何かがすっきりしたのか
大阪の空が気持ちよく晴れています。
今しがたクリーニング店にいった帰り ふと
よく行く銭湯の裏にある 小さな神社のビジョンが浮かんだ
来いってことかしら?・と思い、行って見た。
いつ行ってもここは 綺麗にお掃除が行き届き
気持が良い・・奉りの仕方に心がこもっている
いいなあ こういうの・・。
私も祈る「真の祈り」
心から いつもありがとうございます・・とつぶやく
想う・・願うのではなく 心のそこから 想う・・。
その存在に・・丸く心で抱きしめてみる・・感謝し包んでみる。
それが想う・・その存在に畏怖と敬意の想いを送る。
気持を一体化させる・・。
ということかもしれないとふと想った。
その後家に戻り なんだか解らないのだけど
お茶を点ててた・・。久しぶりに・・略盆手前ではあるが・・。
昨日、信楽でウサギの可愛い懐紙をかったので
ぱぴこさんからいただいた 栗外郎を乗せて・・自服ではあったが
その季節を感じるお菓子とお茶を愛でながら
ゆっくりと味わっていた・・。
抹茶と煎茶道を長い年月やってきて一応どちらも師範ではあります。
その中で身についたことはなんであったろうと
考えて・・その頃のことを思い出していた。
お茶の世界では 何から何まである決まりごとがある。
でもその決まりごとは 相手に対する想いが基本であった。
例えば 釜のお湯を汲むにも お湯の掬う位置があったり
何故?という疑問には全て「想い」という答えがあった。
理にかなった・・「行動」という 答えがあった。
それが人の想いとあわせて どちらもあわせて
「愛」「想い」「祈り」「感謝」になるのではないかと
思った。それが茶道・・という「道」のつくものの
所以なのでしょう。
それは神社で舞等であらわされるものと
同じなのではないかしら・・と思った。
茶を点てるときは 釜のお湯の表面を湯勺の底でポンと
面全体で湯の表面に落とす。
それは上に浮いてきてる鉄分を釜の下に落とす役目がある。
鉄分の湯の花みたいな浮遊物が茶に混入しないように・・という
配慮だ。入らないほうが茶がおいしくなる。
そして上のほうのお湯を汲み茶を点てる。
一期一会の精神で 渾身の想いをこめて・・。
なぜなら 昔は戦国の世・・武士のたしなみであった茶の湯には
明日どこで敵と会い 戦い命を落とすかも知れない。
その思いが いつも最初で最後という覚悟を生み出し
一期一会の精神を生み出したのだと思う。
また茶の湯の道をただの娯楽にならなかった理由だろう。
一瞬一瞬が ありがとう・・なのだと思う。
もう二度と そのときは帰ってはこないのだから
ありがとう だからこそ
いまを大切に生きねばならないのだとそう思った。
一瞬一瞬の想いを大切にしなければならないと
自戒を込めて思う。
日常生活の中での修行していたころ
そういうことも含めて 自らの戒めや心のあり方を考えていたが
日常が忙しくなっている今日この頃 想いを検証することもなく
過ごしてきていたな・・と 反省。
物事の捉えかたが 表面的になっていないか
受止め方が 慣れて均一化していないか
もう一度 良く確かめて見る必要があると思った。
催眠の世界もどんな世界も 一期一会です。
そのときは二度と帰らない・・ならば心を込めて
一瞬一瞬 大事にその時間をすごしていかなければ・・。
もちろん 教えている昨今・・それも伝えてゆきたいと
思いました。
気持新たに がんばろうッと!!!
知らない間に 長いことお茶を習っていて
身につけたことはあるのだと・・しばらく忘れていた私は
その環境を感謝した。
今度 お引越しするときは 小さくても和室がある部屋を
選ぼうかな・・と思った。
そこで 心を込めて お茶を点てたいと
久しぶりに思った。
それは人という神様に対して 奉納するという想いと等しい。
そうなればいいな・・
皆さんそのときは
遊びに来てね^^ お待ちしております。
大阪の空が気持ちよく晴れています。
今しがたクリーニング店にいった帰り ふと
よく行く銭湯の裏にある 小さな神社のビジョンが浮かんだ
来いってことかしら?・と思い、行って見た。
いつ行ってもここは 綺麗にお掃除が行き届き
気持が良い・・奉りの仕方に心がこもっている
いいなあ こういうの・・。
私も祈る「真の祈り」
心から いつもありがとうございます・・とつぶやく
想う・・願うのではなく 心のそこから 想う・・。
その存在に・・丸く心で抱きしめてみる・・感謝し包んでみる。
それが想う・・その存在に畏怖と敬意の想いを送る。
気持を一体化させる・・。
ということかもしれないとふと想った。
その後家に戻り なんだか解らないのだけど
お茶を点ててた・・。久しぶりに・・略盆手前ではあるが・・。
昨日、信楽でウサギの可愛い懐紙をかったので
ぱぴこさんからいただいた 栗外郎を乗せて・・自服ではあったが
その季節を感じるお菓子とお茶を愛でながら
ゆっくりと味わっていた・・。
抹茶と煎茶道を長い年月やってきて一応どちらも師範ではあります。
その中で身についたことはなんであったろうと
考えて・・その頃のことを思い出していた。
お茶の世界では 何から何まである決まりごとがある。
でもその決まりごとは 相手に対する想いが基本であった。
例えば 釜のお湯を汲むにも お湯の掬う位置があったり
何故?という疑問には全て「想い」という答えがあった。
理にかなった・・「行動」という 答えがあった。
それが人の想いとあわせて どちらもあわせて
「愛」「想い」「祈り」「感謝」になるのではないかと
思った。それが茶道・・という「道」のつくものの
所以なのでしょう。
それは神社で舞等であらわされるものと
同じなのではないかしら・・と思った。
茶を点てるときは 釜のお湯の表面を湯勺の底でポンと
面全体で湯の表面に落とす。
それは上に浮いてきてる鉄分を釜の下に落とす役目がある。
鉄分の湯の花みたいな浮遊物が茶に混入しないように・・という
配慮だ。入らないほうが茶がおいしくなる。
そして上のほうのお湯を汲み茶を点てる。
一期一会の精神で 渾身の想いをこめて・・。
なぜなら 昔は戦国の世・・武士のたしなみであった茶の湯には
明日どこで敵と会い 戦い命を落とすかも知れない。
その思いが いつも最初で最後という覚悟を生み出し
一期一会の精神を生み出したのだと思う。
また茶の湯の道をただの娯楽にならなかった理由だろう。
一瞬一瞬が ありがとう・・なのだと思う。
もう二度と そのときは帰ってはこないのだから
ありがとう だからこそ
いまを大切に生きねばならないのだとそう思った。
一瞬一瞬の想いを大切にしなければならないと
自戒を込めて思う。
日常生活の中での修行していたころ
そういうことも含めて 自らの戒めや心のあり方を考えていたが
日常が忙しくなっている今日この頃 想いを検証することもなく
過ごしてきていたな・・と 反省。
物事の捉えかたが 表面的になっていないか
受止め方が 慣れて均一化していないか
もう一度 良く確かめて見る必要があると思った。
催眠の世界もどんな世界も 一期一会です。
そのときは二度と帰らない・・ならば心を込めて
一瞬一瞬 大事にその時間をすごしていかなければ・・。
もちろん 教えている昨今・・それも伝えてゆきたいと
思いました。
気持新たに がんばろうッと!!!
知らない間に 長いことお茶を習っていて
身につけたことはあるのだと・・しばらく忘れていた私は
その環境を感謝した。
今度 お引越しするときは 小さくても和室がある部屋を
選ぼうかな・・と思った。
そこで 心を込めて お茶を点てたいと
久しぶりに思った。
それは人という神様に対して 奉納するという想いと等しい。
そうなればいいな・・
皆さんそのときは
遊びに来てね^^ お待ちしております。