ひふみ世 癒しの小道より

ひふみ神示に出合って29年目の春です。止めていたブログを見たいと言ってくださる方のために公開します。非常に妄想ブログです

ふと 思ったこと

2009-04-25 10:58:20 | ブログ
さっき ふと 思った。

アンジェラ・アキさんの ことについてふれた記事を読んでいたのだが

彼女はハーフで 歌を歌ってる人なのは ご承知のことと思う。

その中で 混血児・・ということでのいじめを受けた・・という

記述がありました。

しみじみ その事を 考えてしまった。

海外では 島国日本と違って 混血は当然だろう

日本だけが そのような言葉を作り 

差別化したのはなぜだろう・・と考えていた。


最近 私のなかで 岡山がマイブームなのだが

吉備津には 「温羅」という伝説が残っています。

http://www.sunroad-kibiji.com/sinsetu_ura.html

岡山には スサノオの墓といわれている 熊山遺跡があるが

ここもある意味 他国の人たちの流れであろうと思う。

私の中で いろいろ調べている問題で

国津系のもともとの部族の中に

天津系・・神武天皇系のものたちの侵略があったという説を 

検証しているのだが

その時代は 混血は勝ち組、負け組・・どちら側にしても 

注目に対象だったのではないだろうか

天津族が国津族を侵略するのに 

一番効果的なのは、そこの姫・・

すなわち 祭祀を行っていた

一番の力を持つ彼女ら=巫女たちを 

自分たちの手にすることだったのだから・・

地位をを奪われ 子を産ませられて 

一族を救うためにも人質のようになっていった

彼女たちの想いを考えると

私は 胸に去来するものがある。


また その時代に混血として 生まれた子達は

みんなから よくも悪くも 混血であることにたいして

負い目や引け目を感じさせられていたのだろうと思う。

そういう流れが 日本人の根源にあり

混血児が差別の対象物として 

見られていく土壌を作り出して行ったのではないのかと思うのです。

もちろんそれだけとは言わないのですが・・。


日本の国は 朝鮮との関係が濃い。

もともと いろんな部族の集まりで、

小さな村を形成していたのだろう日本の国に

神武天皇系がやってきて、統治を繰り返し、流れを作っていった。

その後、百済の王族の民が亡命してきて中臣となり祭祀をつかさどり

中臣=藤原が天皇家の血筋に入り、今につながるのだが・・。


侵略の歴史が「混血」という特殊な言葉を作り出したのでしょう。

今風にいえば ハーフなんでしょうが

ハーフというより 半分ではなくて、

先祖代々も含めれば 混血という言葉のほうが

あってる気がするのですが・・・。

日本人はもともと 素敵な混血の民族です。

純粋な系統とか言われますが

そうじゃないんじゃない?っていうのが 私の持論です。

でも そういう感覚も 捉え方によっては 面白いですよね。

もしかして 先祖は 青い目をしていたのかも知れませんよ



私の小学校の時のクラスメートに きれいな色の目の子がいました。

肌色もものすごく白くて、目がとび色なんですね。

白人さんの感じなんです。髪もきれいな茶色で巻き毛でした。

女の子にもてていたとおもいます。

ハンサム君だったし^^


色素がないらしいよーと本人が言ってましたが

遺伝だといってました・・親は日本人なんですが・・。

そういうことを調べたら そういう人たちが限局されて 

日本にいるということで研究対象になっていたようです。

青森、岩手に多いそうです。


私の中では

ナガスネ彦とともに大和から北に追われていった一族が

そうであると 聞いたことがありましたが

そういう血が残ってるということですよね。


そう考えると みんなの中は 当然混血ですよね

素敵な血のまじわりが 世界を作ってるんだなって

勝手に 感動してる 今日の私でした。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。