ひふみ世 癒しの小道より

ひふみ神示に出合って29年目の春です。止めていたブログを見たいと言ってくださる方のために公開します。非常に妄想ブログです

思うこと

2009-10-31 10:11:57 | 神様こと
もともと

ある時期から使命が来て

それは 人生そのものを 動かされるので

いやおうないのだが ・・自分の意思でどうにもならないことなので

動かされていた。

神示を読んで  祝詞をあげていくと

なぜか一定方向に向かわされていくことに 気がついてきた。

ベクトルが → 行動や 出来事となり

わたしは動かされていった。

先人たちの本を読むと ああ 同じ事をさせられていたんだと

わかります。

今回 大阪に来ることになったのも

すべて意味があったし。。

たとえば とある人に急に逢わせられ  

その方の神様をとある場所に運ばされて・・なんてこともありました。

まるで 選手交代!! と 言わんばかりでありました。


本当に そういうことが 日常になり 

枚挙に暇がないくらいな日々でした・・。


たくさんの霊や神様と呼ばれる そう高くはない波動値のものに

かかられながら・・咳き込み苦しみ ステロイドを吸いながら

祓いの旅を させられてきた。


お金もどんどんなくなり・・  

そのころしていた大事な収入の元の仕事も

不自由であるという理由から 引き離させられる。

出来事が重なり やめなくてはいけない状況に陥らせる・・

神ってなんで 残酷なの?と

涙することもしばしば・・

でも それでも わたしの腹の中では やらないといけないという

確固たる信念があり

現実を生きてるわたしは 苦しいのだが

神業をしているわたしは 最高に幸せという 矛盾した状態の中

日は進んでいくのだった。

でも それは 大愛で  わたしには必要だったのだとわかるし

知っている。

起きた出来事のすべては ある一方方向に向かうための

道しるべだったと 後になって気がつく

その 繰り返しなのだ。

だがありがたいことに 生活に必要なお金や

人脈や 流れは確保しておいてくれるという

神様はちゃんと 流れを用意してくれるのだなと

理解しています。


  
2006年年末に 咳の原因が 好酸球増多症の一つで

肺炎を起こすということがわかったのだが

なにが原因なのかを突き止めるために 専門医を調べ大阪に来たが 


元もとの わたしのこの流れが来たのは

1986年だった。 節分過ぎのある日 

天啓が訪れたのだった。  

その後 一ケ月もしない間だったと記憶する。

「日月神示」 に出会ったのだった。

古本屋さんの 片隅でみた 一冊の冊子 今はもう観ることも出来ない本。

ものすごく気になり 手に取った瞬間

わかった・・。


この本はほかとは違う

これは 今の私に 本当に大切なものだ・・そして

わたしが昔から欲しかった 

何かをしにこの世に生まれてきた理由がここにあると

確信に似た気持ちがあった。


それから何年か、心直しの勉強を黒住教から学んだ(変な宗教ではないですよ)

そして さまざまな出来事をこなしていく

その間  自身のガン 騙されたり 苦しめられたり

いろんなことがこれでもか?と起き  

それらが同時にやってきたとき 

なにが何の理由で

神はわたしに対してそこまでしようとするの??

と 天を見つめた・・。

ただ これは道なのだと  どこかでわかっていたからこそ

そのことが わたしをただ支えてきた。

あるときに 一本の道をつけてくれた。



大きな浄化のための お仕事

ただやってきた

ただひたすら 浄化をしてきた。

神社に行くたびに 起こる疑問の思い

紐解くと 神という名の神は 人だった。

じゃあ 何故祓わされるの? なぜ 向かわされるの?

それが何を意味するの?


一人一人の中に その神社に関わる 血がある

日本の歴史は 世界の歴史は  血で血を洗った歴史。

それらが必ず わたしたちの中に存在する。

それを きれいにしなければ それは 地球と言う星の 波動に

繋がっているのだ。

カルマは取らなければ 消えることはないのだ。

そのことに 気がつかなければ

地球も 宇宙も 危ないのだ・・。


だから 誰かが 血の元を きれいにしないといけない

みんな 繋がっているのだから

だとすると わたしはやらなくちゃいけない・・

日本の為に 地球の為に 宇宙の為に

日々の浄化  神社という 昔の方々の魂の眠る場所の浄化

思いの世界で作られた者たちの鎮め・・。


そして 現実世界では 催眠療法や 浄霊や 人のご相談にのり

ひむかの役(日向の役)を仰せつかり 

歩んでいる。 


でも このところ 何かが済んだようだ。

天津の祓いがすみ  国津の祓いが済み

次はどこに 向かわされるのだろう・・。

いろんな事象がくるので 

サニワをしながら 向かう。


今回みんなが眠かったというし

危機感も感じていた。

それは今回の 隕石の登場だったのかも知れない

しし座流星群の意味なのかも知れない

みんなの意識で 見えない世界に飛んで行き

地球に落ちてくるはずの隕石を 少しずらすことになったのかもしれない。

これは 皆さんの力ですよ 本当にそう思う。


そして 

その答えが くらまの 事故だったと思う。

鞍馬寺は何度も言うように  太陽 月 地球の神様

宇宙の大事な星

それを くらまという 護衛船が 衝突したのだ。

それは  大難から小難にしたよという

表れなのだと 感じていた。

偶然など ないのだ。


風も 光りも 雲も みんな 教えてくれる。

今の心映えを

今日ははれている

日本晴れだ


わたしは 今日も向かう。

明日に向かって。

お役目がきたら また 次に進む。。


どうやら 今度は和歌山に呼ばれている 

和歌山から三重の方の浄化がいまいちのようなので

行ってこなきゃ・・

また そういうときは 呼ばれるの

三重の人と 和歌山の人が

逢いたいんだって・・ 浄化して欲しいんだって

そして 逢うことによって

彼らに 大事な役目が来るのだと思う。


わたしは 橋渡しだからね^^

そして 今回 呼ばれてるのは

熊野本宮の系列のかたで お嫁に行って

今の名前は 玉置さん。。 熊野の奥宮の神社の名前

一族ですよね・・。

お会いすることに意味があります。

楽しみにしています。

今日の雑感です。


富士ははれたり 日本晴れ!!


このごろのこと  くらまなど・・

2009-10-29 09:56:47 | 神様こと
今日 皆さんが見た夢

身内の子は 

人が駅で 順番待ちしている夢

ぎゅうぎゅうで 何に対して 急いでるのかわからないけど

急いでいたらしいです。

何でだろうね・・といっていた。


昨日

国津族の 天への帰還をお手伝いしたと思ったら

今日 お弟子さんの夢

神様が居ない・・という夢  あたり・・!!!!


だって
神様と思っていたのは
昔の人

昨日出てこられた  ニニギのミコトは

九州日向の国から来たの?と聞いたら

そうだという感覚と  もっと 大陸の西を 指差していた。

わたしは 催眠療法の相手の見ている映像を 同時に見る人なので

彼の指差してる方向が  宮崎を経由して 

西を指差しているのが見えた。


そう

国津神も 天津神も

人 なんだよ。

そうだろうと 思っていたから

出てきた人たちをみて

驚きもしなかった・・。

やはり・・と思った。


もっと 先に 神の意思があったろうし

神はいると思う

概念的なものではないものが・・。


お日様 風  雨  山 海 川 水

宇宙 星  月

それらすべてが みんな 神・・と 言うものなのだろうと 

わたしは思っている。



ほかは 霊界も幽界も人が作り出した 想念の産物

もしかしたら 天界も 人が作り出したものかも知れないね。

だって

宇宙の先には 愛  しかないのだもの

それを感じ取ってしまったら

何もいらないじゃない

だって 自分も 愛に包まれているのだから 

その 愛を 同時にもっている存在だから・・。



人はカルマを果たすためには 

いろんなことに 苦しまなくてはいけない

でも

それが終わったら

愛を確認して  愛の中で生きていけば良いようになる。



神社参りが何故大事かということは

みんなの中の 国津なり天津なりの 血の元を

きれいにしなければいけない 鎮魂しなければいけないと言うことなのだよ。


それが 祓いなのよ

わたしも最後が トヨだった。

ヒミコの後を継いだ トヨ

昔良く見た 一番奥の部屋で いつも隠されて 一人で居た自分は

トヨだったのだろう

エジプトの記憶の 時代も  いつも  カーテンの向こうに 

置かれていた・・・わたし。


それが 根源のわたし


星の時代の自分を まだ思い出せないが

そのころに また 記憶がもどることが出来るのだろうか・・。


昨日 国津の浄化が済んでしまったとたん

わたしの中で 国津として 関わってきた

ソウルメイトとの 終わりを感してしまった。

彼との繋がりもすごかった。

この先どうなるのかわからないが 

わたしの中で 静観するという ピリオドを打ってしまった。

それは なにか 今回の件も連動していたように 思う。


わたしは  もう 次のステージへと 行くのだろう。


何がなにやら わからないと お嘆きのみなさん

これからは そういうことも

語りたいと 思っています。


護衛船 くらま の沈没は

何かを象徴してるのだろうか


鞍馬の神様は 

太陽の毘沙門天  月の十一面観音  地球の護法魔王尊

三つを合わせて 鞍馬山尊天  

ここに 何かが あるのかもしれない

仏教のある意味終わりを告げるものなのか

地球の何かの終わりを 意味するものなのか・・・



今日の ニュースであった

実は 地球に隕石が落ちてきていて  

うまく 逸れてくれたらしいとの

記事を見た・・。

すべてが 象徴であったように 思っています。


このところ皆さんが 眠いとか

戦ってるとか ありましたが

みなさんも 見えない世界で戦ってきていたのではないでしょうか?



くらまの神様が

隕石=宇宙の意識のあらわれ  を

ご自身で引き受け それが現象として 現れたのではないのかと

思っています。

日本は これからどうなるのでしょう・・・

地球は ・・宇宙は これから どうなるのでしょう・・・。


漠然とした 不安の中で

 今日も 一日が 淡々と終わる。

でも 痛みの後には 必ず 光りがあるものですから

いい方向に行く事を 信じています。


明日も 良い一日でありますように

皆さんにとって  愛に満ちた一日でありますように


祈ってややみません・・・。


大祓祝詞

2009-10-27 21:37:22 | 祝詞
「高天原(たかあまはら)に神(かみ)留(つまり)坐(ま)す」

「皇親(すめみおや)神漏岐(かみろぎ)神漏美(かみろみ)の命(みこと)以(もち)て」

「八百万神等(やおよろずのかみたち)を、神集集(かみつどへつどへ)賜(たまひ)

、神議議(かみはかりはかり)賜(たまひ)て

「我(あが)皇御孫命(すめみまのみこと)は、豊葦原(とよあしはら)の水穂国(み

ずほのくに)を、安国(やすくに)と平(たいら)けく知所食(しろしめせ)と事依(

ことよさ)し奉(まつり)き」

「如此(かく)依(よさ)し奉(まつり)し国内(くにうち)に、荒振神等(あらふる

かみたち)をば、神問(かみとはし)に問(とは)し賜(たまひ)、神掃(かみはら)

ひに掃(はら)ひ賜(たまひて)」

「言問(ことどい)し磐根(いわね)樹立(きねたち)、草(くさ)の垣葉(かきは)をも

語止(ことやめ)て」

「天(あめ)の磐座(いわくら)放(はな)ち、天(あめ)の八重雲(やえぐも)を

伊頭(いづ)の千別(ちわき)に千別(ちわき)て、天降(あまくだ)し依(よさ)し

奉(まつ)りき」

「如此(かく)依(よさ)し奉(まつ)りし、四方(よも)の国中(くになか)と、・・

・・・・・・安国(やすくに)と平(たいら)けく所知食(しろしめさ)む国中(くに

なか)に、成出(なりいで)む天(あめ)の益人等(ますひとら)が、」

「大倭日高見(おおやまとひたかあみ)の国(くに)を、安国(やすくに)と

定奉(さだめたてまつり)て、下(した)つ磐根(いわね)に宮柱太敷立(

みやはしらふとしきたて)高天原(たかあまはら)に千木(ちぎ)高知(たかしり)

て皇御孫(すめみま)の命(みこと)の瑞(みづ)の御舎(みあらか)仕奉(つかへま 

つり)て、天(あめ)の御蔭(みかげ)日(ひ)の御蔭(みかげ)と隠(かくりまし)て」

「過犯(あやまちおか)しけむ雑雑罪事(くさぐさのつみごと)は、

天(あま)つ罪(つみ)とは、畔放(あぜはなち)、溝埋(みぞうめ)、

樋放(ひはなち)、頻蒔(しきまき)、串刺(くしさし)、生剥

(いきはぎ)、逆剥(さかはぎ)、屎戸(くそへ)、蠱物(まじもの)

為(せ)る罪(つみ)、許許太久(ここだく)、の罪(つみ)を、

「天(あま)つ罪(つみ)と法別(のりわ)けて、国(くに)つ罪(つみ)

とは、生膚断(いきはだたち)死膚断(しにはだたち)、白人(しろひと)

、胡久見(こくみ)、己(おの)が母犯(ははおか)せる罪(つみ)、

己(おの)が子犯(こおか)せる罪(つみ)、母(はは)と子(こ)と犯(おか)

せる罪(つみ)、子(こ)と母(はは)と犯(おか)せる罪(つみ)、畜(けもの)

犯(おか)せる罪(つみ)、昆虫(はうむし)の災(わざわ)い、高(たか)つ

神(かみ)の災(わざわ)い、高(たか)つ鳥(とり)の災(わざわ)い、畜(け

もの)仆(たお)し、蠱物(まじもの)為(せる)罪(つみ)、許許太久(ここ

だく)の罪出(つみいで)む」

「如此(かく)出(いで)ば、天津宮事(あまつみやごと)以(もち)て、天津金木

(あまつかなぎ)を本打切(もとうちきり)末打断(すえうちたち)て、千座置座

(ちくらのおきくら)に置足(おきたら)はして、天津菅曾(あまつすがそ)を、

本刈断(もとかりたち)末刈切(すえかりきり)て、八針(いやはり)に取辟(とり

さき)て、天津祝詞(あまつのりと)の太祝詞事(ふとのりごと)を宣(の)れ」

「如此(かく)乃良(のら)ば、天津神(あまつかみ)は天磐門(あまのいわと)を

押披(おしひらき)て、天乃八重雲(あめのやえぐも)を伊豆(いず)の千別

(ちわき)千別(ちわき)て所聞食(きこしめさ)む。国津神(くにつかみ)は、

高山之末(たかやまのすえ)短山之末(ひくやまのすえ)に上坐(のぼりまし)て

、高山之伊穂理(たかやまのいほり)短山之伊穂理(ひくやまのいほり)を

掻別(かきわけ)て所聞食(きこしめさ)む。」

「如此[かく]所聞食[きこしめし]ては、罪[つみ]と云[い]う罪[つみ]は

存[あ]らじと」

「科戸之風[しなどのかぜ]の、天乃八重雲[あめのやえぐも]を、吹放事之如[ふ

きはなつことのごと]く、朝之御霧[あしたのみぎり]夕之御霧[ゆうべのみぎり]

を、朝風[あさかぜ]夕風[ゆうかぜ]の吹掃事之事[ふきはらうことのごと]く、

大津邊[おおつべ]に居[お]る大船[おおぶね]を、舳開放[へときはな]ち艫開放

[ともときはなち]ちて、大海原[おおうなばら]に押放事[おしはなつこと]の如

[ごと]く、彼方之繁木本[おちかたのしげきがもと]を、焼鎌[やきがま]の敏鎌以

[とがまもち]て打掃事之如[うちはらうことのごと]く、遺罪[のこるつみ]は

不在[あらじ]と、祓給[はらいたまい]清給事[きよめたまうこと]を、」

「高山之末[たかやまのすえ]短山之末[ひくやまのすえ]より、佐久那太理[さく

なだり]に、落多支都[おちたぎつ]、速川[はやかわ]の瀬坐[せにます]、

瀬織津比賣[せおりつひめ]と云神[いふかみ]、大海原[おおうなばら]に持出

[もちいで]なば、荒塩之塩[あらしほのしほ]の八百道[やほじ]の、八塩道

[やしおじ]塩[しほ]の八百会[やほあひ]に座[ま]す、速開都比賣[はやあきつ

ひめ]と云神[いふかみ]、持可可呑[もちかかのみ]tむ。如此[かく]可可呑

[かかのみ]ては、氣吹戸坐[いぶきどにます]氣吹戸主[いぶきどぬし]と云神

[いふかみ]、根国底之国[ねのくにそこのくに]に、氣吹放[いぶきはなち]てむ。

如此[かく]氣吹放[いぶきはなち]ては、根国底之国[ねのくにそこのくに]に

坐[ます]、速佐須良比賣[はやさすらひめ]と云神[いふかみ]、持佐須良[もち

さすら]ひ失[うしなひ]てむ。如此[かく]失[うしなひ]ては、自今日始[きょう

よりはじめ]て、罪[つみ]と云[い]う罪[つみ]は不在[あらじ]と、祓給[はらい

たま]ひ、清給事[きよめたまうこと]を、諸[もろもろ]聞食[きこしめせ]と宣

[のる]




ご質問がありました。

天津罪とはーーー・・のところが普通の大祓えには載っていませんが

これはどういう意味ですか?ということでしたので


現代訳がありましたので

書き込みますね


一瞬一瞬(いっしゅんいっしゅん)新(あら)たに、神(かみ)さま

の全徳(ぜんとく)の無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)き

を、100パ-セント受(う)け直(なお)していたら、一切(いっさい

)の罪穢(つみけが)れは無(な)いのです。過去(かこ)の古(ふる)

いものを掴(つか)んでいるのが、穢(けが)れです。本心(ほんし

ん)の自分(じぶん)を忘(わす)れ、新(あら)たなる全徳(ぜんとく

)の無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)きを受(う)け直(な

お)すことを忘(わす)れ、番組(ばんぐみ)の中(なか)に落(お)ち

込(こ)み、配役(はいやく)の自分(じぶん)に囚(とら)われた瞬間

(しゅんかん)から、罪穢(つみけが)れが発生(はっせい)している

のです。

 天(あま)つ罪(つみ)とは、根本的(こんぽんてき)な罪(つみ)、

天地(てんち)の経綸(けいりん)・大調和(だいちょうわ)の働(は

たら)きを邪魔(じゃま)する罪(つみ)です。最高番組(さいこうば

んぐみ)を現実化(げんじつか)しようとしないこと、またその現

実化(げんじつか)の邪魔(じゃま)をすること等(とう)です。


 畔放(あぜはなち)とは、田(た)の畔(あぜ)を壊(こわ)して、

水(みず)を出(だ)し、稲(いね)を枯(か)らすように、天照大御神

(あまてらすおおみかみ)の大調和(だいちょうわ)の働(はたら)き

を邪魔(じゃま)し、拒絶(きょぜつ)することです。

 溝埋(みぞうめ)とは、水(みず)の流(なが)れる溝(みぞ)を埋(う

)めるということで、生(い)かし合(あ)い・助(たす)け合(あ)いの

自然循環(しぜんじゅんかん)・自然流通(しぜんりゅうつう)を

ストップさせることです。

 樋放(ひはなち)とは、ダムの水門(すいもん)や水道(すいどう)の

栓(せん)を開(あ)けっ放(ぱな)しにするように、天地(てんち)の

恵(めぐ)みを無駄遣(むだづか)いする・浪費(ろうひ)することです。

 頻蒔(しきまき)とは、他人(たにん)の種蒔(たねま)きした畑(はた

け)へ、種蒔(たねま)きするように、他(た)の領分(りょうぶん)を

侵(おか)すことです。

 串刺(くしさし)とは、串(くし)を突(つ)き刺(さ)すように、他(た)

を傷(きず)つけ、他(た)の働(はたら)きを邪魔(じゃま)することです。

 生剥(いきはぎ)とは、生(い)きているものの皮(かわ)を剥(は)ぐよ

うに、残虐(ざんぎゃく)な行(おこな)いをすることです。

 逆剥(さかはぎ)とは、道理(どうり)を踏(ふ)みにじって、他(た)を

傷(きず)つけることです。

 屎戸(くそへ)とは、宮殿内(きゅうでんない)に大便(だいべん)を

するように、無礼千万(ぶれいせんばん)な乱行(らんぎょう)をする

ことです。

 許許太久(ここだく)とは、このような・幾多(いくた)の、という

意味(いみ)です。


国(くに)つ罪(つみ)とは、この地上(ちじょう)における罪悪(ざいあく

)という意味(いみ)です。


生膚断(いきはだたち)とは、他(た)に危害(きがい)を加(くわ)えるこ

とです。

 死膚断(しにはだたち)とは、忌(い)み嫌(きら)うことをすることです。

 白人(しらひと)とは、色情関係(しきじょうかんけい)で恨(うら)まれ

るようなことをすることです。

 胡久見(こくみ)とは、先祖(せんぞ)や目上(めうえ)に対(たい)し、

恨(うら)まれるようなことをすることです。

 己(おの)が母犯(ははおか)せる罪(つみ)とは、我が儘(わがまま)を押(お)し

通(とお)すことです。

 己(おの)が子犯(こおか)せる罪(つみ)とは、目下(めした)に対(たい)して、

無理強(むりじ)いをすることです。

 母(はは)と子(こ)と犯(おか)せる罪(つみ)とは、無理強(むりじ)いされ、

その言(い)いなりになることです。

 子(こ)と母(はは)と犯(おか)せる罪(つみ)とは、我が儘(わがまま)に負

(ま)けて、その言(い)いなりになることです。

畜(けもの)犯(おか)せる罪(つみ)とは、動物的(どうぶつてき)な生(い)き

方(かた)をすることです。

 昆虫(はうむし)の災(わざわ)いとは、、マイナスを撒(ま)き散(ち)らす

ことです。

 高(たか)つ神(かみ)の災(わざわ)いとは、権威(けんい)を笠(かさ)に着(き)

て、下々(しもじも)をいたぶることです。

 畜(けもの)仆(たお)しとは、無益(むえき)な殺生(せっしょう)をすること

です。

 蠱物(まじもの)為(せ)る罪(つみ)とは、嘘(うそ)をつき、欺(あざむ)き、

騙(だま)し、たぶらかすことです。



との事です。

その辺を 良くかみ締めて

祝詞 奏上すると いいのかもしれませんね