やっと、MINIが戻ってきました!
「会えない時間が、二人の愛をそだてるのさ~♪」
みたいな歌詞ありましたが。
久々に運転して、MINIのよさを改めて感じた次第です。
思い通りに運転できる、というのがこれほどストレスないものなんだなあ、と思ったりして。
代車だと、「ここで追い越しをかけるには距離が足りない。」とか「ここでハンドルを切ると、車体が安定しない。」とか気にしながら走らざるをえず。まあ、軽自動車なんでしょうがないのですけど。
今日は朝から思う存分イメージどおりの走りができました。
駆け抜ける喜び、
何かのキャッチフレーズですが。
これで、通勤時のストレスからは開放されそうです。
ちなみに、入院費用は、なんだか安くしてもらいまして。ディーラーで修理頼むのに対して、2~3割りやすいくらいでしてもらいました。
ちゃんと、お金取ってるの?と逆に心配になるくらい。
田舎の真面目な修理屋さん、という感じで。こういうところは信用できるので、長くお付き合いしたいものです。
で、今回壊れたところは、以前危惧していたステアリングポンプでして。同じ型式のMINIで、一番よく壊れるところです。で、修理してくれた方も「こんな所についているのが信じられない」と言われてました。日本車ならありえないとか。
なので、もしも次回壊れたら改造しましょうかね、というお話しに。ポンプ自体をどっかに付け直すのだそうで。
もしもはあって欲しくないですが、こういう事をさらっと言われる方にはお任せできそうで安心しますね。
ということで、MINIの主治医にお願いすることにしました。
ただ、難点は丁寧な仕事なので。たくさんのお客さんが入ってくるみたいなんですよね。
なので、時間がかかることくらい。
繁盛するのはそれだけ信用があると言うことですからね。今回の件でいいところとお知り合いになれました。
さて、今日のヘミシンク。
ちょっとまえに。家でPCつかってましたら、体中に電磁波を受けているような違和感を感じまして。
なんだろうなあ、と思っていた次第です。
昨日は肩に2,3人来てましたので、向こうにお帰り願いましたし。
なんか、そういう感覚が今上がっているのでしょうかね?
こういうときは自分で体調を管理しないと、不調になりますので。
エネルギー瞑想を行ってました。
上からと下からのエネルギーを合体させる感じですね。
これやると、体がしゃっきりなるし、眠気も飛ぶので仕事まえにするにはいいですね。
ただ、一日効力が持つわけではないですけど。
今日はそういうエネルギーワークをしてから、ゴーイングホーム聞いております。
向こうの世界にも足を運んでないと、感覚鈍りますからね。
で、レセプションセンターに行くと、久々ヘルパー先輩発見。ちょっと話をすることに。
「ところで、寿命の場合はちゃんとあの世にいけるけど、事故や病気で亡くなった場合は、この世を魂はさまようって話、そういうこと言う方も居ますけど。どうなんです?」
「君はどう思う?」
「ありえないでしょう。実際見てきてますから。」
「しかし、それは「君の見た範囲」の事だろう?」
「そう来ましたか。ならば先の話も「その人の見た範囲」の話でしょう。」
「そう言うことだよ。君達それぞれの認識できる範囲の情報を受け入れる事ができる。だから、先の話もある意味真実ではあるが、完全な真実でもない。君の見ている事も、あるいみ真実ではあるが、完全な真実ではない。」
「それ言い出すと際限なくなりそうですね。」
「人が見る世界は、その人の範囲でしか真実ではないのだから。その範囲が広いか狭いかの差だけだね。」
「先の人の場合は?」
「その人は、さ迷っている魂をどうしたいのだろうね?」
「どうって?」
「そういう風景を見て、その人はどう感じたのか。と言うことだね。」
「事故で死にたくないと思ったのではないですか?」
「君はどう思う?」
「レトリーバルすればみんな同じところにいけるし、最終的には皆さんの行き着く際は同じでしょう、という感じですが。」
「その感じる事が大切だよ。自分がそれを見て、どう思ったのか。
先の人は病や事故でむこうの世界に行きたくない、と思うから健康に気をつけるし、運転にも気をつけるだろう。車も安全なものを選ぶだろうし、食べ物にもいいものを選ぶだろう。
ある程度節制をしてでも、安定した安全な暮らしを望むはずだ。
一方、君のような人は『人間、死ぬ時は死ぬ』という考え方になってしまうので。今を楽しむ事に意識を向けるようになるのではないかな?変化も楽しみのうちに入れてしまう。」
「それって、私が後先考えて行動してないみたいじゃないですか。」
「比べてみると、ということだよ。
世界は変化している。絶え間ない変化をすること。これが今の世界が成り立っている基本なのだから。その場合、先の2例の生き方では、どちらがその基本に近いかな?」
「後者ですか?」
「両方だよ。」
「へ?」
「『変化』、というのは「安定」、という意識が存在して初めて存在する。いつも変化していたら、それが普通になるのでなにとも比べようがなくなる。でも、そこに「安定」というものがあると、その安定したいものと比べる事で、自分が変化していることを感じられる。」
「つまり、この2種類の意識が存在することで、両方が成り立っていると言うことですか。じゃあ、どっちがいいとか悪いとかないんですね。」
「見える範囲を狭めると、安定している事すらも変化して見えて。見える範囲を広げると変化しているつもりでも安定して見える事もある。」
「???」
「岩の原子は振動して変化している、しかし、岩の様子を人間の視点で見ると安定しているように見える。今度は惑星意識の視点で岩を見ると、それは絶え間ない地殻変動のなかで変化しているように見える。」
「そう考えると、どのあたりの視点でものを見るかでかなりの変化が出ますね。」
「言っていることは同じでも、その裏にある認識の違いで、受け取り方も大きく変化する。」
「人に話すときは注意しないといけませんね。」
「自分の見る視点、人の見る視点、全てを理解できるようになれば、話し上手にもなれるんじゃないかな?」
「そういうあなたはどうなんです?」
「君よりも多くの視点を持っているからね。君と話す範囲では話題には事欠かないよ。」
「なんか上から目線ですね。」
「別に、君の事を「認識の狭い狭量なやつ」なんて思ってないから。」
「本当ですか?」
「勉強が必要な後輩だとは思っているけどね。」
「やっぱり上から目線じゃないですか。」
「教えることは私にも学びになる。こうやって会話している事が私の勉強みたいなものなんだよ。だから、私は君と同じく、勉強している一つの存在でしかない。ただ、先にこっちにきているだけの話でね。」
「では、こうやって、向こうの世界からチャネリングして情報くれる存在、というのは勉強している人であって、偉ぶっているわけではないと、そういうことですか。」
「だから、君達の世界に置き換えると、君達の価値基準では間違いに受け取られる情報もある。そうだろう?」
「なるほど、納得です。」
と言う感じで。ちょっと無駄話っぽい感じで進めてきましたが。意外と深いところ入っていった気がします。
視点の置き所、そういうものを考えてみるのもいいかもしれませんね。
「会えない時間が、二人の愛をそだてるのさ~♪」
みたいな歌詞ありましたが。
久々に運転して、MINIのよさを改めて感じた次第です。
思い通りに運転できる、というのがこれほどストレスないものなんだなあ、と思ったりして。
代車だと、「ここで追い越しをかけるには距離が足りない。」とか「ここでハンドルを切ると、車体が安定しない。」とか気にしながら走らざるをえず。まあ、軽自動車なんでしょうがないのですけど。
今日は朝から思う存分イメージどおりの走りができました。
駆け抜ける喜び、
何かのキャッチフレーズですが。
これで、通勤時のストレスからは開放されそうです。
ちなみに、入院費用は、なんだか安くしてもらいまして。ディーラーで修理頼むのに対して、2~3割りやすいくらいでしてもらいました。
ちゃんと、お金取ってるの?と逆に心配になるくらい。
田舎の真面目な修理屋さん、という感じで。こういうところは信用できるので、長くお付き合いしたいものです。
で、今回壊れたところは、以前危惧していたステアリングポンプでして。同じ型式のMINIで、一番よく壊れるところです。で、修理してくれた方も「こんな所についているのが信じられない」と言われてました。日本車ならありえないとか。
なので、もしも次回壊れたら改造しましょうかね、というお話しに。ポンプ自体をどっかに付け直すのだそうで。
もしもはあって欲しくないですが、こういう事をさらっと言われる方にはお任せできそうで安心しますね。
ということで、MINIの主治医にお願いすることにしました。
ただ、難点は丁寧な仕事なので。たくさんのお客さんが入ってくるみたいなんですよね。
なので、時間がかかることくらい。
繁盛するのはそれだけ信用があると言うことですからね。今回の件でいいところとお知り合いになれました。
さて、今日のヘミシンク。
ちょっとまえに。家でPCつかってましたら、体中に電磁波を受けているような違和感を感じまして。
なんだろうなあ、と思っていた次第です。
昨日は肩に2,3人来てましたので、向こうにお帰り願いましたし。
なんか、そういう感覚が今上がっているのでしょうかね?
こういうときは自分で体調を管理しないと、不調になりますので。
エネルギー瞑想を行ってました。
上からと下からのエネルギーを合体させる感じですね。
これやると、体がしゃっきりなるし、眠気も飛ぶので仕事まえにするにはいいですね。
ただ、一日効力が持つわけではないですけど。
今日はそういうエネルギーワークをしてから、ゴーイングホーム聞いております。
向こうの世界にも足を運んでないと、感覚鈍りますからね。
で、レセプションセンターに行くと、久々ヘルパー先輩発見。ちょっと話をすることに。
「ところで、寿命の場合はちゃんとあの世にいけるけど、事故や病気で亡くなった場合は、この世を魂はさまようって話、そういうこと言う方も居ますけど。どうなんです?」
「君はどう思う?」
「ありえないでしょう。実際見てきてますから。」
「しかし、それは「君の見た範囲」の事だろう?」
「そう来ましたか。ならば先の話も「その人の見た範囲」の話でしょう。」
「そう言うことだよ。君達それぞれの認識できる範囲の情報を受け入れる事ができる。だから、先の話もある意味真実ではあるが、完全な真実でもない。君の見ている事も、あるいみ真実ではあるが、完全な真実ではない。」
「それ言い出すと際限なくなりそうですね。」
「人が見る世界は、その人の範囲でしか真実ではないのだから。その範囲が広いか狭いかの差だけだね。」
「先の人の場合は?」
「その人は、さ迷っている魂をどうしたいのだろうね?」
「どうって?」
「そういう風景を見て、その人はどう感じたのか。と言うことだね。」
「事故で死にたくないと思ったのではないですか?」
「君はどう思う?」
「レトリーバルすればみんな同じところにいけるし、最終的には皆さんの行き着く際は同じでしょう、という感じですが。」
「その感じる事が大切だよ。自分がそれを見て、どう思ったのか。
先の人は病や事故でむこうの世界に行きたくない、と思うから健康に気をつけるし、運転にも気をつけるだろう。車も安全なものを選ぶだろうし、食べ物にもいいものを選ぶだろう。
ある程度節制をしてでも、安定した安全な暮らしを望むはずだ。
一方、君のような人は『人間、死ぬ時は死ぬ』という考え方になってしまうので。今を楽しむ事に意識を向けるようになるのではないかな?変化も楽しみのうちに入れてしまう。」
「それって、私が後先考えて行動してないみたいじゃないですか。」
「比べてみると、ということだよ。
世界は変化している。絶え間ない変化をすること。これが今の世界が成り立っている基本なのだから。その場合、先の2例の生き方では、どちらがその基本に近いかな?」
「後者ですか?」
「両方だよ。」
「へ?」
「『変化』、というのは「安定」、という意識が存在して初めて存在する。いつも変化していたら、それが普通になるのでなにとも比べようがなくなる。でも、そこに「安定」というものがあると、その安定したいものと比べる事で、自分が変化していることを感じられる。」
「つまり、この2種類の意識が存在することで、両方が成り立っていると言うことですか。じゃあ、どっちがいいとか悪いとかないんですね。」
「見える範囲を狭めると、安定している事すらも変化して見えて。見える範囲を広げると変化しているつもりでも安定して見える事もある。」
「???」
「岩の原子は振動して変化している、しかし、岩の様子を人間の視点で見ると安定しているように見える。今度は惑星意識の視点で岩を見ると、それは絶え間ない地殻変動のなかで変化しているように見える。」
「そう考えると、どのあたりの視点でものを見るかでかなりの変化が出ますね。」
「言っていることは同じでも、その裏にある認識の違いで、受け取り方も大きく変化する。」
「人に話すときは注意しないといけませんね。」
「自分の見る視点、人の見る視点、全てを理解できるようになれば、話し上手にもなれるんじゃないかな?」
「そういうあなたはどうなんです?」
「君よりも多くの視点を持っているからね。君と話す範囲では話題には事欠かないよ。」
「なんか上から目線ですね。」
「別に、君の事を「認識の狭い狭量なやつ」なんて思ってないから。」
「本当ですか?」
「勉強が必要な後輩だとは思っているけどね。」
「やっぱり上から目線じゃないですか。」
「教えることは私にも学びになる。こうやって会話している事が私の勉強みたいなものなんだよ。だから、私は君と同じく、勉強している一つの存在でしかない。ただ、先にこっちにきているだけの話でね。」
「では、こうやって、向こうの世界からチャネリングして情報くれる存在、というのは勉強している人であって、偉ぶっているわけではないと、そういうことですか。」
「だから、君達の世界に置き換えると、君達の価値基準では間違いに受け取られる情報もある。そうだろう?」
「なるほど、納得です。」
と言う感じで。ちょっと無駄話っぽい感じで進めてきましたが。意外と深いところ入っていった気がします。
視点の置き所、そういうものを考えてみるのもいいかもしれませんね。
# 同乗の密教阿闍梨姫のお忘れ物にハラハラさせられたのもありますけど。(^^);
だからコメントででもお伝えできてよかったです。(^^)
私も、類魂とかハイアーセルフとかの概念を言われた時は、???となりましたので。
意味分からん、って感じですね。
それが今は普通にそんな事言えるようになっているのは。いろいろと自分で「体験」を積み重ねてきたから、というのがあります。
人から聞かされた話だけでは理解しにくいところですが。自分で体験すると、I/Tもハイアーセルフも類魂も同じようなもの、と認識できます。
で、生まれ変わりの概念も変化します。
「私」という意識だけが私だと仮定すると、水無月さんは別物になります。私が選択したものと、水無月さんが選択したものが別物に感じられるでしょう。
でも、水無月さんも私、だと思うと、私の選択したものは水無月さんの選択したものでもあるわけです。それの良し悪しは関係なく。
このあたり、どこに基準を置くかで変化しますので、スピリチュアル的に意識の向こうに行っている方は、分かりやすいように「自分で選んで来ているのですよ。」とご説明されているのだと思います。
足し算が理解できないと、掛け算は理解できませんし。
まずは、自分の理解できる範囲から理解を進めていって、その先を知りたくなったら次々と自分で情報を集めていけばいいと思いますよ。
詳しくは、私の過去のブログ。「水無月さんとの対話」のカテゴリーや、私の一冊目の本を読んでくださいませ。
自分の考えを話すと、余計に混乱されると思いますので。
まあ、これくらい癖があるほうが愛着も増すというものですね。
フェラーリが売れているのは、壊れるから売れるのですよね。
何か不備があるほうが、人間は安心しますので。
あとは、それを笑って済ませられる精神を鍛えるだけですね。
お金が・・。と思わなくて済むようになりたいものです。
りんパパさんありがとうございます。
誰の歌だったかなぁ~、と思っていましたので。
謎が解けてスッキリしました。
ヘルパー先輩はいつも話題が豊富で、彼よりも分かりやすい立ち位置なので理解しやすい話が多いのですが。
それが仏教的思想に似ているとは思いもよりませんでした。
shamataさんの書かれる内容に、いつも「へぇ~、そうだったのか。」と思わせられております。
私は一切、そういう本も読んだ事ないので。そういう思想がある事も良く分からない状態なのですが。
昔の人も同じように、同じようなところにアクセスして、自分のヘルパー先輩と対話してたのかもしれませんね。
renrenさんのご質問へお答えは別枠で。
だから、あーでもない こうでもないと “天狗”ばかりが はびこる混迷政治社会と化しているのでしょうね。
戦争の泥沼に陥っている国もあれば、他国の顔色ばかりを伺っている国もあり、はたまた 職場や学校では派閥いじめの横行、家庭にあっては御近所との疎遠など、いつになったら“話し上手”になれるんでしょうね。
ヘルパー先輩さんの更なるご助言を賜りたいものです。
‐‐‐
お車のご帰還おめでとうございます。
爆弾ぶら下げて走っ・・やはり改造・・
つまり誰にとっても共通の世界や宇宙は存在しない。
自分自身の阿頼耶識(あらやしき)(最も深層の根源的な心)の中から流れ出てきた一人一人別々の世界や宇宙があるだけの「一人一宇宙」だから、その世界や宇宙での出来事は、すべて自分の心の内に起こっている現象にすぎない。
他人と共通の客観世界があるかのごとく感じるのは他人の阿頼耶識の中に自分と共通の種子(倶有の種子 くゆうのしゅうじ = I/THEREか?)が存在するからであると説きます。(それさえも無常であり空であると説くのですが。)
別に他人の考えと比べたり、有名な仏教の思想の権威に頼る必要もないのですが、瑜伽唯識派と言われる瞑想による修行を重視したとされる人達が同じようなことを説いているのも、先のマダムの例と同じ様に、ヘミシンクによってつながって得られる情報が独りよがりのものでないという検証ができるようで興味深いと思います。
良かったです。主治医さんも見つかってこれからも安心ですね。
視点よって結果が変わる。出来るだけ多くの視点を持てるようになりたいです。行動の選択肢や感情の置き所の幅が増える事につながると思いますから。
とてもわかりやすくて納得できました。
どの視点での話なのかによって結果が違ってくるというのは知っとくべきことですね。
有難うございました。
この「自分で選んで」とは、ハイアーセルフが選んでいるといわれています。
となると、例えばまるの日さんの境遇は、水無月さん?が選んだということでしょうか?
そうなると人格レベルで「自分で選んだ」というのは言えなくなりますよね?
それとも、ハイアーセルフと個の自分の意識が選ぶのでしょうか?
ここらへんが、最近本当に疑問なんです。。。(^-^;)
この「自分で選んで」とは、ハイアーセルフが選んでいるといわれています。
となると、例えばまるの日さんの境遇は、水無月さん?が選んだということでしょうか?
そうなると人格レベルで「自分で選んだ」というのは言えなくなりますよね?
それとも、ハイアーセルフと個の自分の意識が選ぶのでしょうか?
ここらへんが、最近本当に疑問なんです。。。(^-^;)
そして、「会えない時間が、二人の愛をそだてるのさ~♪」ではなくて、「会えない時間が、愛育てるのさ~」ですよ。
郷ひろみの、歌ですね。
わたしは、郷さんと、同じ年で、ごーごーの、55歳ですよ。