装飾吊り看板とザルツブルクの街・その2

2014-03-23 22:32:22 | 旅行 ・ 装飾吊り看板

 

 

  こんにちは 

  風が吹くたびに木々が揺さぶられ、陽射しがきらめいて見える窓の春を楽しみな

  がら、せっせとパソコンを打っているところです。

 

  今日は、装飾吊り看板とザルツブルクの街の二回目です。

  オーストリアのザルツブルクは作曲家モーツァルト(1756~1791)の生まれ故

  郷。観光の表看板は、何といってもモーツァルトという印象でした。

 

  モーツァルトの生家も有名な観光スポットになっています。

  前回ご紹介した、吊り看板がたくさんある目抜きのゲトライデ通りにありました。

  下の写真、赤い旗のある黄色の建物の四階フロアがモーツァルトの生家です。

  生まれてから17歳までここに住んでいました。

 

      

 

           

               

  内部は残念ながら、撮影禁止でした。

  台所と控えの間(来訪客用?)とほかに三部屋あり、四人家族だったそうです。

  その室内にモーツァルト直筆の楽譜や手紙、愛用のバイオリン、肖像画などが

  展示されていました。

  音符がたいへん几帳面に書かれてあるのが印象に残りました。

  下の階にはモーツァルトのグッズを売っている売店があり、作曲したオペラ「魔笛」

  の夜の女王のアリア「胸にたぎる地獄の復讐」が小さくかかりっ放しに。

 

  窓も小さく陽当たりもあまり良くない、暖房のために天井を低くした室内。

  当時の庶民の暮らしぶりのことはよく分かりませんけど、子供の頃から天才と賞賛

  され、ウイーンのシェーンブルン宮殿などに出入りしていたり華やかな話題の多い

  人だけに、思いのほか現実は厳しかったのかな・・と思いました。 

 

        

 

  上の写真は、コーヒー店パミーナ(PAMINA)の吊り看板。

  パミーナというのは先ほどのオペラ「魔笛」の若い女主人公の名前です。

 

  街の至るところにモーツァルトの肖像画を使った土産物店やお菓子屋さんが。

  ザルツブルク名物のモーツァルトクーゲルという丸い球のチョコレート菓子の看板。

  肖像画はモーツァルトと妻のコンスタンツ。

  妻のコンスタンツはモーツァルトの葬儀にも埋葬にも出てこなかったほど愛情の無

  い間柄だったというのは有名な話ですので、スイーツの看板には、ちょっと・・??

  

          

 

  下の吊り看板は、そのモーツァルトクーゲルを作ったオリジナル店「フュルスト」。

  テーブル席もある有名な菓子店。 シンプルですけど、繊細で素敵な看板ですね。

 

       

 

  下は、先ほどのモーツァルトの生家からさほど遠くないところにあるモーツァルト広場。

  モーツァルト像が建っていました。

 

      

 

  下の楽器はホルンを模したのでしょうか。ラッパとは少し違うようです。

  流動感のある葡萄の蔓に葡萄の実が下がっていて珍しい装飾の吊り看板でした。

  ザルツブルクの装飾吊り看板の技術のレベルは高いです。そして唐草風が多い。

 

        

            

  さて、下のピンクの建物は、生家から引っ越してきてモーツァルトが17歳から25

  歳まで住んでいた家です。街の中央を流れるザルツァッハ川を渡った新市街地に

  ありました。川にはモーツァルト橋が架かっていました。

  二階(赤い旗)のフロアがモーツァルト家です。

 

        

 

  また旧市街地に戻りましょう。

  下の写真は、霧がかかった岩山の上に難攻不落のホーエンザルツブルク城塞。

  正面の青銅色の玉ねぎ頭の塔はザンクトペーター教会。

  そして右側のグリーンっぽい建物はザルツブルク音楽祭のメイン会場として世界的

  に有名な祝祭劇場です。

 

                  

  下は正面から撮った祝祭劇場。ピンボケ写真。何かコンサートがあるようでした。

          

 

  ずいぶん長い建物ですけど、ここには「モーツァルトのためのホール」など大小三

  つのホールが入っているそうです。

  毎年夏には、この祝祭劇場のほかにも数か所に分かれたホールで有名なオーケ

  ストラによるコンサートやオペラ、演劇などのザルツブルク音楽祭の祭典が一と月

  にわたって催され、世界中から音楽ファンの観客が集まってきて、ホテルは満員、

  街の中は大変な賑わいになるということです。 

  そのザルツブルク音楽祭もモーツァルトを記念して開かれています。

 

  この祝祭劇場の中にあるフェルゼンライトシューレというホールは「岩の乗馬学校」

  という意味だそうで、舞台の背後にある岩壁を削って舞台の背景にわざわざ岩肌

  を露出したままの独特のホールになっているということです。

  昔、ここは乗馬学校や厩舎があった場所なのでその名前がついたのです。

 

  ザルツブルクが舞台になっているミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の

  ラストのくだりで、亡命するトラップ一家が音楽祭に出演するシーンはその岩肌の

  舞台で撮影されました。覚えていらっしゃるかたも多いことでしょう。

 

      

  

  上の写真は、その祝祭劇場の右隣りにある馬洗い池。

  前面が池になっています。昔はここで馬を洗ったのでした。

  左手に見えている建物が、先ほどのフェルゼンライトシューレ(岩の乗馬学校)という

  名のホール。 確かに建物が岩壁に密着していますね。

 

  面白いことに、この周りには馬蹄型のデザインを使った吊り看板もありました。

  これもまた乗馬学校のあった名残りなのでしょう。

 

       

 

      

 

  上の四つ葉のクローバーの看板のドイツ語は、KLASSENが等級という意味で、

  LOTTERIEは宝くじ、福引と言う意味でした。

  四つ葉ですから、幸運なる宝くじ売り場??馬蹄とは無関係の。

  

   モーツァルトは25歳のときにザルツブルクを出てウイーンに移り住み、600

  曲もの作品を遺し35歳で病死しました。

 

  次回がたぶんザルツブルクの最終回になると思います。

  是非、お出かけくださいね~☆

     

                             

 

                            

 

  

     

  

 

 


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