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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

大戸不動尊の庚申塔と大戸一丁目バス停

2019年06月24日 | 日記
2019年05月31日ブログはこのような道筋を綴った。
大戸中通りを南へ向かい右手の大戸不動尊を見た。

境内に入ると正面に大戸不動堂がある。
平成2年与野市発行『明治末期の与野町大戸』に掲載の写真説明文によれば昭和37年改築されたものである。その後も補修されて現在に至っているようである。
南側の塀際には石仏が並んでいる。
平成10年与野市教育委員会発行『みち紀行-与野の道をたずねて-』の<大戸仲通り>のページには “ 大戸3丁目の大戸不動堂は、オシドリのつがいを射た猟師が供養のため建立した寺との伝承を残す円能寺(明治4年廃寺)の石仏や周辺から移ってきた庚申塔が多くある ” と解説されている。
『明治末期の与野町大戸』には “ 村の中央部に円能寺と呼ばれる古い寺あったと云い伝えられているが、明治四年に廃寺になったそうであり、今日では、その跡は明らかではない ” と解説されている。

境内の東南を見る。
南側の東(左)から5基目の石仏を見る。寛文十三年銘の庚申塔案内板。2013年2月の写真
さいたま市ホームページ(文化財紹介)寛文十三年銘の庚申塔
左端から4基の庚申塔は台座に年月日と移転前の住所が刻まれていることから円能寺にあったものではなく、周辺から移ってきたものと思われる。
左から4基目の庚申塔の2013年2月写真。平成元年(1989)12月16日、大戸1丁目192番地より移転されたものである。

私はこの庚申塔が移転される前の昭和63年(1988)10月、この庚申塔を写真に撮った
場所は大戸一丁目バス停にあった。
2013年2月、大戸一丁目バス停を見た。
2012年4月ストリートビューでバス停をアップする。国際興業バス「浦14」系統だと思う。
2014年4月と2015年5月ストリートビューでバス停を見る。
2016年8月ストリートビューを見るとバス停がない。
国際興業バスホームページの2016年3月のお知らせによると平成28年(2016)4月1日に「浦14」は廃止された。ルート図を見る。

平成4年浦和市発行『わがまち浦和 地域別案内(改訂版)』に掲載の市内バス路線図を見る。
大戸付近を見る。
平成10年発行『みち紀行-与野の道をたずねて-』の<大戸仲通り>のページには “ この道は、現在、大戸バス通りとも呼ばれている。バスの運行路線では、中里郵政宿舎角から別所沼会館前を経由し、浦和駅へ達している ” と解説されている。
平成2年の地図に中里郵政宿舎角から別所沼会館前までを赤で示すとこのようになると思う。
大戸不動尊境内に移転された庚申塔があった大戸一丁目バス停を緑枠で示す。
拡大して示す。
現在の地図に大戸一丁目バス停があった三差路を緑丸で示す。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (なお)
2020-11-20 19:47:17
大戸1丁目バス停近くに子ども時代から住んでいます。あの場所にあった庚申様にいつも手を合わせていました。今はどこへ行ってしまったんだろう…と。
もう一度、あの庚申様を見たいと思っています。
返信する
文化財 (咲いた万歩)
2020-11-20 21:40:17
こんばんは。
バス停の横にあった時は、手入れが良かったのかきれいな石像でしたが、現在の場所は雨ざらしになっている所為か傷みが進んでいるような気がします。
昔から住民の心と共にあった文化財ですから大切にしたいと思います。
返信する

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