こんにちは!
人生の荒波を見守り続ける、みなさん。
今日もだらけモードの豊田です。
どうも夜勤だと身体が疲れますね・・・・・・。
朝から、嫁さんが、いつものように、アレやれコレやれ状態。
いまのところ何もやってませんが笑
心配性なのか、何もかも確認しないと気が済まないようです。
一生懸命やってくれているのはわかるのですが、もっと気楽にしてほしいですね。
さて、毎日、毎日、身体の疲れと心理的ストレスに見舞われますよね。
調子いいときは問題ないのですが、これがくると何もしたくありません。
心は活動しすぎると弱くなるそうです。
静かにしていると、段々と強くなるそうです。
なので現状としては、真我の至福等々、妄想ではない無の状態を頻繁に想起する。
夢のような世界であることを感じるのが、やはり有効だと再確認。
心や体があって初めて自分が、この世界を生きることができているわけですが、この心や体も、僕という存在がなければ無になります。
僕がいるから、この心と体を感じているわけですね。
心と体にすっかり一体化しているときは気が付きませんが、実際は僕の方が優位なわけです。
なので、この現れの世界で、たくさんの出来事が過ぎ去っていきますが、気にするからいけない。
何も気にしなければ、心理的な苦痛から離れる。
夢の中で、何が起ころうが、気にしないという以前にやっていたことですね。
なぜ、ここから移動したかと言えば、現れの世界というのは自我を落とす効果があるからです。
まあ苦しむことで落ちていくわけですが、耐えきれないときは至福に帰るのだ。
このあたり矛盾していますね。
うーん、妄想教も凄くなって来すぎた(爆笑)
しかし、あれですよ。
間違いなく、この身体と心の世界の根底には、真我の流れがあるのです。
ここで体と心の世界にすべてを投入すると、もはや抵抗手段を我々は持てないのです。
そこで、真我兼至福さんにご登場願って、ここでやる方が優れている。
主客一体の内にどどまらぬ事は、真我の根底の流れがあってはじめて成立するということですね。
わたし-対象が真我の内にあることです。
このわたしには、内面の私も含まれてくるわけですが、ここは虚しく沈黙する。
これは成功します。
静かにすることを、続けることで、心は強くなるらしいので、がんばろう。
内面がどのような状態でも、存在にとっては何の影響も受けないのですが、それでもモードが繋がりには助けになる気がする。
虚しいモードでいることですね。
『自分のものにしたい』と『こうであってほしい』を捨てるには、虚しくしているしかないでしょう笑
悠聖が、泣きまくってミルク欲しがっているが、これからお風呂入るまで我慢してもらわないといけない。
何かストレスだ。
なぜなら『こうであってほしい』が働いているからだ。
『あるがままに』わたしは気にしないでいよう。
なるようにしかならないのだ、と考えるだけで、心は軽くなる。
人生の荒波を見守り続ける、みなさん。
今日もだらけモードの豊田です。
どうも夜勤だと身体が疲れますね・・・・・・。
朝から、嫁さんが、いつものように、アレやれコレやれ状態。
いまのところ何もやってませんが笑
心配性なのか、何もかも確認しないと気が済まないようです。
一生懸命やってくれているのはわかるのですが、もっと気楽にしてほしいですね。
さて、毎日、毎日、身体の疲れと心理的ストレスに見舞われますよね。
調子いいときは問題ないのですが、これがくると何もしたくありません。
心は活動しすぎると弱くなるそうです。
静かにしていると、段々と強くなるそうです。
なので現状としては、真我の至福等々、妄想ではない無の状態を頻繁に想起する。
夢のような世界であることを感じるのが、やはり有効だと再確認。
心や体があって初めて自分が、この世界を生きることができているわけですが、この心や体も、僕という存在がなければ無になります。
僕がいるから、この心と体を感じているわけですね。
心と体にすっかり一体化しているときは気が付きませんが、実際は僕の方が優位なわけです。
なので、この現れの世界で、たくさんの出来事が過ぎ去っていきますが、気にするからいけない。
何も気にしなければ、心理的な苦痛から離れる。
夢の中で、何が起ころうが、気にしないという以前にやっていたことですね。
なぜ、ここから移動したかと言えば、現れの世界というのは自我を落とす効果があるからです。
まあ苦しむことで落ちていくわけですが、耐えきれないときは至福に帰るのだ。
このあたり矛盾していますね。
うーん、妄想教も凄くなって来すぎた(爆笑)
しかし、あれですよ。
間違いなく、この身体と心の世界の根底には、真我の流れがあるのです。
ここで体と心の世界にすべてを投入すると、もはや抵抗手段を我々は持てないのです。
そこで、真我兼至福さんにご登場願って、ここでやる方が優れている。
主客一体の内にどどまらぬ事は、真我の根底の流れがあってはじめて成立するということですね。
わたし-対象が真我の内にあることです。
このわたしには、内面の私も含まれてくるわけですが、ここは虚しく沈黙する。
これは成功します。
静かにすることを、続けることで、心は強くなるらしいので、がんばろう。
内面がどのような状態でも、存在にとっては何の影響も受けないのですが、それでもモードが繋がりには助けになる気がする。
虚しいモードでいることですね。
『自分のものにしたい』と『こうであってほしい』を捨てるには、虚しくしているしかないでしょう笑
悠聖が、泣きまくってミルク欲しがっているが、これからお風呂入るまで我慢してもらわないといけない。
何かストレスだ。
なぜなら『こうであってほしい』が働いているからだ。
『あるがままに』わたしは気にしないでいよう。
なるようにしかならないのだ、と考えるだけで、心は軽くなる。
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