先日も書いたように、わたしは数年前、かなり思い切って本を処分した。
いま残っているのは、そのとき「これは残しておきたい」と思ったものばかりである。
好きな作家の本や、思い出がからんでいる本、資料として必要な本だ。
でも、今あらためて見てみると、必ずしもとっておく必要のないものもある。
もちろん、余裕があるならとっておきたいけれど、できるだけ身軽になりたい今は、
もっと減らせる。
それとおなじことが、写真についても言える。
アルバムも数年前、ずいぶんばっさりと整理したつもりだった。
なのに、もう一度見直してみると、まだまだ減らせる。
どうせ写真など、本人以外の誰にとってもあまり意味がない。
たとえばわたしが死んだら、遺族は処分に困るだろう。
捨てるに捨てられず、といった感じになるんじゃないかな。
だったら今のうちに、わたしが自分で処分しておこう。
最小限まで減らすのは、自分のためだけでなく、遺族のためでもある。
本にしても写真にしても、どうして一度で処分しきれず、こんなふうに2段階に
なるんだろう。
不思議な気がする。
最初のときは、まだほんとうの意味での覚悟が決まっていなかったんだろうか。
それともモノと決別するときは、段階を踏んだほうがやりやすいというのが
人間の普遍的な心理なんだろうか。
もしかしたら、何年か間を置いてもう一度見直したら、「あのときなんでこんな
ものまでとっておいたんだろう」ということになるかもしれない。
いずれにしても、おもしろい心理だなと思って興味津々だ。
作業が一度ですまず、二度手間になるのはやっかいだけど。
いま残っているのは、そのとき「これは残しておきたい」と思ったものばかりである。
好きな作家の本や、思い出がからんでいる本、資料として必要な本だ。
でも、今あらためて見てみると、必ずしもとっておく必要のないものもある。
もちろん、余裕があるならとっておきたいけれど、できるだけ身軽になりたい今は、
もっと減らせる。
それとおなじことが、写真についても言える。
アルバムも数年前、ずいぶんばっさりと整理したつもりだった。
なのに、もう一度見直してみると、まだまだ減らせる。
どうせ写真など、本人以外の誰にとってもあまり意味がない。
たとえばわたしが死んだら、遺族は処分に困るだろう。
捨てるに捨てられず、といった感じになるんじゃないかな。
だったら今のうちに、わたしが自分で処分しておこう。
最小限まで減らすのは、自分のためだけでなく、遺族のためでもある。
本にしても写真にしても、どうして一度で処分しきれず、こんなふうに2段階に
なるんだろう。
不思議な気がする。
最初のときは、まだほんとうの意味での覚悟が決まっていなかったんだろうか。
それともモノと決別するときは、段階を踏んだほうがやりやすいというのが
人間の普遍的な心理なんだろうか。
もしかしたら、何年か間を置いてもう一度見直したら、「あのときなんでこんな
ものまでとっておいたんだろう」ということになるかもしれない。
いずれにしても、おもしろい心理だなと思って興味津々だ。
作業が一度ですまず、二度手間になるのはやっかいだけど。