2018年02月18日ブログで私は浦和区常盤6丁目の国道17号を歩きながらNHKさいたま放送局を見た。

NHKさいたま放送局は平成13年さいたま市誕生に伴い、NHK浦和放送局が名称変更となったものである。
平成4年浦和市発行『わがまち浦和 地域別案内(改訂版)』によればNHK浦和放送局は、
昭和19年 仲町に浦和出張所として開所
昭和23年 浦和支局と改称
昭和26年 常盤4丁目に移転
昭和26年 浦和放送局と改称
昭和41年 常盤6丁目(現在地)に放送会館を完成
という沿革である。
NHKさいたま放送局の開局60周年記念誌(平成16年発行 非売品)に浦和出張所建屋の写真が載っている。
NHKの看板が見当たらず、どの建物が浦和出張所なのかわからないのだが、一応正面の建物がそれと考え、この建物はどこにあったのかを検討してみたいと思う。
浦和出張所とあるから場所は仲町だと思う。
昭和30年頃の浦和銀座商店街の写真を見る。旧中山道で大宮方面を見ている。
同じ頃、ほぼ同じ場所を右寄りから撮ったと思われる写真を見る。
左奥の建物は浦和出張所建屋と似ていると思う。
昭和28年の写真のこの建物(赤矢印)は浦和出張所建屋と似ていると思う。
赤枠の部分は昭和30年頃のこの部分で浦和出張所建屋のこの部分ではないかと思う。
隣接する建物(赤矢印)は他の2枚には見えない。それは他の2枚の撮影時期が少し古いからではないかと思う。隣接する建物は新しそうに見える。
昭和28年の写真で浦和出張所建屋と思われる建物の手前に日本相互銀行と思われる看板が見える。
その後方には三井という看板も見える。
昭和30年の浦和銀座の写真に三井生命と思われる看板が見える。この写真は北から南を見ている。
奥に日本という看板が見える。
北から南を見て「三井生命」「日本」の看板を、南から北に見ると「日本相互銀行」「三井」と見えるのだと思う。銀行変遷史データベースで日本相互銀行の後継銀行を追っていくと現在は三井住友銀行になっている。
昭和30年の写真に森永ドライミルクの看板が見える。
昭和33年の浦和銀座の写真に森永ドライミルクと思われる看板が見える。これは木村薬局さんの看板だと思われる。
そうだとすれば、NHK浦和出張所建屋は木村薬局さんより北にあったということになる。
ヤフー地図の木村ビルさんを2017年9月のストリートビューで見る。ファミリーマートさんがある。
2011年11月の写真を見るとファミリーマートさんのところに木村薬局さんがあった。
浦和出張所建屋の写真のこの看板(赤枠)は昭和30年頃の写真のここ(赤枠)だと思う。
この矢印看板は浦劇(浦和劇場)への道案内のようである。
上映中映画のポスター(黄枠)はこれだと思う。
ウィキペディアジャンケン娘によれば、この映画は昭和30年11月1日に公開された。
ポスター横の立て看板には歳末福引付大商品市とあるから浦和出張所建屋の写真は昭和30年12月に撮影されたものではないかと思う。
NHK浦和出張所は昭和19年仲町に開所したが、昭和26年には常盤4丁目に移転した。この写真が昭和30年12月に撮影されたとすれば、ここにはもうNHKはない。NHKの看板が見えないのはそういうことだと思う。
浦和劇場があった場所は平成21年さいたま市立博物館発行『街にキネマがあったころ』所載の昭和7年最新浦和案内全図に表示されている。
ヤフー地図でそのあたりを見る。
昭和7年地図に赤で示した道は現在のこの道だと思う。
浦和劇場の場所は現在浦和センチュリーシティになっている。
昭和36年の空中写真を見る。
先ほど地図に赤で示した道はこの道だと思う。
『街にキネマがあったころ』によれば浦和劇場の閉館は昭和44年頃である。
私は黄丸で示したところが浦和劇場だと思う。そしてNHK浦和出張所建屋は黄矢印のところにあったのではないかと思う。
ちなみに、NHKさいたま放送局の開局60周年記念誌には大宮営業所開設のことも記述されており、当時の大宮営業所の写真が掲載されている。これについては2015年03月01日ブログで触れた。

NHKさいたま放送局は平成13年さいたま市誕生に伴い、NHK浦和放送局が名称変更となったものである。
平成4年浦和市発行『わがまち浦和 地域別案内(改訂版)』によればNHK浦和放送局は、
昭和19年 仲町に浦和出張所として開所
昭和23年 浦和支局と改称
昭和26年 常盤4丁目に移転
昭和26年 浦和放送局と改称
昭和41年 常盤6丁目(現在地)に放送会館を完成
という沿革である。
NHKさいたま放送局の開局60周年記念誌(平成16年発行 非売品)に浦和出張所建屋の写真が載っている。
NHKの看板が見当たらず、どの建物が浦和出張所なのかわからないのだが、一応正面の建物がそれと考え、この建物はどこにあったのかを検討してみたいと思う。
浦和出張所とあるから場所は仲町だと思う。
昭和30年頃の浦和銀座商店街の写真を見る。旧中山道で大宮方面を見ている。
同じ頃、ほぼ同じ場所を右寄りから撮ったと思われる写真を見る。
左奥の建物は浦和出張所建屋と似ていると思う。
昭和28年の写真のこの建物(赤矢印)は浦和出張所建屋と似ていると思う。
赤枠の部分は昭和30年頃のこの部分で浦和出張所建屋のこの部分ではないかと思う。
隣接する建物(赤矢印)は他の2枚には見えない。それは他の2枚の撮影時期が少し古いからではないかと思う。隣接する建物は新しそうに見える。
昭和28年の写真で浦和出張所建屋と思われる建物の手前に日本相互銀行と思われる看板が見える。
その後方には三井という看板も見える。
昭和30年の浦和銀座の写真に三井生命と思われる看板が見える。この写真は北から南を見ている。
奥に日本という看板が見える。
北から南を見て「三井生命」「日本」の看板を、南から北に見ると「日本相互銀行」「三井」と見えるのだと思う。銀行変遷史データベースで日本相互銀行の後継銀行を追っていくと現在は三井住友銀行になっている。
昭和30年の写真に森永ドライミルクの看板が見える。
昭和33年の浦和銀座の写真に森永ドライミルクと思われる看板が見える。これは木村薬局さんの看板だと思われる。
そうだとすれば、NHK浦和出張所建屋は木村薬局さんより北にあったということになる。
ヤフー地図の木村ビルさんを2017年9月のストリートビューで見る。ファミリーマートさんがある。
2011年11月の写真を見るとファミリーマートさんのところに木村薬局さんがあった。
浦和出張所建屋の写真のこの看板(赤枠)は昭和30年頃の写真のここ(赤枠)だと思う。
この矢印看板は浦劇(浦和劇場)への道案内のようである。
上映中映画のポスター(黄枠)はこれだと思う。
ウィキペディアジャンケン娘によれば、この映画は昭和30年11月1日に公開された。
ポスター横の立て看板には歳末福引付大商品市とあるから浦和出張所建屋の写真は昭和30年12月に撮影されたものではないかと思う。
NHK浦和出張所は昭和19年仲町に開所したが、昭和26年には常盤4丁目に移転した。この写真が昭和30年12月に撮影されたとすれば、ここにはもうNHKはない。NHKの看板が見えないのはそういうことだと思う。
浦和劇場があった場所は平成21年さいたま市立博物館発行『街にキネマがあったころ』所載の昭和7年最新浦和案内全図に表示されている。
ヤフー地図でそのあたりを見る。
昭和7年地図に赤で示した道は現在のこの道だと思う。
浦和劇場の場所は現在浦和センチュリーシティになっている。
昭和36年の空中写真を見る。
先ほど地図に赤で示した道はこの道だと思う。
『街にキネマがあったころ』によれば浦和劇場の閉館は昭和44年頃である。
私は黄丸で示したところが浦和劇場だと思う。そしてNHK浦和出張所建屋は黄矢印のところにあったのではないかと思う。
ちなみに、NHKさいたま放送局の開局60周年記念誌には大宮営業所開設のことも記述されており、当時の大宮営業所の写真が掲載されている。これについては2015年03月01日ブログで触れた。
私は実際に浦和劇場を覚えている者ですが、当時を知らない人がよくここまで調べたと感心しました。
頭の中を整理しながら、もう何回か写真を見ることにします。
私にはもったいないお言葉ですが、励みになります。
ありがとうございました。
祖父母がおばなやという呉服屋を営んでおりましたが、場所の考察は全て書かれている通りです。素晴らしいです。
NHKさんには、店の2階を貸していたと父から聞いていました。
店は昭和40年前後にたたみ、一家は文蔵に移り住んでおります。取り上げてくださってありがとうございました。
コメントいただきありがとうございます。
おばなやさんの近親者の方のお目にとまるとは奇遇です。
私の推定が的外れでなかったみたいでほっとしました。