母の忘れもの

軽度認知障害になった母の記録

なんでそうなった?

2024-02-22 13:51:27 | 日記
やっと母が入所して

母を家に戻すにしても

執行猶予が出来たことで

私はほっとしていた

入所時持ち込んだスマホも

操作方法が怪しくなった母が

電源を切ってしまったようで

母からの鬼電もないので

静かだった

コロナを無事やり過ごした父とは

電話で業務連絡的にやり取りする程度で

退院時の母の様子も

今後どうするかも

まだゆっくり話をできずにいた

日曜日にコロナの隔離が解けた父だが

月曜日に施設から

理学療法士さんたちが

母が自宅に戻った場合に備えて

危険箇所がないか確認に来たので

一人で対応してもらった

それがいけなかったのか

理学療法士さんたちに

危険な箇所はなさそうだと言われ

「布団の上げ下ろしは?」

と聞かれた父は自分がやりますと言うと

「じゃあ大丈夫ですね」

と言われたので自信をつけたようで

「帰ってきても大丈夫そうだ」と

言うようになった

私としては最低でも3ヶ月だけど

それ以上になることも想定していた

足のことだけなら布団の上げ下ろしや

立ち上がりや段差など

多少のフォローがあれば

問題はないだろう

しかし問題なのは認知症だ

入院前なら出来ていたことも

私が運転できることも忘れて

孫の名前も出なくなって

今自分の置かれてる状況も

なんでそうなったのかも

わからなくなってる母が

自宅に帰ったら変わらず出来ることは

期待できない

父には

「かなり認知症はすすんでる

「家に帰るなら一瞬も1人にはできない」

とずっと言っているのに

父は安易に

「帰りたがってるから」

「かわいそうだから」

となるべく早く自宅に帰したいと言う

そんな時母が

スマホの電源を入れれたようで

父に

「今日退院するから迎えに来て」

と電話をした

そんな父から私に電話があり

「そう言ってるけどそうなのか?」と言う

ビックリだ

そんなに違和感たっぷりの発言を

そのまま信じる人いる?

「そんなわけないじゃん❗ママは認知症なんだから真に受けないで❗」

と言うと

「でもテレビも片付けられて布団もきれいになってるって言ってる」

ときた

「テレビは元々ないだろうし何も持ち込んでないんだからきれいなのは当たり前じゃん❗だいたい退院って言ってるってことは病院だと思ってるんじゃないの?」

元々母が入るはずだったフロアで

コロナが発生したので

入所時はコロナが落ち着いたフロアに

とりあえず入ってもらって

コロナが落ち着いたら

予定していたフロアに移動になるって

言ってたから

もしかしたら館内で引っ越しなのかも

しれないけど

入ったばかりで

施設からじゃなく

母から電話があっただけで

迎えにいかなきゃって思う父って何?

母は認知症で

世の中の常識がわからなくても

理解できるが

(一応)(まだ?)(たぶん?)認知症じゃない

父がこんなにも浮世離れ(いい言い方❗)

してて判断力もないってヤバくない?

一応納得した父だったが

また何を言い出すかわからないので

姉に

「死ぬ前に北海道の墓参りに行きたい」

と言ってた父の願いを叶えるため

母を預かってもらってる間に

行かないかと

提案してみた

北海道へ行くことをとりあえずの

目標にしてもらえば

母を北海道へ行く前に

自宅に帰すことを父が諦めると思った

姉の同意を得て

父に北海道に行こうと言うと

「来月にはママを自宅に戻そうと思ってるから行けない」

と言った

死ぬまでにやりたいことは

北海道への墓参りより

母を自宅に帰すことが上位だとは

予想もつかなかった

「一瞬も一人にできないんだよ?」

「ママが家に帰ってきたらOB会の会議とかどうするの?東京の同窓会とかもう行けないよ?」

と畳み掛けると

「同窓会はいいけど会議は休めないしどうしようかなぁ?」

とは言うものの答えも出てないのに

「でも一回は家に帰してやらないかんだろ」

「施設に放り込んだまんまには出来んだろ」

と良くわからない理論

「そんなに急がなくてもいいじゃない?」

と言っても納得できない顔をしている

なんの問題も解決してないのに

馬鹿の一つ覚えのように

「とにかく家に帰す」

の一点張り

もう自分の意思で

規則正しい生活ができなくなった母が

施設でリハビリしてもらって

朝昼晩のごはんを食べさせてもらって

薬も欠かさず飲ませてもらって

歯磨きや排泄の声掛けをしてもらって

具合悪ければ施設長が医師なので

診てもらえて

月一で歯科医の受診もしてもらえて

母にとってもいいことづくしで

私にとっても

母の病院の付き添いもなくなって

デイサービスの対応や薬の管理も

なくなり

何より母が徘徊してないか

迷子になってないか

常に気にしなくて良くなったことが

本当に楽になったのに

父は

病院の付き添いもついていくだけで

薬の声かけを頼んでもまともにやらず

母が薬を飲めてないことを指摘すると

「忙しくてできない」と言う

朝は自分だけ食べて

母に朝食を食べさせないとと言う

意識もない

夜ごはんは二人分

用意するようにはなったが

お風呂や洗濯は自分のついで程度に

やってただけで

母を気遣い寄り添った介護を

していたわけではないから

今の状態の母の介助を

甘く見ているのだろう

ただ一緒にいるだけでいいと思ってる

母が入院した時から

排泄の心配が出てくるかもとか

一瞬でも目を離したら

また転んで骨折もあるし

火事を出すかもしれないとか

大袈裟かもしれないけど

自宅で介護するのは難しくなると

言い続けてきたのに

まさか問題だらけの状態を無視して

「すぐに自宅に帰したい」と

言い出すとは思わなかった

故郷の墓参りより

ただ放置するために家に戻して

自分が身動き取れなくなる方を

選ぶなんて

いや

考えが甘い父の事だ

平気で母を置いて出掛けるかもしれない

やはり母の安全のために

すべての問題がクリアになるまで

反対し続けよう






なんだかんだでやっと退院と入所

2024-02-19 13:37:08 | 日記
退院、入所は2月5日ということで

準備が進んでたが

2月3日に施設から電話があり

施設でコロナが発生してしまい

延期して欲しいとの事だった

コロナが落ち着くまでなので

何日までと約束は出来ないが

一週間くらいは延びると思う

とのことだった

父に知らせると

「ママは退院できると思ってるぞ」

だの

「支払いはどうなるんだ」

だの

思わぬ形でごねられた

父は今まで自分の事しか

してこなかったので

母の入院費を払うだけでもあたふたする

5日までの概算を病院に聞き出して

前もって母の口座から

お金を下ろしてあった

その予定が狂っただけで大騒ぎだ

それを私に言ってもどうにもならないのに

なんでそんなセリフが出てくるかなぁ?

だいたい

「ママは退院できると思ってるぞ」

って言ったってできないものは仕方ないし

母は今日が何日で退院が何日かも

覚えていられないのに

母は退院できると思ってるかなぁ?

父は早く退院したい母のために

「5日に退院する」とメモを渡していたが

その後母から何度か

「いつ退院できるの⁉️」と

私に電話してきていた

父が渡したメモを探せと言ったが

「そんなのない」と言っていた

その後たぶんそのメモを見つけたのだろう

「5日に退院するけど着替えにパンツが入ってなかったから持ってきて

と父にも私にも姉にまで電話していた

病院ではずっとオムツだったのに

退院時はパンツなのかなぁ?と

不安だったが父が7枚くらい
(そんなに必要か?)

持っていったようだ

退院が延期になり

次の退院日が決まるまでは

母も静かだったが

13日に施設から連絡があり

病院側もこれ以上退院は延ばせない

との事で

15日に退院することが決まった

13日に父が母の面会に行ったが

本人は何の症状も感じていなかったが

発熱していたため

面会を断られたらしい

ひたすら熱があるだけで元気だと

父はアピールしていたが

「次の日も熱があったら体調に関わらず病院に行ってね」と

念をおした

父は昔発熱して体も痛かったのに

病院には行かず

私は絶対インフルエンザだと思ったのに

「インフルエンザではない❗」

と言い張って

うちの子供達と普通に話をして

まんまと子供達が次の日

インフルエンザの診断がおりたことがある

父に任せてたら病院にも行かず

母の退院についてくる可能性は大だから

何度も念をおした

そして次の日

「コロナだった」

と父から電話があった

相変わらず

「熱だけだから体調は悪くない
熱ももうほとんど下がってる」と

大丈夫アピールをしていたが

母の退院は一人で行くと言うと

「わかった、よろしく」

と返事が来た

その夜母から電話が何度もあった

すべて同じ内容だった

「あんた車運転できるの?」と

さんざん私の運転で出掛けていた

約30年は母の中から消えてしまったのか

父が免許返納したことも忘れてしまった

それだけ認知症は進んでしまった

私と姉が結婚したことは

理解しているようだが

私がどこに住んでいるかも

忘れたようだった

そばに住まないと結婚させないって

母が駄々をこねたから

仕方なく近くに家を建てたのに

認知症だからとは思っても

恨み言のひとつも出てくる

退院出来ると喜んでいた母だが

「家には帰らないよ」

と言うと「なんで⁉️」と怒っていた

でもすぐ忘れてまたうれしそうに

「やっと帰れる」と言う

退院の話をしていた看護師さんも

「施設に行くことは何度言っても理解できないようで…」

と言いにくそうにこそっと教えてくれた

病院から施設はとても近くて

車で10分ほどの距離だ

すぐ到着するとまた母はごねた

しかしすぐ忘れる

抵抗する力もないので

思っていたよりすんなりと

施設へはいっていった

施設への持ち込みは最小限で

貴重品はもちろん

大量に持っていったパンツも
(結局退院時もオムツだった)

病院で使っていたであろう

使い捨てのビニールエプロンも

すべて持ち帰らされた

施設で着るものもすべてレンタルで

母はスマホと充電器だけ持って

施設にはいっていった

帰ってきて病院から持ち帰ったものを

整理しようとカバンを見ると

悪臭を放つお菓子の入った袋と

なぜかトイレットペーパーを

畳んだものが

大量に出てきた

少し会っただけでも

私は母の異変がわかるのに

なんで父はわからないんだろう?

施設はコロナが発生した関係で

今月中は面会禁止になった

来月になれば月2回の面会は

出来る様だが

さらに認知症が進んでいるだろう

3ヶ月を目処に自宅へ戻ることが目標で

リハビリを進めてもらうが

やっぱりもう自宅では

無理じゃないかなぁと

改めて思っている

父がそれに気づいてくれるといいけど

こっちも難しいかもなぁ





退院への道

2024-01-26 15:24:53 | 日記
母も入院生活に慣れてきたのか

少し落ち着いたように見える

病院の方針で面会は家族のみで

週一の15分間だけと言うことで

一週目、二週目は父だけで面会に行ったが

先週と今週は父と二人で行ってきた

先週から退院に向けての話も始まった

先週はまだ点滴をしていた母だが

やっとごはんも食べるようになったようで

今週会った時は点滴も取れていた

最初の2週間はせん妄状態だったのも

あったようで

方々に電話を掛けまくり

泣き喚き

祖父母が生きているかのような発言や

自宅の場所もわからなくなっているような

話しぶりだったので

これが続くのかと思っていたが

今週会った時には

祖父母が亡くなった事も

自宅の住所も分かっていたので

ホッとした

顔を見せる度に泣いている母は

崖から落ちたことになっているが(本人談)

病院に居なければいけないことは

受け入れたようだ

そんな中

病院の退院調整看護師さんと

退院後の行き先についての面談があった

家に帰りたがっている母を

なにも考えず「家に帰してやりたい」

と言う父

入院後あまり会えてなくて

現状がどうなのかもはっきりしないけど

少なくても今足は不自由になっている

病院でベッド生活だから

車椅子に乗るなり歩行器を使うなりして

トイレに行けるらしいがそれも

看護師さんが付き添ってくれるから

行けているだけ

先週は間に合わなかったことも

多かったようだ

そんな母を連れて帰って

入院前と同じように

自分は仕事に行き

布団生活が出来ると思っているのか?

母を自宅に帰すには

ベッド生活に切り換えなければいけない

自力でトイレやお風呂に入れなければ

いけない

母は床に座ったら自力では

立ち上がれないと思う

そんな母を一瞬でも1人には出来ないけど

それでも家に帰したいなら

それなりの準備がいるから

退院してすぐ自宅は無理だと思う

と、父には話したが

ちゃんと理解できてはいないだろう

とりあえず

足の機能をある程度訓練してから

自宅の準備をすることにしては?

と父に話してやっと納得したので

退院調整看護師さんには

リハビリの病院へ転院したい旨を伝えた

すると

リハビリをしっかりやってくれる病院
(3ヶ月)

リハビリもしてくれるが

とりあえず預かってくれる病院
(2ヶ月)

リハビリと介護をしてくれる

自宅復帰を目指す介護施設
(期限は特に説明がなかったが調べによると3~6ヶ月)

の3択が提示された

母は足の機能訓練も去ることながら

認知症のケアが重要になってくるので

介護施設をお願いした

父もそれでいいと言うので

病院側で手配して貰えることになった

来週施設に父と面談に行く運びとなったが

施設が現実味を帯びてくると

気がついてしまった

病院はすべてレンタルだったので

服や下着や日用品を

準備する必要がなかった

自分の物が全くない状態が

不安だったのかもと

先週母がお気に入りのベストや

靴下やお菓子とミカンを差し入れたが

施設はちゃんと準備しなければいけない

全国的に雪がすごかった日

本当は施設の面談の予定だったが

雪のため延期になり

私は仕事も休んでいたので

ちょうどいいから実家に行き

施設入りの準備をした

実家に行くと

きちんと片付いているように見えるが

実はゴミ、と言うものが

手付かずでそのままになっている

母がいない間に片付けようとは

思わないんだな

私としては骨折した母は

二度と履くことはない

高いヒールの靴を

ついでに片付けようと思っていた

大きな下駄箱の4段あるうちの3段に

母のご自慢の靴たちが並んでいる

中には認知症がすすんで

かかとの高い靴に不安を覚えた頃に

虚栄心を満たすためだけに買って

一度も履かなかった靴もある

一足2~3万円ほどしてる靴を

20足ほど捨てた

普通サイズなら私や姉が貰うか

売ることだって出来たかもしれないが

21.5センチの靴は誰も履けない

容赦なく靴を捨てる私を見て父が

「勝手に捨てたらママが怒るぞ」

と言った

「ペッタンコの靴でけつまずいて骨折した人がこんな高いヒールの靴履けるわけないじゃん
怒るもなにも帰ってこれないかも知れないしね」

と言うと

「帰ってくる気でいるぞ」

と父

なんか違和感がある

父の中では母の認知症は

認識されていないのか?

認知症でなければ骨折しても

歩けるようになりさえすれば

帰れるとは思う

でも母は認知症だ

だからデイサービスのお休みも理解できず

自分で行こうとして転んで骨折した

たくさん同じものを買って腐らせて

たくさん捨てて

その金額が毎月10万円越えてたことも

認知症だからなのに

父は

「もともとおっちょこちょいだから」

でおさめてしまう

入院したばかりの時に

母がおかしな事ばかり言ってたことも

「あいつの実家はみんなおかしいから」

と母の実家をディスる

父はもう7年はたつのに

母の認知症を受け入れたくないのか

本気で母の性格のせいだと思っているのか

理解に苦しむ

「デイサービスの休みを理解できずに歩いて転んで骨折したってことはもう一時も目を離しちゃいけない状況だったってことだよ?」

と父に言うと

それでも納得できないように顔をしかめた

私は起きた出来事に対処してるだけで

認知症になったのも骨折したのも

母の身から出たさびだし

そんな母を綺麗事だけ並べて

なにもしない父のせいでもあるのに

いつも私ばかり責められる状況って

本当に割が合わない




急転直下

2024-01-11 12:33:16 | 日記
その後

母は週6でデイサービスに行き

家事はほぼ父がやるようになった

私は薬の管理と病院の付き添い

デイサービス対応などしたが

うまく回り始めたと感じていた

母の認知症はすすんで

父に敵対心が強かった少し前は

絶対父と一緒に居たくないからと

別々に過ごしていたのに

いつからか

実家に行くとリビングに二人で

居るようになった

父も心なしか嬉しそうだった

曜日感覚もなくなった母は

毎日デイサービスのお迎えを

待つようになった

最近は時間も曖昧になってきて

お迎えの時間にはまだ早いのに

「お迎えが来ない」

と私に電話してくることもあった

そして心配していた

デイサービスの正月休み

12月29日~1月3日までのお休みだが

早速12月29日に

母から「デイサービスのお迎えが来ない」

と電話があった

目につくカレンダーにも書いておいたのに

やっぱり見てない

「今日から1月3日までお休みだよ」

と言うと

「じゃあいくら待っても来ないね」

と笑って電話を切った

とはいえ家に一人でいる時間は

こまめにGPSを確認しなくては

デイサービスに行ってる時は

安心できたのに

お休みだとこういう気持ちの負担がかかる

認識の甘い父にはこういう気持ち

理解できないだろうな

でも私も甘かったかも

毎日確認の電話がくるだろうと

半分うんざりした気持ちで思ってた

1月30日午前11時くらいに電話が鳴った

母からだけどデイサービスの確認にしては

時間が遅い

電話に出ると

「私転んじゃって立てなくなったからちょっと来てくれない?」

落ち着いた感じで言うから

「迎えに行けばいいか」くらいに

思ってた

「近くにいた人が助けてくれて今救急車をよんでくれてて…」

え⁉️救急車?

大掃除中だったけどそのままにして

家にいた末っ子に留守番を頼んで

旦那と一緒に母のところへ走った

駆けつけると警察もいた

助けてくれた人が

「たぶん骨折してると思う」

と言うので母の左大腿骨付近に

触ってみると

ひどい痛がり様なので

私が車で運ぼうと思ったけど

これは無理だと思って改めて

救急車を要請した

年末で病院もお休みに入ったところで

受け入れてくれる病院を探してもらい

家から車で20分ほどの病院に搬送された

仕事が終わって家に戻ったタイミングの

父に電話をして

保険証と薬を持って

病院に来るように言った

搬送された病院で検査をしてもらうと

やはり骨折していた

でも医師もお休みに入ってて

1月4日以降にたぶん手術することになる

と言われた

「それまで折れっぱなしですか?」

と聞くと

「そうなりますね」と言われた

一週間も動けずオムツ生活なら

間違いなくこのまま寝たきりだよね?

それでなくても認知症で

転んで大腿骨骨折して寝たきりなんて

よく聞く話

寝たきりになることも

認知症がすすむことも

受け入れなければいけない現実だと思った

まさに急転直下な展開

ちなみに母は

デイサービスのお迎えが来ないので

歩いて向かおうとしたらしい

翌日大晦日にも関わらず

急遽先生が来てくれて

手術をしてくれることになった

詳しく説明を受けると

大腿骨はポッキリ折れているわけではなく

転んだ拍子に筋肉に引っ張られた部分が

剥離してしまって

そこを起点に内側にヒビが入ってる

状態なのでボルトで固定して

支える力を強化することで

離床を早くできるのを目的とする手術との

ことだった

手術は2時間ほどで終わり

本人は驚くほど落ち着いてた

「大丈夫?」と声をかけると

「うん、ありがとね」

と昔の母に戻った様だった

すると次の日から

全て忘れた母から

パニック状態で電話がかかってきた

ある時は私と父にどこかの施設に

入れられたと思い込んで文句を言ったり

ある時はここから1時間ほどかかる

自分の実家があった場所の病院に

転院したいと言ったり

30年以上前に亡くなった祖父や祖母は

自分がこんなところに居るのを

知ってるのか?と聞いてみたり

どういう記憶になっているのか

こちらが混乱するような電話が続く

これで一気に認知症が

進んでいるんだろうと

私は複雑な気持ちでいるが

正月明けから2回面会に行った父は

電話ではおかしなことを言うけど

会いに行くと落ち着いているし

元気だから退院も早いのではないかと

ずいぶん楽観的だ

母は術後食事も水分もとらないので

点滴するようになった

電話の度に食事をしないと

点滴はとれないし

リハビリして歩けるようにならないと

退院もできないよと言っているが

全く聞く耳を持たない

認知症もすすんで歩けない

そんな人のどこを見て

退院できると思うんだろう?

例えば退院できても

今までのようには生活できないはずだけど

父はどうやって

介護していくつもりなんだろう?

私はむしろ病院にいてくれた方が

安心なのだが

ただまわりに迷惑をかけてないかだけが

心配



Kさんの息子さんと会った

2023-10-17 12:01:20 | 日記
Kさんの旦那さん(以下おじさん)

がいる施設に

面会(という名目の見学)に行った次の週

息子さんがご実家に帰省するから

会いませんかと言ってくれたので

父と母も連れて

Kさんのおうちにお邪魔しに行った

Kさんのおうちに着くまで

母は何度も

「おじさんのところに行くの?」(違う)

「退院したの?」(おじさんはいない)

「Kちゃんは元気だよね?」(んなわけない)

と聞いてきた

()はその度に父と私が言ったこと

かなり混乱しているようだった

Kさんのおうちに着くと

久しぶりにKさんの御仏壇に

手を合わせた

御仏壇の前に座ったとたん

母は涙を流した

なのにその後リビングで

息子さんと話しているときに

「Kちゃんは生きているよね?」

と言い出す

Kさんの息子さんも

おじさんに良く似てきて

母の中で息子さんがおじさんに

見えて

おじさんに話しているような発言が

度々あった

まだKさんが生きていて

そこのおじいさんも生きていた時間に

母はタイムスリップしたようだ

息子さんからおじさんの話を

いろいろ聞いた

施設入所までの1年ほどは

かなり大変だったようだ

排泄の失敗も去ることながら

足腰が丈夫なので

自転車で高速入り口まで侵入して

警察から連絡が入ったり

デイサービスに行ってる間に

空き巣に入られたようだが

認知症のおじさんは気づけず

デイサービスの送迎の人から

息子さんに連絡が入り

週末に息子さんが帰省して確認して

警察に通報するまで

ガラスは割れたままだったらしい

そしてなにより

おじさんは食事に困っていたらしい

毎日デイサービスに行き

昼ごはんはデイサービスで

食べさせてもらい

帰りに夜ごはん用に

お弁当を持たせてもらうのだが

デイサービスがお休みだと

前日に2日分のお弁当を渡されて

それを一晩で食べてしまうので

次の日の分がない

もう自炊も出来ず

買いに行くという発想もない

家の中の食べられるものを探し

塩をなめてやり過ごすこともあったようだ

ある時はお米がわからなくなり

ざらめを炊飯器に入れて炊いたことも

あったらしい

それを聞いておじさんは

施設に入って本当に良かったと思った

一人でお腹をすかせて

不安だったと思う

今施設で穏やかに暮らせている事

改めて良かったと思う

帰るとき

御仏壇に手を合わせた母は

また泣いていた