豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

戻ってきちゃった

2016-05-18 08:06:24 | 日記
おはよう。

昨夜はブログ書いてから、めちゃ寝た。

疲れてたんやろな。

ここんとこ、意気込んで、アレコレやってたけど、まあ、人って、そこまで上等なもんでもないよねw

朝方、本読んでたら、人前で立派なこと話しても裏では利益になることをせっせとするみたいに書いてあって爆笑。

ぼくやんw

あんまり何事にも理想をもつとよくない。

以前の思考回路に戻りつつあるなあ。

せっかく、稀なことがあったけれども、定位置に帰ってきた笑

まあ、現実は、これしかないってかこと。

奇跡的なことがおこると目がくらむ。

好きだからねーそういうの。

好きに対して嫌いとか対するのではなく、それがあれば、それしかない。

バーヒヤ経でも探して読むかなw

風が吹けば風のみであーるww

そーやって、目の前だけにいることしか、ぼくにはできそうにないや。

今は特にね。

ブツブツ呟くか

2016-05-18 01:13:44 | 日記
こんばんは。

深夜に起きてしまった豊田です。

生活も自分のこころも、バタバタしていて、安定感に欠けますね。

やることが多すぎるw

まあ自分の蒔いた種を刈り取らねばならない。

今は、飴なめながら、タバコ吸ったり、麦茶のんだりしている。

時計の秒針の音がはっきり聞こえてくる。

さて、前回、更新してから、座禅、読書を久しぶりにしましたが、まあ、落ち着きますね。

深夜にやって朝方まで起きていて仕事。

なんかラインにはまってしまってるけど、休憩時間はなかなかできない。

メールより依存度高いよなあライン。

なんか話している気分になるから、さみしさが、紛れる。

ここまで寂しがりじゃないはずなんだけど、ここんとこの状況が、そーさせるw

仕事終わってから、南くんと、あと最近知り合った人で名古屋へ。

ファミレスで食事する。

このブログの会話もする笑

そこで、これまた、ある人と、合流し、ほんの少しだけ会話した。

帰宅したのが4時ごろww

爆睡して、仕事ですな。

帰ってから、母親の作った? 鶏肉とサラダで食事していると、南くんから連絡あり。

家へ戻って、少し喋って、ラインしてたら、寝てしまっていた。

で、今。


ちょこっとだけ、この3ヶ月余りの暴走から目が覚めだしてきたかもしれない。

そーいや、僕がなんかの宗教に入っているみたいに思われることが、ありそうだけど、このネタ、前にも書いたけど、ぼくは実家が檀家制度で属している天台真盛宗以外は、別に、なんらかの団体に属していません。

今はね。

瞬間的には、あったけど、ぼくは、個人的に信仰するものがあるだけなのですw

ちゅーか、こういうのって、信じるのは、最初だけで、後は、自分自身で確かめるものです。

別に、なんか、特別な、ことをしているわけじゃなくて現実世界と自己の関係性を見ているだけだし、神道も仏教もキリスト教も、アプローチが違うだけで似た部分が、たくさんある。

いのちあるものを大切に。

という言葉が、よく、お寺なんかに書いてあったりするが、そーゆー、思いやり、人に優しくすることが基本なのだ。

宗教に興味がでるきっかけは、無常観か、罪悪感であるとゆわれる。

家族を亡くすとかで、世の中の儚さを知る。

または、家族に迷惑ばかりかけて、自分勝手にしていたのが、突然、それが原因で、なんらかの不幸があったりする。

こういった過酷なシーンで、今まで信じていた世界が、実は、何もわからないことを知る。

生まれること、老いること、病になること、しんでいくこと。

これらは、自己のコントロール外にある。

まあ、こーいった世界に対する失望から、ほんとうに真理を探究する欲望が湧き上がる。

別に、なんらかの団体にいるのが宗教ではなく、宗教は、自己の奥深くにある魂の、叫びのようなもので、その気持ちの根幹を揺さぶる、どうしようもない自由への、はたまた、統一への、動きなのであり、だれでももっているものなのだ。

て、まあ、長く書きすぎたw

クリシュナムルティが教団解散させたり、お釈迦様は、ただひとり歩めと教えたりしているように、団体に所属すること、と、宗教性は、関係性が薄い。

まあ、いいやw

たまに、ぼくが、ゆわれるんで、書いときました。

真理って、現実と別にある訳じゃないよ笑

まあねー異常に高ぶった状態で瞑想して、奇跡的な体験があったりすることも、あるかもだけど、そーゆーんとは違う。

見ていると思っていた私が実は公共のものだったということなのです爆笑

天下のもの。

そして、このような理解は、実際現実的な快楽を得る手段としては、まったく使えませんww

ある意味、そーゆーのも、あるか。

でも、この事実に、あたまだけじゃなく、全身全霊で理解しなくてはならない。

ここは、非常に難しい。

感受性とか本能が、そして、感情が変性しなくてはならないのだ。

一体、言葉をもたない感情が、このような高度のことを理解できるだろうか。

しかし、人間の運命を形にしているのは、感情の働きである。

一番大きい。

見栄やらプライドで動くか、ひとを愛して動くかでは全く違う現象を見る。

つかれたので、今日は、こんなとこでw

問題山積してる

2016-05-16 02:56:53 | 読者に人気の記事
1ヶ月近く更新してなかったんだね。

この間に様々なことがありました。

僕にとっては人生で、そーそーないようなことが、バタバタと起こった。

2月からずっと、そんな雰囲気で、いまでも、過去の出来事を連想させるようなこと、過去に出会った大切な人たちとの、奇妙な、偶然の一致があるのだが、それが、なぜか、僕でしか分からないような形で、関係性とか、状況とか、名前とか、顔とか、僕の心理状態とか、はたまた心理学とか、神秘主義とか、オープンな関係性とか、友達付き合いとか、僕の気の弱さだったり、人にうまく接することができない傾向とか、まあ、親には負担かけたり、っていう、他にも、ほんと様々に、ある。

ほんと、奇妙な感じがする。

前回の、心のそこで、の、記事を書くきっかけは、その、僕でしか分からない、繊細に隠された心の深いところに、触れるような人に出会ったからだが、それ以外にも、違った部分で、そのような心的問題が、現実で、しっかりと現れて、深いところに触れる瞬間が、なんどもある。

そこで、僕が必要としているのは、以前から、信頼とか、ゆるし、愛とかだと思って、そのように自分を高めないといけないと感じたわけだけれど、なにもうまくいってない。

このような、愛とか、優しさのようなことについて、書いていて、それは、まあ、ほんとに、大事なことだと、感じるのだが、それを僕が、自分で書いているようには、できない。

言葉では、たいそーなことを言うけれども、じゃあ、あなたはどうなの?

と、問われる。

まったくもって、そのとおり。

ほんとに不思議な人っているんだなあ。

人って僕が思っている以上に優れているのだと思うけれど、そのような、素晴らしい質が、どのように形成されたのだろう。

深みのある心。

表面には、現れてないのかもしれないけど、みんな、なにかしら、優しさをもっている。

僕が宗教で、勉強したりしていたことは、人との関係の問題とか、生きることに対する姿勢の問題なんかを、その枠を通していくことで、知的にら理解することだったのかもしれない。

感情の問題は非常に複雑で、すぐには、理解してくれない。

もちろん概念で救われることもある。

考え方、見方をもつことで、あーこれは、このようなことだったのか、と、知って、そのようにして頭は安心する。

でも、感情は、そーはいかない。

たとえ、理解していたとしても、感情的には、自尊心や虚栄心でいっぱいだったりする。

これは、嘘をついている状態だ。

そうなると、実際に優しい行いを見せることがあっても、そこに魂がこもっていないのだ。

心とは裏腹に、このようにすることが良いと、頭が、感情を抑えている。

感情は、頭の方針には反対である。

馬はエサがなくて暴れるww

ここの質の改善をしなくてはならないが、どうしたものか、手探り状態になっています。

まあ、ゆっくり考えるしかない。

いろんなことが崩壊してしまったけど、これは、この僕の問題が表面に出たからだろう。

自己を変えるというのは、非常に難しい。

ゆったそばから、もう、嘘が始まる。

人を疑うのか信じるのか。

どこの時点で、自分が有益に関係することができるのか。

まあ、ほんと、めいわくばっかりかける割には、言葉だけは、でかいよなー僕って。

宗教はいると、それでも、この大きな生命としての流れには、何の問題もない。

と、なって、個人の心理としては、救われるんだけど、人間は、ひとりで生きているわけじゃあないからなあ。

くしくも、このブログの副題は、僕たちはひとりではないだった、爆笑

どのように、自分を救うか。

この今の、現実に対する、ぼくの心理的防衛を作るのではなく、心理が、人に対して好影響をだせるようになり、行為も、それに従わなくてはならない。

とりあえず、座禅と読書を復活させよ。

またブログも書いていけるようにしよう。

短文になるかもだけどw