但馬屋の田んぼ近くにひっそりとある五輪の塔です。
木曽義仲が戦死したのは元暦3年(1184)、31才でした。義仲には1才年下の宮菊と言う妹がいました。義仲の戦死後、宮菊は馬籠の地に「光明寺」という尼寺を建て、兄の菩提を弔らったという話が伝わります。ここは「ビクニンデラ」の地名が今に残ります。ビクとは尼僧のことをいうそうです。ここには五輪の塔が7基あり菊姫のお墓と伝えられています。
永昌寺から北へ200m程の田んぼ沿いにあります。
木曽義仲が戦死したのは元暦3年(1184)、31才でした。義仲には1才年下の宮菊と言う妹がいました。義仲の戦死後、宮菊は馬籠の地に「光明寺」という尼寺を建て、兄の菩提を弔らったという話が伝わります。ここは「ビクニンデラ」の地名が今に残ります。ビクとは尼僧のことをいうそうです。ここには五輪の塔が7基あり菊姫のお墓と伝えられています。
永昌寺から北へ200m程の田んぼ沿いにあります。