豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

人間の進化の流れを解説します

2016-01-20 16:09:17 | 日記
初めましての方は、目次も見てみてね!
⇒⇒VOICE OF JOKER 目次

『ちぃ育児奮闘中♪GUN BIGLOVE♪』も宜しければ併せてお読み下さい。



こんばんは。

本日は13時10分ごろに起きてきました。

千鶴さんが楽しそうに電話をしている。

悠聖は何をしていたのか覚えていないが、テレビかゲームだろうか。

外を見ると一面、雪だ。

ちょっと興奮して「雪やん」みたいに言っていたが千鶴さんは電話に夢中だ。

Yくんからメッセージが入っていたので返信する。



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西隣に建設中の建物が何か気になった様子だった。

洗面をのんびりしているが、悠聖は、すぐに僕のあとをつけてくるw

歯磨きをしている時にオムツ交換が始まる。

気を引くためにテレビを点けてほしいと頼まれたので、リモコンをいじるが反応しない。

どうも調子が悪いと思っていたら、千鶴さんはさっさと点けていた。

洗面を終えると座禅です。

40分座っているが、まあ、落ち着きのない中、あっと言う間にいつも終わります。

普段のわたしたちは、本来の集中力の1パーセントも使っていないだろうと思われる。

ひとつひとつのことに集中出来たら、全く、生活は変更されるだろうが、難しい。

自動的に沸いてくる思念、否定的感情が、それを阻害するからだ。

これは訓練なしには、難しい。

悟りと、これは別物かもしれないが、これは、これで役に立つだろう。

で、座禅を終えると『新しい宇宙像』の読書です。

外で煙草とコーヒーも楽しみますが、寒い、寒い。

悠聖が出てきて、戯れるので、雪ダルマっぽいのを作ってあげた。

あとで千鶴さんは、もっとちゃんとしたのを作っていた。

で、何かのことで、いつもの僕の悪い癖で、千鶴さんに言わなくてもいいことをブツブツ批判的に言ってしまう。

この悪口の癖で、何度も、失敗しているのに直らない。

案の定、千鶴さんは暴れだして、あらゆるものを手に取って投げる。

もちろん、ある程度、手加減している。

しかし悠聖に当たってしまい、激怒するわたくし。

まあ、あれだ、結局、必要のないことをすると、悲惨なお返しが待っているのである。

しばらくして、千鶴さんに謝る。

あ、そうだ、柿ピーとピノも食べたかな。

悠聖にピノをあげていて、虫歯になるとか、なんとかで言い合いになったのだった。


本の内容は、相変わらずの『新しい宇宙像』です。

ここではパラレルワールドに関して書いてありますね。

すべての可能性が実現された世界を創造すると、それが時間の6次元空間になる。

5次元は、時間が、可能性を保持している垂直の『今』のことで、これは『いまここ』とか『永遠の今』と言える。

4次元は普段の平行に進展してく時間感覚の世界だ。

それは、ひとつの可能性の、進展の模様である。

それらの中に、3次元がある。

問題は、我々の認識では4次元までしか捉えられていないことだ。

そして、可能性が開かれる瞬間に無頓着であることから、同じような生活を延々と繰り返す。

その瞬間は自覚することでしか齎されないからだ。


で、読書を終えると、着替えを済ませる。

雪で寒いのでズボン下を穿いていこうとしたが、無いので千鶴さんに探してもらった。

そのあとでブログ更新へ来たのでした。

書いていたら、千鶴さんが悠聖を連れてやってきて、悠聖を見ると背中にアンパンマンの人形が入っているww

「見て見て」と喜んでいる千鶴さん……。

無邪気ですなあ!


さて心と宗教のテーマです。

では、具体的に、人間が進化するには、何が必要か。

それはまずもって、自己が自由であると言う幻想から目覚めることである。

自由であるのは、世界の側へ出た時だけで、普段の自己は、今までの心理的パターンに繋がれている。

それを外していくためには、自分が、今、どうあるかを見ることが必要である。

『自己観察』という有名な自覚の方法ですね。

そうすると自覚している意識が芽生えてきますね。

まあ自分を見ている認識です。

この認識が、自己を、ここに留めている根本の力であるわけです。

で、ここで、自己がパターン化していることをドンドンと知っていきます。

こうしたいと思っても、その通りにはなりません。

で、そのうちに、この認識している自分と言うのが邪魔になります。

なぜなら、この認識しているに、自分がくっついている限り、窮屈でしかたないからです。

もっとよく見ると、これは認識そのものではなく、その認識後に、己が判断することで苦が生まれていると分かります。

そうなった時に、この認識の中で、外部と内部を分けない必要性が感じられるのです。


そして、外部と内部の壁がなくなると不二ですね。

俺は宇宙の活動、そのものだったのだとなりますが、しかし、まだまだ問題は解決しません。

それが分かっても苦しいままです。

なぜなら、ここでは感情の問題、情緒の問題、社会の問題が解決されていないのです。

それは総じて『人間の問題』または『他者の存在の理解』と言えるでしょう。

他者の存在は、自己を持って接したときには分離してしまうので、不二ではありません。


ここを突破するには、否定的感情を利用しないといけないのです。

それが、まあ、煩悩を滅するということなのですね。

なぜ他者と自己が分離しているかというと、その間に自己の『見解』を立てているからなのです。

それが迷いです。

これらを捨てるには、こだわりを捨てないと難しいです。

すべては流れると感じることで、諸行無常の中で何かを握りしめない。

そうすることで、この他者の、つまり客体の存在こそが、自分だったと分かるわけです。

縁起している中で、中心としての自己は、いないのです。


そこまで分かった時点、で、現実と自己の『反転現象』ということが起こります。

つまり、今までは対象と思っていた、この外側の世界、あなたこそが、わたしだっとなるのです。

この時点で、自己を手放してしまえば、悟りです。

つまり、一切の有情は同時に成道せりですね。

これは、感覚としては『リアルが自分に飛び込んでくる』のです。


しかし、これは暫時の解脱です。

人間が生きている限りは、本能的欲求と、無欲の対立があり、それに良心が揺れ動くという現象は永遠に続きます。

ここで、この摩擦の中で、自己の内部に恒久不変の真に自己である、自己が生まれます。

それは、私自身で在り、それは存在します。

その本来の私自身でいることに寛ぐことは、最初から、達成されている『いまここ』で考えすぎていないことなのです。

後追いの認識をしていない。


ここにきて、凄まじい単純さに驚くことになる。

なんと、最初から、救われていない人は一人もいないのである。


まあ、本日は、この辺りで。

本日も、無上の、これ以上は有り得ない、最高の一日を過ごそうw

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