大宮駅南改札を出て左に曲がる。
西口を出てそごうさんに向かいながらアルシェさんを見る。
そごうさんの玄関前を通過して歩行者デッキを西へ向かう。
大宮駅を振り返る。
そごうさんを通過して左を見る。
地上の交差点を直進して振り返る。
西に進み、突き当たりで右を見る。振り返る。左の階段を下りる。
歩行者デッキがなくなった道を西に進んで振り返る。
信号交差点を直進する。振り返る。
西に進み、道路向かい側の武蔵野銀行本店ビル(旧)を見る。
お知らせ看板をアップする。
国道17号の桜木町四丁目信号交差点を直進して筋向かいを見る。
振り返る。私は西へ向かう。
武蔵野銀行さんの入口で上を見る。
西に進んで振り返る。
さいたま市立桜木小学校沿いを進み、バス停新国道で振り返る。
押ボタン信号を通過し、ここで振り返る。
交差点を直進し、鴻沼川の下流を見る。
西に進んで振り返る。
バス停切引川を通過し、信号交差点を直進する。
ここで振り返る。
右を見て左を見る。
信号交差点を直進し、大宮上小町郵便局を通過する。
バス停桜木四丁目で振り返る。
三差路を直進して右を見る。振り返る。
大宮銃砲さんの手前で右を見る。
信号交差点を直進しながら右を見る。
西に進み、バス停上小町を通過して振り返る。
大宮駅からこのように歩いてきた。
西口を出てそごうさんに向かいながらアルシェさんを見る。
そごうさんの玄関前を通過して歩行者デッキを西へ向かう。
大宮駅を振り返る。
そごうさんを通過して左を見る。
地上の交差点を直進して振り返る。
西に進み、突き当たりで右を見る。振り返る。左の階段を下りる。
歩行者デッキがなくなった道を西に進んで振り返る。
信号交差点を直進する。振り返る。
西に進み、道路向かい側の武蔵野銀行本店ビル(旧)を見る。
お知らせ看板をアップする。
国道17号の桜木町四丁目信号交差点を直進して筋向かいを見る。
振り返る。私は西へ向かう。
武蔵野銀行さんの入口で上を見る。
西に進んで振り返る。
さいたま市立桜木小学校沿いを進み、バス停新国道で振り返る。
押ボタン信号を通過し、ここで振り返る。
交差点を直進し、鴻沼川の下流を見る。
西に進んで振り返る。
バス停切引川を通過し、信号交差点を直進する。
ここで振り返る。
右を見て左を見る。
信号交差点を直進し、大宮上小町郵便局を通過する。
バス停桜木四丁目で振り返る。
三差路を直進して右を見る。振り返る。
大宮銃砲さんの手前で右を見る。
信号交差点を直進しながら右を見る。
西に進み、バス停上小町を通過して振り返る。
大宮駅からこのように歩いてきた。
再開発前の雑然とした武州・大宮駅西口のランドマークとして、今は亡き埼玉県商工会館(大宮商工会館)さんと並び、西口のランドマーク的存在だったぶぎんこと武蔵野銀行本店さんの建物が、改築のため既存建物の撤去工事の画像をみて、一抹の寂しさが感じられます。
1960年代に入ってから当時の大宮市は、埼玉県下随一の商工都市としての面目を保つべく、次々と耐火建築の建物が出来てゆくにつれ、東口は大きく様変わりしたのに対し、西口は将来の再開発に備え周辺のビル化は進んでたのに対し、中心部は古ぼけた建物ばかりであり、雑然としたイメージだったのを、今でも私の記憶にしっかり残ってます。
その古い記憶が未だ残る私であるがゆえ、ぶぎんさんの建て替えは残念だけど、桜木町交差点の東南東に位置する埼玉りそな銀行さんの建物は、しっかりと記録に残したいものです。
以上をもちまして、失礼します。
上記の記事のコメントにて、ハンドルネームを忘れてましたので、補足させていただきます。
昭和30~40年代の大宮は西口も東口も勢いがあったような気がします。
武蔵野銀行さんもそうした勢いにのって本店を現在地に移転したように思います。
旧中山道の東口ではなく、新中山道の西口に拠点を移したのは当時の経営陣に先見の明があったからだと私は顧客の一人として評価しています。