豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

住んでいる世界が違っても

2015-10-25 10:51:35 | 日記
おはようございます。

天空と地上を知覚する以前に、自由に、在る、知らぬ、存ぜぬの、無覚無上であられる皆様。

ただいま、母親と大喧嘩しながら、ブログの更新を始めました豊田です。

中日新聞を読みながら、大須で、27歳と37歳の人が結婚したらしく、凄いなとか言っている。

別に自由だろうww

ボリボリと菓子を齧っている音、風が吹いて洗濯物の干してあるもの同士がぶつかり合う音が、カンカンしている。

今日は風が強いようだ。


さて、本日は朝の8時ごろに目覚めました。

前夜に、結婚記念日の旅行計画で、宿を見ていたのだが、お金が乏しいので、悩みまくって、遅くなってしまった。

まあ、今日も、また考えるか。

千鶴さんは、もう、起きてきたようで、僕を寝床から立たせようと、様々なことをする。

まあ、しばらく粘って起きてきました。


ちょっと寒いので、昨日買ってもらったジーパンを穿いて、嫁様に、どう? と自慢げに話すww

久々にEDWINという、本当の、アメリカのジーパンを買ってもらった。

結婚してから、だいたい、イオンとしまむらとユニクロという黄金コースでしか、服買ってなかったからねえ。

津のイオン城山というところで、金のとりから食べて、百均で電池とか悠聖のおもちゃ買って、ジーパン買って、本買って、千鶴さんのニット服買ってきたのだった。

あ、果琳というお店で、千鶴さん念願のジュースを飲みました。

バナナミルクとメロンジュース。

めっちゃ高いけど、まあ、飲みたがっていたので、たまには、いいかあ、とか言いながら、僕と悠聖が、ほとんど飲み尽くすというwww

だって、うまいんだもん。


悠聖はキッズパークみたいなところで興奮しまくっていた。

あー、そうそう、フィリップKディックの『アンドロイドは羊の夢を見るのか』みたいなタイトルの小説を買いました。

ブレードランナーって映画に使われたものらしいです。

悠聖君は『めばえ』という雑誌を買って、付録の、聴診器で大喜び。

将来は、お医者様にでもなって、僕の、飲み代を稼いでほしいと思う、ダメ人間、世界第2位のだめまです。


さて洗面をしていると、いつもの如く、後ろに来て、半眼wwww

半眼で脱力しながら、ぬぅっと現れて「地縛霊は飛んでいるから、どこにでも行ける」とか言いつつ、手を飛行機の羽のようにして、ビーンと飛んでいるマネをするのだ。

それから、空に手をかざしたのだが、よく観察すると指をピコピコと曲げながら、何かを呼ぶしぐさをしているようだ、爆笑

そういえば、昨日、僕が変なことを書くからブログに来てくれる人が少ないと言われた。

いやいや、僕のブログも人を選ぶけど、嫁様の岩田剛典教も、いろいろと選ばれるところがあるんじゃないか、笑

あ、そういえば、彼女は遂にエグザイルファミリーというファンクラブに入会しおったのだ。

僕もなんか、いいのないかなあと、売れている女の子を探してみましたが、うーん、本気でのめり込める歳ではなくなったようだ。

西野カナとhappinessとmiwaちゃんが、人気ある様子でしたが、まあ、happinessが、一番若くて、不純な対象としてはいいのですが、それじゃあ、別に音楽聴く意味もないしなあ。

嫁様が録画している週刊EXILEとかでE-girlsが出てくるので、ライブの様子も見ていたが、うーむ、これは40近いオジサンがハマると危険すぎる領域なような気がするのだ、笑


で、洗面を終えると、座禅40分ですね。

少し習慣化してきたので、別に拘りが無くなってきて、楽である。

相変わらず、妄念のコンコンと沸く中で、シーンとするのですが、たまに、ポンって飛ぶんだよね、意識が飛ぶみたいな感じで、やっぱり寝てるんだろうと思うけど、そのあとは、いきなり、深い感じになります。

まあ、気のせいかもしれない。

いろいろと考えが、湧くなかで、静かにしていると、自分がどれだけ煩いかというのが、わかる。

その昔、Yくんの友達の女の子が、屋久島の森を歩いていると、静かすぎて、自分が煩く感じた、そして、山頂からの景色を見た時に、ここからわたしは生まれたと思ったという名言を、吐き、それを、伝え聞きましたが、この感覚こそが、天地に礼拝している、祈りの状態でしょうね。

って、まあ、キリスト教の人が聞いたら、そんなことないわいと怒られるかもしれませんが、笑

まあ、あくまでも、僕の受け取り方ですのでね。


で、座禅を終えると読書ですが、また煙草が切れているので、コンビニへ。

外国人の方がレジの担当をしていて、とても自然に、にこやかに、お客さんに対応していた。

なんか紳士的だなあ。

こういう差異があるなかでも、仲良くしている姿っていうのは、なんか、心が溶けますよね。

似たもの同士が理解している時より、意見の違うもの同士が、理解し合う時の方が感動がある。


家へ帰ると読書を始めるが、嫁様が、洗濯物を干し、悠聖が僕の新しい靴を履いて、そこらへんをうろつくので、全く落ち着かない!

ガヤガヤと騒ぐ中で読んでいたが、しばらくすると、テレビに夢中になりだしたので、なんとか読み切れました。


本には、道徳と良心の違いのようなことが、書いてあった。

ある時代のある地域では男性が尊重され、女性は卑下されていた。

また違う時代の違う地域では、その逆であったりする。

ポンペイでは売春婦が高貴な身分であったこともあると主張する人もいます。

このようにして、道徳、とか常識、礼儀といったことは、住んでいる世界が違えば全然違うのです。

ですから、ある人が心の底から正しいと思うことは、必ず、違う世界の道徳的な人と喧嘩になるのです。

常識礼儀のぶつかり合いが起きます。

それが、個人対個人であれば、別に、問題ありませんが、集団対集団になれば、これは狂気です。

洗脳ですね。

つまり国家こそが、人間の生きる規範であると洗脳して、大戦争を起こして、世界中を混乱の渦に巻き込んだ、ヨーロッパとアジアのようになってしまうのは、主義主張が、個人で自由にできなくなり、ある一つの規範、つまり常識や礼儀に統一されたからなのです。


で、読書を終えると、母親の家へ来て、ブログを更新しようとします。

PCの起動が遅いので「なんかした?」と母親に言ったら「人のPC勝手に使うな、あんたのブログのせいじゃないの?」と言うので喧嘩勃発ww

いつものパターンで言い合いしましたが、あまりにも言葉が暴力的なので、ここに書くのは控えておきますww

これを見るに、平和っていうのは、わたしのメンツってやつを捨てきっていないと無理かもしれない、笑


今、千鶴さんと悠聖が来たので、そろそろこの辺にして、公園にでも出かけてこようと思います。


それでは皆様!

好き休日をお過ごしくださいませ。