昔、おじじがまだ健在だった頃私は小学生とか中学生で、戦争の話が聞きたくてたまらない時期で、無神経に思い出してもらっていた気がする。「玉音放送聞いたときどう思ったん?」と聞くと「聞こえへんかったなあ」と聞いてとてもびっくりしたのを始め、「新聞のことはどれくらい信じてたん?」と聞いた時は私は半分半分くらいかなと思ってた。そしたら「信じるしかなかったからな」とおじじは言った。すごく納得した。
私にとって戦争は第二次世界大戦だけで、その戦争自体も過去の話だったけど、おじじにとっても多くの人にとっても戦争はまだ終わっていなかったりつい最近の話なんだ。そう思うようになったのはだいぶ後のことやったけど。
今の原発のニュース。テレビだけみてる人は、信じるしかないと思う。2チャンネルだけ見てる人は全てを信じてないように思う。より信頼できそうな気がするものをさがし続けてるだけで、結局はよりどころはどこにもない。
情報が沢山ありすぎて、自分で考えて真偽を判断しなくてはいけないというのは過去の話だか、現実的に無理がある。もう決めつける事は無理だ。情報は依存するみたいで、もっともっと欲しくなる。知るとシンプルに考えられなくなる。
何か起こった後だから迷う事なく言えることなんやけど、原発は何かあった時に、人が一生をかけても解決できないことになる危険性がある。これは否定することはできない。あとは世論。これと同じは燃料問題。同じ生活スタイルをしてると、石油は全部使い切る。これも否定する事はできない。まずいことになるのは当たり前だけど変えられないのは現実に起こってないだけの違いだ。でも必ずいつか起こるのは間違いない。全ては楽観的希望的観測で時間が過ぎてる。多分、今の原発の状態を後から見直すと、史上最悪な結果を更新し続けるのは目に見えてたのにね、と未来の人は必ず言う。
原発は、日々のたくさんの下請け労働者の犠牲によってしか成り立つ事は出来ない。もしテレビも新聞もインターネットも見てなかったら、今回の地震がこんなに被害が大きいのだとは信じられないのと同じじゃないかな。いかに現実として受け止める心構えがあるかどうかの違い。
この危機感の予備軍としては政治も同じだ。私の危機感の優先順位トップは長い間エネルギー問題だった。小学生に入った頃、オゾン層破壊のニュースを見て環境バカになった。周りの人がどうして平気で無駄なエネルギーを浪費してるのか分からなかったし耐えられなかった。必ずいつか起こる事を止められないのは、無知による。無知のままでいさせられるのは知ってる人だけがお金をもらえるからだ。
お金も連鎖だから、よりお金をたくさんくれそうな人に巻き込まれるようになっている。カードゲームの大富豪のように、それは当たり前だけど悪いことじゃないというより、最終的には合理的。
学生時代には、自分一人がペットボトルのお水を一生買わなかったらすごい量のゴミが生産されないんじゃないか…精肉を…灯油を…電気を…という不買運動のようなことをしていたけども、今はもう少し大きく考えられるようになった。
全てを牛耳ってる組織はいない。一つひとつ関連があって取引があって、複雑に利害を考えなくてはいけないのだ、というのは間違ってないと思う。原発が最初にやばそうとニュースが出た後、自民だったらとか民主だからとか飛び交ってて、嫌な気分になった。前回、日本で自民が勝ったのは福井県と島根県と、あと一県だけとかいう記憶がある。日本中が民主一色だった。その昔は郵政民営化一色だった。数年前は、次は麻生太郎しかいない、一色だった。私の個人的な印象だけじゃないと思う。いったん風潮が出たら、それに染まるのが楽で安心するから増々助長されるんだ。
今日、坂井市に構えるある選挙事務所で「その人の一番の魅力は何なんですか」とトップの支持者に雑談として聞いた。面白い事に、「無欲かな」という答えが返ってきた。昔ならそんな人いるわけないと思ってたと思う。他にもそれぞれに違う観点で教えてくれたけど、嘘じゃないと思った。原発にしても政治にしても、何を信じていいのか分からないというフラストレーションを一貫して腹に持ち続けてる。日本中が同じだと思う。チラシに、議員さんの交通費を大幅に削減したという事が載っていた。どの候補者にも一つは成果がのってると思うけど、どうやらそれは他の人は言わない事らしい。みんながモーレツに反対したと聞いた。早く決議が出る法案と出ない法案のニーズは全然あってない。議員さんが反対することはだいたいが市民は望んでる。でもきっと簡単に通せない難しい問題がたくさんあるんだろうな。でもだいたいそういう時はもっと大きなお金の渦があることなので一般的には立ち入る事ができないように思う。でも判断材料になる。
今日は特にまとまらなかったなあ。眠たい。また続きます。
ちょっと内容が一方的かな?