはあると思って、えいっと、フェリーに乗ったという。そういえば昼間、郵便局で銀行に預けているお金を下ろせますかね、などと訊いてきたのだ。おかしなこと訊くなあと思っていたら、こういうことだった。でも、わざわざ羽幌までいってまた戻ってくるなんてもったいない。1万円なら余裕があるので、羽幌に着いたときに、返してもらうことで貸すことにする。
 夜は天の川が見えるくらいに、星が輝き渡る。昨日、ろくに寝ていないので午後9時にはシェラフにもぐりこむ。

白浜キャンプ場。
数年後に渡ったときには、もう使われてなく、
奥のほうに整備されたキャンプ場ができていた。
星がきれい!



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