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バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

2000年7月20日 北海道ツーリング 最終日

2025年05月26日 | 2000年 北海道ツーリング
7月20日(木)
 函館~青森~五所川原~鰺ヶ沢~秋田~本庄~尾花沢~山形~練馬




 午前6時50分起床。ちょっと寝過ごす。
 フロント横の食堂で朝食をすまし、荷物を持ってフロントにカギを返す。すぐ横に停まっている宿泊客の車がじゃまで、バイクが出せない。食堂でメシをよそってくれた係のおばちゃんが外にでてきて、
「わたしね、車の免許もってないの。やってくれる?」
 ということで車のカギを渡される。車を一旦道路にだしてから、バイクも移動。そして再び車を元の位置に戻す。このシチュエーションは、たしか東北かどこかのビジネスホテルでも経験済み。

 走り出して、気持があせっていたのだろう。
 完璧に道を勘違いして、八戸方面に湾沿いの道を5キロほど走ってしまう。景色がどうもおかしいので広い道路にでて、標識を捜すがすぐには見つからない。だんだん不安になり、ガソリンをいれるついでに従業員に訊いてみると、案の定、逆送している。
 幸いにも、まだ渋滞らしいは渋滞ははじまっていないので、やや飛ばしぎみに五所川原方面を目指す。

 国道7号から、国道101号に右折、五所川原から、1昨年うちに泊まってくれた弟の友人が住んでいる森田村を過ぎ、鰺ヶ沢町を過ぎて日本海にでる。深浦の近くで、イカの一夜干しやスルメがズバズバッと干してある土産物があったが、次にイカ専門の土産物屋があったら立ち寄るつもりと思っていたが、その後、そんな店は1軒もなし。

 小金崎温泉を横目にズンズン下っていくと、十二湖の看板。
 立ち寄るつもりはなかったが、途中までいってみることにする。ビジターセンターらしきところまでいって、トイレだけ借りてUターン。だれもいないシーンとしたところだ。季節外れなのか、観光バスがくるようなところではないらしい。

 あとはひたすら101号を南下。能代から国道7号に合流、そのまま7号を秋田まで南下。秋田市手前から、しばし渋滞。どこで道を間違えたのか、いつのまにか国道13号を走っている。この道も面白そうだが、今回は本庄から107号を走るつもりなので、途中で右折。そのまま細い入り組んだ道を走っていると、小さな駅の広場にでる。ついでに駅前の電話ボックスから電話。カミさんに今日中に帰ると連絡する。
 どうやら、駅は無人駅のようで、女子高校生あたりがちらほらと駅舎を出入りしている。「羽後牛島」という駅だ。

 再び7号にでて、本庄まで南下。
 本庄では道を間違え、Uターンを繰り返して、しばしウロウロ。ようやく107号らしき標識を見つけ、ほっとする。安堵のせいか、無性に「冷やし中華」が食いたくなる。市内の外れ、進行方向左手にラーメン専門店を発見。すぐさま、バイクを駐車場にいれる。バイクを停めたとたんに、むっとする暑さに汗が吹きだす。

 冷やし中華850円。なかなかいける。
 食後、再び、107号の人となる。本庄市内で白バイを見かけたが、対向車線にも白バイ。あまり飛ばさないように、注意して走る。
 107号を、途中から398号に右折。ズンズン下って398号を左折、国道13号にう合流後、再びひたすら南下。途中で、申し訳程度のにわか雨。いつ雨がふってもいいようにレインスーツの下だけ履いていたので、それほど濡れはしない。途中から30分ほど、BMのボクサーとF650のカップルライダーの後を走るはめになる。

 新庄を過ぎ、尾花沢では市内のスーパーにいき、生のジュンサイでもないかと探すが、東京で売っている緑のビニール袋入りのでかいやつしかない。時期外れのようだ。残念。代わりに店頭に積んであった地元のメロン(480円也)をゲット。無理矢理、サイドバッグに押しこんで再び出発。13号までの道順がわからなくなったので、スーパーの駐車場で、地元の人に訊く。かなり親切に教えてもらう。

 あとは国道13号バイパスをひたすら南下。
 途中、ガソリンスタンドでガス給油。北海道出発直前、ちょっと気になっていたことをふと思いだし、
「空気圧、計ってもらえますか」
 と、その若い従業員に頼む。
「圧は、いくらですか?」
「フロントが2で、リアが2・25ですけど、これから高速走るので高めにお願いします」
 プシプシッと、圧を調整してもらったあと、
「リアはいくらぐらいでしたか?」
 ためしに訊いてみる。
「ええと、1・2でしたよ。前輪は2ありましたけど……」
 げええ。
 やっぱりバルブがおかしくなっているか、小さなパンクをしているようだ。
 だが、それほど重大なダメージは受けていないようなので、あまり飛ばさないように気をつけて走ることにする。無理をしないぶんには、たぶん大丈夫だろう。

 と思いながらも、山形市内に近づくにつれて渋滞してくる中、すり抜けなどをして信号ダッシュ。ようやく、午後5時40分。山形北インターに到着。高速券を取ると、すぐにバイクを料金所先に停めて、もう一度、タイヤを点検。大丈夫のようだ。

 ところが高速を50キロも走ったころだろうか、村田ジャンクションの手前で、ゴツゴツゴツとリアタイヤに異常音。なにかに乗り上げたような、小さなショック音。シートにも直にガツガツガツと伝わってくる。こんな感触ははじめてだ。小石に乗り上げたような、2次的なショックとは違い、明らかに直にショックをタイヤが受けている感触だ。だが、すぐにおさまる。
 バースト? まさか。

 スピード減速、路肩に寄る。だがバーストにしては、ちゃんとまともに走ることができる。タイヤにも、異常はない。
 そのままゆっくりと走ってみる。異常なし。
 蔵王PAまでおそるおそる走り、ふたたび車体を点検。
 タイヤを蹴ってみるが、やはり異常なし。
 ――と、右側のサイドバッグにかけていたレインカバーがない。ふと、その下を見ると、ずたずたになったレインカバーの切れ端が、リアタイヤに絡みついている。
 なんじゃあ。

 レインカバーが外れて、リアタイヤに巻きこまれている。
 ずたずたになったカバーの半分くらいが、リアの車軸に絡みついて、あわれにもぶら下がっている。
 すぐにナイフで切ろうとするが、中心部はがっちり車軸に絡みついて、どうしようもできない。こういうときにセンタースタンドがないと苦労する。バックでタイヤを逆回転してみるが、まったく効果なし。しょうがないので、カバーの切れるところだけ切り取って、再び走行。

 (あとで、帰宅してからキリやカッターナイフを使ってようやく、レインカバーの残滓を取りだしたが、ナイフで取り出せなかったのも無理はない。ビニール性のレインカバーは高速で回転する車軸に巻きつき、高熱で車軸を囲むように円形のプラスチック状に変形している。その幅、約1センチ、そのまわりの1部には、柔らかく押し出されたようにプラスチックの固まりになっている。摩擦、融解、おそるべしだ)

 気をつけて走れという警告のつもりで、その後は慎重に走る。
 栃木あたりまでくると、いやな雲が前方に広がっている。案の定、急に大粒の雨。スコールのような雨で、視界もか悪くなる。前の車のテールライトがようやく確認できる程度だ。50キロ以上はだせない。

 トラックなどはばかばか横を走っていくが、恐ろしくてまともに走れない。
 前の乗用車が気を利かせてくれたわけでもないだろうが、かなりスピードダウンしたので、ぴったりとその後についていく。時速50キロ以下だ。雨天走行は20分くらいのものだったろうが、感覚的にはかなり長く感じる。
 午後10時半。練馬着。
 本日の走行距離約900キロ。ただいまの総走行距離55960キロ。今回は約3000キロほど走ったことになる。ただし北海道内は約2000キロといったところか。




2000年7月19日 北海道ツーリング 9日目

2025年05月25日 | 2000年 北海道ツーリング
7月19日(水)
 大成町・野営場~乙部~枝幸~松前~函館~青森(ビジホ・みちのくホテル)





 午前7時には起床。
 今日中に函館に着いて、フェリーで青森か大間に渡れればそれでよし。東大沼のキャンプ場に泊まってもいい。今のところ、天気は割合いい。東北方面は明日から、天気が崩れてくるという。
 しかし、考えてみたら明日中には東京に帰り着かなければならない。今日中に青森に渡らないとヤバクないか?

 明日フェリーで青森に渡るとしたら、たぶん、昼過ぎになるだろう。すぐに青森で高速に乗れば、夜中には帰り着けるだろうが、あまり高速は使いたくない。う~ん。すこし急いだほうがよさそうだ。
 早く出発したいが、フライシートは露でびっしょり。
 地形の関係で、朝日がここまで射すようになるにはまだ時間がかかりそうで、なかなかシートが乾かない。しかたないので、また、テントの中でストーブを20分ほど焚くことにする。不思議そうに見ている枚方のライダーには「これ裏技」などと適当に説明する。

 やはり、枚方のスクーターは荷物で満載。足元には10リットル入りのガソリンタンクが無造作に置いてある。
「フェリーで下船のとき甲板までの坂を上る途中、エンジンを吹かすとうしろが重いから前輪が浮き上がってしまいましたよ」
 などと笑っている。
 彼はこれから小樽に向かって走るという。

 午前9時半。それぞれの健闘を祈りつつ、それぞれ北と南に別れて走り出す。
 乙部~枝幸~松前と車も少なく、気持よく走る。上ノ国から松前半島をまわる国道はさらに車が少なく、ほとんど貸し切り状態。松前で食事と街を見物するつもりで、旧道から市街地にはいる。時間があれば、松前城などにもいきたいところだが、今回はパス。

 市街地の中央部にある土産物屋にちょっと寄り道。
 中は、何軒かの土産物屋が入っているようで、わりときれいな店舗だ。あきらかに観光客向けだとわかる。松前漬けでも買おうと思ったが、袋入りでどこでも売っていそうな感じで、これもいつか地元の人がいくスーパーで買おうとパス。代わりに、3枚1000円の天日干しのスルメを購入。ついでに、魚を食べさせてくれる定食屋はないかと、レジのおばさんに訊く。
「地元の魚を使った料理をだす定食屋を探しているのですが……」
「魚ねえ」
 と、おばちゃんはしばし考えている。
「そば屋と洋食を食わせるところは、すぐそこにあるけどねえ」
 隣の店舗のおばさんに大声で「どっかなかったかねえ」と訊いてくれる。
 いろいろやりとりをしたあげく「漁り火」という店がいいんじゃないかという結論に達したようで、その店を教えてもらう。
「夜は居酒屋になるけど、昼は定食やってるよ。魚は自分で直接、市場から仕入れてるっていうから、評判はいいよ」
 と、その場所を詳しく教えてもらう。

 海岸沿いのバイパスを引き返すようにいったところだ。
 さっそく向かうが、最初はそこを素通りして、2~3キロほど行き過ぎてしまいUターン。よくあることだ。
 ほんの少し道路から奥まったところにある「漁り火」を発見。
 バイクを道端に停めて、2階にある店にいく。開店したばかりなのか、お客さんはだれもいない。店内の電灯も点いていない。ちょっと太り気味の若い女性が厨房にいるので、もう、大丈夫かと訊くとOKという返事。

 彼女は、なにか総菜のようなものをつくっていたようだ。
 今日の定食とあったので、なにか訊くと、「ハンバーグ」だという。
 パス。
 メニューを見ると、焼き魚定食とあるので、どんな魚か訊くと「サンマ」と返事。たぶん、北海道で水揚げがはじまったばかりのものだろう。じゃあ、それ下さいと注文。カウンター席に座る。
 トイレにいくと、やはり一番乗りなのか電気もついていない。

 洗面所で手を洗ってから、今日の新聞をラックからもってくる。すぐに天気を調べる。明日あたりから東北地方は崩れてくるようだ。やはり、今日のうちに青森に渡ろう。大間でも青森港でもどちらでもいい。
 運ばれてきたサンマは、まあまあ。アブラが乗るには、やはりあと数ヶ月たたないとダメか。
 とにかく急ごう。

 たしか、午後2時前後の大間行きのフェリーがあったはずで、その時刻をマップルの後のページにメモしていたが、わざわざバイクを停めて確かめる気にはなれない。福島町あたりでは、やたらと千代の富士の名前が目につく。記念館まであるようだ。

 木古内町をすぎ函館山が見えたきたあたりで、工事渋滞がはじまる。すり抜けなしで流れに乗り、なんとか午後2時過ぎには函館フェリー着。フェリー乗り場手前の国道ではバイクが白バイに停められている。道内では、あまり白バイを見ないので、珍しいといえば、珍しい。

 フェリーのバイク停車場には、数台のバイクが停めてあるだけ。
 すぐにターミナルのいき、時間を調べると、大間行きは午後1時50分に出航したようで、次は午後6時半の便。これは無理だ。青森行きは、けっこう便がある。次の便は2時50分。これなら、なんとか間に合う。

 観光客や地元の人でけっこう混んでいる申し込み台で、住所、名前を記入して受付窓口で乗船券購入。料金3600円也。
 すぐにフェリーの車輌入り口にいく。バイクは1番前に停車するように指示される。さすがにこの時間、青森に渡るバイクはいないようだ。――と思っていたら、乗船ぎりぎりになってハーレーとオフ車が1台やってくる。

 船室に落ちつくと、すぐに仮眠状態にはいる。青森までの所要時間約4時間。到着は午後7時前。
 一眠りする前に、今日これからどうするか決めなければ。横になったままキャンプガイドを調べると、青森市郊外にキャンプ場があるようだ。しかし、明日はできるだけ一般道を使って南下するつもりなので朝早い。少しでも走らなくては。

 森田村というところにも、けっこう良さそうなキャンプ場がありそうだ。しかし、青森からだと到着するのは、午後8時過ぎになるだろう。
 天気も崩れるかもしれない。朝も早い……。
 いつしか、1時間ほど熟睡。

 目覚めの後。すっきりした頭でしばし考えたあと、青森市内のビジネスホテルに宿泊決定。船内電話から予約すると、今日は空いているとのこと。フェリー埠頭からのホテルまでの道を教えてもらう。どうやら青森駅の近くのようだ。1泊5500円也。

 午後7時前、青森港着。
 教えられたとおり、青森ベイブリッジを渡り、信号を右折、さらにふたつ目の信号を右折、しばらくいくと右側に今夜の宿「みちのくホテル」発見。
 ホテルの玄関横にバイクを停め、サイドバッグ、シートバッグはバイクに装着したままバイクシートを被せる。正面玄関から、荷物をもっていくやつもいないだろう。メットとタンクバッグだけで受付をすまし、明日の朝食もついでに予約。

 部屋に荷物を置き、買い出しにいく。
 青森駅が近くにあるようなので行ってみる。よくテレビなどで観るあの飲み屋が長屋状になったところを通り抜けると、駅前に出るようになっている。それほどお客さんはいないが、なんとなく旅情をそそるような光景だ。よほど赤提灯にはいろうかと思ったが、それほど金も残ってない。今回は部屋で1人酒。

 角のコンビニで、唐揚げ弁当とサンドイッチを購入。ビールの商品券が使えるかと訊くと、雇われ店長みたいなおじさんから「いや、使えません」とつれない返事。まあ酒類をあつかっていないので、無理もない。
 酒屋を教えてもらい、ビール4本と氷を買う。なんだか妙にかっこいいじいちゃんが1人で切り盛りしている。ここで商品券使えるかと訊くと「使えるよ」と、気持のいい返事。
 部屋に戻り、ひとっ風呂浴びてから1人飲み、早めに就寝。


2000年7月18日 北海道ツーリング 8日目

2025年05月24日 | 2000年 北海道ツーリング
7月18日(火)
 なんぽろリバーサイドキャンプ場~石狩~小樽~余市~岩内~島牧村~大成町・野営場




 朝、7時には起床。雨、小雨。増水もなく無事、朝を迎える。
 早く出発したいが、テントは雨でびしょ濡れ、繊維が中まで水を吸っている。このままバッグにテントを収納するのはかさばるばかりで気がすすまないし、第1、濡れたフライシートを畳むのを考えただけでうんざりする。テントが自然に乾くのをまっていたら、1日はここに足止めとなる。

 奥の手を使う。といっても、やるのは今回がはじめてだが……。
 テント以外の荷物をパッキングしたあと、少々濡れているベンチの上にテントを移動して、中でストーブをがんがん焚く。テントの生地に引火しないように火力を調整して乾燥すること、約20分。思ったよりも、ぱりぱりに乾燥してくる。
 できるだけ、雨に濡れないようにテントを畳み、パッキング。小雨の中を出発。

 国道337号から江別方面に向かい、あとは昨日と同じルートで石狩方面を目指す。西に向かえば晴れてくるかと思っていたが、逆に雨足は強くなる。
 4車線になった銭函周辺では、ものすごいスピードのトラックに追い抜かれ、バケツでぶっかけらたように水を浴びる。ド、シャーンという感じだ。うあおお。しかし、さすがはゴアのレインスーツ。1筋たりとも水漏れなし。
 あまりのトラックの多さと雨に閉口、ガソリンスタンドに逃げ込み、しばし休息。
 雨さえ小降りになればトラックと同じスピードで走れるので、かなり楽になるのだが……。だが、30分ほどたっても、それほど雨足は変わらない。濡れたグローブをつけて、再び出発。

 小樽の市街地にはいるころになって、ようやく、小糠雨になる。
 小樽駅にいく道を1回間違えて、道を歩いている地元の人に駅までの道を訊き、無事に小樽駅到着。
 駅前の駐車場にバイクを停め、とりあえず、三角市場をのぞいてみる。
 10数年ぶりの再訪だ。
 あれ、こんなに小さかったかなというのが素朴な印象だ。
 もっと、でかくて雑多な店がごちゃごちゃしているという印象だったが。こんなにうるさく客引きをしたかな。これじゃ、なんだか釧路のフィッシャーマンズワーフのおばさんたちといっしょだ。完全に観光客のための市場だったんだと再認識。実際、歩いている人たちはほとんどが観光客ばかり。

 とりあえず、せっかくきたことだし、カミさんに頼まれていたコンブを買う。
 やはり、利尻コンブは少量でもおどろくほど高い――といっても、東京あたりからすれば、かなり安いのだが。今回は、天然コンブの切れ端をつめたものを買う。けっこうな量がある。家で使うものだから、見てくれはどうでもいい。1000円也で購入。

 乾物屋の前にある食堂で朝食兼昼食のメシ。
 ご夫婦ふたりでやっているこぢんまりしたカウンターだけの店だ。10人もはいれば満席になりそうな小さい。ウニ丼、イクラ丼もあるが、これはもうしばらく走って、積丹半島で思いっきり食うつもりだ。
 ということで、焼き魚定食(680円)を注文。キングサーモンの付け焼きがメインだ。やはり、市場内ということもあり、うまい。もちろん、ハラもへっている。
 隣に座った常連らしいじいちゃんは、冷やのコップ酒をぐうっと飲んだあと、ラーメンをすすっている。なんか、うまそうだ。

 食後、小糠雨の中、小樽駅を覗いてみる。
 観光客でわやわやして賑やかだ。トイレにいき、ヘルメットを持って駅の入り口で佇んでいたライダーとちょっと話をする。50代といったところか。横浜からオフ車でやってきたという。昨日、函館に上陸、道南の西側を走って昨日のうちに小樽までくるつもりだったが、雨が激しくて前に進む気がせず、岩内で宿をとったらしい。
「雨で積丹半島は通行止め。がっかりだよ」
 ん?
 通行止め。
 話を聞くと、岩内と余市の間が昨日から通行止めになっているという。電光掲示板によると、今もそうらしい。なんてこった。それなら市場で定食など食わずに、余市のカキザキ商店でウニ丼を食ってもよかった。  
 今回もウニ丼はお預けだ。

 それでも、めげずに小樽駅をあとにする。
 小樽の市街地の外れにある国道の電光掲示板に、やはり、積丹半島は通行止めとある。しかし、西の空はかなり明るい。ひょっとして、通行止め解除となっている可能性もあるかもしれないので、余市から先に進んでみる。が、やはり、通行止めの警告。
 再び余市に戻り、カキザキ商店を横目に国道5号線を南下。
 国富で、国道276号に右折。

 岩内に着く30分くらいの間に、青空が広がってきて、猛烈に暑くなる。道の駅「いわない」で小休止。じっとしているだけで汗が吹きだしてくる。1時間前とはえらい違いだ。レインスーツを脱ぎ、冷たいお茶を飲む。ついでにチェーンをチェックすると、からからに乾いているのでオイルを注す。
 一応、シールチェーン用と謳ってはあるが、やはり量販店のチェーンオイル(一応、クレ製)じゃ粘度が足りないのか。すぐにオイルが切れるようだ。
 今日中に、函館あたりまでいけるかと軽く考えていたが、西側の海岸回りだと、小樽~函館間は500キロあることが判明。ここからでも300キロ以上はある。ひたすら走り続ければ不可能ではないが、無理はしたくない。どこかで1泊することに決める。

 国道229号を南下。
 断続的にトンボが群れている場所を通過すると、カン、カンというふうに、メットにぶちあたってくる。80キロくらいで走っているので、トンボは失神して落下している。あまりいい気持ちではない。トンボの群に遭遇するとスピードを落とす。40くらいだとトンボのほうから、すいすいっと左右に避けて通り過ぎていく。

 道の駅、「よってけ島牧」によほど寄ろうかと思ったが、横目に通過。昨年、ヌタプカウシペの夕食にでたソウハチカレイの一夜干しは、たしか、この町から直送されてきたものだった。今晩のビールの肴にすべきか迷う。この海岸沿いだとどこかもう少しいったところにあるかもしれない。
 などと、思っているうちに、島牧村を通り過ぎて瀬棚町にはいる。

 急いでいる理由は、今日中に熊石町の活アワビを養殖している「水産種苗生産センター」にいきたいからだ。岩内にいるときには、午後5時くらいまでに着くのは楽勝だなと計算していたが、けっこう時間がかかりそう、ぎりぎりだ。

 トンボもいなくなり、檜山国道を80くらいで進んでいると、前方にトラック。追い越しをかけようと右側にでると、市街地突入。どうしようかと迷っていると、急にトラックが40くらいにスピードを落とすので、あれっと思う。こっちもつられて、スピードダウン。
 よし、今だとアクセルを開けようとギアを落としたとたんに、今までトラックの陰になっていた派出所が左手道路際に見える。
 数人の警察官が計器を前にして座っているのを横目に通過。
 ――スピード取り締まり中。
 追い越さなくてよかった。やはり、地元車やトラックがなんの意味もなくスピードを落としたときには要注意だ。

 市街地を抜けると、トラックが再びスピードをあげたので今度は前を注意しつつ、トラックを追い越す。
 海岸道路にでると何カ所も道路工事をやっていて片側通行、けっこう待たされる。まあ、そんなこんなで、今日のキャンプ場は熊石町の青少年旅行村にしようかと、ガイドブックを調べてみると、入村料400円、テント1張り800円。計1200円は北海道にしては高い。

 手前にある大成町の野営場だと入場料200円、テント一張り210円。計410円也。しかもキャンプ場横には温泉保養センターまである。こちらに決定だ。いったん熊石町にいってから、大成町に引き返す。熊石のガソリンスタンドで水産センターの場所を訊いて、そこに向かう。これは今回、カミさんへのみやげ。

 水産センターは小さな工場のような感じで、中を見学させてもらうが工作機械のかわりに、浴槽を大きくしたような海水槽がずらりと並んでいるだけだ。
「これが1個450円」
 と、いって手にとって見せられたものは、5センチくらいのエゾアワビ。
 1番大きいという1個600円のものでも7~8センチくらい。
「これが普通の大きさなんですか?」
 と訊くと、これが成長したエゾアワビなんですという返事。
 それじゃ、600円のもの10個、お願いしますと、宅急便で送ってもらうよう事務所で手続きする。
「いつ届くようにしましょうか?」
 案内してもらった人が、送り状を見ながらそういうので、すばやく頭の中で金曜日は何日になるか計算。
「ええと、21日に到着するようにして下さい」

  送り賃、箱代などで、計8000円近くを払う。昨夜、どこかのビジネスホテルに泊まったものとすれば、安いものだ。アワビは活きたまま、宅配されるとのこと。
 これさえすめば、今日はもうゆっくり。
 熊石町の酒屋も兼ねているスーパーみたいな雑貨屋にいき、今夜の夕食の調達。

 やはり海沿いの町なので海産物がいい。それも安くて新鮮なもの。そう思って店内をウロウロしていると、蓋のある発泡スチロールにイカと紙が張ってある。蓋を開けてみると、イカが束になっている。しかも足がまだもぞもぞ動いている。体色も赤い。新鮮な証拠だ。
 1ぱい、100円。
 勝手にビニール袋に入れていいようだ。2はいゲット。ビール4本(500ミリリットル)。ついでに氷も購入。
 暑くて、ジャケットを脱ぎTシャツ1枚で走る。
 この暑さにせっかくのイカがまいってしまわないように、氷の袋にぴったりくっつけてキャンプ場に向かう。
 野営場とある標識にしたがって、299号を右折。狭隘になっていく山の中にずかずか進む。

 キャンプ場らしき場所を道沿いに発見。だが、すでに午後5時を過ぎているというのに、テント張っているものなどだれもいない。し~んとしている。ここで夕方5時か6時になる鳴るサイレンは、じつはクマ避けのためとも聞いたことがある。実際、キャンプ場の後に広がる奥深そうな山から、いつヒグマがあらわれてもおかしくない場所だ。山の陰になっているので、すでにこのあたりだけ薄暗い。

 ――去年、釣り人がヒグマに襲われて死亡したのは木古内町、ここから50キロほど南下した町だ。ご利用の方は、近くの温泉保養センターで受付をすませていくださいとの看板。
 また今夜も1人かと思いながら、とりあえず炊事場の近くにテントを張る。キャンプサイトはだだっ広い。

 保養センターまでは歩くと時間がかかるようなので、バイクでいく。
 マップルには、その建物が「国民宿舎あわび山荘」とある。たしかここは人気の国民宿舎で、テレビにもでていたように記憶しているが、ぱっと見た感じ、それほど宿泊客がいるようには見えない。この建物以外には他に民家や建物がまったくなく、山間の川横にぽつんと1軒だけの印象からかもしれない。注意してみると駐車場にはかなり車が駐車している。

 国民宿舎の横に温泉保養センターが併設している。受付でキャンプ場使用料420円也と温泉代260円を払い、さっそく温泉。
 それほど広い浴槽ではないが、貸し切り状態でのんびり。
 キャンプ場に戻ると、さっそくイカを調理する。1ぱいは刺身。もう1ぱいは煮付け。
 炊事場でイカの皮むきなどやっていると、ルルルとスクーターの音。
 一旦、キャンプ場を過ぎて、また、再び引き返してくる。ツーリングライダーのようだ。手を振ると荷物満載のスクーターを停めて、こちらにやってくる。

「いらっしゃ~い」と声をかける。
「ここ、どうなってますか?」
 受付と風呂はどうなっているか教えると、テントを張る前に受付と風呂をすませてくるといって建物のほうに向かう。ここでキャンプするという。今夜は1人じゃなさそうだ。
 イカもさばき終わり、テントの外で調理の準備などしながら1杯やっていると、さっきのスクーターのエンジン音。そのまま、サイトに侵入してくる。
「どうも」
 自分のところから20メートルほど入り口よりに、テントを設営するようだ。
「熊石のキャンプ場、あそこ、高いですねえ」

 高いというのを「たっかい」としゃべる。関西人のようだ。訊くと、やはり大阪は枚方の在とのこと。20代前半といったところか。
 彼も熊石のキャンプ場に泊まるつもりだったようだが、料金の高さにここまでやってきたらしい。貧乏ライダーの考えることはいっしょだ。昨日、舞鶴からフェリーで小樽に着き、そのまま道南方面をうろうろしていたが、やはり雨に降られ、昨夜は函館のライダーハウスに泊まったという。

 バイクで移動しているわりには、テントはかなりでかい。自分のものもダンロップの3人用のものだが、それより1回りは大きい。全室も広い。正面にはヨウレイカのロゴがでかでかとはいっている。
 テントを立ち上げると、こちらにやってきて、
「すみません。ちょっといいですか」
 と、なにか教えてもらいたいことがあるという。
 どうやら、テントの張り綱を張る方法がわからないという。自分も自己流といいながら、もやい結びで綱を張る方法を教える。実をいえば、縄とかヒモを結ぶのは苦手だ。正式には、たしか8の字結びでやるはずだが、この方法しかしらない。
「実は、このテント張るのは今日がはじめてなんですよ」と、いうことらしい。

テントを張り終えると、彼がやってきて2人で食事。彼は90CCのスクーターだというのに、自分の使っている折り畳みイスより1回りは大きいイスをもってきて、さらにフライパンも一般家庭で使うような直径が30センチはあろうかというようなでかさだ。ガス台もでかい。それに10リットル入りの予備のガソリンタンクまで持ち運びしているという。
 スクーターというのはけっこう、荷物を積みこめるようだ。

 焼いたイカをつつきあったり、彼の焼いたウィンナーをもらってりして、2人ともビールを飲んでいると、60歳代の男性が現れる。
 実はこの人は、さっきも1回、ここにきてちょっと挨拶していたのだが、すぐに宿泊している宿舎に戻っていっている。チャリで北海道1周をしている人のようだ。
「はい、差し入れ」
 ドライビールを1本ずつ、差入れだという。
 それじゃなんだからというので、いっしょに飲みましょうということで、わしらの中間に座ってもらい、イカなどをつついてワヤワヤやり始める。

 初老チャリダーは、今年62歳になる江戸川区の人だ。仕事をリタイヤして、1人で旅をしているという。
「昨日は1日100キロ走ったよ」
 と、嬉しそうにいう。いったあとにガハハと豪快に笑う。普通のチャリダーで1日の移動距離80キロくらいときいているから、けっこうハードなほうだろう。
 なにかスポーツでもやっていたかというような体型で、下半身もしっかりしていて、波打つ銀髪もかっこいい。が、すこしも嫌みではない。ちょっと自慢話をしたいだけらしい。

「なにかあれば、こいつがたよりになるからね」
 と、わざわざ首からぶら下げていた防水袋いりの、携帯電話を取りだしてみせてくれる。ここの宿も途中から、その携帯で予約したらしい。
「とにかく、海沿いの道だけを走るという方法で北海道をまわっているんだ。だから、海沿いの細い道をいってみると、先は行き止まり。引き返したことも何回もあるよ。つらいけど、楽しいねえ」
 というコンセプトで北海道チャリ1周を敢行中らしい。

「ここはアワビが有名なんですけど、夕食はどうでしたか?」
 と、まだエゾアワビを食ってないので、ちょっと感想を訊いてみると、
「え。あれはアワビだったかい。トコブシだと思って、パクパク食っちまったよ。そんなたいしたもんでもなかったがね」
 こんなちっちゃかったからねえ、と親指と人差し指で7~8センチの隙間をつくって笑う。自分が、ここのエゾアワビ、けっこううまくて人気があるんですよというと、へえという顔をして、
「わしの母ちゃんがね――」
 この母ちゃんというのは、どうやら奥さんのことらしい。

「房州の出身だから、いつも田舎からアワビが奥ってくるのよ。こんなのが」
 と、今度は左右の人差し指で20センチくらいの隙間をつくる。
 なるほど。そんなの食っていれば、そりゃ、ここのエゾアワビはトコブシくらいにしか思えないでしょう。さびしく微笑。
 そのうち、枚方ライダーはサントリーオールドを取りだし、ちびちびやりはじめ(容器のまま持ち歩いている)、自分はあいかわらずビール。
 午後9時くらいにはかなり寒くなり、初老チャリダーは宿にひきあげ、自分らも10時半くらいまで飲んでお開きにする。



2000年7月17日 北海道ツーリング 7日目

2025年05月23日 | 2000年 北海道ツーリング
7月17日(月)
 糠平キャンプ場~然別湖~狩勝峠~富良野~滝川~浦臼~石狩~なんぽろリバーサイドキャンプ場









 朝、7時には起床。
 すぐに2リットル入りのポリ袋をもって再びトイレ周辺をさりげなく散策。昨夜の惨劇のあとを歩いてみる。だが不思議なことに、やはり痕跡がまった見当たらない。
 再び、どういうことだと考える。
 かなり激しいものだったから、腐葉土の中に素早く溶けこんでしまったのだろうか。そうだととしか思えない。掘り返してみれば、なにかわかるかもしれないが、そこまではやりたくない。
 イメージとしては、腐葉土に黄色いペンキ状のものが点々。だれかがそれを朝早く見つけ、大騒ぎする。それをある程度、想像していた。
 いや、あれは夢。夢だったに違いない。

 1昨年、Hさんにこのキャンプ場ではじめて会ったときも、みんな同時に寝たのはいいが、寝つきのいい自分はすごいイビキをかいて寝ていた――らしい。
 次の朝、「きのうダレカものすごいイビキをかいてましたね」とHサンを中心に数人のライダーが集まり、わやわやと犯人探しみたいなことをやっていた。テントの中にいた自分は、しばらく、でるにでられなくなった経験がある。
「向こうから聞こえてましたよ」とだれかがいい、自分のテントを全員が注目したような気配がして、しばし、しーんとしていた。このテントにいるやつが犯人に違いないという無言の空気が伝わってきたものだ。

 もし、今回、あの痕跡を見つけたら、だれがこんなとこで大をもらしたんだあ、という暗黙の犯人探しがはじまるのは間違いないと思っていた。だからその痕跡はポリ袋の水で素早く洗い流すつもりでいた。
 寝ている間に、雨でも降ったのだろうか。だが、そんな気配はなかった。やはり幻覚だったのだろうか。

 ま、深く考えても仕方ない。
 心の中で軽く十字を切る。
 やや、安心しつつ、インスタントミソ汁の朝食のあと、ゆっくり出発の準備。テントの隅には、昨夜、ナプキンみたいに尻に当てていたティッシュが、いつ、そこからずり落ちたのか、ひとつだけぽつんと転がっている。
 1昨日、雨の中を走り、昨日1日放っておいただけで、バイクのチェーンには赤いサビが浮いている。チェーンオイルを注す。

 午前8時半には出発するが、その前にH口さんが、駐車場前でデジカメで写真を撮ってくれる。Hさん、F650さんの3人でならだところを撮ってもらい、後日、メールで送信してくれるという。(――実際、後日、写真を送ってもらう)

 Hさんだけ、天気と相談しながら、明日くらいまで連泊する予定だという。
 然別湖に向かう道をしばらくすすむと、谷間になったところで、おおっというような水溜まりが道を完全に塞いでいる。タイヤが半分以上浸かってしまいそうで、ちょっとした池になっている。しばし、逡巡していると、対向車線を観光バスがやってきたので、水を派手にかきわけてすすんだあとの波の打ち返し(?)の間を縫って、モーゼの海渡りよろしくすばやく進む。

 然別湖畔の休憩所でバイクを停めて、然別湖を眺めていると、スコスコとHさんがやってくる。
 Hさんは湖畔を散策するらしく、ここで再度、別れの挨拶。
 上士幌から38号線の新得に行く間に、ちょっと迷う。どうやら鹿追町の十勝川と並行しているあまり使われていない狭い道を走っていたようだ。行き違う車もいない谷底を走るような寂しい道で、両脇が急に崖になっていたりしている。
 75号に合流したが、しばし逆送。数キロ走ってから気がつき、新得方面にUターン。

 狩勝峠から樹海峠を経て、富良野へ向かう。
 今日は、積丹あたりでウニ丼を食うつもりで、富良野では軽く食事をするつもりでいたが、なぜかトイレを借りるつもりで富良野駅にいき、そのまま、駅構内の立ち食いソバ屋で月見ウドンをすする。
 駅前には、バイクはあまり見当たらない。
 時刻はまだ午前11時過ぎ。

 だが、午後、南から天気が崩れるということだったので、なるべく早く小樽近くまでいきテントを張るつもりだ。上富良野の「日の出公園」でキャンプしようかななどとちらりと思ったが、やはり今回はどうしても道南を回遊したいので、できるだけ先に進みたい。気持を引き締めて出発。どこにも寄り道しないで、すぐに38号線に乗る。

 赤平~滝川~浦臼町、38号から275号をすいすいいくが、どうも小樽上空あたりはドス黒い雲におおわれているようだ。雨がいつ降り始めてもおかしくない。
 すれ違う小樽方面からのライダーはレインスーツを着用している。
 ――と、月形(監獄波止場のあとでもみて、むつみやのラーメンでも食いたかったが、今回はパス!)あたりでパラパラとくる。
 バイクを停めて、すばやくレインスーツを着こむが、このまま富良野に引き返そうかと本気で思う。雨の中、テント設営は気が重い。

 石狩市にはいってところで、本格的な降水。かなり、激しい。
 やばい。
 雨はこのまま東に移動してくるのは間違いない。小樽あたりは大雨だろう。予想よりも雨雲の移動がはやいようだ。
 Uターンして、どこかで素早くテント設営決定。時間は午後2時。
 ガイド本ですばやくキャンプ場を物色。近くにあるキャンプ場はいくつかあるが、以前、岩見沢のキャンプ場はいいといっていたので、そこに決定。たぶん、1時間もあればいけるだろう。

 当別あたりまで引き返すと雨こそ降ってないが、雲が低く垂れこめはじめている。降水はもう時間の問題だ。
 275号から国道12号を北上、岩見沢の市街地から岩見沢の公園を目指す。地元の人に訊いたりして、キャンプ場が併設している公園になんとかたどりつくことができる。が、キャンプサイトで、キャンプしている人などだれもいない。
 鉄柵のでかい門があり、サイト内は徹底的に管理されているようだ。
 看板には、利用のさいは事前連絡しないと利用できないとあり、しかも一張り1000円とある。高い。ほとんどオートキャンプ場のようなもので、場内をバイクで1周したあと、別の場所を求めて公園をあとにする。

 無料のキャンプ場が近くにないかと、再度、ガイド本をめくる。
 このガイド本はツーリング前に購入、今回はじめて使用する北海道のキャンプ場案内の本だ。これまでは、ほぼいきあたりばったりでキャンプ場を決めていたが、あればあったで、なかなか便利だ。
 ということで、調べること約2分。

 そこから約10キロほど南下した南幌町に無料のキャンプ場があるようだ。
そこに決定。
 234号を南下していると、霧雨。ついにこのあたりも降りはじめてしまった。栗沢という駅近くのコンビニで、弁当を購入。温めてもらったやつを、タンクバッグに突っこんで再出発。雨足は次第に強くなってくる。――すこし急がなくては。ウニ丼は次の機会だ。

 234号から、灰色に煙る畑の中を突っ切る274号を寂しく走る。すれ違う車やバイクはほとんどない。「リバーサイドキャンプ場」とあるので、河川敷だとは思うが、だだっ広い畑が広がるばかりの場所で、ホントにキャンプ場があるのかと、半信半疑のまま地図の場所にいってみる。
 ようやく、夕張川の堤防沿いに町営の公園施設にたどりつく。あたりに人家はほとんどない。
 広い駐車場には1台の車も、バイクも見当たらない。

 本格的に降り始めた雨に、施設の建物もまわりの景色もすべて灰色に染まっている。しばし、あたりをうろうろ走ってみるが、キャンプ場らしき場所が見当たらない。廃止になったのだろうか。
 駐車場にある看板地図にも、キャンプ場の区域など記してない。
 弱った。
 ビジネスホテルに宿泊するのももったいないし、ライダーハウスは最後の手段だ。

 雨を避けるように大きな木の下にバイクを停めて、しばし、休息。もう、雨は止みそうにない。まだ午後3時過ぎだというのに、夕方は7時くらいの感覚だ。おまけに人の姿がまったくないので、余計にそう思う。
 しかし、キャンプ場が廃止になったとしても、その名残はあるはずだ。
 そこに無理にでもテントを張らせてもらおうと考え、再び、あたりをバイクで周回していると、堤防の向こうにようやくテントサイトらしい施設を発見。

 堤防はかなりの高さがあり、キャンプ場はずっと下に見下ろすようにある。東屋もあり、簡易トイレ、屋根こそないが炊事施設も河川敷の中にぽつんと見える。
 かなり広いキャンプ場のようだが、キャンパーはひとりもいない。
 夕張川がすぐ前を流れていて、川が氾濫するとひとたまりもないようなところだ。去年の玄倉川の惨事が、ふと脳裏をよぎる。あのときも突然の増水により、何人も犠牲になっている。

 とりあえず、東屋までいって一休み。
 東屋は中心に固定式の四角いベンチが置いてあり、バイクを庇の中に停めても充分に余裕がある。
 バイクを乾いた東屋の下にいれると、ホッとする。
 風の具合で、雨は一方から流れこんでくるが、ベンチ全体を濡らすほどではない。レインスーツを脱いでバイクにかけ、タンクバッグからラジオを取りだし、気象情報でも流さないかとつけっぱなしにして、ぼんやりと灰色の景色を眺める。

 どうすっかなあと考えるが、どうにもならんときにはどうにもならん。
 どこかに移動するなら今だろうが、動く気はまったくない。
 ということで、バッグからまだほんのりあたたかい弁当を取りだして食うことにする。
 こういうところで、ひとり雨の景色を眺めながら、ぼんやり弁当を食うのもおつなものだ。
 ラジオの気象情報によると、雨は明日の朝まで降り続けるらしい。

 弁当を食うと、なにもすることなし。
 途中、1回だけ管理のおじさん(みたいな人)が、作業車みたいなトラックに乗ってすぐ横を通過する。声をかけるタイミングを逃すが、なんにもいってこないところをみると、テントは勝手に張っていいのだろう。
 文庫本を読みながら、さらに時間をつぶし、午後5時前には東屋の中にテントを張る。中といっても、中心には固定式のベンチがあるのでほぼ庇の下だ。床はコンクリート製なのでペグは使えない。フライシートをピンと張れないが、これはしかたない。そのせいで、雨に濡れたフライシートの出入り口部分が、インナーにぺったり貼りつくようになるので、折り畳みイスをその間に挟んでスペースをつくる。

 ベンチの上から後方出入り口を使ってテントに出入りする。
 なんにもすることがないと、すぐにハラがへる。
 炊事場にいき水を汲んできて、インスタントスパゲティをつくり、薄暗くなってきた景色を眺めながらの早めの夕食。雨は止みそうにない。暗くなる中で文庫本の細かい字を読んでいると、頭が痛くなってくる。
 こういうときの夜の過ごし方は、焚き火にビールでもあればいいのだが、あいにく今夜は酒を飲む気分じゃない。

 テントの中に引っこみ、マグライトの明かりで本を読み続ける。
 風がときおり吹きつけてきて、ペグで固定していないフライシートがバサバサ音をたてる。水をいれたコッヘルをフライシートの中央にあるペグを通すゴムのワッカに噛ませてみる。が、コッヘルごと移動、転倒してあまり効果がない。

 やはり、芝生に移動すべきかと考えるが、明日が早いことを考えると、ここを動かないほうがいいと判断。
 本を読むのにも飽き、マグライトの明かりを消し、シェラフの中でじっとラジオを聴いていると、そのうちウトウトしてくる。自分のイビキの音ではっと目が覚めたりする。
 疲れているんだと思い、本格的に寝ることにする。

 と、東屋から20メートルもはなれていないアシの茂みあたりから、カエルの鳴き声。
 ――ゲゲ。ゲゲ。ゲゲゲゲ。
 と、かなり耳障りな鳴き声だ。3分間くらいのインターバルをもって鳴く。いつ鳴き出すのかが気になるといえば、気になる。
 そのうちにまたウトウト。
 と、カエルの鳴き声で、はっと目が覚める。さっきより、かなり近くで鳴いている。そしてまたウトウト。
 ――ゲゲ。ゲゲゲゲゲ。

 自分のイビキとカエルの鳴き声で、同時に目を覚ます。今度はすぐ近く――たぶん頭から1メートルも離れていないところで鳴き声。な、なんだ。あっちへいけ。
 と、テントのボトムを手のひらでバンバンと叩いて追い払うが、コンクリート床は痛いばかりで、あまり音はしない。カエルの鳴き声はおさまったが、完璧に目が覚めてしまう。これで次に寝つくまで1時間はかかる。ああくそ。そのうちにテントに吹き流れてくる雨の音が激しくなっている。
 暗闇にじいっと目を凝らしていると、カエルがゲゲと1声だけ鳴く。

 また、こっちに近寄ってきたようで、テントのすぐ横にいるようだ。ペタペタッとカエルの足音まで聞こえるようだ。カエルの鳴き声は、すぐ近くで聞くと、かなりうるさい。
 もう一度、強くボトムを叩く。水がボトムの下に入りこんでいるのか、にぶい音がするだけだが、今度はどこかにいってしまったようだ。メスもいないようなこんな東屋にやってきていったいどういうカエルだ。メスならアシの繁る水辺にいくらでもいるだろう。まったくなあ――
 などと、そこまで考えてハッとする。

 こいつは、ここにメスがいると思ってやってきたのではないだろうか。つまり、イビキにさそわれて……。仲間がいると思って。わざわざやってきたのかもしれない。
 こういうことが本当にあるかどうかわからないが、どうもイビキに誘われたとしか思えない。
 交接時(こういうときに鳴くかな?)の歓喜の鳴き声と間違えて、やってきたのかもしれない。単に仲間がいると思っただけかもしれないが……。

 テントから上半身だけ外に乗りだしてライトで照らしてみるが、カエルはもうどこかにいってしまっている。
 そのうちに、ボトムとその下の敷いているブルーシートの間に、かなりも雨水が溜まってくる。手のひらでボトムを押すと、1センチくらいは溜まっていそうで、ゆらゆらと水の感触がある。
 やばい。
 サアサアと雨の降る中、外にでて、ブルーシートをテントの下から引き出し、乱暴に畳んでベンチの上に置く。
 どこを見渡しても真っ暗で、かなり遠くにある外灯の明かりを透かし見ると、雨がけっこうな強さで降っているのがわかる。

 川は不気味な音をたてて流れている。もちろん、川面など暗くて見えない。
 再び、テントの中でシェラフにもぐりこみ、じっとしている。時刻は午後10時。まあ、眠くなるときには、自然に眠くなるもんだと気を取り直して、目を閉じる。
 ラジオを聴いていると、石狩地方には大雨洪水注意報が発令されたらしい。
 石狩地方?

 この夕張川のあたりじゃないか。大変な事態になるのだろうか? だが、あまり深く考えることはしない。
 30分もたったころ、ようやく落ち着いてきて、やがて睡魔がおそってくるなと、ラジオを消して就寝態勢。ぬくぬくしてきて、どのくらいたったころだろうか。突然――
 ウイィィィイイン。
 電子音のようなサイレン音が、堤防の向こうにある公園あたりから響いてくる。ウイィィン……ウイィィィン……と、それは止むことなく続く。
 なんなんだ。こんどは、いったいなんなんだ。
 もう起きンぞ。
 シェラフの中で、「火事かもしれない。……しかし、こんな雨の日に」とチラリと考えたあと目を見開く。
 こ、こりは夕張川が「警戒水位」を突破した警報のサイレンではないだろうか。

 まさか。
 石狩地方に、大雨洪水注意報……。
 時計を見ると、午後11時10分。
 次の瞬間、跳ね起きて、マグライト片手にテントの外に飛び出し、パンツ一丁でベンチの上で爪先立ちになり、川面を照らしてみる。
 ――が、なにも見えない。
 岸辺までいってみようかと思ったが、昼間見た感じでは、本流と河川敷のあいだには池のような水たまりに水路もあり、夜目には少々危険。足元がかなり危ない。

 本当に危なかったら、警戒の車が知らせにくるはずだ。堤防のほうを見てみるとが、人や車がいる様子はない。
 だが、今日はここでキャンプしているやつはいないという情報が伝わっていたら、どうなる。
 サイレンは相変わらず鳴り続けている。
 どこかに移動すべきだろうか?
 しばらくすると、そのサイレンの音が移動して、どこか右のほうから聞こえるようになる。ひょっとして救急車なんだろうか。しかし、救急車のサイレンにしては音が大きすぎるし、高周波を発しているようなあんなきれいなサイレンの音は聞いたことがない。実際、そのあと救急車のサイレンの音が、あの不思議なサイレンの音に合流する。

 しばし、あたりを観察するが、変わった様子はない。
 テントに引っこみ、シェラフに潜りこむ。サイレンがまたどこかに移動したように遠くから聞こえてくる。
 警戒警報のための車輌が、川沿いでも巡回しているのだろうか?
 謎だ。
 もし、いまここまで川の水が溢れてきたら、どう対処する。
 去年から使っているこのコンパクトエアーマットレスなら水に浮くはずだから、いざというときには、これをもって東屋の屋根に登ればいい。そしていよいよとなったら、マットレスを浮き輪代わりにして水流には逆らわず、川を斜めに横断するようにして渡ればいいな、などと災害に備える。
 犬が川面を横断するときの、あの自然な態勢。それとも着の身着のまま、バイクに乗り、逃げられるところまで逃げるか。
 などとつまらぬことを午前2時近くまでぼんやり考えているうちに、いつしか眠りに落ちる。


糠平キャンプ場




なんぽろリバーサイドキャンプ場
(雨と警報であまり眠れず)

2000年7月16日 北海道ツーリング 6日目

2025年05月22日 | 2000年 北海道ツーリング
7月16日(日)
 糠平キャンプ場(連泊)・バイク動かさず

 朝、ときおり雨が、テントをザザザッとたたいていく。
 午前8時くらいには起床。
 腕時計を見ると、3時40分あたりで秒針が止まっている。文字盤を照らすライトのスイッチを押しても、明るくならない。ちょっとたたいてみたり、強く振ってみたりするが変化なし。
 電池切れだ。
 ツーリングの途中に限って、こうだ。
 今日は晴れていたら、富良野あたりまでぶらぶらするつもりだったが、その前に時計の電池をどうにかしなくては。電車に乗ったりバスに乗ったりするわけではないが、時計がないと落ち着かない。

 外にでてみると、今にも降り出しそうな空模様。
「おはようございます」
 顔を洗って、テーブルにいき、Hさんらと軽く朝食。朝はあまり食欲がないので、インスタントミソ汁を2人分、カップに入れ、それにコンロで沸かした湯を注いで1丁上がり。飲んだ次の朝は、これが意外といける。
「天気よくなさそうですねえ」
「夜中の2時くらいにトイレに起きたんですけど、大雪の方角では雷がビカビカ光ってましたよ」と、これはFJライダーH口さん。
「あ~あ。これからここも雨かな」
 といいながら、それでもヘッドランプの電球が切れてしまったので、音更(おとふけ)のホームセンターまで買いにいかなくてはいけないようなことをHさんが嘆く。
「腕時計の電池も売っているかなあ」
「売っているでしょう」
 Hさんはすまし顔でそういう。

 Hさん、肩まで長く伸ばしていたうさうさした髪を、今回は、ちょっと短めにすっきり切ってきている。うまくいえないけど、去年、同じような格好をしてたとしても、かなりむさい格好にしかみえなかったものだ。が、今回は、どこと指摘はできないけど、こざっぱりした印象を受ける。伸ばしたら顔中がヒゲだらけになりそうなほど、男臭い濃いはずなんだが、なぜか、それさえ、すっきりと感じる。顔色もいい。
 う~む。
 やはり、若い女の子と2週間も行動を共にするという深層意識が、そうさせているのだろうか。

 真上を見上げるつどに、山間特有のすばやく流れる雲のせいで、短時間のうちに、変に暗くなったり明るくなったりする。これから天気がよくなるのか悪くなるのかよくわからない。木々の間から見える山の向こうの雲は、黒く迫り出してくるようで、これからの天気を予見させるような不気味な動きだ。Hさんが携帯のアイモードでお天気サービスを調べると、やはり道内はどこも天気はよくなさそう。電子機器のエンジニアをやっているHさんは、こういう最新の電子機器を使いこなすプロなのだ。
 もう、今日は別に出かけなくてもいいかなと、ペットボトルに詰めるお茶など沸かしながら、ぼんやりそんなことを考える。

 パラパラと雨が降ってきたので、各自、それぞれテントに待避。
 雨は軽く降ったり、止んだりを繰り返す。テント内でごろごろしているうちに、もう、今日はキャンプ場でのんびりしようと決める。温泉に日がな1日浸かってもいいし、洗濯物もたまってきたし、コインランドリーにいってもいい。
 午前10時。いったん晴れたところで、外にでてみると、Hさんたちもどのタイミングで出かけていいのやら、計りかねてウダウダしている。全員、なんとなく手持ち無沙汰。
「タープでも張りますか」
 と、Hさん。

 今回、わざわざ小型のタープを持ってきたというHさんと、持ってはきたが今回のツーリングではまだ張ったことがないというH口さんのタープを、いっしょに張ろうと話がまとまる。
「雨が降って、いつでも避難できるようにこのあたりがいいですかね」
 などといって、テーブルのすぐ横の木々を利用して、2枚のタープを繋ぐようにしてタープを張る。6畳ほどの空間が、けっこういい感じになる。折り畳みのイスをもってきて、ど真ん中に座ってみると、なかなかのものだ。
「これで、いつ雨が降っても大丈夫だねえ」
 しかし、こういうことをしたときに限って雨は降らないものだ。(――案の定、このあと雨が降ることはなかった) 

 午前11時。
 テントでラジオなど聴きながらウダウダ。そろそろ糠平の街でもぶらつこうかと、ふと腕時計を見ると、秒針がけなげに動いている。文字盤のライトもつく。つきあい3年、時価1980円の時計が、最後のご奉公をしてくれているようだ。携帯電話の時刻表示で時間を合わせ、とりあえず使ってみることにする。(結局、この時計はツーリングを終え3ヶ月たっても元気に動いていた)

 洗濯物(パンツ、Tシャツ、靴下)をビニール袋にいれて、ぶらぶら。もう今日はバイクに乗ることはないので、キャンプ場を出しなに、バイクにもバイクカバー。今日はもうなんにもしたくない。
「糠平でなんか定食とか食わせるとこないかな?」
 と、糠平に詳しいHさんに訊いたところ、
「このあいだ、賀曽利さんも立ち寄ったとかいうブタ丼の店がすぐそこにありますよ。うまいって、褒めていたみたいですよ」
 と教えられたので、さっそくそこにいってみることにする。

 キャンプ場に出入りする糠平国道のすぐ向こう側に、ブタ丼と幟がある。わりと小さな店だ。まだ店は開けたばかりの時間のようで、だれも客はいないようだが、とりあえず入ってみる。看板には「みはる」とある。厨房には、おじさんが1人。
「ブタ丼以外に、定食はやってないのですか?」
 なんとなく、朝定食か昼定食を食いたくなって、そう訊いてみると、
「うちはブタ丼以外はやってないけど、みそ汁もオシンコもついているし、定食といっしょだよ」
 という返事。そうか。定食みたいなものか。
 店内のメニューはテーブルに載っているが、ブタ丼、ブタ丼大盛り、ブタ丼特盛りの3種類のみ。
「じゃ、大盛りお願いします」
 と、950円の大盛りブタ丼を注文。

 特大盛りのブタ丼の値段をみると、大盛りの約2倍の値段。
 特大盛りを今食べようという気はないが、値段も2倍ということは、ブタの量もメシも2倍はあるのだろう。なんとなく現物を見てみたい気もする。今度、カミさんと訊ねることでもあったら頼んでみようかなと心にメモ――ずいぶん前に、北海道をカミさんの友人を含めた3人で旅したとき、あれはどこだったか、洗面器ほどのミソラーメンを1人注文して、カミさんは嬉々として食べたものだ。
 どういうブタ丼がうまいのかよくわからないが、ここのブタ丼、けっこう好の味だ。いける。

 特製のタレ、炭火焼き、ブタ肉の良し悪し、で味が決まるなら、帯広の老舗にひけをとるとは思えない。
 ブタ丼をかきこんでいると、スコスコスコとセローに乗ったHさんが道路側の窓越しに見える。上士幌方面に左折したので、たぶん切れた電球を買いにいくのだろう。店の並び、50メートルほど向こうにあるガソリンスタンドの前には、ハーレー軍団が10台以上、ずらっと左右の道端にバイクを停めて休憩している。ときおりエンジンの調子を確かめるように、ド、ドド、ドドドなどと空ぶかし。

 食後、洗濯物のビニールを下げてぶらりと街を散策。
 このキャンプ場には、1昨年、今年と2回ほどテントを張っているが、温泉に浸かり、その帰りにビールを買うぐらいで、詳しい街のようすは知らない。
 まず、以前から1度はいってみたかった「ひがし大雪博物館」にいってみる。食堂から道を渡り歩いて5分くらいの奥まった場所にある。
 パラパラと雨も降ってきたので、ちょうどいい雨宿りにもなる。

 金300円也。人のよさそうなにこにこ顔の係の人に入館料を払う。
 町営の博物館で1970年に設立されたらしい。2階建ての建物は大きく3つの展示室に別れていて、けっこう広い。
 まず、剥製主体の一階左にある展示場をのぞいてみる。

 ナキウサギの標本があり、ほとんどネズミくらいの大きさしかない。イメージはしていたが、ほんとに小さい。耳にしても子供の小指の爪くらいのものだろう。ナキウサギのことを知らなければ、小型の野ネズミかと思うほどだ。他にもオショロコマなど、まず、釣り人でない人と見ることのない貴重な川魚の剥製なども展示してある。

 へえと感心したのは、以前、日高地方で3人の大学生を殺したヒグマの等身大の紙型模型があったが、なんとその体長は140センチ足らずしかない。2メートルにも達するでかいヒグマが3人を殺傷するというのは理解できるが、こんな小さなクマでも人間を襲うという事実に素朴な驚きをおぼえる。

 1階右側部分は、圧倒的な昆虫の採集標本で占められている。
 それほど、チョウには興味はないが、あの枯葉そっくりのコノハチョウとか、葉っぱそのものにしか見えないコノハムシ。まったく枝そのものとしか思えないナナフシの仲間などなど。写真やテレビでは何回か見たことはあるが、実物ははじめてだ。やはり、標本とはいえ、実物はまったく違う。自然の妙意に不思議な気分になる。

 地下には、この大雪地方の大がかりな模型があり、はじめて大雪湖~十勝三股~糠平湖が三連続いているカルデラのあとであることを知る。立体模型なので、その様子がよくわかる。なんのかんのと1時間以上、博物館で過ごす。
 外にでると、雨はすっかり上がっている。
 あとは温泉にゆったり浸かり、のんびりだ。

 けっこう、いい露天ですよ、とHさんに教えられていたので、キャンプ場から1番近い「富士見観光ホテル」にいく。
 りっぱな外観で、薄汚れた格好で玄関をくぐるのを一瞬、ためらうほどだ。
広いロビーは薄暗く、だれもいない。大声ですみませ~んと何回か呼ぶと、従業員専用の部屋らしきドアから、女将さんらしい人がでてくる。
「あの。ここ、コインランドリーありますか?」
 と、上がり口で交渉。
「はい。温泉に入られるんでしたら、使えますよ」
「もう、入れますか?」
 女将さんらしい人は奥の部屋に向かって「もう、露天風呂はいれるう~~?」と大声で訊く。
「大丈夫ですよ~」
 と、若い女性の返事。
 ――ということで、ロビーのカウンターで、日帰り入浴料500円也を払う。
「タオルとか洗剤はお持ちですか?」
 と訊かれたので、タオルは持っているが洗濯の洗剤はないので、小さな袋にはいった洗剤も購入。

 ロビーから赤い毛氈の敷いてある長~い廊下を左に進み、突き当たりを下にいくと、左は大浴場。右は露天風呂に通じるドア。
 やはり、先に大浴場だろう。ちょっとのぞいてみるが、だれもいない。その前に、洗濯室で自動洗濯機に金200円也を投入して、洗濯物を放りこむ。約30分で洗い上がると表示にある。
 大浴場は、かなり広い。それに明るい。ゆうに30人は楽にはいれそうだ。
 オケやイスがきれいな山形に積んだままなので、今日はまだだれもはいってないのがわかる。浴槽も広い。さっそく前を洗って、どぼんと飛びこむ。貸し切り状態だ。
 気持ちいい。

 30分ほどウダウダしてから、露天風呂にも浸かる。
 浴室の外にはだれもいないようなので、タオルで前を隠し、脱衣カゴを抱え、すばやく外に通じるドアを開け、30メートルほど先にある露天風呂の脱衣所に移動。昨日といい今日といい、なぜか風呂場からタオル1枚、脱衣カゴをもち、尻を晒しながら移動している。

 露天風呂を囲むようにログハウス造りの小さな建物があり、手作り風の露天風呂は岩に囲まれている。すぐ近くまで芝生が迫っていて、ここもけっこう気持ちいい。ログハウスの2階にあるミニサウナは、さすがにまだ稼働していない。
 でも、そんなものは必要ない。汗をかくまで露天風呂に浸かったあとは、丸太をくり抜いてつくったシャワー室で、思いっきり冷水を浴びてすっきり。
 これも気持ちいい。
 服を着て洗濯室にいくと、洗濯はとうに終わっていて、今度は100円を投入して乾燥機に放りこむ。閉め切られている部屋のせいで、すぐに暑くなる。
 乾燥時間が20分ほどかかるようなので、ロビーにいって1休み。

 ロビーにいく途中の道沿いにある大広間では、これから団体さんでもくるのだろうか。50組以上はある食器が細長い折り畳みテーブルにずらりと並べてある。ロビーにある自動販売機で冷たいお茶を買い、黒い革張りのソファに座って一息いれていると、女将さんが天井の明かりを点してくれる。
 ロビーの本棚に、上士幌町の歴史とかいう分厚い町史を見つける。りっぱな装丁箱から取り出して開いてみると、糠平のことも書いてある。この糠平が上士幌町に属していることを恥ずかしながら、はじめて知る。

 糠平湖は昭和30年に人工湖として誕生、当時は遊覧船が周航していたが、水位の変化が激しくてすぐに廃止された話や、士幌線の糠平駅があり、今、キャンプ場になっているところは元々は木材の集積所だったことなど。ダム建設当時、そこで働く人で糠平の集落はかなりにぎわい、それにともない飲屋街もでき、気の荒い労働者同士の喧嘩が絶えず、警官1人では手に負えなかった話などが記してある。

 糠平温泉自体は、大正8年に「湯元館」を最初にはじめた島隆美という人が、苦労して源泉を発見、道路を通すためにあれこれ奔走して、大正12年ごろから営業をはじめたようだ。その後、数軒の温泉宿が軒を並べるようになり、ダム工事やバブルなどの栄華盛衰があり、今にいたっているようだ。昭和初期か中頃だろうと思われる古い白黒の写真が載っている。
 写真では、当時の糠平の中心街と思われるが、道を隔てた白樺の林の中に、ぽつんぽつんと建物が見え隠れしている。
 看板に糠平館とある木造宿が写っている。

「この写真は、どこから写したものですか?」
 と、ロビーにいた女将さんに訊いてみる。
 女将さんは洋服姿でラフな格好をしているが、女将さんという威厳がある。日帰り風呂にはいり、洗濯をして、その合間にずうずうしくロビーでくつろいでいる自分にも、やさしい声をかけてくれる。
「ええと、これは今は糠平館観光ホテルになっているから、この角度からかしら……」
 と、わざわざロビーから玄関の外に案内して、説明してくれる。どうやらこの富士見観光ホテルの方向から撮影した写真のようだ。
「糠平館というのは、今も同じ家系の人が経営されているんですか?」
 と、再びロビーに戻りながら訊く。
「いえ、いろいろ代わられたんですよ」
「湯元館というのもそうなんですか?」
「ああ。島さん。あそこは代々、受け継がれていますよ」
 湯元館さんとはいわないで、島さんと名前を呼ぶのは、やはり島という人物が糠平を開いたから、ある意味、敬意を払っているのだろうか。最盛期には14軒の旅館があったそうだが、今は8軒に減ってしまったという。
 ここ「富士見観光ホテル」は2代目が社長をしていて、老巧化した建物(?)を、今、手作りで外装をしていることなどと聞く。

 まあ、そんなこんなで20分がたち、洗濯室にいくが、まだタオルが乾いてなく、もう100円を投入。そしてまたロビーにいき、町史の続きを読む。洗濯室の蒸し暑さのせいか、それとも風呂にはいったせいか、やたらとノドが乾く。冷たいお茶を飲んだばかりなのに。
 さきほどは気がつかなかったが、よく見ると、数台ほど並んでいる自動販売機の横には雪印製品専用の自動販売機がある。
 こ、これは……。
 このところ世間を大いに賑わしているあの雪印の牛乳だ。

 つい数日前も、北海道の札幌工場が出荷停止、工場閉鎖の処分を受けたばかりという新聞記事を読んだばかりだ。東京などでは、とっくにスーパーや小売店から雪印の牛乳は姿を消している……。
 こういう山の中だから、回収は忘れられているのだろうか。それとも、今までなんともなかったのだから、これからもなんともないべさ、という北海道的おおらかさのたまものなんだろうか。
 ま、自分にはどっちでもいいのだが。
 コーヒー牛乳やイチゴミルクのパック乳製品をじっと眺めているうちに、急に冷たい牛乳を飲みたくなってくる。

 4~5年ほど前までは、普通に牛乳を飲んでいたのだが、アトピー性皮膚炎に悩まされるようになってから、牛乳を飲むのを止めている。現在は牛乳を飲まなくなったせいか――もちろん、それだけではないと思うが、ほとんどアトピーに悩まされることはない。飲んでも半年に1回ほど、パック牛乳を1本飲むくらいのものだ。
 だが、今日くらいは。
 ロングライフ90日のパック牛乳を購入。
 北海道にきたときくらいは、美味い牛乳を飲もうと思っているが、今回はまだ1回も口にしていない。久しぶりの衝動買いだ。

 ――当然、このときは、8月になってから大樹町の雪印乳業工場の脱脂粉乳から黄色ブドウ球菌が検出され、無期限の製造禁止命令を受けることなど、まったく知らない。大樹町といえば、糠平から南に100キロほど下がったところにある。しかも、このとき飲んだロングライフ牛乳は「牛乳」ではなく、正確にいうと「加工乳」。ということは、この大樹町の脱脂粉乳を使っている可能性は大いにあったのだ。さらに詳しくいうならば、問題の脱脂粉乳は4月1日の停電のときに製造されたもの。このとき飲んだ牛乳に菌が混入していてもまったく不思議ではない。

 だが、これから我が身に起きる不幸は、おそらく、この菌がはいっていようがはいってまいが、関係なく起きたことだったのだろう。加工乳ではなく、普通の牛乳を飲んで発生した苦い過去があるからだ。
 しかし、それが勃発するのは、夜になってからだ。
 このときは、悲惨な夜が待っていることなど、夢にも思っていない。
 ロングライフ牛乳をストローで一気飲み、ああ、うまい! などと味わう。

 再びソファに座って町史などをめくっていると、大広間のほうからカラオケの音。イントロに続いて、マイクで女性が歌い始める。声がやたらでかい。それに音程がちょっと不安定。どうやら、団体客が使うカラオケの調整を、仲居さんが照れくさそうにやっているようだ。はやりの歌のようだが、だれの歌かまったくわからない。しーんとした館内に、カラオケだけが場違いのように響き渡る。

 そうこうするうちに、洗濯室にいってみるが、洗濯物はまだ半乾き。どうやら、厚手のタオルの乾きが悪いらしい。
 しかたないので、もう100円投入。そして再び、ロビーで休息。
 まだノドが乾くので、販売機で冷たいスポーツドリンクを購入。今度は味わうように、ゆっくりと缶を傾けて飲む。――大量に汗をかいたので、いくらでも飲めそうだ。

 結局、ホテルには2時間以上お世話になり、キャンプ場に戻る。
 キャンプ場入り口では、女性のチャリダーがウロウロしている。
「管理人さん、どこにいらっしゃるんですか?」
 と、ちょっと関西風のアクセントで訊かれる。
 髪を短く切りそろえ、ひょろりとした女性で、10代後半といったところだろうが、一見、16、7くらいにしか見えない。ソロのチャリダーのようだ。まだ濡れているような髪に、レインウェアを着こんでいるし、自転車の荷物も濡れている。どうやら、ここにくる間に降られたようだ。

「勝手にテントを張っていれば、夕方、管理人さんが徴収にきますよ」
 いかにもこのキャンプ場の常連のようにいうと、ども、という感じで荷物満載の自転車をサイトの奥に押していく。
 今のところ、キャンプ場にはわれわれ3人のテントと、ファミリーキャンパーが1組いるだけだ。
 昨日、サイト料金を徴収にきた管理人さんの話によると、このところ年々、ライダーやチャリダーの数が減ってきているらしい。

 この時期になると、必ず糠平にやってくるHさんも、
「以前なら、7月中旬の今ごろの時期、土、日になると、かなり賑わったンすけどねえ。いつだったかな、セローが10台くらいずらりと並んだこともありましたしね~」
 などと、感慨深げに言っている。

 そういえば、毎年、ライダーの数が少なくなってきているようだという話はあちこちのキャンプ場で耳にする。言われてみればそんな気がするのだが、行く場所行く場所でバイクが少なかろうと多かろうと、こんなもだろうと、ライダーの数などあまり気にしたことがないから、ピンとこないというのが正直なところだ。だが定点観測みたいにライダーを見ている人たちのいうことだから、たぶん、本当のことなんだろう。

 と、そんなことを思い返していると、ストストとバイクのエンジン音。
 ビーエムF650が、キャンプ場の入り口近くまでやってくる。
「んちわあ~」
 50年輩のソロライダーだ。
「今日は、どちらからですか?」
 と、自分。
「富良野から……」
「昨夜は、天気よくなかったでしょう?」
「いや~。もう大変。ものすごい雨と、それに雷でね~」
 などと、ちょっとハスキー声の返事。やはり、昨夜のビカビカ光っていた雷は、富良野地方を襲いまくっていたようだ。
「テント張ってたんですか?」
「いや。星の庵という旅人の宿にお世話になってね」
 星の庵?
 どこかで聞いたことある。
 ああ、そうか。フェリーで上陸するとき、隣にいたロードスターのライダーが宿泊するとかいっていた宿だ。そういえば、あのライダーもけっこう年齢がいっていた――といってもほぼ自分と同年輩だと思うが。星の庵というのは、中年のライダーにはけっこう有名な宿なんだろう。

 そのF650のライダーも、われわれのすぐ近くにテントを張る。
 FJライダーH口さんも、今日はバイクを動かすことなくぶらぶらしていたらしい。
 午後4時前には、Hさんも無事帰着。
「いや~。行きも帰りも上士幌のあたりだけ、雨が降ってましたよ~」
 と、音更で無事に電球を手に入れたHさんが嬉しそうにいう。
 入れ替わるようにして、今度はHさん、H口さん、テントを張り終えたF650のライダーがいっしょになって、富士見観光ホテルの風呂にいく。

 しかし、よく考えてみると、なんで「富士見観光ホテル」なんだろうか。
 糠平の街を紹介するパンフレットによると他のホテルや旅館は、いかにもご当地名と思われる「糠平館観光ホテル」「糠平温泉ホテル」、大雪の麓あるのだから「大雪グランドホテル」、さらに糠平湖のほとりにあるのだから、「山湖荘」「湖水荘」、これもわかる。「湯元館」は名前の通りだろう。「旅館美春」たぶんこれは個人の名前だろう。これも問題はない。しかし、ここから富士山が見えることは絶対にない。蝦夷富士と呼ばれるのは羊蹄山のことだから、これもここからは見えるはずがない。
 ここから北にある西クマネシリ岳は、「おっぱい山」と呼ばれているらしいから、これも富士山とは関係ない。
 近くになんとか富士と呼ばれる山があるのだろうか。

 などと、日がな一日、ぼんやりすごしていると、あまり有益とも思えないくだらないことをついつい考えてしまう。
 お茶を沸かそうと炊事場にいくと、先ほどのチャリダーが、炊事練のスペースを利用して濡れたシェラフやウェアを干している。かなり、濡れている様子だ。
「どちらからですか?」
「滋賀です」
「じゃ、敦賀からフェリーで小樽まで?」
「ええ。敦賀までは家族に車で送ってもらいましたけど」
 と、彼女は一見、むすっとしているが、笑うとかわいい笑顔になる。
「今日はどこから、走ってきたんですか?」
「菅野温泉から」
「ああ。あそこか……」
 あそこは舗装路にでるまで10キロ以上のダートがある。
「雨で大変だったでしょう」

 菅野温泉はここから20キロほどいったところにあるが、けっこう人気のある温泉だ。以前同じ時期にいったときには4駆がばんばんすっ飛ばしていたのを思いだす。そのときは晴れていたが、晴れたら晴れたで、すれ違う車や無理に追い越す4駆が巻き上げるホコリに難儀したものだ。野営場の奥にある暖流沿いの露天風呂「鹿の湯」目当てに、温泉ファンがけっこうやってくるようだ。
 しかも、舗装路にでても、ここまでくるのに然別湖と糠平湖の間にある幌鹿峠を越えなければならない。あの長い坂は自転車だと、けっこうきついはずだ。
ここまで、どのくらい時間がかかったのだろうかと訊いてみると、出発したのは朝の8時だという。
 彼女がキャンプ場に着いたのは午後3時ごろだ。
 約20キロを約7時間という計算になる。
 普通、チャリの人だと1日に80キロくらいが平均移動距離らしいから、やはりダート走行、雨、おまけに峠越え、さらに彼女はどちらかというと、か細い身体つきをしているようだから、体力的にみてこのくらいのものなんだろう。

「本当は今日、層雲峡までいくつもりだったんですけど……。途中でとてもダメだと思いました」
 などと言っている。彼女にとっても雨のこのルートは難行苦行だったようだ。
「明日は層雲峡までいくつもりなんですけど、道はどんな具合ですか」
「う~ん」
 ちょっと考える。
 たぶん、走りやすいかどうかという意味だろう。
 はっきりいえるのは、道はすべて舗装されているが、菅野温泉からここまでのルートより体力的にかなりハードなのは確かだ。
 三国峠に通じる道路は何回か走っているが、いつもバイクで突っ走るだけで、なだらかな道の傾斜がどこまでも続いている。十勝三股までの長い直進路や、さらに三国峠に続くループ状の圧倒的な長い長い上り坂。
「……三国峠から下界を見ると、かなり標高差があるようだから、あそこが一番の難所かな。だけど十勝三股にいくまでも、長い坂が何カ所もあるよ。自転車だと覚悟していかないとすぐにバテそうかな」
 などと、チャリで走ったこともないくせに偉そうに言う。

「そうですか」
 彼女は、すこし肩を落としてそう言う。
「2週間後には道東方面にいきたいのだけど、稚内にいってオホーツク海側を南下しても間に合うと思いますか?」
 う~ん。
 本人次第といいたいが、そのルートだときついのは三国峠までであとは、それほどの難所はなかったはずだ。
「1日7、80キロも走れば、十分じゃないかな」
 と、たぶんここから稚内まで真っ直ぐに上って、オホーツク海側を道東に下るとなると1000キロくらいのものだろうと推測して、そんなことを勝手にいう。帯広から稚内までが450キロ弱だから、たぶんそんなものだろう。1日平均70キロで走ったとして、2週間で約1000キロ弱だ。
「大丈夫ですよ」
 と、無責任なことを言う。よほどアクシデントに見舞われないかぎり、2週間もあれば十分な距離だと思う。
「道東が最終目標なんだ?」
「ええ。民宿でバイトするんです」
「あ。そうなんだ」

 ということは8月1日からバイトするついでに、チャリで北海道を走って――いやいや北海道を走るのが目的で、ついでにバイト、かもしれない。北海道をバイクやチャリで走るやつなんて、たいていが北海道そのものが目的なんだから。たぶん、そうかもしれない。
 そんなこんなで、じゃ明日は気をつけてと、決まりの文句を交わしたりなどして、テントに戻りお茶を沸かす。

 ペットボトルにお茶を詰めると、そろそろ買い出しの時間。
 それでもまだ時間に余裕があるので、以前からいってみたかった糠平湖畔にある上士幌鉄道資料館をのぞきにいく。その前に、キャンプ場から5分ほどの湖畔にいったん下りてみる。右手のほうに大きく湖が広がっている。岸から釣り糸を垂れている人が、ちらりほらり。

 そういえば、糠平湖はワカサギ釣りで有名だと聞いた。
 北海道、冬の風物詩として、テレビで観た糠平湖のワカサギ釣りを思い出す。厳寒期の分厚い氷にドリルで穴を穿ち、テントを設営、その中で短い竿(釣りをやらないので、よくわからないがあれはロッドというのだろうか。長さ2~30センチくらいしかなかったようだが)で、次々にワカサギを釣り上げる。釣り道具を持参しているHさんによると、糠平湖で釣りをするようなことはいってなかったので、夏はそれほどのサカナは釣れないのかもしれない。(――と思っていたら、あとで糠平のパンフを広げてみると、入漁料300円でニジマスやサクラマスが釣れるとある。ちなみに湖の周囲は32キロ)。

 湖畔園の上にある鉄道資料館は、残念ながら閉館時間が午後4時、建物の扉は硬く閉まり人の気配はない。またつぎの機会だ。
 鉄道資料館から国道をぶらぶらと糠平の街までいき、ビール5本、氷を購入。隣の食品雑貨屋では能がないといえば能がないが、昨日とまったく同じ食材、ジンギスカン、ビーマンを購入。じっさい、この店で肉類といえばあとは味付けのブタ肉があるのみ。魚貝類はなし。ビールのツマミだから、これはこれでいい。

 夕方6時くらいから食事。
 5~6人は楽に座れそうなテーブルに、Hさん、H口さん、F650ライダーの3人でわやわやと、やり始める。昨夜と今日の小雨で薪がしっとり濡れているようなので、今夜は焚き火断念。
 Hさんは、今日は軽くいきたいとかで、ナス、タマネギ、豆腐などを炒めただけの健康食みたいな夕食だ。H口さんはスパゲティを本格的に茹でて、カシャカシャと鍋の中で興味をそそるような味付けの仕方をしている。自分はHさんから豆腐をわけてもらい、スキヤキ風ジンギスカンと化したものを肴にビールを流しこむ。半生のピーマンがショグショグと美味い。

「しかしあれだねえ」
 大田区からやってきたというF650のライダーが、この時間にキャンプ場に到着したライダーに目をやり、なつかしそうにいう。
「われわれも、最初のころはああだったねえ。陽がくれるまで走りまくってさあ」
「……そうそう。朝は、夜が明けるころにはキャンプ場をでて、林道を走るまくり、夜は暗くなってからキャンプ場にかえってきましたねえ。しかも、服はドロだらけで」
 とHさんもなつかしそうにいう。
「ところが年齢とってくると、最低、4時にはキャンプ場につかないと安心できないんだよね。とにかく、早めにテント張ってゆっくりしないとさあ」
「明るいうちに、ゆっくり風呂につかるのがいいですね」

 自分も氷で冷たく冷やしたビールを1口流しこみ、最初のロングツーリングのときはひたすら走りまくっていたなあなどと思い返す。
 あれは数年前の9月初旬。東北をツーリングしたときのこと。朝5時くらいには自然に目が覚めてしまい、薄暗い中で素早くテント撤収。あとは(林道を走破こそしなかったものの)ひたすら夕方まで走りまくっていたものだ。興味のある温泉場には立ち寄ったが、ほとんどの観光地はパス。10日間で約4500キロ走行。平均一日450キロ。今でも2~3日なら連続して500キロくらいは走れるが、10日間連続はきつい。今、やれといわれてできるかどうか。

「ひどいときには、3時にはもうテント張っているからねえ」
 がははははと、F650ライダーは愉快に笑う。
 今夜は一番年かさのこの人が話のイニシアチブをとり、夜は更けていく。話を聞いていると、どうやら自分と同じ40過ぎてから本格的にバイクに乗り始めたようだ。昔はバイクの免許を取得すると、自動的に軽自動車にも乗れたものでさあと、自分の記憶の片隅にほんのりと眠っているようなことを言う。自分の親父がそうだった。たぶん、35年以上も昔の話だ。

「だけど、車やトラックの運チャンのマナーは最低だね」
 ぎりぎりまで幅寄せされた経験や横をすれすれに追い抜いていくトラックの愚行を、得々と捲したてる。ライダーには程度の差こそあれ、みんなそんな経験をもっているから思わずうんうんと相づちを打つ。
「渋滞のときに横を無理に追い越そうとした車のボディを思いっきり蹴って、路肩に逃げたことありますよ」
 と、これはH口さん。
「渋滞だと、相手は絶対に追ってこれないですからね」
 よほど頭にきたのだろう。行儀よく車の後について待っているのに、そこに無理に横に並ばれるようにして割りこみをされたらしい。
 これもみんな経験があるらしく、わしもそんなの当然だよというように、うんうんと小さく頷く。
 おとなしい顔をしているが、H口さんはやるときはやるのだ。

 ここにいる4人は、間違ってもバリバリの走り屋じゃない(おそらく)ので、ふだん無謀な運転はしていないはず。だから、こういうバイク乗りならではのちょっとした面白い話を聞くと、みんな晴れ晴れとした顔になる。子羊たちのささやかな晩餐だ。
「それにさあ、前を走っているやばそうなトラックの後には絶対つかないことだね」
 とF650ライダーが話を締めくくりにかかる。

「いつだったか、高速でさ。前を走っているトラックが妙に左側に寄っているのよ。最初はわざとそうやって走っているのかなと思っていたけど、なんかおかしいんだよね。それで、こっちはスピードを緩めて後の車に追い越しをかけさせたんだよ。そのときだよ。路側帯に工事中かなにかで並べてあったパイロンを、トラックが次々に跳ね飛ばしながら走っているんだよ。あれは、すぐにうしろを車に譲ったからよかったけど、あのまま、バイクで走ってたら、絶対に事故を起こしてたね」
 と、確信をもってF650さんはいう。
 そうだろう。スピードを出しているバイクが、パイロンに乗り上げたら一発でフロントをとられ、どこかにもっていかれる可能性はかなり高い。
 ぞっとする光景だ。

 と思いながら、また冷たいビールを一口。氷に漬けているので、いつでも気持ちよく冷えたビールが美味い。とくにこの時期にはギンギンに冷えたビールが美味い。
「……事故いえば、いつか事故こそ起こさなかったけど面白い経験をしてさあ」
 と、F650さんも最初のビールを飲み終わり、ウィスキーに切り換えながら話を続ける。
「まだ、セローに乗っているころでね。カムイワッカ温泉にいってさ、その帰り、あそこずう~とダートじゃない。急に砂利にフロントを取られちゃってさ、もうどうやっても修正できないのよ。どんどん路肩のほうに進んでいってさ、コントロールできなくなってね、このままだと確実に側溝に落ちる、それで、どうせ落ちるならジャンプして側溝の向こう側に着地しちまえって、ブアアって思いっきりアクセルを回したのよ」
 ふんふんと、みんなが話に聞き入っている。
「そしたらさあ、どうしたわけか、中央に戻るわけよ。バイクが道の中央に。あれにはびっくりしたねえ、路肩をジャンプするつもりでスピードあげたのに、すうっと中央に戻るんだもの」
「ああ。そういうことってありますねえ。リアが制動力を取り戻すんですよね。逆にスピードを緩めたりすると、そのままタイヤを取られてしまいますね」
 とHさんが解説してくれる。

 そうか。そういうことか。こういう話はもう少し、早く聞きたかった。ひょっとしたら、あのときに転ばずにすんだかもしれない。
 あれ1昨年の北海道ツーリング。
 そのダートにはいりこんだときに、やばいかなとは思っていたのだ。
 ――富良野の麓郷から市内に向かう途中数キロほどだが、ちょっとしたダートがあり、そこで荷物満載のまま転んだことがある。道には舗装工事の基礎のために人為的に細かく砕いた小指の先ほどの砂利がびっしり敷き詰めてあり、そこが車の轍で左右に押しのけられ緩やかな山のようになり、そこにタイヤを取られた。
 カムイワッカまでのダートも、その前に走っていたが、ああいう洗濯状になっている締まったダートは割と平気なのだが、こういうのが一番つらい。
 フロントブレーキは絶対に使わず、あわててクラッチを切らない――このふたつをしっかり頭にいれて3キロほどは無事に走行。だが、そこで油断したのがいけなかった。この経験をツーリング日記にどう書こうか、フロントブレーキは使わず、ハンドルに力はいれないことだな、などとのんきに夢想していたまさにそのときに、フロントタイヤが砂利山にはいりこんだのだ。

 しまったと思ったときにはもう遅く、ハンドルが勝手にぶれてコントロール不能。右カーブにさしかかったところで、ゆっくりゆっくり――たぶん時速30キロほどで、ザザザっと砂利をなめるように転倒。
 バイクは真横というより、路肩から轍に向かって斜めに転倒。そのせいで、前後のタイヤが宙に浮いたようになった。とても1人では起こせない。それでも荷物を全部下ろしていると、うしろからきた4駆のドライバーが親切にも声をかけてくれ、無事にバイクを起こすことができたのだ。
 ひょっとしてあのとき、アクセルを緩めず、逆に絞っていれば、制動力を取り戻したかもしれない。いやいや、どうだろう。
 まあ、しかし、怪我ひとつなく、フロント右ウィンカーにヒビがはいったくらいで、バイクもほぼ無傷だったのは運がよかった。
 1言いい添えれば――走っていて転んだのは、このときがはじめての経験。

 そうこうするうちに、ビール3本ほどが空になる。
 ――と、なんの前触れもなく下腹部にぐぐんと圧迫感。続いて膀胱の裏側あたりを、固く絞られるような鈍い痛み。大腸が捻られたような感覚に襲われる。
 これは大きいほうの要注意信号だ。
 ふだんでも冷たいビールを飲んだときに、ときどきこういうふうに急に差しこむような便意をもよおすことがある。これまでの経験から、まだしばらくは大丈夫、もう1回ぐっときたら、トイレにいこう。それで十分間に合う。
 話の間があいたので、
「セローと比べてビーエムはどうですか?」
 と、このごろとみにBMWに興味がでてきたので、F650さんにまだ余裕の態度で訊いてみる。
 しばし――約4秒間の沈黙のあと、
「……どうといわれてもねえ。セローとビーエムはまったく別のバイクだからねえ」
「そうですよ。比べようがないですよ」
「走る目的がまったく違いますからね」
 と、あっという間に3人に攻撃される。
 う~ん。
 こういうところで、一般論かあ~。

 たとえば50のカブに乗っていて、ある日CB750に乗り換えたとする。そのとき、自分が同じような質問をされたら、
「そりゃあ、全然違いますよ。ダッシュ力もスピードも。もちろん750は重いけどねえ~~」
 とかいう素朴で個人的な印象を聞きたかったのだ。
 乗り換えて、はじめてビーエムで公道を走ったときの印象、ここがすごい! ここはダメだな、というようにセローと違うなにかを感じたはずなのだが……。
 ようするに単純なバカ話で場を盛り上げ、酒の肴にしたかったのだが。
 別に公開討論をやっているんじゃないのだがなあとひそかに思ったが、口にはださず、そうかそうかなどと相づちを打ち、結局F650の乗り味などはわからずじまい。

 そうこうするうちに、大阪からきたというXJR1200のライダーも仲間に加わる。建築現場で働いているという彼は、あちこちの山に登るのが趣味らしく、明後日は大雪山に登る予定だという。明日は登り口近辺の山荘に泊まる予定だというので、去年お世話になった「ヌタプ・カ・ウシ・ペ」を宣伝する。あのときのオーナーの話のよると、ロープウェイが新型になるので今年はかなりの人出が予想されるとかいっていたが、今なら夏休み前なので空いているかもしれない。
 ――と思っていたが、数週間後、彼からもらったメールによると、旭岳温泉一帯のロッジはすべて満室状態で、結局、いったん山を下りて宿をとったという。やはり初夏の大雪山、高山植物などで人気があるようだ。

 そうこうするうちに、F650さんが、
「ここは焚き火ができるようになっているんだねえ。やんないの?」
 と、みんなの顔を見回す。
 たぶん、昨日の雨で薪が湿っているので無理かもしれないとHさん。でも、山と積まれている薪の下は大丈夫かもしれないというので、とりあえず、薪を取ってきますかということで、全員で管理小屋の裏にいってみる。
「これならいけるよ~」
 と、上部の薪を除けながらF650さん。
 結局、リアカーに薪を満載して、みんなで2回ほど往復する。かなりの量だ。

 薪は危惧していたよりもずっと火のつきがよく、すぐにバチバチと夜空に火の粉をはぜはじめる。ときに炎が2メートル近くまで上がり、フライシートに火の粉が飛んでいかないかと心配になるほどだ。
 みんな、焚き火を囲むように座っていた席を移動。わしも折り畳みのイスをもってきて、焚き火の近くに陣取る。ゴクゴクと冷たいビールを飲む。炎を眺めながらノドに流しこむビールには、また格別のものがある。

 と、下腹部にぐりんと、固く絞った洗濯物をさらにきつく絞るようなあの感触。
 やばい。
「……よくさ、ミステリーなんかでさ、公衆電話に犯人が電話をかけてくるけど、あれは現実にはありえないんだよね……」
 NTTに勤めているというF650さんの溌剌とした声をぼんやりと聞きながら、おもむろに立ち上がりトイレに向かう。
 トイレは、キャンプサイトより1段低い2~3メートル下の鬱蒼とした林の中に溶けこむようにして建っている。焚き火をしている場所からは、約50メートルといった距離だろうか。

 歩くたびに、下腹がぐっぐっと絞られるような感触に襲われる。なるべく刺激をあたえないようにそっと、だが、早足に歩く。転んだ拍子に、漏らすということも十分にありえる。いつも尻ポケットにいれているマグライトで荒れた地面を慎重に照らしながら、下に通じる段々までの最短距離を急ぐ。
 昼間、トイレにはちゃんとトイレットペーパーが備えつけられているを確認しているので。紙はオーケイだ。テントまでトイレットペーパーを取りにいく時間を節約できただけでもついていたな、などという考えがちらりと脳裏をよぎり、ちょっと気をぬいたのがいけなかった。

 土手を削ってつくられた土の階段を、何段か下りたときだ。
 足が着地して腰から力が抜けた瞬間に、スッと尻になにかが漏れる感触。おならのようでもあるが、触って確かめたわけではないが、濡れたような感触がある。
 やばいじゃないか。あああ。
 いったん立ち止まって、肛門にぎゅっと力をこめる。
 だが、階段を1段下りるたびに、水状のものが漏れるのがわかる。目の前、あと5メートルも歩けば、トイレの開きドアがあるというのに……。ドアには「虫よけ」のために、必ず1回1回閉めて下さいと張り紙があり、分厚く重い扉になっている。
 わずかの距離だが、そこまでもたどり着くことができない。
 と、もう尻に力をいれようがいれまいが、関係なくなった。歩こうが歩くまいが、漏れはじめの態勢にはいっている。

 ぐおおお。
 このまま、ジャージの中に漏らすわけには絶対いかない。
 素早く、ジャージを太股のところまで下ろすと、尻丸出し半腰のまま、尻をうしろに突き出すようにしてトイレ建物の横にはいりこむ。大股で1歩あるくたびに、水状のものが漏れる。この姿だけは、絶対に見られたくない。
「雪じるしいいいぃ」
 と、心の中で叫びながら、そのままトイレの裏手にまわる。
林が建物すぐ近くまで迫っていて、地面は腐葉土となっている。表面がふかふかだ。ライディングシューズの硬い爪先で腐葉土を蹴起こし、その中に排泄しようとするが、第1回目の波状攻撃はすでに終了したらしく、尻の穴はかたく殻を閉じてしまっている。
 便意はあるのだが、どう力んでも、排便できない。

 そのままの姿勢でじっとしゃがんでいると、トイレにだれかがはいってくる気配。はっと息を殺す。
 分厚い板1枚通して、すぐ横は男子の小便器がある。小便をする音がじょろじょろと響いてくる。そして、しばしの間。
 し~んとしている。
 ここで変に動いたら、ばれてしまう。
 たぶん、いっしょに焚き火をしているうちのひとりだろう。先にトイレにいったわしが、大のほうにもはいっている気配がないので、いったいどこにいったのだろうと怪訝に思っているかもしれない。
 彼が立ち去ったのを確認してから、ジャージのポケットからコンパクト・ティッシュを取りだし、1枚ずつ丁寧に広げ、それをまた4角く丁寧に折りたたみ、破れないようにそおっと尻を拭く。

 クシャクシャになったやつが2~3枚しか残ってないので、慎重に使う。まるで金箔なみの貴重品あつかいだ。たまたまポケットいれていたので、よけいにそう感じるのかもしれない。
 けれど、とてもティッシュ2~3枚じゃ足りない。
 土に埋め戻すと、半腰状態のまま建物を1周するようにして女子トイレ側から男子トイレに飛びこみ、すばやく大の個室に身をひそめる。これじゃ、泥棒だ。だけど、ようやく、人心地がつく。
 トイレットペーパーを拝むようにして手に取り、とりあえず、お尻をきれいに拭く。それからペーパーを幾重にも重ねるようにして、尻とパンツの間に何枚も詰める。パンツとジャージの間にも何枚か詰める。尻ナプキンの要領だ。
 これで、少しはましになる。

 トイレの手洗い場には石けんが置いてないので、かわりに手洗い場の横にあったトイレを掃除するときに使う消毒洗剤のようなものを使わせてもらう。臭いこそ嗅いでいないが、ティッシュにも、手にも大きいのが付いたのは間違いない。消毒剤は泡などちっともでないが、気分的には手が殺菌されたように感じで、ちょっと安心。
 外にでて、さっき漏らしながら移動したと思われる場所を、ライトで照らしてみる。
 だが、マグライトの明かりていどじゃ、その痕跡がはっきりわからない。
 あとでもう一度、じっくり調べよう。
 歩くと、尻のあたりにごわごわ感があり、なんとなくオシメをしているような気分になる。だが、もう安心だ。

 さりげなく焚き火の場所に戻る。
 やはりあの、昼間の牛乳がいけなかったなと思いながら、再びビールを飲み始める。だれも気がつかなかったかな、などとみんなの顔をそれとなく探ってみるが、まさか、さっき大きいのを漏らし、便所のウラに潜んで、冷や汗タラタラだったとは想像していないだろう。
 ――が、Hさんの姿だけが見えない。ビールでも買いにいったのかと思ったが、20分たっても帰ってくる気配がない。
「Hさんは?」と、H口さんにそれとなく訊いてみると、
「どっか、あっちにいったようだけど……」
 と、駐車場のほうを指さす。

 ひょっとして、自分を隠れて観察していたではないかと、ひやひやしていたのでホッとする。
 やはり、買い物にでもいったようだ。だが帰ってくるのが遅い。さらに10分ほどたって、なにかあったかと心配しはじめたころになり、ようやく、足取りも軽くHさんが駐車場あたりから現れる。
「酒、買いにいってたの?」
 と訊くと、駐車場で携帯電話をつかっていたという。
 どうやら、あの北見の看護婦さん26歳とずっと電話で話していて、明日は勤務でだめだけど、明後日、どっかで会う約束をとりつけていたらしい。

 あやうく、自分が取り返しの付かない状況になろうとしていたときに、Hさんは電話を楽しんでいたようだ。
 ま、そんなこんなで、薪も燃えつくした11時くらいにはお開きとなる。
 テントにはいると、すぐにパンツだけは着替える。汚れたパンツはナイロン袋にいれ、厳重に上部をしばる。これは帰るまで開けることはないだろう。バッグの奥の奥につっこむ。

 新しいパンツをはいたが、もしやのことにそなえ(――なにがもしやか、よくわからなくなっていたが、酔っているのでそれなりに考えていたのだろう)、ティッシュをパンツとお尻の間に再度挟んでから、再びトイレの周辺にいってみる。手には2リットル入りのポリ袋と、マグライトをもち、大きいものの痕跡を水で洗い流すつもりだ。
 だが、いくら目を凝らしても、どこにもその痕跡がない。
 トイレ裏のティッシュだけは、さらに腐葉土を分厚くかける。だが、ここでもはっきりしない。
 どういうことだろう。
 酔った頭でこれ以上考えてもしかたない。
 あとは明日だ。