こんにちは!
真我探求に本気出している豊田真大です。
もう、マジな話、コミットしてますよ今!
完全投入であります。
そして『明け渡し』効果は絶大すぎる(爆笑)
今朝は1時間くらい、いつもより早く起きたので、ラマナマハルシの本と睨めっこしていました。
そして気が付いたのです。
『ヴァーサナー』という何やら精神世界の専門用語があるのですが、これが、すべての原因だったのです!
この、言葉の正体を突き止めろ(爆笑)
ネットで、検索してみると心の潜在的傾向と訳されているようですね。
まずインド思想の凄まじさには、いや、ラマナマハルシの語る真実の凄さには感嘆します。
身体→頭→心→自我→真我と辿っていく方法が『第4の道』だったのです。
この為に、統一された自我を確立する、様々な意識的努力と意図的苦悩が用意されている。
しかし彼はですよ!
驚くべきことに、全部無視して、真我だけに集中しろと言っているのです。
まあ、それは置いといて、第4の道の正体とはこうです。
まず、普通の人は、身体と言うものを意識していません。
石に蹴躓いて痛い、とか、感覚的快楽を通してしか意識しません。
そこで身体を意識します。
まあ知覚しようと思えば、誰でも簡単にできますね。
足が在ると感じようとするだけです。
しかし、ここでは感覚を鮮明にするために感じるわけではないですよ!
とにかく、身体があると感じるのです。
すると!
全身があるが為に、この世界があると分かるでしょう。
これが、よくネットで勘違いしちゃった人たちが、僕は悟った!
とか、
この全世界は私である!
とか、
ノタマッテイル境地なのです(爆笑)
これは単なる知覚が神経を働かせて、世界を感知している状態を再認識しただけなのですよ!
だからワンネスではないのです。
そのあと、まだまだ道のりは長い。
身体が私の世界である、しかし、なぜにこの世界はあるのか!?
です。
ここで、知覚というものの力に気がつきます。
つまり知覚している世界以外は私にとっては、存在していないことに気がつくのです。
気づきに気づく段階ですね。
ここで、かの有名なる観照者という、お方が登場します。
すると、今度は、この知覚を超越した観照者が、自分ではないかと勘違いするわけです。
ここでまたネット上でよく見かける、僕は悟った人が出てくるのです。
僕は悟れないのです(爆笑)
永遠に僕は悟ることなんかできっこないんですよ!
まあ、僕もこれには随分と苦しめられました。
ちくしょうと言いたくなるくらい。
この辺りで『苛め』が始まりますよ(爆笑)
理不尽なる神のいじめが『亀』虐めが始まるのです。
なんたることか、どんどんと不幸のどん底まで運んでいってくれます!
あの、愛が、そうさせるのです。
身体→知覚→観照者。
ここで流石の観照者くんも、お手上げ状態となります。
知覚、身体は一体全体、どのようにして、この世界を登場させているのかと考えます。
ここで心が出てくるのですね。
所謂、感情中枢というやつですが、この心の方をくるんと向きを変えてみるのです。
逆方向を見てみるのです。
もちろん観る者が観るのでありますよ。
すると身体、知覚=全世界が、なんと!
心の中に在るではありませんか。
びっくり仰天、おったまげます。
ここでまた勘違いした(略)
そのあとが問題なのです、ここから真の探求が開始されるのです。
つまり遂に『自我』を発見したのですね。
この自我にすべての世界が絶賛上映中なのでありました。
自我は心の潜在的傾向を持っているのです。
まあ魂というやつです。
これが輪廻転生を延々と繰り広げるやからなのですね。
これを照らし出しているのが『自ら輝けるもの』つまり、
真我です。
真我→自我→心の潜在的傾向→心→知覚→身体です。
身体は私だというと、かなり遠回りしているのが分かる。
で、ですよ!
このシチメンドクサイ、ひとつ、ひとつを極めて真面目にこなしていくのが『第4の道』なのです。
めっちゃ時間かかるじゃないか(爆笑)
ラマナ・マハルシさんは『私は誰か』と問い続けなさいと言ったらしい。
直接、真我探求しなさいと言うのです。
そして真我を実現したら、そのあとのこともすべて理解できるから心配しなさんなと言うのです。
その秘訣が『明け渡し』だったとは!!!!
つまり僕をすっかり、そっくり、神様に差し出すだけのことだったのです。
この、ツマラナイ、ダメ人間を、差し出された神様も困るかもしれませんが……(笑い)
どうも回りくどい言い方になってしまった。
真我(光)
心の潜在的傾向(フィルム)
自我(スクリーン)
心(映し出された映像)
知覚(映像の中に突入する顕在意識)
身体(映像を体験する潜在意識)
自我の確立が、大変重要な問題であるとグルジェフさんが指摘したのは、この意味で指摘したのでしょう。
映写機は何なんだという疑問が出てきます(笑い)
身体は神経を通して脳で知覚されている。
感情、本能センターである。
これが、人間の内なる世界である。
そして、脳の知覚センターは心の中に在るのです。
この心の外が、外なる世界です。
この、外なる世界から観照者が人生を観ているのですね。
観照しているわけです。
この、鑑賞者は自我が心に反映させている映像を世界だと思っているのです!!!!
この映像のもとのフィルムは、自我の奥に在る。
魂の穢れです。
穢れが、取り除かれると、どうなるのかは未体験なので、わかりません。
推測では、単なる機関になるのではないかと思います。
神の使者。
つまり神の道具になってしまうのです。
神が映写機(創造主)ではないでしょうか(爆笑)
長くなりましたが、しかし、僕は、まだ書き足りていません。
頭脳が、知覚器官で、神経が(感情、本能)です。
頭脳を展開させるのが、心です。
心が展開するのは、真我の光が当たるからです。
自我に当たるのです。
ですから、自我がなくなれば、光の世界しかないでしょうが、これを認識するものもいません。
人間の問題とは、苦悩です。
この苦悩が、前世のカルマだかなんだか知りませんが、糞の塊なのです。
明け渡しは究極の、最短の、完全なる道だったのです。
朝起きると、真我の光が、自我を通して、心の潜在的傾向を心に反映させ、心が意識を通して知覚を認識し、この知覚が、感情、本能を『感受』する。
という作業が、1秒くらいで成されている(爆笑)
イチイチ、地道に行くことが、これから大切に成るのだということでしょう。
つまり、あなたは、常に、
光と共にあれ!!!!
真我探求に本気出している豊田真大です。
もう、マジな話、コミットしてますよ今!
完全投入であります。
そして『明け渡し』効果は絶大すぎる(爆笑)
今朝は1時間くらい、いつもより早く起きたので、ラマナマハルシの本と睨めっこしていました。
そして気が付いたのです。
『ヴァーサナー』という何やら精神世界の専門用語があるのですが、これが、すべての原因だったのです!
この、言葉の正体を突き止めろ(爆笑)
ネットで、検索してみると心の潜在的傾向と訳されているようですね。
まずインド思想の凄まじさには、いや、ラマナマハルシの語る真実の凄さには感嘆します。
身体→頭→心→自我→真我と辿っていく方法が『第4の道』だったのです。
この為に、統一された自我を確立する、様々な意識的努力と意図的苦悩が用意されている。
しかし彼はですよ!
驚くべきことに、全部無視して、真我だけに集中しろと言っているのです。
まあ、それは置いといて、第4の道の正体とはこうです。
まず、普通の人は、身体と言うものを意識していません。
石に蹴躓いて痛い、とか、感覚的快楽を通してしか意識しません。
そこで身体を意識します。
まあ知覚しようと思えば、誰でも簡単にできますね。
足が在ると感じようとするだけです。
しかし、ここでは感覚を鮮明にするために感じるわけではないですよ!
とにかく、身体があると感じるのです。
すると!
全身があるが為に、この世界があると分かるでしょう。
これが、よくネットで勘違いしちゃった人たちが、僕は悟った!
とか、
この全世界は私である!
とか、
ノタマッテイル境地なのです(爆笑)
これは単なる知覚が神経を働かせて、世界を感知している状態を再認識しただけなのですよ!
だからワンネスではないのです。
そのあと、まだまだ道のりは長い。
身体が私の世界である、しかし、なぜにこの世界はあるのか!?
です。
ここで、知覚というものの力に気がつきます。
つまり知覚している世界以外は私にとっては、存在していないことに気がつくのです。
気づきに気づく段階ですね。
ここで、かの有名なる観照者という、お方が登場します。
すると、今度は、この知覚を超越した観照者が、自分ではないかと勘違いするわけです。
ここでまたネット上でよく見かける、僕は悟った人が出てくるのです。
僕は悟れないのです(爆笑)
永遠に僕は悟ることなんかできっこないんですよ!
まあ、僕もこれには随分と苦しめられました。
ちくしょうと言いたくなるくらい。
この辺りで『苛め』が始まりますよ(爆笑)
理不尽なる神のいじめが『亀』虐めが始まるのです。
なんたることか、どんどんと不幸のどん底まで運んでいってくれます!
あの、愛が、そうさせるのです。
身体→知覚→観照者。
ここで流石の観照者くんも、お手上げ状態となります。
知覚、身体は一体全体、どのようにして、この世界を登場させているのかと考えます。
ここで心が出てくるのですね。
所謂、感情中枢というやつですが、この心の方をくるんと向きを変えてみるのです。
逆方向を見てみるのです。
もちろん観る者が観るのでありますよ。
すると身体、知覚=全世界が、なんと!
心の中に在るではありませんか。
びっくり仰天、おったまげます。
ここでまた勘違いした(略)
そのあとが問題なのです、ここから真の探求が開始されるのです。
つまり遂に『自我』を発見したのですね。
この自我にすべての世界が絶賛上映中なのでありました。
自我は心の潜在的傾向を持っているのです。
まあ魂というやつです。
これが輪廻転生を延々と繰り広げるやからなのですね。
これを照らし出しているのが『自ら輝けるもの』つまり、
真我です。
真我→自我→心の潜在的傾向→心→知覚→身体です。
身体は私だというと、かなり遠回りしているのが分かる。
で、ですよ!
このシチメンドクサイ、ひとつ、ひとつを極めて真面目にこなしていくのが『第4の道』なのです。
めっちゃ時間かかるじゃないか(爆笑)
ラマナ・マハルシさんは『私は誰か』と問い続けなさいと言ったらしい。
直接、真我探求しなさいと言うのです。
そして真我を実現したら、そのあとのこともすべて理解できるから心配しなさんなと言うのです。
その秘訣が『明け渡し』だったとは!!!!
つまり僕をすっかり、そっくり、神様に差し出すだけのことだったのです。
この、ツマラナイ、ダメ人間を、差し出された神様も困るかもしれませんが……(笑い)
どうも回りくどい言い方になってしまった。
真我(光)
心の潜在的傾向(フィルム)
自我(スクリーン)
心(映し出された映像)
知覚(映像の中に突入する顕在意識)
身体(映像を体験する潜在意識)
自我の確立が、大変重要な問題であるとグルジェフさんが指摘したのは、この意味で指摘したのでしょう。
映写機は何なんだという疑問が出てきます(笑い)
身体は神経を通して脳で知覚されている。
感情、本能センターである。
これが、人間の内なる世界である。
そして、脳の知覚センターは心の中に在るのです。
この心の外が、外なる世界です。
この、外なる世界から観照者が人生を観ているのですね。
観照しているわけです。
この、鑑賞者は自我が心に反映させている映像を世界だと思っているのです!!!!
この映像のもとのフィルムは、自我の奥に在る。
魂の穢れです。
穢れが、取り除かれると、どうなるのかは未体験なので、わかりません。
推測では、単なる機関になるのではないかと思います。
神の使者。
つまり神の道具になってしまうのです。
神が映写機(創造主)ではないでしょうか(爆笑)
長くなりましたが、しかし、僕は、まだ書き足りていません。
頭脳が、知覚器官で、神経が(感情、本能)です。
頭脳を展開させるのが、心です。
心が展開するのは、真我の光が当たるからです。
自我に当たるのです。
ですから、自我がなくなれば、光の世界しかないでしょうが、これを認識するものもいません。
人間の問題とは、苦悩です。
この苦悩が、前世のカルマだかなんだか知りませんが、糞の塊なのです。
明け渡しは究極の、最短の、完全なる道だったのです。
朝起きると、真我の光が、自我を通して、心の潜在的傾向を心に反映させ、心が意識を通して知覚を認識し、この知覚が、感情、本能を『感受』する。
という作業が、1秒くらいで成されている(爆笑)
イチイチ、地道に行くことが、これから大切に成るのだということでしょう。
つまり、あなたは、常に、
光と共にあれ!!!!
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