現在の地図(ヤフー)で南浦和駅の東を北から南へ流れる藤右衛門川を青で示す。
明治13年の地図でその辺りを見る。藤右衛門川は波線で描かれていると思う。藤右衛門川と思われる波線を青で示す。
現在の地図に南浦和駅の南を東から西へ流れる見沼代用水西縁・辻用水(六辻水辺公園)を青で示す。
明治13年の地図に見沼代用水西縁を青で示す。
大正13年の地図に藤右衛門川と見沼代用水西縁を青で示す。
明治13年地図には「大谷場村」と表示されたところの北から南の小谷場村まで蛇行する波線が描かれている。
その波線を薄青で示す。これは川か水路だと思う。
大正13年の地図には描かれていない。
大正13年地図にその川を描くと概ねこのようになると思う。
この川は現在のどこを流れていたのだろうか。
現在の地図と大正の地図に目安線を引いた。
目安線を引いた現在の地図に川を描いた。
その川を(目安線のない)もとの地図に描いた。
明治13年の地図に描かれたその川は見沼代用水西縁に突き当たって終わる。見沼代用水西縁に合流したのかも知れない。
現在の赤丸の交差点を拡大して赤丸で示す。ここには水門がある。
ウィキペディア辻用水によれば、ここは見沼代用水西縁の元西福寺前分水口で見沼代用水西縁の終点である。
そこから西に延びる水路は辻用水、南に延びるのは新曾用水とある。地図に表示する。
見沼代用水西縁の東から西(終点)を見た2012年5月の写真。

交差点から北を見た2019年6月ストリートビュー。道路の左に生活排水路らしきものが見える。
新曾用水はそこから文蔵方面へ流れていく。
新編武蔵風土記稿の文蔵村を見る。「三沼代用水を大谷場村より引けど・・・」と記述されている。
三沼代用水は見沼代用水のことだと思うが、見沼代用水は大谷場村を流れていないと思う。
明治13年の地図に描かれた川と関係があるかも知れない。
明治13年の地図でその辺りを見る。藤右衛門川は波線で描かれていると思う。藤右衛門川と思われる波線を青で示す。
現在の地図に南浦和駅の南を東から西へ流れる見沼代用水西縁・辻用水(六辻水辺公園)を青で示す。
明治13年の地図に見沼代用水西縁を青で示す。
大正13年の地図に藤右衛門川と見沼代用水西縁を青で示す。
明治13年地図には「大谷場村」と表示されたところの北から南の小谷場村まで蛇行する波線が描かれている。
その波線を薄青で示す。これは川か水路だと思う。
大正13年の地図には描かれていない。
大正13年地図にその川を描くと概ねこのようになると思う。
この川は現在のどこを流れていたのだろうか。
現在の地図と大正の地図に目安線を引いた。
目安線を引いた現在の地図に川を描いた。
その川を(目安線のない)もとの地図に描いた。
明治13年の地図に描かれたその川は見沼代用水西縁に突き当たって終わる。見沼代用水西縁に合流したのかも知れない。
現在の赤丸の交差点を拡大して赤丸で示す。ここには水門がある。
ウィキペディア辻用水によれば、ここは見沼代用水西縁の元西福寺前分水口で見沼代用水西縁の終点である。
そこから西に延びる水路は辻用水、南に延びるのは新曾用水とある。地図に表示する。
見沼代用水西縁の東から西(終点)を見た2012年5月の写真。

交差点から北を見た2019年6月ストリートビュー。道路の左に生活排水路らしきものが見える。
新曾用水はそこから文蔵方面へ流れていく。
新編武蔵風土記稿の文蔵村を見る。「三沼代用水を大谷場村より引けど・・・」と記述されている。
三沼代用水は見沼代用水のことだと思うが、見沼代用水は大谷場村を流れていないと思う。
明治13年の地図に描かれた川と関係があるかも知れない。
妻は現役なので昼間は一人です
コロナの影響で自宅待機してます
ブログ拝見してます
仕事リタイアした還暦過ぎの親父はそのまま私のことでもあります。
新型コロナは恐ろしいウイルスと言われています。
お互いに気を付けましょう。
久しぶりに貴ブログを拝見しました、ご無沙汰してもう訳ありません。川の流れの貴重な考察ありがとうございます。現地を歩くと川が流れていた痕跡を見ることができます。特に南浦和近辺の駐輪場に顕著です。
とても参考になりました。
私も南浦和駅東口の駐輪場はいかにも水路の跡らしいと思って見ていました。
新型コロナに感染しないよう用心しましょう。