豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

究極技法無駄努力ww

2015-08-09 14:56:02 | 日記
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⇒⇒VOICE OF JOKER 目次

『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。



こんにちわんこそば。

7月に入ってからも、大暴走機関車のごとく、遊び呆けてしまったウツケモノ、豊田です。

まあ先月、と今月の冒頭は、延々と劇鬱でしたね。

で、まあ、なんともなりませんな、このダメ人間は、と自覚が始まりました、笑

そりゃあ、まあ、嫁様が怒るのも無理はないですなあ。

で、思ったのですが、悟りっていうのは、まあ、精神的な解決にはなりますが、別に、人間性が向上するわけではないです。

まあ、あるがままの、実際に気が付くだけのことですので、まあ、逃げ場がないと知ることなのですね。



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だから、この、ことと生活のことは、全く繋がっていないのではないでしょうか?

よくわかりませんが、笑

とにかく、様々なお勉強をして、座禅や、瞑想体験を深めたとして、それが、人間としての資質に影響するということは、あまりないような気がします。

で、実際の、仕事や人間関係での付き合いの中で学ばせてもらう事の方が、100万倍役に立つわけですね。


でも、そのような考えの世界のない場所で、自己が解放されていると、もう、それは、それで、そこにしかないのであって、苦しかろうが、楽しかろうが、そこが、そこなのです(意味不明、笑)

だから一切行苦という言葉には、深い意味があるのだと思います。

苦というのは、生老病死の四苦が代表的ですが、その他にも、いろいろとあるようです。

分かれる悲しみとかもそれですね。

で、そのような苦しみが、実は、逃げ場がなく、その苦の集積が、滅するのは、苦の中に居座っている状態というか、もう突き抜けている状態なのです。

つまり、これが超努力(僕はこれを無駄努力と読んでいます、笑)


人間が余裕がある場合は、ゆったりと様々なことを考えていたりして、眠りの中にいますが、この眠りというのは、単に想像世界のことです。

これに対して、現在が抜き差しならぬ状況を生み出した場合は、そんな悠長に、想像世界に埋没することは許されずに、現在の問題点に意識が集中します。

手元の仕事が、何をしなければいけないのか、なぜしているのか。

そこに切迫感が発生して、瞬時に、判断していかなければいけないのです。

それで、身体を適切に動かしながら、判断して、また次のことへとやっている。

すると、感情は知らずして開放的になっており、世界の印象は瑞々しさを取り戻します。

つまり瞑想している時のような状態に突入するのです!


このことから思うに、現在の手の付けようもない状況は、一切行苦を思い知らせるために、神の仕組んだドラマではないのかということですwwww



その苦しみの中で、自覚をもって、何かをすることで、考えの世界から、現状の世界へ意識点が移行するのです。


前から思っていたのですが、例えば「いま・ここ」という有名な言葉がありますが、それを「いまここ、いまここ」と頭の中でコントロールしてやっているのは、いまここにはいないのです。

実際は、全員が、いまここから外れたことはないのですが、もちろん、思いも含めて、すべてが完全に、ここでしか起こっていないことではありますが、それでも、想像世界と現実とリンクした世界の差はあります。

そして、この現実世界に接点を移すのに最高の方法は、感受する印象を強烈にすることなのです。

この印象を強烈にするためにできることが、自覚、つまり、グルジェフさんが自己想起、セルフリメンバリングと名付けたことなのです。

しかし、晩年のグルジェフさんは、セルフリメンバリングという言葉が、思考による「いまここ」になってしまい精神疾患的な傾向を弟子が見せるようになったので、言葉を変えたそうですね。

この辺りは確かめたわけではなくうわさで聞いたにすぎませんが、これは、自分に帰るという言葉になっていったのだろうと思います。


この自己が現実に触れていて、その自己の客体化された、身体、感情、思考を洞察していくと、これらすべてが一体として世界と縁起していると気が付きます。

つまり個人というものは、思いの中にしかなく、実際には世界というものが縁によって起こっている。

個人←→世界ではなく。

世界と言う○鏡の中に、私がいるのです。

そして、実際には世界には私しか存在せず、世界は、私なのです。

その、鏡の世界は、実は、連続した法則のように連なっており、出来事は、すべて、そこにあるわけです。

だから自由意志の欠如を指摘したお話も、この視点に立てば、事実となります。


ですから、悟りを目指すのであれば、ただ、この瞬間において、自己と対象(外界)とを分けずに同時に、強烈に感受しなくてはいけません。


ところが、ここの【頭】くんが介入してくると非常にやっかいなのです。

頭は、常に分析して、結果を求めているのですが、その頭君自体が、客体化されなければならないわけです。

そのためには中心点が必要です。

つまり、この意識を反映している核に、焦点が合わないと、頭を客体化できないのです。

そして、それがハートなのです。


そのハートに繋がるには、まず、感覚に繋がる必要性があります。

五感が捉える情報が、より鋭敏になって、初めて、ハートが開放されていくのですが、そのためには、普段の自分が追い込まれて、崩壊しなくてはいけなくなります。

つまり、どーでもいいわい、笑

と、なってしまわなくてはならないのです。

というか、もう、どーでもいいわい、すら出てこなくなる必要があるのですね。

だからこそ、無駄努力、つまり自己を追い込むトラブルこそが、人間を解放させる餌となっているのです。


一切行苦であるからこそ、その苦の上に、自らが、消滅、し、世界が、そのリアルな姿を見せるのであります。

そうして、自らを完全に、手放したときに、一時的な、解放と、世界と自己の同一性、また、自己しかいないこと、夢の世界で、夢を見ていること、輪廻とは、個人がしているわけではないことなどなどが瞬時にしてわかります。



しかしですよ。

ここからが肝心要なのですが、だからと言って人生が終わるわけではありません(当たり前ですが)

つまり、個人としての私は、相変わらずの、ダメ人間であるわけですねwwwww

ですから、このような究極的な理解は、実際の生活においては、全く効力を発揮しないのです。

この理解が効力を発揮しているのは、自己がぶっ飛んでいる時だけで、しかも、その自己がぶっ飛んでいる時は、思いが無効化されているので、なんというか、普通の理性が働いていないような、自己意識がないような状態になってしまうのです。

だから、普通に会話したり、仕事したり、生活していくには、その状態でいることなんてできません、笑

で、実際には、その思いがあったり、苦しんだり、生活したり、生老病苦の中にいる自己が、ぜんぜん悪いものでもないし、悟りなんて、実際は、みんなが、そこにいることを思い出すだけで、誰もが達成していることだと分かるので、今度は、そんな特別な意識でいたいという思いがなくなるのです。


すると目標がなくなってしまいます(爆笑)

それで、自堕落なダメ人間、ダメマは余計に自堕落になるということが起こるのです。


なので、人生において求められていることに適切に対応するには、競争社会であるという認識は、捨ててはいけないのであります。

例えば、このようなメッセージが世界で共有されて、とか、そういうのは、全部、もう、すでに成っていることを再確認するだけのことなので、それが、理想郷を地球に実現するとか、そういうことは起こらないのです。


そして、様々な人が、このようなメッセージを伝えていますが、実は、その人たちも、教えている側も、教えられている側も、どちらもが、もう、その理想郷にしかいないのですね。

で、これを【知りたい病】が妨げているだけなのです。


つまり【頭】が現実から離れて【私】を見ているというのが、この人類の集団的眠りの解答なのです!


そこに対処するためには、コントロールを外すということが有効なので、様々な、メソッドを使って、悟りなんかを目指したりすると逆効果なのです(爆笑)

自己ではコントロール不能なものが突入してこなくてはいけないのだと思います。

そこで、初めて、人は、現実の中に、目覚めて、周りを見回して、ああ、最初から、ただ、これだけ、ただ、自己もなく、夢のようなこの世界が、縁によって、鏡の世界が、あるだけで、それは意識がもたらしており、その意識は、名づけようもない光によって生まれ、その光も、なにもかもが、ただハートで眠っている、真の私の、見ている夢なのかもしれないと気が付くのです。

あくまで、かもしれないですよ?

つまり【頭】はどこまで行っても、これを、理解しないのです。

だから理解しようとするのではなくて、そこにいることが、もう達成なのですね。

そして、実は、もう達成していることを、確認する作業が、この悟りと言うやつなのです。


だから、よーく、自分を感じる事、つまり自己の感覚と世界との接点を見失わずに、いることなのですが、それが、頭がコントロールするのではなく、超、努力、つまり、無駄努力の中で発生することが肝心なのです。

たぶんね!

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