「高天原(たかあまはら)に神(かみ)留(つまり)坐(ま)す」
「皇親(すめみおや)神漏岐(かみろぎ)神漏美(かみろみ)の命(みこと)以(もち)て」
「八百万神等(やおよろずのかみたち)を、神集集(かみつどへつどへ)賜(たまひ)
、神議議(かみはかりはかり)賜(たまひ)て
」
「我(あが)皇御孫命(すめみまのみこと)は、豊葦原(とよあしはら)の水穂国(み
ずほのくに)を、安国(やすくに)と平(たいら)けく知所食(しろしめせ)と事依(
ことよさ)し奉(まつり)き」
「如此(かく)依(よさ)し奉(まつり)し国内(くにうち)に、荒振神等(あらふる
かみたち)をば、神問(かみとはし)に問(とは)し賜(たまひ)、神掃(かみはら)
ひに掃(はら)ひ賜(たまひて)」
「言問(ことどい)し磐根(いわね)樹立(きねたち)、草(くさ)の垣葉(かきは)をも
語止(ことやめ)て」
「天(あめ)の磐座(いわくら)放(はな)ち、天(あめ)の八重雲(やえぐも)を
伊頭(いづ)の千別(ちわき)に千別(ちわき)て、天降(あまくだ)し依(よさ)し
奉(まつ)りき」
「如此(かく)依(よさ)し奉(まつ)りし、四方(よも)の国中(くになか)と、・・
・・・・・・安国(やすくに)と平(たいら)けく所知食(しろしめさ)む国中(くに
なか)に、成出(なりいで)む天(あめ)の益人等(ますひとら)が、」
「大倭日高見(おおやまとひたかあみ)の国(くに)を、安国(やすくに)と
定奉(さだめたてまつり)て、下(した)つ磐根(いわね)に宮柱太敷立(
みやはしらふとしきたて)高天原(たかあまはら)に千木(ちぎ)高知(たかしり)
て皇御孫(すめみま)の命(みこと)の瑞(みづ)の御舎(みあらか)仕奉(つかへま
つり)て、天(あめ)の御蔭(みかげ)日(ひ)の御蔭(みかげ)と隠(かくりまし)て」
「過犯(あやまちおか)しけむ雑雑罪事(くさぐさのつみごと)は、
天(あま)つ罪(つみ)とは、畔放(あぜはなち)、溝埋(みぞうめ)、
樋放(ひはなち)、頻蒔(しきまき)、串刺(くしさし)、生剥
(いきはぎ)、逆剥(さかはぎ)、屎戸(くそへ)、蠱物(まじもの)
為(せ)る罪(つみ)、許許太久(ここだく)、の罪(つみ)を、
「天(あま)つ罪(つみ)と法別(のりわ)けて、国(くに)つ罪(つみ)
とは、生膚断(いきはだたち)死膚断(しにはだたち)、白人(しろひと)
、胡久見(こくみ)、己(おの)が母犯(ははおか)せる罪(つみ)、
己(おの)が子犯(こおか)せる罪(つみ)、母(はは)と子(こ)と犯(おか)
せる罪(つみ)、子(こ)と母(はは)と犯(おか)せる罪(つみ)、畜(けもの)
犯(おか)せる罪(つみ)、昆虫(はうむし)の災(わざわ)い、高(たか)つ
神(かみ)の災(わざわ)い、高(たか)つ鳥(とり)の災(わざわ)い、畜(け
もの)仆(たお)し、蠱物(まじもの)為(せる)罪(つみ)、許許太久(ここ
だく)の罪出(つみいで)む」
「如此(かく)出(いで)ば、天津宮事(あまつみやごと)以(もち)て、天津金木
(あまつかなぎ)を本打切(もとうちきり)末打断(すえうちたち)て、千座置座
(ちくらのおきくら)に置足(おきたら)はして、天津菅曾(あまつすがそ)を、
本刈断(もとかりたち)末刈切(すえかりきり)て、八針(いやはり)に取辟(とり
さき)て、天津祝詞(あまつのりと)の太祝詞事(ふとのりごと)を宣(の)れ」
「如此(かく)乃良(のら)ば、天津神(あまつかみ)は天磐門(あまのいわと)を
押披(おしひらき)て、天乃八重雲(あめのやえぐも)を伊豆(いず)の千別
(ちわき)千別(ちわき)て所聞食(きこしめさ)む。国津神(くにつかみ)は、
高山之末(たかやまのすえ)短山之末(ひくやまのすえ)に上坐(のぼりまし)て
、高山之伊穂理(たかやまのいほり)短山之伊穂理(ひくやまのいほり)を
掻別(かきわけ)て所聞食(きこしめさ)む。」
「如此[かく]所聞食[きこしめし]ては、罪[つみ]と云[い]う罪[つみ]は
存[あ]らじと」
「科戸之風[しなどのかぜ]の、天乃八重雲[あめのやえぐも]を、吹放事之如[ふ
きはなつことのごと]く、朝之御霧[あしたのみぎり]夕之御霧[ゆうべのみぎり]
を、朝風[あさかぜ]夕風[ゆうかぜ]の吹掃事之事[ふきはらうことのごと]く、
大津邊[おおつべ]に居[お]る大船[おおぶね]を、舳開放[へときはな]ち艫開放
[ともときはなち]ちて、大海原[おおうなばら]に押放事[おしはなつこと]の如
[ごと]く、彼方之繁木本[おちかたのしげきがもと]を、焼鎌[やきがま]の敏鎌以
[とがまもち]て打掃事之如[うちはらうことのごと]く、遺罪[のこるつみ]は
不在[あらじ]と、祓給[はらいたまい]清給事[きよめたまうこと]を、」
「高山之末[たかやまのすえ]短山之末[ひくやまのすえ]より、佐久那太理[さく
なだり]に、落多支都[おちたぎつ]、速川[はやかわ]の瀬坐[せにます]、
瀬織津比賣[せおりつひめ]と云神[いふかみ]、大海原[おおうなばら]に持出
[もちいで]なば、荒塩之塩[あらしほのしほ]の八百道[やほじ]の、八塩道
[やしおじ]塩[しほ]の八百会[やほあひ]に座[ま]す、速開都比賣[はやあきつ
ひめ]と云神[いふかみ]、持可可呑[もちかかのみ]tむ。如此[かく]可可呑
[かかのみ]ては、氣吹戸坐[いぶきどにます]氣吹戸主[いぶきどぬし]と云神
[いふかみ]、根国底之国[ねのくにそこのくに]に、氣吹放[いぶきはなち]てむ。
如此[かく]氣吹放[いぶきはなち]ては、根国底之国[ねのくにそこのくに]に
坐[ます]、速佐須良比賣[はやさすらひめ]と云神[いふかみ]、持佐須良[もち
さすら]ひ失[うしなひ]てむ。如此[かく]失[うしなひ]ては、自今日始[きょう
よりはじめ]て、罪[つみ]と云[い]う罪[つみ]は不在[あらじ]と、祓給[はらい
たま]ひ、清給事[きよめたまうこと]を、諸[もろもろ]聞食[きこしめせ]と宣
[のる]
ご質問がありました。
天津罪とはーーー・・のところが普通の大祓えには載っていませんが
これはどういう意味ですか?ということでしたので
現代訳がありましたので
書き込みますね
一瞬一瞬(いっしゅんいっしゅん)新(あら)たに、神(かみ)さま
の全徳(ぜんとく)の無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)き
を、100パ-セント受(う)け直(なお)していたら、一切(いっさい
)の罪穢(つみけが)れは無(な)いのです。過去(かこ)の古(ふる)
いものを掴(つか)んでいるのが、穢(けが)れです。本心(ほんし
ん)の自分(じぶん)を忘(わす)れ、新(あら)たなる全徳(ぜんとく
)の無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)きを受(う)け直(な
お)すことを忘(わす)れ、番組(ばんぐみ)の中(なか)に落(お)ち
込(こ)み、配役(はいやく)の自分(じぶん)に囚(とら)われた瞬間
(しゅんかん)から、罪穢(つみけが)れが発生(はっせい)している
のです。
天(あま)つ罪(つみ)とは、根本的(こんぽんてき)な罪(つみ)、
天地(てんち)の経綸(けいりん)・大調和(だいちょうわ)の働(は
たら)きを邪魔(じゃま)する罪(つみ)です。最高番組(さいこうば
んぐみ)を現実化(げんじつか)しようとしないこと、またその現
実化(げんじつか)の邪魔(じゃま)をすること等(とう)です。
畔放(あぜはなち)とは、田(た)の畔(あぜ)を壊(こわ)して、
水(みず)を出(だ)し、稲(いね)を枯(か)らすように、天照大御神
(あまてらすおおみかみ)の大調和(だいちょうわ)の働(はたら)き
を邪魔(じゃま)し、拒絶(きょぜつ)することです。
溝埋(みぞうめ)とは、水(みず)の流(なが)れる溝(みぞ)を埋(う
)めるということで、生(い)かし合(あ)い・助(たす)け合(あ)いの
自然循環(しぜんじゅんかん)・自然流通(しぜんりゅうつう)を
ストップさせることです。
樋放(ひはなち)とは、ダムの水門(すいもん)や水道(すいどう)の
栓(せん)を開(あ)けっ放(ぱな)しにするように、天地(てんち)の
恵(めぐ)みを無駄遣(むだづか)いする・浪費(ろうひ)することです。
頻蒔(しきまき)とは、他人(たにん)の種蒔(たねま)きした畑(はた
け)へ、種蒔(たねま)きするように、他(た)の領分(りょうぶん)を
侵(おか)すことです。
串刺(くしさし)とは、串(くし)を突(つ)き刺(さ)すように、他(た)
を傷(きず)つけ、他(た)の働(はたら)きを邪魔(じゃま)することです。
生剥(いきはぎ)とは、生(い)きているものの皮(かわ)を剥(は)ぐよ
うに、残虐(ざんぎゃく)な行(おこな)いをすることです。
逆剥(さかはぎ)とは、道理(どうり)を踏(ふ)みにじって、他(た)を
傷(きず)つけることです。
屎戸(くそへ)とは、宮殿内(きゅうでんない)に大便(だいべん)を
するように、無礼千万(ぶれいせんばん)な乱行(らんぎょう)をする
ことです。
許許太久(ここだく)とは、このような・幾多(いくた)の、という
意味(いみ)です。
国(くに)つ罪(つみ)とは、この地上(ちじょう)における罪悪(ざいあく
)という意味(いみ)です。
生膚断(いきはだたち)とは、他(た)に危害(きがい)を加(くわ)えるこ
とです。
死膚断(しにはだたち)とは、忌(い)み嫌(きら)うことをすることです。
白人(しらひと)とは、色情関係(しきじょうかんけい)で恨(うら)まれ
るようなことをすることです。
胡久見(こくみ)とは、先祖(せんぞ)や目上(めうえ)に対(たい)し、
恨(うら)まれるようなことをすることです。
己(おの)が母犯(ははおか)せる罪(つみ)とは、我が儘(わがまま)を押(お)し
通(とお)すことです。
己(おの)が子犯(こおか)せる罪(つみ)とは、目下(めした)に対(たい)して、
無理強(むりじ)いをすることです。
母(はは)と子(こ)と犯(おか)せる罪(つみ)とは、無理強(むりじ)いされ、
その言(い)いなりになることです。
子(こ)と母(はは)と犯(おか)せる罪(つみ)とは、我が儘(わがまま)に負
(ま)けて、その言(い)いなりになることです。
畜(けもの)犯(おか)せる罪(つみ)とは、動物的(どうぶつてき)な生(い)き
方(かた)をすることです。
昆虫(はうむし)の災(わざわ)いとは、、マイナスを撒(ま)き散(ち)らす
ことです。
高(たか)つ神(かみ)の災(わざわ)いとは、権威(けんい)を笠(かさ)に着(き)
て、下々(しもじも)をいたぶることです。
畜(けもの)仆(たお)しとは、無益(むえき)な殺生(せっしょう)をすること
です。
蠱物(まじもの)為(せ)る罪(つみ)とは、嘘(うそ)をつき、欺(あざむ)き、
騙(だま)し、たぶらかすことです。
との事です。
その辺を 良くかみ締めて
祝詞 奏上すると いいのかもしれませんね
「皇親(すめみおや)神漏岐(かみろぎ)神漏美(かみろみ)の命(みこと)以(もち)て」
「八百万神等(やおよろずのかみたち)を、神集集(かみつどへつどへ)賜(たまひ)
、神議議(かみはかりはかり)賜(たまひ)て
」
「我(あが)皇御孫命(すめみまのみこと)は、豊葦原(とよあしはら)の水穂国(み
ずほのくに)を、安国(やすくに)と平(たいら)けく知所食(しろしめせ)と事依(
ことよさ)し奉(まつり)き」
「如此(かく)依(よさ)し奉(まつり)し国内(くにうち)に、荒振神等(あらふる
かみたち)をば、神問(かみとはし)に問(とは)し賜(たまひ)、神掃(かみはら)
ひに掃(はら)ひ賜(たまひて)」
「言問(ことどい)し磐根(いわね)樹立(きねたち)、草(くさ)の垣葉(かきは)をも
語止(ことやめ)て」
「天(あめ)の磐座(いわくら)放(はな)ち、天(あめ)の八重雲(やえぐも)を
伊頭(いづ)の千別(ちわき)に千別(ちわき)て、天降(あまくだ)し依(よさ)し
奉(まつ)りき」
「如此(かく)依(よさ)し奉(まつ)りし、四方(よも)の国中(くになか)と、・・
・・・・・・安国(やすくに)と平(たいら)けく所知食(しろしめさ)む国中(くに
なか)に、成出(なりいで)む天(あめ)の益人等(ますひとら)が、」
「大倭日高見(おおやまとひたかあみ)の国(くに)を、安国(やすくに)と
定奉(さだめたてまつり)て、下(した)つ磐根(いわね)に宮柱太敷立(
みやはしらふとしきたて)高天原(たかあまはら)に千木(ちぎ)高知(たかしり)
て皇御孫(すめみま)の命(みこと)の瑞(みづ)の御舎(みあらか)仕奉(つかへま
つり)て、天(あめ)の御蔭(みかげ)日(ひ)の御蔭(みかげ)と隠(かくりまし)て」
「過犯(あやまちおか)しけむ雑雑罪事(くさぐさのつみごと)は、
天(あま)つ罪(つみ)とは、畔放(あぜはなち)、溝埋(みぞうめ)、
樋放(ひはなち)、頻蒔(しきまき)、串刺(くしさし)、生剥
(いきはぎ)、逆剥(さかはぎ)、屎戸(くそへ)、蠱物(まじもの)
為(せ)る罪(つみ)、許許太久(ここだく)、の罪(つみ)を、
「天(あま)つ罪(つみ)と法別(のりわ)けて、国(くに)つ罪(つみ)
とは、生膚断(いきはだたち)死膚断(しにはだたち)、白人(しろひと)
、胡久見(こくみ)、己(おの)が母犯(ははおか)せる罪(つみ)、
己(おの)が子犯(こおか)せる罪(つみ)、母(はは)と子(こ)と犯(おか)
せる罪(つみ)、子(こ)と母(はは)と犯(おか)せる罪(つみ)、畜(けもの)
犯(おか)せる罪(つみ)、昆虫(はうむし)の災(わざわ)い、高(たか)つ
神(かみ)の災(わざわ)い、高(たか)つ鳥(とり)の災(わざわ)い、畜(け
もの)仆(たお)し、蠱物(まじもの)為(せる)罪(つみ)、許許太久(ここ
だく)の罪出(つみいで)む」
「如此(かく)出(いで)ば、天津宮事(あまつみやごと)以(もち)て、天津金木
(あまつかなぎ)を本打切(もとうちきり)末打断(すえうちたち)て、千座置座
(ちくらのおきくら)に置足(おきたら)はして、天津菅曾(あまつすがそ)を、
本刈断(もとかりたち)末刈切(すえかりきり)て、八針(いやはり)に取辟(とり
さき)て、天津祝詞(あまつのりと)の太祝詞事(ふとのりごと)を宣(の)れ」
「如此(かく)乃良(のら)ば、天津神(あまつかみ)は天磐門(あまのいわと)を
押披(おしひらき)て、天乃八重雲(あめのやえぐも)を伊豆(いず)の千別
(ちわき)千別(ちわき)て所聞食(きこしめさ)む。国津神(くにつかみ)は、
高山之末(たかやまのすえ)短山之末(ひくやまのすえ)に上坐(のぼりまし)て
、高山之伊穂理(たかやまのいほり)短山之伊穂理(ひくやまのいほり)を
掻別(かきわけ)て所聞食(きこしめさ)む。」
「如此[かく]所聞食[きこしめし]ては、罪[つみ]と云[い]う罪[つみ]は
存[あ]らじと」
「科戸之風[しなどのかぜ]の、天乃八重雲[あめのやえぐも]を、吹放事之如[ふ
きはなつことのごと]く、朝之御霧[あしたのみぎり]夕之御霧[ゆうべのみぎり]
を、朝風[あさかぜ]夕風[ゆうかぜ]の吹掃事之事[ふきはらうことのごと]く、
大津邊[おおつべ]に居[お]る大船[おおぶね]を、舳開放[へときはな]ち艫開放
[ともときはなち]ちて、大海原[おおうなばら]に押放事[おしはなつこと]の如
[ごと]く、彼方之繁木本[おちかたのしげきがもと]を、焼鎌[やきがま]の敏鎌以
[とがまもち]て打掃事之如[うちはらうことのごと]く、遺罪[のこるつみ]は
不在[あらじ]と、祓給[はらいたまい]清給事[きよめたまうこと]を、」
「高山之末[たかやまのすえ]短山之末[ひくやまのすえ]より、佐久那太理[さく
なだり]に、落多支都[おちたぎつ]、速川[はやかわ]の瀬坐[せにます]、
瀬織津比賣[せおりつひめ]と云神[いふかみ]、大海原[おおうなばら]に持出
[もちいで]なば、荒塩之塩[あらしほのしほ]の八百道[やほじ]の、八塩道
[やしおじ]塩[しほ]の八百会[やほあひ]に座[ま]す、速開都比賣[はやあきつ
ひめ]と云神[いふかみ]、持可可呑[もちかかのみ]tむ。如此[かく]可可呑
[かかのみ]ては、氣吹戸坐[いぶきどにます]氣吹戸主[いぶきどぬし]と云神
[いふかみ]、根国底之国[ねのくにそこのくに]に、氣吹放[いぶきはなち]てむ。
如此[かく]氣吹放[いぶきはなち]ては、根国底之国[ねのくにそこのくに]に
坐[ます]、速佐須良比賣[はやさすらひめ]と云神[いふかみ]、持佐須良[もち
さすら]ひ失[うしなひ]てむ。如此[かく]失[うしなひ]ては、自今日始[きょう
よりはじめ]て、罪[つみ]と云[い]う罪[つみ]は不在[あらじ]と、祓給[はらい
たま]ひ、清給事[きよめたまうこと]を、諸[もろもろ]聞食[きこしめせ]と宣
[のる]
ご質問がありました。
天津罪とはーーー・・のところが普通の大祓えには載っていませんが
これはどういう意味ですか?ということでしたので
現代訳がありましたので
書き込みますね
一瞬一瞬(いっしゅんいっしゅん)新(あら)たに、神(かみ)さま
の全徳(ぜんとく)の無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)き
を、100パ-セント受(う)け直(なお)していたら、一切(いっさい
)の罪穢(つみけが)れは無(な)いのです。過去(かこ)の古(ふる)
いものを掴(つか)んでいるのが、穢(けが)れです。本心(ほんし
ん)の自分(じぶん)を忘(わす)れ、新(あら)たなる全徳(ぜんとく
)の無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)きを受(う)け直(な
お)すことを忘(わす)れ、番組(ばんぐみ)の中(なか)に落(お)ち
込(こ)み、配役(はいやく)の自分(じぶん)に囚(とら)われた瞬間
(しゅんかん)から、罪穢(つみけが)れが発生(はっせい)している
のです。
天(あま)つ罪(つみ)とは、根本的(こんぽんてき)な罪(つみ)、
天地(てんち)の経綸(けいりん)・大調和(だいちょうわ)の働(は
たら)きを邪魔(じゃま)する罪(つみ)です。最高番組(さいこうば
んぐみ)を現実化(げんじつか)しようとしないこと、またその現
実化(げんじつか)の邪魔(じゃま)をすること等(とう)です。
畔放(あぜはなち)とは、田(た)の畔(あぜ)を壊(こわ)して、
水(みず)を出(だ)し、稲(いね)を枯(か)らすように、天照大御神
(あまてらすおおみかみ)の大調和(だいちょうわ)の働(はたら)き
を邪魔(じゃま)し、拒絶(きょぜつ)することです。
溝埋(みぞうめ)とは、水(みず)の流(なが)れる溝(みぞ)を埋(う
)めるということで、生(い)かし合(あ)い・助(たす)け合(あ)いの
自然循環(しぜんじゅんかん)・自然流通(しぜんりゅうつう)を
ストップさせることです。
樋放(ひはなち)とは、ダムの水門(すいもん)や水道(すいどう)の
栓(せん)を開(あ)けっ放(ぱな)しにするように、天地(てんち)の
恵(めぐ)みを無駄遣(むだづか)いする・浪費(ろうひ)することです。
頻蒔(しきまき)とは、他人(たにん)の種蒔(たねま)きした畑(はた
け)へ、種蒔(たねま)きするように、他(た)の領分(りょうぶん)を
侵(おか)すことです。
串刺(くしさし)とは、串(くし)を突(つ)き刺(さ)すように、他(た)
を傷(きず)つけ、他(た)の働(はたら)きを邪魔(じゃま)することです。
生剥(いきはぎ)とは、生(い)きているものの皮(かわ)を剥(は)ぐよ
うに、残虐(ざんぎゃく)な行(おこな)いをすることです。
逆剥(さかはぎ)とは、道理(どうり)を踏(ふ)みにじって、他(た)を
傷(きず)つけることです。
屎戸(くそへ)とは、宮殿内(きゅうでんない)に大便(だいべん)を
するように、無礼千万(ぶれいせんばん)な乱行(らんぎょう)をする
ことです。
許許太久(ここだく)とは、このような・幾多(いくた)の、という
意味(いみ)です。
国(くに)つ罪(つみ)とは、この地上(ちじょう)における罪悪(ざいあく
)という意味(いみ)です。
生膚断(いきはだたち)とは、他(た)に危害(きがい)を加(くわ)えるこ
とです。
死膚断(しにはだたち)とは、忌(い)み嫌(きら)うことをすることです。
白人(しらひと)とは、色情関係(しきじょうかんけい)で恨(うら)まれ
るようなことをすることです。
胡久見(こくみ)とは、先祖(せんぞ)や目上(めうえ)に対(たい)し、
恨(うら)まれるようなことをすることです。
己(おの)が母犯(ははおか)せる罪(つみ)とは、我が儘(わがまま)を押(お)し
通(とお)すことです。
己(おの)が子犯(こおか)せる罪(つみ)とは、目下(めした)に対(たい)して、
無理強(むりじ)いをすることです。
母(はは)と子(こ)と犯(おか)せる罪(つみ)とは、無理強(むりじ)いされ、
その言(い)いなりになることです。
子(こ)と母(はは)と犯(おか)せる罪(つみ)とは、我が儘(わがまま)に負
(ま)けて、その言(い)いなりになることです。
畜(けもの)犯(おか)せる罪(つみ)とは、動物的(どうぶつてき)な生(い)き
方(かた)をすることです。
昆虫(はうむし)の災(わざわ)いとは、、マイナスを撒(ま)き散(ち)らす
ことです。
高(たか)つ神(かみ)の災(わざわ)いとは、権威(けんい)を笠(かさ)に着(き)
て、下々(しもじも)をいたぶることです。
畜(けもの)仆(たお)しとは、無益(むえき)な殺生(せっしょう)をすること
です。
蠱物(まじもの)為(せ)る罪(つみ)とは、嘘(うそ)をつき、欺(あざむ)き、
騙(だま)し、たぶらかすことです。
との事です。
その辺を 良くかみ締めて
祝詞 奏上すると いいのかもしれませんね