7月16日(日)
糠平キャンプ場(連泊)・バイク動かさず
朝、ときおり雨が、テントをザザザッとたたいていく。
午前8時くらいには起床。
腕時計を見ると、3時40分あたりで秒針が止まっている。文字盤を照らすライトのスイッチを押しても、明るくならない。ちょっとたたいてみたり、強く振ってみたりするが変化なし。
電池切れだ。
ツーリングの途中に限って、こうだ。
今日は晴れていたら、富良野あたりまでぶらぶらするつもりだったが、その前に時計の電池をどうにかしなくては。電車に乗ったりバスに乗ったりするわけではないが、時計がないと落ち着かない。
外にでてみると、今にも降り出しそうな空模様。
「おはようございます」
顔を洗って、テーブルにいき、Hさんらと軽く朝食。朝はあまり食欲がないので、インスタントミソ汁を2人分、カップに入れ、それにコンロで沸かした湯を注いで1丁上がり。飲んだ次の朝は、これが意外といける。
「天気よくなさそうですねえ」
「夜中の2時くらいにトイレに起きたんですけど、大雪の方角では雷がビカビカ光ってましたよ」と、これはFJライダーH口さん。
「あ~あ。これからここも雨かな」
といいながら、それでもヘッドランプの電球が切れてしまったので、音更(おとふけ)のホームセンターまで買いにいかなくてはいけないようなことをHさんが嘆く。
「腕時計の電池も売っているかなあ」
「売っているでしょう」
Hさんはすまし顔でそういう。
Hさん、肩まで長く伸ばしていたうさうさした髪を、今回は、ちょっと短めにすっきり切ってきている。うまくいえないけど、去年、同じような格好をしてたとしても、かなりむさい格好にしかみえなかったものだ。が、今回は、どこと指摘はできないけど、こざっぱりした印象を受ける。伸ばしたら顔中がヒゲだらけになりそうなほど、男臭い濃いはずなんだが、なぜか、それさえ、すっきりと感じる。顔色もいい。
う~む。
やはり、若い女の子と2週間も行動を共にするという深層意識が、そうさせているのだろうか。
真上を見上げるつどに、山間特有のすばやく流れる雲のせいで、短時間のうちに、変に暗くなったり明るくなったりする。これから天気がよくなるのか悪くなるのかよくわからない。木々の間から見える山の向こうの雲は、黒く迫り出してくるようで、これからの天気を予見させるような不気味な動きだ。Hさんが携帯のアイモードでお天気サービスを調べると、やはり道内はどこも天気はよくなさそう。電子機器のエンジニアをやっているHさんは、こういう最新の電子機器を使いこなすプロなのだ。
もう、今日は別に出かけなくてもいいかなと、ペットボトルに詰めるお茶など沸かしながら、ぼんやりそんなことを考える。
パラパラと雨が降ってきたので、各自、それぞれテントに待避。
雨は軽く降ったり、止んだりを繰り返す。テント内でごろごろしているうちに、もう、今日はキャンプ場でのんびりしようと決める。温泉に日がな1日浸かってもいいし、洗濯物もたまってきたし、コインランドリーにいってもいい。
午前10時。いったん晴れたところで、外にでてみると、Hさんたちもどのタイミングで出かけていいのやら、計りかねてウダウダしている。全員、なんとなく手持ち無沙汰。
「タープでも張りますか」
と、Hさん。
今回、わざわざ小型のタープを持ってきたというHさんと、持ってはきたが今回のツーリングではまだ張ったことがないというH口さんのタープを、いっしょに張ろうと話がまとまる。
「雨が降って、いつでも避難できるようにこのあたりがいいですかね」
などといって、テーブルのすぐ横の木々を利用して、2枚のタープを繋ぐようにしてタープを張る。6畳ほどの空間が、けっこういい感じになる。折り畳みのイスをもってきて、ど真ん中に座ってみると、なかなかのものだ。
「これで、いつ雨が降っても大丈夫だねえ」
しかし、こういうことをしたときに限って雨は降らないものだ。(――案の定、このあと雨が降ることはなかった)
午前11時。
テントでラジオなど聴きながらウダウダ。そろそろ糠平の街でもぶらつこうかと、ふと腕時計を見ると、秒針がけなげに動いている。文字盤のライトもつく。つきあい3年、時価1980円の時計が、最後のご奉公をしてくれているようだ。携帯電話の時刻表示で時間を合わせ、とりあえず使ってみることにする。(結局、この時計はツーリングを終え3ヶ月たっても元気に動いていた)
洗濯物(パンツ、Tシャツ、靴下)をビニール袋にいれて、ぶらぶら。もう今日はバイクに乗ることはないので、キャンプ場を出しなに、バイクにもバイクカバー。今日はもうなんにもしたくない。
「糠平でなんか定食とか食わせるとこないかな?」
と、糠平に詳しいHさんに訊いたところ、
「このあいだ、賀曽利さんも立ち寄ったとかいうブタ丼の店がすぐそこにありますよ。うまいって、褒めていたみたいですよ」
と教えられたので、さっそくそこにいってみることにする。
キャンプ場に出入りする糠平国道のすぐ向こう側に、ブタ丼と幟がある。わりと小さな店だ。まだ店は開けたばかりの時間のようで、だれも客はいないようだが、とりあえず入ってみる。看板には「みはる」とある。厨房には、おじさんが1人。
「ブタ丼以外に、定食はやってないのですか?」
なんとなく、朝定食か昼定食を食いたくなって、そう訊いてみると、
「うちはブタ丼以外はやってないけど、みそ汁もオシンコもついているし、定食といっしょだよ」
という返事。そうか。定食みたいなものか。
店内のメニューはテーブルに載っているが、ブタ丼、ブタ丼大盛り、ブタ丼特盛りの3種類のみ。
「じゃ、大盛りお願いします」
と、950円の大盛りブタ丼を注文。
特大盛りのブタ丼の値段をみると、大盛りの約2倍の値段。
特大盛りを今食べようという気はないが、値段も2倍ということは、ブタの量もメシも2倍はあるのだろう。なんとなく現物を見てみたい気もする。今度、カミさんと訊ねることでもあったら頼んでみようかなと心にメモ――ずいぶん前に、北海道をカミさんの友人を含めた3人で旅したとき、あれはどこだったか、洗面器ほどのミソラーメンを1人注文して、カミさんは嬉々として食べたものだ。
どういうブタ丼がうまいのかよくわからないが、ここのブタ丼、けっこう好の味だ。いける。
特製のタレ、炭火焼き、ブタ肉の良し悪し、で味が決まるなら、帯広の老舗にひけをとるとは思えない。
ブタ丼をかきこんでいると、スコスコスコとセローに乗ったHさんが道路側の窓越しに見える。上士幌方面に左折したので、たぶん切れた電球を買いにいくのだろう。店の並び、50メートルほど向こうにあるガソリンスタンドの前には、ハーレー軍団が10台以上、ずらっと左右の道端にバイクを停めて休憩している。ときおりエンジンの調子を確かめるように、ド、ドド、ドドドなどと空ぶかし。
食後、洗濯物のビニールを下げてぶらりと街を散策。
このキャンプ場には、1昨年、今年と2回ほどテントを張っているが、温泉に浸かり、その帰りにビールを買うぐらいで、詳しい街のようすは知らない。
まず、以前から1度はいってみたかった「ひがし大雪博物館」にいってみる。食堂から道を渡り歩いて5分くらいの奥まった場所にある。
パラパラと雨も降ってきたので、ちょうどいい雨宿りにもなる。
金300円也。人のよさそうなにこにこ顔の係の人に入館料を払う。
町営の博物館で1970年に設立されたらしい。2階建ての建物は大きく3つの展示室に別れていて、けっこう広い。
まず、剥製主体の一階左にある展示場をのぞいてみる。
ナキウサギの標本があり、ほとんどネズミくらいの大きさしかない。イメージはしていたが、ほんとに小さい。耳にしても子供の小指の爪くらいのものだろう。ナキウサギのことを知らなければ、小型の野ネズミかと思うほどだ。他にもオショロコマなど、まず、釣り人でない人と見ることのない貴重な川魚の剥製なども展示してある。
へえと感心したのは、以前、日高地方で3人の大学生を殺したヒグマの等身大の紙型模型があったが、なんとその体長は140センチ足らずしかない。2メートルにも達するでかいヒグマが3人を殺傷するというのは理解できるが、こんな小さなクマでも人間を襲うという事実に素朴な驚きをおぼえる。
1階右側部分は、圧倒的な昆虫の採集標本で占められている。
それほど、チョウには興味はないが、あの枯葉そっくりのコノハチョウとか、葉っぱそのものにしか見えないコノハムシ。まったく枝そのものとしか思えないナナフシの仲間などなど。写真やテレビでは何回か見たことはあるが、実物ははじめてだ。やはり、標本とはいえ、実物はまったく違う。自然の妙意に不思議な気分になる。
地下には、この大雪地方の大がかりな模型があり、はじめて大雪湖~十勝三股~糠平湖が三連続いているカルデラのあとであることを知る。立体模型なので、その様子がよくわかる。なんのかんのと1時間以上、博物館で過ごす。
外にでると、雨はすっかり上がっている。
あとは温泉にゆったり浸かり、のんびりだ。
けっこう、いい露天ですよ、とHさんに教えられていたので、キャンプ場から1番近い「富士見観光ホテル」にいく。
りっぱな外観で、薄汚れた格好で玄関をくぐるのを一瞬、ためらうほどだ。
広いロビーは薄暗く、だれもいない。大声ですみませ~んと何回か呼ぶと、従業員専用の部屋らしきドアから、女将さんらしい人がでてくる。
「あの。ここ、コインランドリーありますか?」
と、上がり口で交渉。
「はい。温泉に入られるんでしたら、使えますよ」
「もう、入れますか?」
女将さんらしい人は奥の部屋に向かって「もう、露天風呂はいれるう~~?」と大声で訊く。
「大丈夫ですよ~」
と、若い女性の返事。
――ということで、ロビーのカウンターで、日帰り入浴料500円也を払う。
「タオルとか洗剤はお持ちですか?」
と訊かれたので、タオルは持っているが洗濯の洗剤はないので、小さな袋にはいった洗剤も購入。
ロビーから赤い毛氈の敷いてある長~い廊下を左に進み、突き当たりを下にいくと、左は大浴場。右は露天風呂に通じるドア。
やはり、先に大浴場だろう。ちょっとのぞいてみるが、だれもいない。その前に、洗濯室で自動洗濯機に金200円也を投入して、洗濯物を放りこむ。約30分で洗い上がると表示にある。
大浴場は、かなり広い。それに明るい。ゆうに30人は楽にはいれそうだ。
オケやイスがきれいな山形に積んだままなので、今日はまだだれもはいってないのがわかる。浴槽も広い。さっそく前を洗って、どぼんと飛びこむ。貸し切り状態だ。
気持ちいい。
30分ほどウダウダしてから、露天風呂にも浸かる。
浴室の外にはだれもいないようなので、タオルで前を隠し、脱衣カゴを抱え、すばやく外に通じるドアを開け、30メートルほど先にある露天風呂の脱衣所に移動。昨日といい今日といい、なぜか風呂場からタオル1枚、脱衣カゴをもち、尻を晒しながら移動している。
露天風呂を囲むようにログハウス造りの小さな建物があり、手作り風の露天風呂は岩に囲まれている。すぐ近くまで芝生が迫っていて、ここもけっこう気持ちいい。ログハウスの2階にあるミニサウナは、さすがにまだ稼働していない。
でも、そんなものは必要ない。汗をかくまで露天風呂に浸かったあとは、丸太をくり抜いてつくったシャワー室で、思いっきり冷水を浴びてすっきり。
これも気持ちいい。
服を着て洗濯室にいくと、洗濯はとうに終わっていて、今度は100円を投入して乾燥機に放りこむ。閉め切られている部屋のせいで、すぐに暑くなる。
乾燥時間が20分ほどかかるようなので、ロビーにいって1休み。
ロビーにいく途中の道沿いにある大広間では、これから団体さんでもくるのだろうか。50組以上はある食器が細長い折り畳みテーブルにずらりと並べてある。ロビーにある自動販売機で冷たいお茶を買い、黒い革張りのソファに座って一息いれていると、女将さんが天井の明かりを点してくれる。
ロビーの本棚に、上士幌町の歴史とかいう分厚い町史を見つける。りっぱな装丁箱から取り出して開いてみると、糠平のことも書いてある。この糠平が上士幌町に属していることを恥ずかしながら、はじめて知る。
糠平湖は昭和30年に人工湖として誕生、当時は遊覧船が周航していたが、水位の変化が激しくてすぐに廃止された話や、士幌線の糠平駅があり、今、キャンプ場になっているところは元々は木材の集積所だったことなど。ダム建設当時、そこで働く人で糠平の集落はかなりにぎわい、それにともない飲屋街もでき、気の荒い労働者同士の喧嘩が絶えず、警官1人では手に負えなかった話などが記してある。
糠平温泉自体は、大正8年に「湯元館」を最初にはじめた島隆美という人が、苦労して源泉を発見、道路を通すためにあれこれ奔走して、大正12年ごろから営業をはじめたようだ。その後、数軒の温泉宿が軒を並べるようになり、ダム工事やバブルなどの栄華盛衰があり、今にいたっているようだ。昭和初期か中頃だろうと思われる古い白黒の写真が載っている。
写真では、当時の糠平の中心街と思われるが、道を隔てた白樺の林の中に、ぽつんぽつんと建物が見え隠れしている。
看板に糠平館とある木造宿が写っている。
「この写真は、どこから写したものですか?」
と、ロビーにいた女将さんに訊いてみる。
女将さんは洋服姿でラフな格好をしているが、女将さんという威厳がある。日帰り風呂にはいり、洗濯をして、その合間にずうずうしくロビーでくつろいでいる自分にも、やさしい声をかけてくれる。
「ええと、これは今は糠平館観光ホテルになっているから、この角度からかしら……」
と、わざわざロビーから玄関の外に案内して、説明してくれる。どうやらこの富士見観光ホテルの方向から撮影した写真のようだ。
「糠平館というのは、今も同じ家系の人が経営されているんですか?」
と、再びロビーに戻りながら訊く。
「いえ、いろいろ代わられたんですよ」
「湯元館というのもそうなんですか?」
「ああ。島さん。あそこは代々、受け継がれていますよ」
湯元館さんとはいわないで、島さんと名前を呼ぶのは、やはり島という人物が糠平を開いたから、ある意味、敬意を払っているのだろうか。最盛期には14軒の旅館があったそうだが、今は8軒に減ってしまったという。
ここ「富士見観光ホテル」は2代目が社長をしていて、老巧化した建物(?)を、今、手作りで外装をしていることなどと聞く。
まあ、そんなこんなで20分がたち、洗濯室にいくが、まだタオルが乾いてなく、もう100円を投入。そしてまたロビーにいき、町史の続きを読む。洗濯室の蒸し暑さのせいか、それとも風呂にはいったせいか、やたらとノドが乾く。冷たいお茶を飲んだばかりなのに。
さきほどは気がつかなかったが、よく見ると、数台ほど並んでいる自動販売機の横には雪印製品専用の自動販売機がある。
こ、これは……。
このところ世間を大いに賑わしているあの雪印の牛乳だ。
つい数日前も、北海道の札幌工場が出荷停止、工場閉鎖の処分を受けたばかりという新聞記事を読んだばかりだ。東京などでは、とっくにスーパーや小売店から雪印の牛乳は姿を消している……。
こういう山の中だから、回収は忘れられているのだろうか。それとも、今までなんともなかったのだから、これからもなんともないべさ、という北海道的おおらかさのたまものなんだろうか。
ま、自分にはどっちでもいいのだが。
コーヒー牛乳やイチゴミルクのパック乳製品をじっと眺めているうちに、急に冷たい牛乳を飲みたくなってくる。
4~5年ほど前までは、普通に牛乳を飲んでいたのだが、アトピー性皮膚炎に悩まされるようになってから、牛乳を飲むのを止めている。現在は牛乳を飲まなくなったせいか――もちろん、それだけではないと思うが、ほとんどアトピーに悩まされることはない。飲んでも半年に1回ほど、パック牛乳を1本飲むくらいのものだ。
だが、今日くらいは。
ロングライフ90日のパック牛乳を購入。
北海道にきたときくらいは、美味い牛乳を飲もうと思っているが、今回はまだ1回も口にしていない。久しぶりの衝動買いだ。
――当然、このときは、8月になってから大樹町の雪印乳業工場の脱脂粉乳から黄色ブドウ球菌が検出され、無期限の製造禁止命令を受けることなど、まったく知らない。大樹町といえば、糠平から南に100キロほど下がったところにある。しかも、このとき飲んだロングライフ牛乳は「牛乳」ではなく、正確にいうと「加工乳」。ということは、この大樹町の脱脂粉乳を使っている可能性は大いにあったのだ。さらに詳しくいうならば、問題の脱脂粉乳は4月1日の停電のときに製造されたもの。このとき飲んだ牛乳に菌が混入していてもまったく不思議ではない。
だが、これから我が身に起きる不幸は、おそらく、この菌がはいっていようがはいってまいが、関係なく起きたことだったのだろう。加工乳ではなく、普通の牛乳を飲んで発生した苦い過去があるからだ。
しかし、それが勃発するのは、夜になってからだ。
このときは、悲惨な夜が待っていることなど、夢にも思っていない。
ロングライフ牛乳をストローで一気飲み、ああ、うまい! などと味わう。
再びソファに座って町史などをめくっていると、大広間のほうからカラオケの音。イントロに続いて、マイクで女性が歌い始める。声がやたらでかい。それに音程がちょっと不安定。どうやら、団体客が使うカラオケの調整を、仲居さんが照れくさそうにやっているようだ。はやりの歌のようだが、だれの歌かまったくわからない。しーんとした館内に、カラオケだけが場違いのように響き渡る。
そうこうするうちに、洗濯室にいってみるが、洗濯物はまだ半乾き。どうやら、厚手のタオルの乾きが悪いらしい。
しかたないので、もう100円投入。そして再び、ロビーで休息。
まだノドが乾くので、販売機で冷たいスポーツドリンクを購入。今度は味わうように、ゆっくりと缶を傾けて飲む。――大量に汗をかいたので、いくらでも飲めそうだ。
結局、ホテルには2時間以上お世話になり、キャンプ場に戻る。
キャンプ場入り口では、女性のチャリダーがウロウロしている。
「管理人さん、どこにいらっしゃるんですか?」
と、ちょっと関西風のアクセントで訊かれる。
髪を短く切りそろえ、ひょろりとした女性で、10代後半といったところだろうが、一見、16、7くらいにしか見えない。ソロのチャリダーのようだ。まだ濡れているような髪に、レインウェアを着こんでいるし、自転車の荷物も濡れている。どうやら、ここにくる間に降られたようだ。
「勝手にテントを張っていれば、夕方、管理人さんが徴収にきますよ」
いかにもこのキャンプ場の常連のようにいうと、ども、という感じで荷物満載の自転車をサイトの奥に押していく。
今のところ、キャンプ場にはわれわれ3人のテントと、ファミリーキャンパーが1組いるだけだ。
昨日、サイト料金を徴収にきた管理人さんの話によると、このところ年々、ライダーやチャリダーの数が減ってきているらしい。
この時期になると、必ず糠平にやってくるHさんも、
「以前なら、7月中旬の今ごろの時期、土、日になると、かなり賑わったンすけどねえ。いつだったかな、セローが10台くらいずらりと並んだこともありましたしね~」
などと、感慨深げに言っている。
そういえば、毎年、ライダーの数が少なくなってきているようだという話はあちこちのキャンプ場で耳にする。言われてみればそんな気がするのだが、行く場所行く場所でバイクが少なかろうと多かろうと、こんなもだろうと、ライダーの数などあまり気にしたことがないから、ピンとこないというのが正直なところだ。だが定点観測みたいにライダーを見ている人たちのいうことだから、たぶん、本当のことなんだろう。
と、そんなことを思い返していると、ストストとバイクのエンジン音。
ビーエムF650が、キャンプ場の入り口近くまでやってくる。
「んちわあ~」
50年輩のソロライダーだ。
「今日は、どちらからですか?」
と、自分。
「富良野から……」
「昨夜は、天気よくなかったでしょう?」
「いや~。もう大変。ものすごい雨と、それに雷でね~」
などと、ちょっとハスキー声の返事。やはり、昨夜のビカビカ光っていた雷は、富良野地方を襲いまくっていたようだ。
「テント張ってたんですか?」
「いや。星の庵という旅人の宿にお世話になってね」
星の庵?
どこかで聞いたことある。
ああ、そうか。フェリーで上陸するとき、隣にいたロードスターのライダーが宿泊するとかいっていた宿だ。そういえば、あのライダーもけっこう年齢がいっていた――といってもほぼ自分と同年輩だと思うが。星の庵というのは、中年のライダーにはけっこう有名な宿なんだろう。
そのF650のライダーも、われわれのすぐ近くにテントを張る。
FJライダーH口さんも、今日はバイクを動かすことなくぶらぶらしていたらしい。
午後4時前には、Hさんも無事帰着。
「いや~。行きも帰りも上士幌のあたりだけ、雨が降ってましたよ~」
と、音更で無事に電球を手に入れたHさんが嬉しそうにいう。
入れ替わるようにして、今度はHさん、H口さん、テントを張り終えたF650のライダーがいっしょになって、富士見観光ホテルの風呂にいく。
しかし、よく考えてみると、なんで「富士見観光ホテル」なんだろうか。
糠平の街を紹介するパンフレットによると他のホテルや旅館は、いかにもご当地名と思われる「糠平館観光ホテル」「糠平温泉ホテル」、大雪の麓あるのだから「大雪グランドホテル」、さらに糠平湖のほとりにあるのだから、「山湖荘」「湖水荘」、これもわかる。「湯元館」は名前の通りだろう。「旅館美春」たぶんこれは個人の名前だろう。これも問題はない。しかし、ここから富士山が見えることは絶対にない。蝦夷富士と呼ばれるのは羊蹄山のことだから、これもここからは見えるはずがない。
ここから北にある西クマネシリ岳は、「おっぱい山」と呼ばれているらしいから、これも富士山とは関係ない。
近くになんとか富士と呼ばれる山があるのだろうか。
などと、日がな一日、ぼんやりすごしていると、あまり有益とも思えないくだらないことをついつい考えてしまう。
お茶を沸かそうと炊事場にいくと、先ほどのチャリダーが、炊事練のスペースを利用して濡れたシェラフやウェアを干している。かなり、濡れている様子だ。
「どちらからですか?」
「滋賀です」
「じゃ、敦賀からフェリーで小樽まで?」
「ええ。敦賀までは家族に車で送ってもらいましたけど」
と、彼女は一見、むすっとしているが、笑うとかわいい笑顔になる。
「今日はどこから、走ってきたんですか?」
「菅野温泉から」
「ああ。あそこか……」
あそこは舗装路にでるまで10キロ以上のダートがある。
「雨で大変だったでしょう」
菅野温泉はここから20キロほどいったところにあるが、けっこう人気のある温泉だ。以前同じ時期にいったときには4駆がばんばんすっ飛ばしていたのを思いだす。そのときは晴れていたが、晴れたら晴れたで、すれ違う車や無理に追い越す4駆が巻き上げるホコリに難儀したものだ。野営場の奥にある暖流沿いの露天風呂「鹿の湯」目当てに、温泉ファンがけっこうやってくるようだ。
しかも、舗装路にでても、ここまでくるのに然別湖と糠平湖の間にある幌鹿峠を越えなければならない。あの長い坂は自転車だと、けっこうきついはずだ。
ここまで、どのくらい時間がかかったのだろうかと訊いてみると、出発したのは朝の8時だという。
彼女がキャンプ場に着いたのは午後3時ごろだ。
約20キロを約7時間という計算になる。
普通、チャリの人だと1日に80キロくらいが平均移動距離らしいから、やはりダート走行、雨、おまけに峠越え、さらに彼女はどちらかというと、か細い身体つきをしているようだから、体力的にみてこのくらいのものなんだろう。
「本当は今日、層雲峡までいくつもりだったんですけど……。途中でとてもダメだと思いました」
などと言っている。彼女にとっても雨のこのルートは難行苦行だったようだ。
「明日は層雲峡までいくつもりなんですけど、道はどんな具合ですか」
「う~ん」
ちょっと考える。
たぶん、走りやすいかどうかという意味だろう。
はっきりいえるのは、道はすべて舗装されているが、菅野温泉からここまでのルートより体力的にかなりハードなのは確かだ。
三国峠に通じる道路は何回か走っているが、いつもバイクで突っ走るだけで、なだらかな道の傾斜がどこまでも続いている。十勝三股までの長い直進路や、さらに三国峠に続くループ状の圧倒的な長い長い上り坂。
「……三国峠から下界を見ると、かなり標高差があるようだから、あそこが一番の難所かな。だけど十勝三股にいくまでも、長い坂が何カ所もあるよ。自転車だと覚悟していかないとすぐにバテそうかな」
などと、チャリで走ったこともないくせに偉そうに言う。
「そうですか」
彼女は、すこし肩を落としてそう言う。
「2週間後には道東方面にいきたいのだけど、稚内にいってオホーツク海側を南下しても間に合うと思いますか?」
う~ん。
本人次第といいたいが、そのルートだときついのは三国峠までであとは、それほどの難所はなかったはずだ。
「1日7、80キロも走れば、十分じゃないかな」
と、たぶんここから稚内まで真っ直ぐに上って、オホーツク海側を道東に下るとなると1000キロくらいのものだろうと推測して、そんなことを勝手にいう。帯広から稚内までが450キロ弱だから、たぶんそんなものだろう。1日平均70キロで走ったとして、2週間で約1000キロ弱だ。
「大丈夫ですよ」
と、無責任なことを言う。よほどアクシデントに見舞われないかぎり、2週間もあれば十分な距離だと思う。
「道東が最終目標なんだ?」
「ええ。民宿でバイトするんです」
「あ。そうなんだ」
ということは8月1日からバイトするついでに、チャリで北海道を走って――いやいや北海道を走るのが目的で、ついでにバイト、かもしれない。北海道をバイクやチャリで走るやつなんて、たいていが北海道そのものが目的なんだから。たぶん、そうかもしれない。
そんなこんなで、じゃ明日は気をつけてと、決まりの文句を交わしたりなどして、テントに戻りお茶を沸かす。
ペットボトルにお茶を詰めると、そろそろ買い出しの時間。
それでもまだ時間に余裕があるので、以前からいってみたかった糠平湖畔にある上士幌鉄道資料館をのぞきにいく。その前に、キャンプ場から5分ほどの湖畔にいったん下りてみる。右手のほうに大きく湖が広がっている。岸から釣り糸を垂れている人が、ちらりほらり。
そういえば、糠平湖はワカサギ釣りで有名だと聞いた。
北海道、冬の風物詩として、テレビで観た糠平湖のワカサギ釣りを思い出す。厳寒期の分厚い氷にドリルで穴を穿ち、テントを設営、その中で短い竿(釣りをやらないので、よくわからないがあれはロッドというのだろうか。長さ2~30センチくらいしかなかったようだが)で、次々にワカサギを釣り上げる。釣り道具を持参しているHさんによると、糠平湖で釣りをするようなことはいってなかったので、夏はそれほどのサカナは釣れないのかもしれない。(――と思っていたら、あとで糠平のパンフを広げてみると、入漁料300円でニジマスやサクラマスが釣れるとある。ちなみに湖の周囲は32キロ)。
湖畔園の上にある鉄道資料館は、残念ながら閉館時間が午後4時、建物の扉は硬く閉まり人の気配はない。またつぎの機会だ。
鉄道資料館から国道をぶらぶらと糠平の街までいき、ビール5本、氷を購入。隣の食品雑貨屋では能がないといえば能がないが、昨日とまったく同じ食材、ジンギスカン、ビーマンを購入。じっさい、この店で肉類といえばあとは味付けのブタ肉があるのみ。魚貝類はなし。ビールのツマミだから、これはこれでいい。
夕方6時くらいから食事。
5~6人は楽に座れそうなテーブルに、Hさん、H口さん、F650ライダーの3人でわやわやと、やり始める。昨夜と今日の小雨で薪がしっとり濡れているようなので、今夜は焚き火断念。
Hさんは、今日は軽くいきたいとかで、ナス、タマネギ、豆腐などを炒めただけの健康食みたいな夕食だ。H口さんはスパゲティを本格的に茹でて、カシャカシャと鍋の中で興味をそそるような味付けの仕方をしている。自分はHさんから豆腐をわけてもらい、スキヤキ風ジンギスカンと化したものを肴にビールを流しこむ。半生のピーマンがショグショグと美味い。
「しかしあれだねえ」
大田区からやってきたというF650のライダーが、この時間にキャンプ場に到着したライダーに目をやり、なつかしそうにいう。
「われわれも、最初のころはああだったねえ。陽がくれるまで走りまくってさあ」
「……そうそう。朝は、夜が明けるころにはキャンプ場をでて、林道を走るまくり、夜は暗くなってからキャンプ場にかえってきましたねえ。しかも、服はドロだらけで」
とHさんもなつかしそうにいう。
「ところが年齢とってくると、最低、4時にはキャンプ場につかないと安心できないんだよね。とにかく、早めにテント張ってゆっくりしないとさあ」
「明るいうちに、ゆっくり風呂につかるのがいいですね」
自分も氷で冷たく冷やしたビールを1口流しこみ、最初のロングツーリングのときはひたすら走りまくっていたなあなどと思い返す。
あれは数年前の9月初旬。東北をツーリングしたときのこと。朝5時くらいには自然に目が覚めてしまい、薄暗い中で素早くテント撤収。あとは(林道を走破こそしなかったものの)ひたすら夕方まで走りまくっていたものだ。興味のある温泉場には立ち寄ったが、ほとんどの観光地はパス。10日間で約4500キロ走行。平均一日450キロ。今でも2~3日なら連続して500キロくらいは走れるが、10日間連続はきつい。今、やれといわれてできるかどうか。
「ひどいときには、3時にはもうテント張っているからねえ」
がははははと、F650ライダーは愉快に笑う。
今夜は一番年かさのこの人が話のイニシアチブをとり、夜は更けていく。話を聞いていると、どうやら自分と同じ40過ぎてから本格的にバイクに乗り始めたようだ。昔はバイクの免許を取得すると、自動的に軽自動車にも乗れたものでさあと、自分の記憶の片隅にほんのりと眠っているようなことを言う。自分の親父がそうだった。たぶん、35年以上も昔の話だ。
「だけど、車やトラックの運チャンのマナーは最低だね」
ぎりぎりまで幅寄せされた経験や横をすれすれに追い抜いていくトラックの愚行を、得々と捲したてる。ライダーには程度の差こそあれ、みんなそんな経験をもっているから思わずうんうんと相づちを打つ。
「渋滞のときに横を無理に追い越そうとした車のボディを思いっきり蹴って、路肩に逃げたことありますよ」
と、これはH口さん。
「渋滞だと、相手は絶対に追ってこれないですからね」
よほど頭にきたのだろう。行儀よく車の後について待っているのに、そこに無理に横に並ばれるようにして割りこみをされたらしい。
これもみんな経験があるらしく、わしもそんなの当然だよというように、うんうんと小さく頷く。
おとなしい顔をしているが、H口さんはやるときはやるのだ。
ここにいる4人は、間違ってもバリバリの走り屋じゃない(おそらく)ので、ふだん無謀な運転はしていないはず。だから、こういうバイク乗りならではのちょっとした面白い話を聞くと、みんな晴れ晴れとした顔になる。子羊たちのささやかな晩餐だ。
「それにさあ、前を走っているやばそうなトラックの後には絶対つかないことだね」
とF650ライダーが話を締めくくりにかかる。
「いつだったか、高速でさ。前を走っているトラックが妙に左側に寄っているのよ。最初はわざとそうやって走っているのかなと思っていたけど、なんかおかしいんだよね。それで、こっちはスピードを緩めて後の車に追い越しをかけさせたんだよ。そのときだよ。路側帯に工事中かなにかで並べてあったパイロンを、トラックが次々に跳ね飛ばしながら走っているんだよ。あれは、すぐにうしろを車に譲ったからよかったけど、あのまま、バイクで走ってたら、絶対に事故を起こしてたね」
と、確信をもってF650さんはいう。
そうだろう。スピードを出しているバイクが、パイロンに乗り上げたら一発でフロントをとられ、どこかにもっていかれる可能性はかなり高い。
ぞっとする光景だ。
と思いながら、また冷たいビールを一口。氷に漬けているので、いつでも気持ちよく冷えたビールが美味い。とくにこの時期にはギンギンに冷えたビールが美味い。
「……事故いえば、いつか事故こそ起こさなかったけど面白い経験をしてさあ」
と、F650さんも最初のビールを飲み終わり、ウィスキーに切り換えながら話を続ける。
「まだ、セローに乗っているころでね。カムイワッカ温泉にいってさ、その帰り、あそこずう~とダートじゃない。急に砂利にフロントを取られちゃってさ、もうどうやっても修正できないのよ。どんどん路肩のほうに進んでいってさ、コントロールできなくなってね、このままだと確実に側溝に落ちる、それで、どうせ落ちるならジャンプして側溝の向こう側に着地しちまえって、ブアアって思いっきりアクセルを回したのよ」
ふんふんと、みんなが話に聞き入っている。
「そしたらさあ、どうしたわけか、中央に戻るわけよ。バイクが道の中央に。あれにはびっくりしたねえ、路肩をジャンプするつもりでスピードあげたのに、すうっと中央に戻るんだもの」
「ああ。そういうことってありますねえ。リアが制動力を取り戻すんですよね。逆にスピードを緩めたりすると、そのままタイヤを取られてしまいますね」
とHさんが解説してくれる。
そうか。そういうことか。こういう話はもう少し、早く聞きたかった。ひょっとしたら、あのときに転ばずにすんだかもしれない。
あれ1昨年の北海道ツーリング。
そのダートにはいりこんだときに、やばいかなとは思っていたのだ。
――富良野の麓郷から市内に向かう途中数キロほどだが、ちょっとしたダートがあり、そこで荷物満載のまま転んだことがある。道には舗装工事の基礎のために人為的に細かく砕いた小指の先ほどの砂利がびっしり敷き詰めてあり、そこが車の轍で左右に押しのけられ緩やかな山のようになり、そこにタイヤを取られた。
カムイワッカまでのダートも、その前に走っていたが、ああいう洗濯状になっている締まったダートは割と平気なのだが、こういうのが一番つらい。
フロントブレーキは絶対に使わず、あわててクラッチを切らない――このふたつをしっかり頭にいれて3キロほどは無事に走行。だが、そこで油断したのがいけなかった。この経験をツーリング日記にどう書こうか、フロントブレーキは使わず、ハンドルに力はいれないことだな、などとのんきに夢想していたまさにそのときに、フロントタイヤが砂利山にはいりこんだのだ。
しまったと思ったときにはもう遅く、ハンドルが勝手にぶれてコントロール不能。右カーブにさしかかったところで、ゆっくりゆっくり――たぶん時速30キロほどで、ザザザっと砂利をなめるように転倒。
バイクは真横というより、路肩から轍に向かって斜めに転倒。そのせいで、前後のタイヤが宙に浮いたようになった。とても1人では起こせない。それでも荷物を全部下ろしていると、うしろからきた4駆のドライバーが親切にも声をかけてくれ、無事にバイクを起こすことができたのだ。
ひょっとしてあのとき、アクセルを緩めず、逆に絞っていれば、制動力を取り戻したかもしれない。いやいや、どうだろう。
まあ、しかし、怪我ひとつなく、フロント右ウィンカーにヒビがはいったくらいで、バイクもほぼ無傷だったのは運がよかった。
1言いい添えれば――走っていて転んだのは、このときがはじめての経験。
そうこうするうちに、ビール3本ほどが空になる。
――と、なんの前触れもなく下腹部にぐぐんと圧迫感。続いて膀胱の裏側あたりを、固く絞られるような鈍い痛み。大腸が捻られたような感覚に襲われる。
これは大きいほうの要注意信号だ。
ふだんでも冷たいビールを飲んだときに、ときどきこういうふうに急に差しこむような便意をもよおすことがある。これまでの経験から、まだしばらくは大丈夫、もう1回ぐっときたら、トイレにいこう。それで十分間に合う。
話の間があいたので、
「セローと比べてビーエムはどうですか?」
と、このごろとみにBMWに興味がでてきたので、F650さんにまだ余裕の態度で訊いてみる。
しばし――約4秒間の沈黙のあと、
「……どうといわれてもねえ。セローとビーエムはまったく別のバイクだからねえ」
「そうですよ。比べようがないですよ」
「走る目的がまったく違いますからね」
と、あっという間に3人に攻撃される。
う~ん。
こういうところで、一般論かあ~。
たとえば50のカブに乗っていて、ある日CB750に乗り換えたとする。そのとき、自分が同じような質問をされたら、
「そりゃあ、全然違いますよ。ダッシュ力もスピードも。もちろん750は重いけどねえ~~」
とかいう素朴で個人的な印象を聞きたかったのだ。
乗り換えて、はじめてビーエムで公道を走ったときの印象、ここがすごい! ここはダメだな、というようにセローと違うなにかを感じたはずなのだが……。
ようするに単純なバカ話で場を盛り上げ、酒の肴にしたかったのだが。
別に公開討論をやっているんじゃないのだがなあとひそかに思ったが、口にはださず、そうかそうかなどと相づちを打ち、結局F650の乗り味などはわからずじまい。
そうこうするうちに、大阪からきたというXJR1200のライダーも仲間に加わる。建築現場で働いているという彼は、あちこちの山に登るのが趣味らしく、明後日は大雪山に登る予定だという。明日は登り口近辺の山荘に泊まる予定だというので、去年お世話になった「ヌタプ・カ・ウシ・ペ」を宣伝する。あのときのオーナーの話のよると、ロープウェイが新型になるので今年はかなりの人出が予想されるとかいっていたが、今なら夏休み前なので空いているかもしれない。
――と思っていたが、数週間後、彼からもらったメールによると、旭岳温泉一帯のロッジはすべて満室状態で、結局、いったん山を下りて宿をとったという。やはり初夏の大雪山、高山植物などで人気があるようだ。
そうこうするうちに、F650さんが、
「ここは焚き火ができるようになっているんだねえ。やんないの?」
と、みんなの顔を見回す。
たぶん、昨日の雨で薪が湿っているので無理かもしれないとHさん。でも、山と積まれている薪の下は大丈夫かもしれないというので、とりあえず、薪を取ってきますかということで、全員で管理小屋の裏にいってみる。
「これならいけるよ~」
と、上部の薪を除けながらF650さん。
結局、リアカーに薪を満載して、みんなで2回ほど往復する。かなりの量だ。
薪は危惧していたよりもずっと火のつきがよく、すぐにバチバチと夜空に火の粉をはぜはじめる。ときに炎が2メートル近くまで上がり、フライシートに火の粉が飛んでいかないかと心配になるほどだ。
みんな、焚き火を囲むように座っていた席を移動。わしも折り畳みのイスをもってきて、焚き火の近くに陣取る。ゴクゴクと冷たいビールを飲む。炎を眺めながらノドに流しこむビールには、また格別のものがある。
と、下腹部にぐりんと、固く絞った洗濯物をさらにきつく絞るようなあの感触。
やばい。
「……よくさ、ミステリーなんかでさ、公衆電話に犯人が電話をかけてくるけど、あれは現実にはありえないんだよね……」
NTTに勤めているというF650さんの溌剌とした声をぼんやりと聞きながら、おもむろに立ち上がりトイレに向かう。
トイレは、キャンプサイトより1段低い2~3メートル下の鬱蒼とした林の中に溶けこむようにして建っている。焚き火をしている場所からは、約50メートルといった距離だろうか。
歩くたびに、下腹がぐっぐっと絞られるような感触に襲われる。なるべく刺激をあたえないようにそっと、だが、早足に歩く。転んだ拍子に、漏らすということも十分にありえる。いつも尻ポケットにいれているマグライトで荒れた地面を慎重に照らしながら、下に通じる段々までの最短距離を急ぐ。
昼間、トイレにはちゃんとトイレットペーパーが備えつけられているを確認しているので。紙はオーケイだ。テントまでトイレットペーパーを取りにいく時間を節約できただけでもついていたな、などという考えがちらりと脳裏をよぎり、ちょっと気をぬいたのがいけなかった。
土手を削ってつくられた土の階段を、何段か下りたときだ。
足が着地して腰から力が抜けた瞬間に、スッと尻になにかが漏れる感触。おならのようでもあるが、触って確かめたわけではないが、濡れたような感触がある。
やばいじゃないか。あああ。
いったん立ち止まって、肛門にぎゅっと力をこめる。
だが、階段を1段下りるたびに、水状のものが漏れるのがわかる。目の前、あと5メートルも歩けば、トイレの開きドアがあるというのに……。ドアには「虫よけ」のために、必ず1回1回閉めて下さいと張り紙があり、分厚く重い扉になっている。
わずかの距離だが、そこまでもたどり着くことができない。
と、もう尻に力をいれようがいれまいが、関係なくなった。歩こうが歩くまいが、漏れはじめの態勢にはいっている。
ぐおおお。
このまま、ジャージの中に漏らすわけには絶対いかない。
素早く、ジャージを太股のところまで下ろすと、尻丸出し半腰のまま、尻をうしろに突き出すようにしてトイレ建物の横にはいりこむ。大股で1歩あるくたびに、水状のものが漏れる。この姿だけは、絶対に見られたくない。
「雪じるしいいいぃ」
と、心の中で叫びながら、そのままトイレの裏手にまわる。
林が建物すぐ近くまで迫っていて、地面は腐葉土となっている。表面がふかふかだ。ライディングシューズの硬い爪先で腐葉土を蹴起こし、その中に排泄しようとするが、第1回目の波状攻撃はすでに終了したらしく、尻の穴はかたく殻を閉じてしまっている。
便意はあるのだが、どう力んでも、排便できない。
そのままの姿勢でじっとしゃがんでいると、トイレにだれかがはいってくる気配。はっと息を殺す。
分厚い板1枚通して、すぐ横は男子の小便器がある。小便をする音がじょろじょろと響いてくる。そして、しばしの間。
し~んとしている。
ここで変に動いたら、ばれてしまう。
たぶん、いっしょに焚き火をしているうちのひとりだろう。先にトイレにいったわしが、大のほうにもはいっている気配がないので、いったいどこにいったのだろうと怪訝に思っているかもしれない。
彼が立ち去ったのを確認してから、ジャージのポケットからコンパクト・ティッシュを取りだし、1枚ずつ丁寧に広げ、それをまた4角く丁寧に折りたたみ、破れないようにそおっと尻を拭く。
クシャクシャになったやつが2~3枚しか残ってないので、慎重に使う。まるで金箔なみの貴重品あつかいだ。たまたまポケットいれていたので、よけいにそう感じるのかもしれない。
けれど、とてもティッシュ2~3枚じゃ足りない。
土に埋め戻すと、半腰状態のまま建物を1周するようにして女子トイレ側から男子トイレに飛びこみ、すばやく大の個室に身をひそめる。これじゃ、泥棒だ。だけど、ようやく、人心地がつく。
トイレットペーパーを拝むようにして手に取り、とりあえず、お尻をきれいに拭く。それからペーパーを幾重にも重ねるようにして、尻とパンツの間に何枚も詰める。パンツとジャージの間にも何枚か詰める。尻ナプキンの要領だ。
これで、少しはましになる。
トイレの手洗い場には石けんが置いてないので、かわりに手洗い場の横にあったトイレを掃除するときに使う消毒洗剤のようなものを使わせてもらう。臭いこそ嗅いでいないが、ティッシュにも、手にも大きいのが付いたのは間違いない。消毒剤は泡などちっともでないが、気分的には手が殺菌されたように感じで、ちょっと安心。
外にでて、さっき漏らしながら移動したと思われる場所を、ライトで照らしてみる。
だが、マグライトの明かりていどじゃ、その痕跡がはっきりわからない。
あとでもう一度、じっくり調べよう。
歩くと、尻のあたりにごわごわ感があり、なんとなくオシメをしているような気分になる。だが、もう安心だ。
さりげなく焚き火の場所に戻る。
やはりあの、昼間の牛乳がいけなかったなと思いながら、再びビールを飲み始める。だれも気がつかなかったかな、などとみんなの顔をそれとなく探ってみるが、まさか、さっき大きいのを漏らし、便所のウラに潜んで、冷や汗タラタラだったとは想像していないだろう。
――が、Hさんの姿だけが見えない。ビールでも買いにいったのかと思ったが、20分たっても帰ってくる気配がない。
「Hさんは?」と、H口さんにそれとなく訊いてみると、
「どっか、あっちにいったようだけど……」
と、駐車場のほうを指さす。
ひょっとして、自分を隠れて観察していたではないかと、ひやひやしていたのでホッとする。
やはり、買い物にでもいったようだ。だが帰ってくるのが遅い。さらに10分ほどたって、なにかあったかと心配しはじめたころになり、ようやく、足取りも軽くHさんが駐車場あたりから現れる。
「酒、買いにいってたの?」
と訊くと、駐車場で携帯電話をつかっていたという。
どうやら、あの北見の看護婦さん26歳とずっと電話で話していて、明日は勤務でだめだけど、明後日、どっかで会う約束をとりつけていたらしい。
あやうく、自分が取り返しの付かない状況になろうとしていたときに、Hさんは電話を楽しんでいたようだ。
ま、そんなこんなで、薪も燃えつくした11時くらいにはお開きとなる。
テントにはいると、すぐにパンツだけは着替える。汚れたパンツはナイロン袋にいれ、厳重に上部をしばる。これは帰るまで開けることはないだろう。バッグの奥の奥につっこむ。
新しいパンツをはいたが、もしやのことにそなえ(――なにがもしやか、よくわからなくなっていたが、酔っているのでそれなりに考えていたのだろう)、ティッシュをパンツとお尻の間に再度挟んでから、再びトイレの周辺にいってみる。手には2リットル入りのポリ袋と、マグライトをもち、大きいものの痕跡を水で洗い流すつもりだ。
だが、いくら目を凝らしても、どこにもその痕跡がない。
トイレ裏のティッシュだけは、さらに腐葉土を分厚くかける。だが、ここでもはっきりしない。
どういうことだろう。
酔った頭でこれ以上考えてもしかたない。
あとは明日だ。