・妻の『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。
こんにちは。
今日は午後3時40分ごろに目覚めました。
「ありがとう」を連呼しながら洗面であります。
感謝は、偉大な力らしいです。
結構、このパターンも続くようになってきました。
継続は力なり、で、短時間でも毎日、しているのはいい。
洗面を終えると、座禅を15分ですね。
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先のことを妄想する、希望を想像することで、時間が経つ。
この傾向は昔からある「空想」世界に埋没する。
それで、ハッと現在を思い出す、笑
その行ったり来たりの中で、空想、も、現実の姿であると捉える。
捉えているのは通常の意識ではない。
なにか、こう、エネルギーが捕らえているのだ。
それは自己ではない。
自己の存在の本体である。
座禅をしていると微かに、そこと繋がるのだ。
座禅を終えると、コーヒーを淹れて読書ですね。
仏教の『禅』の解説。
遊戯三昧だと書かれていました。
遊んでいる。
ただ、いま、ここで、遊んでいるのが人生だ。
遊びと言うのは無目的である。
なにかを実現するために座禅をしているのではない。
そこで遊んでいるのである。
透明な自己の本来の空間の中で、戯れている。
そこが見失われて、深刻になるのが、問題である。
体の緊張・・・・・・心の恐怖・・・・・・を手放していくことである。
それで、快晴の中、気分がいいwww
読書を終えると家へ入ってブログの更新ですね。
今朝は大和田菜穂さんが、スピリチュアルテレビのインタビューを受けた動画を見ていました。
私はいません!
この言葉を聴くといつも思い浮かぶエピソードがある。
「わたしはいない。ゲノンは存在しないのです」という言葉にグルジェフさんの高弟であったジャンヌ・ド・サルツマンが発した。
「ルネ・ゲノンは存在しないのですか? それは残念!」
『生は私が存在して初めてリアルである』という著作がグルジェフさんの最後の本になっている。
ここに私が在る。
在るというのは、意識的に存在していると言う事である。
その意識は、普段、自分だと認識している『思考』ではない。
感覚的なエネルギーである。
存在感が在る人という意味での、存在の力が人それぞれにある。
この存在は心が花開いた時に、思考の牢獄からは解放される。
その、ゆったりと流れる精気の中で、我々の、人生がリアルにあるのだ。
夢ではない!
夢というのは、出来事には、実体はないという意味だけなのだ。
自己に実体(原因)はなくとも、それは、リアルに現前しているのである。
そして、その現前しているリアルこそが自己なのである。
全体としての自己がすべてが一体として、ここに在る。
それが個人の世界―宇宙―なのだ。
ひとりの人間は宇宙を創造しているのである。
そのひとりひとりの意識の光は、宇宙空間に光を放つ。
暗闇に浮かぶ『意識の太陽』である。
その存在の質は、人、それぞれにおいて違い、それが魂の形成過程で、様々な出来事を誘発させているのである。
起きる事しか起きないのは自然の側である。
真の自己は、そこから自由であり、開放されている。
わたしは存在しているのだ!!!!
こんにちは。
今日は午後3時40分ごろに目覚めました。
「ありがとう」を連呼しながら洗面であります。
感謝は、偉大な力らしいです。
結構、このパターンも続くようになってきました。
継続は力なり、で、短時間でも毎日、しているのはいい。
洗面を終えると、座禅を15分ですね。
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先のことを妄想する、希望を想像することで、時間が経つ。
この傾向は昔からある「空想」世界に埋没する。
それで、ハッと現在を思い出す、笑
その行ったり来たりの中で、空想、も、現実の姿であると捉える。
捉えているのは通常の意識ではない。
なにか、こう、エネルギーが捕らえているのだ。
それは自己ではない。
自己の存在の本体である。
座禅をしていると微かに、そこと繋がるのだ。
座禅を終えると、コーヒーを淹れて読書ですね。
仏教の『禅』の解説。
遊戯三昧だと書かれていました。
遊んでいる。
ただ、いま、ここで、遊んでいるのが人生だ。
遊びと言うのは無目的である。
なにかを実現するために座禅をしているのではない。
そこで遊んでいるのである。
透明な自己の本来の空間の中で、戯れている。
そこが見失われて、深刻になるのが、問題である。
体の緊張・・・・・・心の恐怖・・・・・・を手放していくことである。
それで、快晴の中、気分がいいwww
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今朝は大和田菜穂さんが、スピリチュアルテレビのインタビューを受けた動画を見ていました。
私はいません!
この言葉を聴くといつも思い浮かぶエピソードがある。
「わたしはいない。ゲノンは存在しないのです」という言葉にグルジェフさんの高弟であったジャンヌ・ド・サルツマンが発した。
「ルネ・ゲノンは存在しないのですか? それは残念!」
『生は私が存在して初めてリアルである』という著作がグルジェフさんの最後の本になっている。
ここに私が在る。
在るというのは、意識的に存在していると言う事である。
その意識は、普段、自分だと認識している『思考』ではない。
感覚的なエネルギーである。
存在感が在る人という意味での、存在の力が人それぞれにある。
この存在は心が花開いた時に、思考の牢獄からは解放される。
その、ゆったりと流れる精気の中で、我々の、人生がリアルにあるのだ。
夢ではない!
夢というのは、出来事には、実体はないという意味だけなのだ。
自己に実体(原因)はなくとも、それは、リアルに現前しているのである。
そして、その現前しているリアルこそが自己なのである。
全体としての自己がすべてが一体として、ここに在る。
それが個人の世界―宇宙―なのだ。
ひとりの人間は宇宙を創造しているのである。
そのひとりひとりの意識の光は、宇宙空間に光を放つ。
暗闇に浮かぶ『意識の太陽』である。
その存在の質は、人、それぞれにおいて違い、それが魂の形成過程で、様々な出来事を誘発させているのである。
起きる事しか起きないのは自然の側である。
真の自己は、そこから自由であり、開放されている。
わたしは存在しているのだ!!!!