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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

北区吉野町の吉野原工業団地が出来た頃

2018年03月11日 | 日記
3月2日ブログはニューシャトル吉野原駅からこのように歩いた。駅からしばらくは吉野原工業団地を歩いた。

大宮市年表には昭和37年11月吉野原工業団地が完成とある。

大宮市閉市式記念誌『大宮記念帖』所載の吉野原工業団地造成完了の写真を見る。
この写真は現在のどのあたりが写っているのだろうか。当然、新幹線・ニューシャトルはまだない。
昭和54年10月の空中写真を見る。新幹線・ニューシャトルは建設工事中である。
吉野原駅付近を拡大して見る。
昭和54年の黄で示した道は工業団地造成完了当時のこの道(黄)だと思う。
現在の姿をヤフー地図の空中写真で見る
冒頭の写真は赤矢印の方向を見ている。

2009年発行『目で見る大宮の100年』の吉野原工業団地を見る。
キャプションには県内最初の工業団地となり、昭和35~38年度にかけて造成されたとある。
この写真のタンクが写っている工場はどこだろう。
工業団地造成完了当時のここ(黄丸)がその場所のように見える。
その場所は現在の地図にカシュー大宮工場と表示されている。
カシュー株式会社ウェブサイトの会社案内、工場・事業所・営業所を拝見すると、本社・大宮工場は “ さいたま市北区吉野町工業団地に位置し、昭和36年(1961年)10月より稼動しており ” と案内されている。

この写真はタンクの文字が逆さまである。
左右を反転させる
このあたりをグーグルアースで見る
黄矢印の建物はこの建物(黄矢印)で、大正製薬大宮工場だと思う。
工業団地造成完了当時の写真では空地である。
大正製薬ウェブサイト企業情報の大正製薬についての沿革を拝見すると、1963年(昭和38年)1月 大宮工場を建設とある
なお、3月2日ブログで横浜まで92Kmポストを通過する際、鷲のマークを見た。

平成12年大宮市発行『市制施行60周年記念大宮市勢要覧(概要版)』は吉野原工業団地が出来た頃の時代をこのように要約している。
昭和39年(1964)東京オリンピックの時は大宮駅東口前にオリンピック歓迎塔が設置された。
夜にはライトアップされたようである。大正製薬株式会社の文字が入っていた。
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大正製薬さん。 (みやのこ)
2018-03-12 21:42:51
こんばんは。
「リポビタンD」など、様々な大衆医薬品を製造してる大正製薬さんですが、中興の祖である上原正吉翁(1897~1983)は、出身地が県下の北葛飾郡杉戸町であり、さらにオイゴさんは「彩の国」ブランドを広める事により、埼玉県のイメージアップを推進した前埼玉県知事の土屋義彦翁(1926~2008. 茨城県出身だが、のち春日部市に居住)と、埼玉県つながり故に「へー、成る程」と思ったものの、それはさておきJR駅の自販機でも販売されてるリポビタンDは、武州・大宮で生産されてるのを知ってから、埼玉県の匂いがしてる故に嬉しくなった記憶は今でも覚えてます。

それでは、失礼します。
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リポビタンD (咲いた万歩)
2018-03-12 22:58:01
こんばんは。
栄養ドリンクはいろいろありますが、リポビタンDはよく目にします。
大宮で生産しているとは知りませんでした。愛着を感じますね。
高崎方面から新幹線で帰る時、大正製薬さんを通過すると降りる準備をしたものです。
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