あした天気にな~れ!

いまはまだモラハラの暗雲から脱出できないけれど、きっといつかは明るい日がくる。そんな願いをこめて……

何が魅力?(2)

2008-02-27 16:23:43 | モラ発症前
夫にとっては、わたしの何が魅力だったのだろう?

ちやほやされるのが大好きな慢心モラのことだから、わたしが自分の都合より
彼の都合を優先させるのは、さぞ気持ちがよかっただろう。自尊心がくすぐられ、
幼児的万能感を満喫していられただろう。

でも、それだけではなかったような気がする。『モラル・ハラスメント 人を
傷つけずにはいられない』のなかで、マリー=フランス・イルゴイエンヌは
つぎのように書いている(199ページ)。

  相手が持っているもので、加害者が自分のものにしたいと思っているもの
  ――才能であれ、幸福であれ、地位であれ、活力であれ――何かそういった
  ものに向かうからだ……(中略)……モラル・ハラスメントの加害者は相手の
  なかに自分が望んでいるものを見つけると、それを手に入れようとして相手に
  近づく。だが、望みどおりにそれが手に入らないと相手を憎むようになる……。
  憎しみはそういった過程でわきあがってくるのである。この憎しみが加害者の
  心の表面にあらわれると、それは相手を破壊し、消滅させたいという欲望を伴う。

夫になくて、わたしにあるもの――それは、「やる気」だと思う。

水が半分入ったコップを見たとき、わたしは「もう半分しかない」とは言わない。
「まだ半分ある」とも言わない。コップが満杯であってほしいなら、なんとか
どこかから水を汲んできてコップを満たそうとする。むろん、非力なわたしの
ことだから、一滴も増やせないことがほとんどだけれど、それでも一応は努力して
みる。努力というよりむしろ、悪あがきというほうが当たりかもしれないが。
これは、小さいころから親に甘えることが許されず、何でも自力でやろうとしてきた
後遺症だろう。

ぐうたらな夫は、心の奥底で、わたしのそういう生き方がうらやましかったのでは
ないだろうか。以前、『風と共に去りぬ』がテレビで放映されたとき、夫は
「スカーレットって、おまえみたいだな」と感に堪えないように言ったことがある。
(言うまでもなく、わたしがヴィヴィアン・リーみたいな美人だということではない
ので、くれぐれも誤解のないように・爆)スカーレットのあのすさまじい生き方を
わたしのなかに見るなんて、過大評価もいいところだが、うんとミニチュア版でも、
夫にとってはうらやましかったのだろう。でも、指をくわえて見ているだけで
「やる気」が手に入るわけはない。「やる気」を出すには、夫がいちばん苦手と
している「努力」が必要なのだ。

イルゴイエンヌの説によれば、夫は望んでいる「やる気」を手に入れることが
できず、憎たらしくなって、それをつぶしにかかった、ということになる。

夫に直接訊いたわけではないから、この推測が当たっているかどうかはわからない。
仮に訊いたとしても、おそらく深層心理のなかのできごとだから、夫本人も自覚
していないだろう。でも、この推測どおりのことが起きた、と考えるのがいちばん
妥当なような気がする。

デートDV

2008-02-25 23:44:08 | いまのわたしの思い
NHKの『クローズアップ現代』で、今日はデートDVを取り上げていた。
モラル・ハラスメントという言葉は使われていなかったが、大きな音でモノを
たたいて相手を脅したり、相手の行動を束縛・監視したり、相手の心を傷つける
ような言葉を言ったりするのも、きちんと暴力としてとらえられていた。

いま、デートDVが増えているという。
驚いたことに、ある統計によれば、若い女性(20代の女性だったか、高校生
だったか忘れたが)の22パーセントあまりがデートDVの被害を受けているのだ
そうだ。言うまでもなく、被害者は圧倒的に女性が多い。

しかも被害者自身が、被害を受けている自覚がないことが多い。
暴力を振るうのは愛してくれているからだとか、自分が悪かったから相手を
怒らせてしまったのだと思い、自分を責めて、相手との関係を断ち切れない。
そのあたりの精神的構造は、結婚生活におけるモラル・ハラスメントとまったく
おなじだ。

印象的だったのは、ある被害者の母親の行動だ。その母親は、一方的に別れなさい
と言っても娘は納得しないだろうと思い、被害に遭った娘をひたすら温かく包んだ。
毎晩のように娘を抱きしめ、頭をなでなでし、背中をさすってやった。4カ月かかったが、
おかげで娘はようやく相手と別れる決心がついたという。なんてすばらしいお母さん。
ちょっぴりうらやましかった。

救いだったのは、デートDVを授業で取り上げている中学や高校があるということ
だった。愛情に支配・被支配の関係があってはいけない。そのことを、全国津津
浦々のすべての学校で教えてほしい。知識があれば、いざ自分が被害を受けた
ときに、自分は被害者なのだという自覚が持てるからだ。その自覚こそ、精神的・
肉体的DVから逃れるための第一歩だと思う。

何が魅力?(1)

2008-02-25 09:06:05 | モラ発症前
夫と出会ったのは、とあるパーティでのこと。
第一印象は、「軽薄な男!」だった(笑)。

でも、そのときのわたしは失恋の直後だったので(失恋の原因は、自己評価の
低さ。あんなにすてきな人が、わたしのことなど本気で好きになってくれる
はずがない、と相手の心を信じ切れなかったのだ)、痛手から立ち直るまで
適当につき合うにはちょうどいい相手だ、と思ってしまった(そういう不遜な
考えだったから、罰が当たったのかもしれない・苦笑)。

2、3度会っているうちに、愛されて育った人間に特有の、屈託のない明るさの
ようなものが、とても魅力的に思われてきた。わたしにはまったくないものだった
からだ。しかも夫(もちろん、そのときはまだ夫ではなかったけれど、便宜上、
夫と呼ぶことにする)は、ずいぶん甲斐甲斐しく、何くれとなく気を配ってくれた。
グータラのタラ夫からは想像もつかないようなことに思われるが、他人にはマメ
なのだ(あのころのわたしは、夫にとってはまだ他人だった)。

つき合いをつづけるうちには、けんかをしたこともあったし、別れようと思った
ことも何度もあったが、夫はわたしを手放そうとしなかった。こちらを見下したり、
束縛したり、心を傷つけたりという、いかにもモラな言動はなかったから気が
つかなかったけれど、いまにして思えば、あれはいったん手に入れた獲物を
手放さないモラ独特の執拗さだった。

それなのにわたしは、うっかり愛されていると思ってしまった。正直言って、
気持ちがよかった。愛されるって、なんてすてきなことか。だからこちらも相手を
大事にしよう。こうしてわたしは、だんだん自分の都合よりも夫の都合に合わせる
ようになった。別に、自己犠牲などという大げさなものではない。愛するなら、
自分のことより相手のことを優先すべきだ、と単純に思ったのだ。自分のことより
少しだけ多く相手のことを考える、それが思いやりだと信じ込んでいた。

当時のわたしは、まだ自分を育て直している真っ最中だったから、愛されている、
と思うことは、大きな自信になった。こんな取り柄のないわたしでも好きになって
くれる人がいる。劣等感のかたまりのようなわたしを、丸ごと受け入れてくれる
人がいる。わたしだってこの世に存在していいんだ、と心から思えるようになった。

わたしに生きる勇気と自信を与えてくれた重要な人。そう思ったから結婚したのに。
じつは夫は、わたしを愛したことなど一度もなかった。なにしろ自分自身しか愛せない
自己愛性人格障害者なのだから。愛されたと思ったのは、わたしの思い違いでしか
なかった。すべてが錯覚だったと思うと、索漠たる気分になる。ばかばかしくて、
涙も出やしない。むしろ笑いたくなるくらいだ。もちろん、自嘲の笑い。

軽薄な男、という直感を、どうしてもっと大事にしなかったのだろう。わたしは
自分の過去の行動や選択をいつまでもぐずぐずと悔やむ人間ではないけれど、
あの思い違いだけは心から悔やまれる。

まもなく再開いたします

2008-02-22 09:52:31 | お知らせ
このところ、ちょいと更新が滞っておりました。
毎日、少なからぬ数の方々がのぞきに来てくださっているのに、
申し訳ないな~と思っております。

じつは、ここしばらく、精神的エネルギーが非常に低下しておりました。
いえ、別に落ち込んでいたわけではないので、他事ながらどうぞご安心を。
ただ、「よ~し、やるぞ!」という気分になれなかったんです。
冬眠中の熊みたいな状態、というか(笑)。いまいちシャッキリしなくて。

これじゃいかん、というわけで、昨日は友達に会いにいってきました。
先方の駅まで迎えに来てくれることになっていた彼女の車が、途中でパンクして、
立ち往生している現場までテクテクと3、40分歩く、というハプニングも
ありましたが、それもかえってよかったようです。てきぱきと歩いていると、
気持ちがよかった。もしかしたら、精神力が低下していたのは運動不足のせい
だったのかな、なんて。

食事のあと、いつものように割り勘にするつもりだったのに、彼女がおごって
くれると言いました。いったんは固辞したものの、「そうそう、わたし、
もらい上手になることにしたんだっけ」と思いだし(笑)、ありがたく
ごちそうになりました。

彼女から精神的エネルギーをもらったので、今朝はかなりすっきりしています。
とりあえず今日は仕事をしなければならないけれど、近々、このブログの記事も
書けるようになると思います。というわけで、取り急ぎお知らせまで。

わたし(A)と(B)の会話

2008-02-13 12:28:16 | わたしの生い立ち
わたし(A)「ふぅ~、やっと『わたしの生い立ち』が終わったねえ」
わたし(B)「うん、書いててけっこうしんどいこともあったよ、なんたってあまり
  楽しい内容じゃないもんね」
A「それにしても、ずいぶん書いたね」
B「書きも書いたり20回。書きはじめたときは、せいぜい5、6回ですむだろうな
  と思っていたのに。記憶が記憶を呼ぶってのかな、あれもこれもどんどん思い出し
  ちゃって」
A「それじゃ、思いの丈は全部吐き出した?」
B「そうでもないんだ。まだ書いてないこともあるよ。小学校のころ、作文も図画も
  母にけなされたこととかね」
A「そうそう、そういうこともあったっけ」
B「おかげで文章を書いたり絵を描いたりするのが、すっかり苦手になっちゃった」
A「けなされると、萎縮しちゃうよね」
B「このブログを書くことだって、ひと苦労だよ、母のせいで」
A「おいおい、そこまで母を非難していいの?」
B「いいんだよ、いままで自分のせいじゃないことまで自分のせいにして、至らない
  自分をさんざん責めてきたんだから。たまには他人のせいにしなくちゃ」
A「それもそうだね」

と、自分に文章の才能がないのを棚に上げ、母のせいにしてしまうお気楽なわたし
(A)と(B)でありました。会話はまだつづきます。

A「でも、これだけ生い立ちを書いて、かなり気がせいせいしたんじゃないの?」
B「うん、それはある。ブログに書くのって、カウンセラーに話すのとおなじ効果が
  あるのかもしれないね」
A「『Q&Aモラル・ハラスメント』のなかには、モラハラの被害者がブログを
  やると、綴れば綴るほど泥沼にはまりこむケースがあると書いてあるけれど、
  幸い、わたしたちの場合は非常にうまく機能しているね」
B「ほんと、自分だけの日記帳に書いているだけじゃ、こんなにすっきりすることは
  望めないもん。ブログの効果は絶大!」
A「ひとえに、読んでくださる読者のおかげだね」
B「そうだねえ。こんなに重たくて鬱陶しい内容の文章を読んでくださるなんて、
  頭が下がるよ」
A「さ、ふたりでみなさんにお礼を言おう。せーのっ!」
A+B「ありがとうございます!」+