豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

悲しみこそが、愛なのである!!!!

2014-04-20 12:42:14 | 日記
あかん!

歌聞くと泣きそうになります。

特に、『やさしさ』を主題にした歌を聴くと、子供みたいに泣きたくなる(爆笑)


僕の大好きな『やさしさに包まれたなら』と『やさしくなりたい』を聴いていました。

なんと、優しいことか!

人間の優しさは、間違いなく、悲しみの向こうに突き抜けたときにある!

悲しみこそが愛が生まれている証。

神の悲しみが、優しさを生み出すのだろう。


『やさしさに包まれたなら』
http://www.youtube.com/watch?v=CAFp1CCwQxI


3分30秒くらいから曲が流れます。


素晴らしい!

素晴らしい、素晴らしい!

この曲、頭の中、ずっと流れているw

松任谷由実、最高やな、、、マジ、ありがとう。

素敵な歌です。


あと、これ、

『やさしくなりたい』
http://www.youtube.com/watch?v=2TwDHn7aHJo


キレイなオネエチャンが歌う、愛の歌であります。

これは、もう泣くしかありません。


悲しみこそが愛なのだああああああああああああ!!!!

それを僕は、心の中で叫び続けながら、泣くのです。

とにかく泣くんですよ。

心があるから、人間は、泣くのです。

この心が、心の源が、神!


ブルーハーツも歌っていたでしょう。

情熱の真っ赤な薔薇を胸に咲かせようと、全開でやっていたのです。

うーん、素晴らしい。

なぜ、この、牢獄から飛び立たないのか、人類は、飛び立たないのか。


疑いと恐れという、悪魔を打ち倒す勇気は、神に任せよう。

自分には無理です(爆笑)

僕が、やろうとするから、無理なんです。

僕は映像です。

この大本の、根源の、心の悲しみの向こうにある『やさしさ』で、ある神。

光と友になれ。

悪魔は打ち倒されるだろう、黒色知的生命体は消え去るだろう。

白色知的生命体は、幻影である、その姿を、あなたに晒すだろう。

わたしは、あなた自身です。

いや、あなたの、すべてが、我々の希望ですと言うだろう。


魂が、強くなりたいと歌っている!

この悲しみ漂う、雰囲気、そして虚しい心、やさしさ。


ほんとうに優しい人は悲しい眼をしている。


悲しみこそが、この、人間の喜怒哀楽の中の悲しみだけが、胸を打ち、神の涙を流させるのである!!!!


ごめん、ちょっと壊れてましたorz

永遠の主と一無位の真人

2014-04-20 11:03:55 | 日記
※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。

※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。

人気ブログランキングへ←ランキング上がるから押してね♪



こんにちは!

日曜日で暇をもてあますのは素晴らしいですね。


さて、お次は『ベルゼバブの孫への話』の問題です!


「我らが共通の父である終わりなき創造者」という言葉と、

「我らが共通の父なる創造者にして永遠の主」は違う言葉でしょうか。


これは神を指す言葉です。


ゆえに非常に重要だと認識するわけですが、、、下の言葉には『主』という言葉が入っています。

主という言葉があるからには、そこに一塊の意志があるようです。

神の意志は、どこにあるのでしょう。

神様は何処か、天国にいる、個人なのでしょうか。

おもしろい問題です。


昔、臨済という禅僧が「カーツ」と言ったそうですが、

間違えた「一無位の真人、汝の面門より出入りす」と言ったらしいが、

これに「非無位の真人となぜ言わぬのか」と未熟者の坊主が批判します。

すると橋の上から、これを聞いた臨済の弟子が、胸ぐら掴んで、橋の上から川底へ投げ飛ばそうとした。

「未熟者ゆえ、赦して下され」と連れがいう。

「一無位か非無位か、川底へ突き落として確かめさせてやろう」としたらしい。

(爆笑)

これが禅ですね。

徹底的に体験的学びを重視しているところが、カッコイイのですが、まあ、もう古いでしょうね。

新しい宗教が、そのうち出来るんじゃないかなと思います。

人類意識が、覚醒するときは近いと思うのであります。

みんな、その記憶を持って生まれてきているという確信があるのです。

まあ、それが、50年後か、100年後か、それとも今日かは分かりません。

預言者ではないので。


さて、一無位か非無位かは、川底に突き落とされるくらい重要な問題ということですね。


何が言いたいか。

主とか、一とか、この言葉は、存在を表しているのです。

私は-在る、なのです。

この私は在るの『在る』は絶対に消え去らないのです!!!!

ゆえに非無位と言った未熟坊主はアホだったのです。

世の中、幻影であるが、この幻影の大本である神が消えるわけないやんか。

これから逃げることだけが赦されているのであって、逃げたからって消えるのは、つまり非無位であるのは、その個人だけですよ。

だから川底へ、ブチ落として体験的に非無位を確かめさせてやろうと言うわけです(爆笑)

やりすぎだろう。


まあ、門に足を挟まれて、足がもげたお陰で悟ったという人もいるらしいので、禅とは、そういうものなんでしょう。

普通の人には、怖くて無理ですね。



人気ブログランキングへ←ランキング上がるから押してね♪

勇気一つを友にして

2014-04-20 08:28:34 | 日記
おはようございます。

さいきん興奮しすぎてブログランキング忘れていました。

人気ブログランキングへ←これをクリックするとランキングがあがって、もしかしたら、目にとまって、この超マニアックになりつつあるブログへ来てくれる人がいるかもしれません! お手数ですが、宜しくお願いします!

あと、この宣伝も忘れていた。

※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。

※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。



さて、宣伝活動を終えて、安心したところで今日の記事。

僕は小学校のころに授業で歌っていた、この歌が、長い間、印象に残っている。

『勇気一つを友にして』
http://www.youtube.com/watch?v=XSLKuD8zsWY



なぜか、昨日から頭にメロディーが浮かんでくるので、歌詞を検索してみた。

忘れていたので。

『合唱でYEAH』
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6654/ikaros5.htm



これぞ探求者の運命(爆笑)


太陽(真我)めざし飛んでいくイカロス。

蝋で固めた鳥の羽(知識)

探求者は知識の羽をもって、瞑想という飛翔をしていく。

高く舞い上がって、太陽(真我)に近づくと、その光と熱で、

知識が溶け去る!

すると身体(肉体)は舞い落ちて死ぬ。

そして生命はイカロスの身体を離れて飛び散った!

この瞬間が、覚醒だ。

しかしギリシャ神話は、ここで終わっているらしい。


らしいというのは推測ですよ!


それを、この、天才、作詞家、は、

子供たちに鉄の勇気として、還したのである。

素晴らしい!

これぞ究極の救世主、イカロス。


個人の魂が飛散すると神は、僕に言いたかったのですね。

その拡張範囲も影響も、死後、各々に違うのではありますが、名を馳せている人々が明らかに我々子孫に影響を与えた。

この、鉄の勇気を、与えたイカロスは、素晴らしい。

正に、神!!


勇気というのは、他者の生き様から頂く、魂の欠片だったのだ!

ちょっと、泣きそう(爆笑)



人気ブログランキングへ←勇気下さい笑