夫にとっては、わたしの何が魅力だったのだろう?
ちやほやされるのが大好きな慢心モラのことだから、わたしが自分の都合より
彼の都合を優先させるのは、さぞ気持ちがよかっただろう。自尊心がくすぐられ、
幼児的万能感を満喫していられただろう。
でも、それだけではなかったような気がする。『モラル・ハラスメント 人を
傷つけずにはいられない』のなかで、マリー=フランス・イルゴイエンヌは
つぎのように書いている(199ページ)。
相手が持っているもので、加害者が自分のものにしたいと思っているもの
――才能であれ、幸福であれ、地位であれ、活力であれ――何かそういった
ものに向かうからだ……(中略)……モラル・ハラスメントの加害者は相手の
なかに自分が望んでいるものを見つけると、それを手に入れようとして相手に
近づく。だが、望みどおりにそれが手に入らないと相手を憎むようになる……。
憎しみはそういった過程でわきあがってくるのである。この憎しみが加害者の
心の表面にあらわれると、それは相手を破壊し、消滅させたいという欲望を伴う。
夫になくて、わたしにあるもの――それは、「やる気」だと思う。
水が半分入ったコップを見たとき、わたしは「もう半分しかない」とは言わない。
「まだ半分ある」とも言わない。コップが満杯であってほしいなら、なんとか
どこかから水を汲んできてコップを満たそうとする。むろん、非力なわたしの
ことだから、一滴も増やせないことがほとんどだけれど、それでも一応は努力して
みる。努力というよりむしろ、悪あがきというほうが当たりかもしれないが。
これは、小さいころから親に甘えることが許されず、何でも自力でやろうとしてきた
後遺症だろう。
ぐうたらな夫は、心の奥底で、わたしのそういう生き方がうらやましかったのでは
ないだろうか。以前、『風と共に去りぬ』がテレビで放映されたとき、夫は
「スカーレットって、おまえみたいだな」と感に堪えないように言ったことがある。
(言うまでもなく、わたしがヴィヴィアン・リーみたいな美人だということではない
ので、くれぐれも誤解のないように・爆)スカーレットのあのすさまじい生き方を
わたしのなかに見るなんて、過大評価もいいところだが、うんとミニチュア版でも、
夫にとってはうらやましかったのだろう。でも、指をくわえて見ているだけで
「やる気」が手に入るわけはない。「やる気」を出すには、夫がいちばん苦手と
している「努力」が必要なのだ。
イルゴイエンヌの説によれば、夫は望んでいる「やる気」を手に入れることが
できず、憎たらしくなって、それをつぶしにかかった、ということになる。
夫に直接訊いたわけではないから、この推測が当たっているかどうかはわからない。
仮に訊いたとしても、おそらく深層心理のなかのできごとだから、夫本人も自覚
していないだろう。でも、この推測どおりのことが起きた、と考えるのがいちばん
妥当なような気がする。
ちやほやされるのが大好きな慢心モラのことだから、わたしが自分の都合より
彼の都合を優先させるのは、さぞ気持ちがよかっただろう。自尊心がくすぐられ、
幼児的万能感を満喫していられただろう。
でも、それだけではなかったような気がする。『モラル・ハラスメント 人を
傷つけずにはいられない』のなかで、マリー=フランス・イルゴイエンヌは
つぎのように書いている(199ページ)。
相手が持っているもので、加害者が自分のものにしたいと思っているもの
――才能であれ、幸福であれ、地位であれ、活力であれ――何かそういった
ものに向かうからだ……(中略)……モラル・ハラスメントの加害者は相手の
なかに自分が望んでいるものを見つけると、それを手に入れようとして相手に
近づく。だが、望みどおりにそれが手に入らないと相手を憎むようになる……。
憎しみはそういった過程でわきあがってくるのである。この憎しみが加害者の
心の表面にあらわれると、それは相手を破壊し、消滅させたいという欲望を伴う。
夫になくて、わたしにあるもの――それは、「やる気」だと思う。
水が半分入ったコップを見たとき、わたしは「もう半分しかない」とは言わない。
「まだ半分ある」とも言わない。コップが満杯であってほしいなら、なんとか
どこかから水を汲んできてコップを満たそうとする。むろん、非力なわたしの
ことだから、一滴も増やせないことがほとんどだけれど、それでも一応は努力して
みる。努力というよりむしろ、悪あがきというほうが当たりかもしれないが。
これは、小さいころから親に甘えることが許されず、何でも自力でやろうとしてきた
後遺症だろう。
ぐうたらな夫は、心の奥底で、わたしのそういう生き方がうらやましかったのでは
ないだろうか。以前、『風と共に去りぬ』がテレビで放映されたとき、夫は
「スカーレットって、おまえみたいだな」と感に堪えないように言ったことがある。
(言うまでもなく、わたしがヴィヴィアン・リーみたいな美人だということではない
ので、くれぐれも誤解のないように・爆)スカーレットのあのすさまじい生き方を
わたしのなかに見るなんて、過大評価もいいところだが、うんとミニチュア版でも、
夫にとってはうらやましかったのだろう。でも、指をくわえて見ているだけで
「やる気」が手に入るわけはない。「やる気」を出すには、夫がいちばん苦手と
している「努力」が必要なのだ。
イルゴイエンヌの説によれば、夫は望んでいる「やる気」を手に入れることが
できず、憎たらしくなって、それをつぶしにかかった、ということになる。
夫に直接訊いたわけではないから、この推測が当たっているかどうかはわからない。
仮に訊いたとしても、おそらく深層心理のなかのできごとだから、夫本人も自覚
していないだろう。でも、この推測どおりのことが起きた、と考えるのがいちばん
妥当なような気がする。