2003年12月11日の朝だった。
妹から電話がかかってきた。
「マイが、熱があるのに病院に行ってないというの。悪いけど、ちょっと
様子を見てきてもらえないかしら」
マイというのは、彼女の娘、つまりわたしの姪だ。
親元を離れ、わたしの家から1時間くらいのところで一人暮らしをしている。
以前から妹は、寝たきりの母親の世話を一手に引き受けてくれている。
わたしは常々、手伝えないことを引け目に感じていたので、こんなとき
こそ少しでも妹の役に立ちたいと思った。だから、仕事の締切の間際で
きついスケジュールだったし、くたくたに疲れていたのだけれど、それを
悟られないよう、「いいわよ」と明るい声で返事をした。そして夫に事情を
説明し、冷たい雨がそぼ降るなかを出かけた。
マイは熱があるだけでなく、全身に発疹ができていた。風疹かもしれない。
周知のとおり、風疹は子供のうちにかかれば比較的軽い症状ですむが、
大人になってからかかると重症になる。悪くすると入院になるかもしれ
ない。だるそうなマイをなんとか説得し、病院に連れていった。午前中の
診療受付に、ぎりぎり間に合った。
評判のいい病院らしく、ずいぶん混んでいて、延々と待たされた。
ようやく順番が来て、マイが診察室に入ったあと、わたしは遅い昼食を
食べに行き、ついでに妹に報告した。病院にもどってみると、マイは
点滴を受けていた。やはり風疹だったが、幸い、入院はしなくてもいい
とのことだった。
点滴が終わるまで付き添い、マイを部屋に連れて帰り、寝かしつけたあと、
わたしは食料を買いにいった。「水分をたくさんとってください」と病院で
言われていたので、スポーツドリンク、お茶、ジュース、牛乳……どれも
重たいものばかりだ。それに、熱があっても食べられるよう、喉越しのいい
もの、栄養のあるもの、さわやかな果物。少なくとも3日間は部屋から
出なくてもいいよう、山ほど買った。ずっしり重い荷物を両手に提げて
マイの部屋に戻ったときは、わたし自身、へとへとになっていた。
もう夕方だった。マイは眠っていた。どうしよう。せめて一晩、付き添って
看病してやりたいのは山々だったが、わたしも疲れていたし、締切が近い
仕事も心配だった。かわいそうだけど帰ることにして、置き手紙を書いて
いると、マイが目を覚ました。
「マイちゃん、ごめん。わたし帰らなくちゃならないの」
彼女は熱で潤んだ目で見上げ、こくんとうなずいた。
後ろ髪を引かれる思いで最寄りの駅に向かう途中、家に電話を入れた。
すると夫は、開口一番、「おれ、夕食はすき焼きがいい」と言った。
「マイの容態はどうだった?」でもなければ、「お疲れさま」でもない。
マイが病気だから看病に行く、ということは話してあったのに。
わたしは料理をする体力が残っていなかったので、どっちみち手間の
かからない鍋物にするつもりだった。でも疲労困憊して食欲がなく、
すき焼きのようなこってりしたものは食べたくなかったので、寄せ鍋に
しようと思っていた。だから「寄せ鍋にしたいんだけど」と言ったのだが、
夫は「おれ、すき焼き」とくり返すばかりで、こちらの言うことには耳を
貸そうともしなかった。わたしは言い争う元気もなく、そのまま電話を
切った。
そして帰りの電車のなかで考えた。「寄せ鍋にしたら、あの人は怒る
だろう。すき焼きにしたら、わたしは食べられず、あの人はひとりで
食べることになり、怒るだろう。どっちにしても怒る。だったら、好きな
ものを食べさせてやろう」
疲れた身体にむち打って、なおも降りしきる雨のなか、すき焼きの材料を
買って帰った。案の定、夫は怒った。「おれがまだ話している最中に、
勝手に電話を切るとは何ごとだ。しかも、すき焼きをひとりで食えと
いうのか。おまえみたいな性悪女は見たことがない。出て行け!」
わたしは自分の部屋に逃げこみ、ベッドに倒れこんだ。こちらの言うことを
聞こうとしなかったのは、あなたのほうでしょ。わたしのことも、マイの
ことも心配せずに、あなたは自分の夕食のことだけ心配していた。身勝手
なのは、どっちよ! そう反論する気力も、わたしには残っていなかった。
この事件で、わたしの「我慢のコップ」は満杯になった。表面張力で
ぷるぷる震え、かろうじてこぼれないだけだった。
妹から電話がかかってきた。
「マイが、熱があるのに病院に行ってないというの。悪いけど、ちょっと
様子を見てきてもらえないかしら」
マイというのは、彼女の娘、つまりわたしの姪だ。
親元を離れ、わたしの家から1時間くらいのところで一人暮らしをしている。
以前から妹は、寝たきりの母親の世話を一手に引き受けてくれている。
わたしは常々、手伝えないことを引け目に感じていたので、こんなとき
こそ少しでも妹の役に立ちたいと思った。だから、仕事の締切の間際で
きついスケジュールだったし、くたくたに疲れていたのだけれど、それを
悟られないよう、「いいわよ」と明るい声で返事をした。そして夫に事情を
説明し、冷たい雨がそぼ降るなかを出かけた。
マイは熱があるだけでなく、全身に発疹ができていた。風疹かもしれない。
周知のとおり、風疹は子供のうちにかかれば比較的軽い症状ですむが、
大人になってからかかると重症になる。悪くすると入院になるかもしれ
ない。だるそうなマイをなんとか説得し、病院に連れていった。午前中の
診療受付に、ぎりぎり間に合った。
評判のいい病院らしく、ずいぶん混んでいて、延々と待たされた。
ようやく順番が来て、マイが診察室に入ったあと、わたしは遅い昼食を
食べに行き、ついでに妹に報告した。病院にもどってみると、マイは
点滴を受けていた。やはり風疹だったが、幸い、入院はしなくてもいい
とのことだった。
点滴が終わるまで付き添い、マイを部屋に連れて帰り、寝かしつけたあと、
わたしは食料を買いにいった。「水分をたくさんとってください」と病院で
言われていたので、スポーツドリンク、お茶、ジュース、牛乳……どれも
重たいものばかりだ。それに、熱があっても食べられるよう、喉越しのいい
もの、栄養のあるもの、さわやかな果物。少なくとも3日間は部屋から
出なくてもいいよう、山ほど買った。ずっしり重い荷物を両手に提げて
マイの部屋に戻ったときは、わたし自身、へとへとになっていた。
もう夕方だった。マイは眠っていた。どうしよう。せめて一晩、付き添って
看病してやりたいのは山々だったが、わたしも疲れていたし、締切が近い
仕事も心配だった。かわいそうだけど帰ることにして、置き手紙を書いて
いると、マイが目を覚ました。
「マイちゃん、ごめん。わたし帰らなくちゃならないの」
彼女は熱で潤んだ目で見上げ、こくんとうなずいた。
後ろ髪を引かれる思いで最寄りの駅に向かう途中、家に電話を入れた。
すると夫は、開口一番、「おれ、夕食はすき焼きがいい」と言った。
「マイの容態はどうだった?」でもなければ、「お疲れさま」でもない。
マイが病気だから看病に行く、ということは話してあったのに。
わたしは料理をする体力が残っていなかったので、どっちみち手間の
かからない鍋物にするつもりだった。でも疲労困憊して食欲がなく、
すき焼きのようなこってりしたものは食べたくなかったので、寄せ鍋に
しようと思っていた。だから「寄せ鍋にしたいんだけど」と言ったのだが、
夫は「おれ、すき焼き」とくり返すばかりで、こちらの言うことには耳を
貸そうともしなかった。わたしは言い争う元気もなく、そのまま電話を
切った。
そして帰りの電車のなかで考えた。「寄せ鍋にしたら、あの人は怒る
だろう。すき焼きにしたら、わたしは食べられず、あの人はひとりで
食べることになり、怒るだろう。どっちにしても怒る。だったら、好きな
ものを食べさせてやろう」
疲れた身体にむち打って、なおも降りしきる雨のなか、すき焼きの材料を
買って帰った。案の定、夫は怒った。「おれがまだ話している最中に、
勝手に電話を切るとは何ごとだ。しかも、すき焼きをひとりで食えと
いうのか。おまえみたいな性悪女は見たことがない。出て行け!」
わたしは自分の部屋に逃げこみ、ベッドに倒れこんだ。こちらの言うことを
聞こうとしなかったのは、あなたのほうでしょ。わたしのことも、マイの
ことも心配せずに、あなたは自分の夕食のことだけ心配していた。身勝手
なのは、どっちよ! そう反論する気力も、わたしには残っていなかった。
この事件で、わたしの「我慢のコップ」は満杯になった。表面張力で
ぷるぷる震え、かろうじてこぼれないだけだった。