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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

平成27年大宮駅西口第三地区風景 6

2025年07月08日 | 日記
平成27年(2015)12月、大宮ソニックシティの西を北へ向かい、埼玉県道121号大宮停車場大成線の信号交差点2020年12月ヤフー地図Aで示したところから東へ向かった。振り返った。

未舗装道路を東に進み、フェンス門扉のところで左を見た。カメラを右に振った。建設中ビルをアップした。
東に進み、ネットフェンス塀が終わったところの小さな三差路で左を見た。振り返った。
突き当たりのB三差路右を見た。2024年10月の写真。
直進し、箭弓稲荷神社さんの境内に入って振り返った。

参拝した。
神社を出て北へ向かった。2024年10月の写真。
左の駐車場に一旦入って東を見た
駐車場を北に進んで建設中ビルを見た。実を付けた柿の木アップした。
もとの道を北に進んで左を見た。2015年6月の写真。

道を進んで左を見た。振り返った。一旦右折し、駐車場の奥で左を見た。振り返った。縦位置写真で見た。2015年6月の写真。
北に進み、Cで示し十字路を左折するのだが一旦直進して振り返った。縦位置で右に振った。
Cの十字路を西へ向かい、左手の工事現場出入口を通過して仮囲い掲示事業計画のお知らせ標識を見た。(仮称)アクシーズグランデ大宮桜木町新築工事で地上12階の共同住宅。
西へ向かい、Dで示し三差路を右折するのだが、一旦直進して突き当たりで右前方を見た。左後方を見た。半回転した。

DからEに進んで振り返った。
少し西に進んで左を見た(南)。縦位置写真で見た。西を見た。私は東へ向かった。
Fで示し十字路を直進して右後方を見た。

2019年1月の写真。地上12階のアクシーズタワー大宮桜木町さんを見た。
2024年5月ストリートビューを見る。アクシーズタワー大宮桜木町さんは見えない。2022年11月ストリートビューにも見えない。2020年7月ストリートビューではこのような姿になっている。
東に進み、Gで示し十字路を直進して振り返った。
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中浦和駅改札内で見た風景 (5)

2025年07月07日 | 日記
2017年(平成29年)1月、JR埼京線中浦和駅ホームに降りて東を見た。駅名標をアップした。県庁方面。

建設中ビルをアップした。2016年12月に見た建設中ザ・パークハウス浦和タワーさんかも知れない。
テレビ埼玉さんとNTT常盤ビルさんの鉄塔をアップした。
2017年2月撮影のテレビ埼玉さんの鉄塔と2020年1月撮影のNTT常盤ビルさんの鉄塔。
テレビ埼玉さんの北にNTT常盤ビルさんがあるのにテレビ埼玉さん鉄塔の右にNTT常盤ビルさん鉄塔が見えるのはおかしいと思った。
マピオン地図にテレビ埼玉さんを赤丸で、NTT常盤ビルさんを青丸で示す。それぞれ中浦和駅と白線で結んだ。
さらに北方、国道17号沿い緑丸で示したところの東京電力さんの鉄塔をアップした。2016年12月の写真


2017年(平成29年)2月、中浦和駅ホームに降り、赤羽へ向かって右前方を見た(西浦和駅方面)。アップした。左に振っ黄枠のところをアップした。エトワール中浦和さんは中浦和駅の真南にある。2017年1月エトワール中浦和さん。埼京線車内から見た写真。半回転して改札口へ向かった。


2017年(平成29年)4月、中浦和駅で降車してホームから西を見た。駅名標をアップした。奥に見える満開の桜アップした。
この日私は中浦和駅を出て鴻沼川右岸を歩きながらホームから見えた満開の桜を対岸見た
田島方面を歩いて中浦和駅に帰ってきた。
改札口を通過して右を見た。

右の階段でホームに上がって振り返った。
2番線ホームに進んで赤羽方面を見た。大宮方面を見た。

2017年(平成29年)6月、中浦和駅に入ってホームに上がり、2番線側の駅名標アップした。埼京線と立体交差する武蔵野貨物線の線路が見える。
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大宮駅東口氷川緑道西通線の変貌(1)

2025年07月06日 | 日記
さいたま市サイトから氷川緑道西通線の案内図を見る。
マピオン地図に南区間(整備済)を赤で、北区間(整備中)を青で示すとこのようになると思う。

平成22年(2010)3月、現在の大宮区役所信号交差点のところで西側ブロック塀の脇に設置されたレトロ看板を見た

大宮駅前中央通りのメガネのオガワさん提供によると思われる。
2024年11月メガネのオガワ地下店入口を見た。2011年9月大門地下道でメガネのオガワさん看板を見た。
2021年3月ストリートビューで大宮区役所信号交差点を東から西へ見る。2014年4月ストリートビューで同方向を見る。黄枠のところにこの看板が写っている。

平成22年(2010)6月、当時の大宮区役所前で北を見た。

目の前に郵便ポストが写っている。2012年3月ストリートビューでそのポストの位置を見る。
2025年6月の写真を見ると郵便ポストは写っていない。後方にも写っていない。
赤丸で示したところに建っていた木造2階建て家屋を見た。2017年11月の写真。

平成22年(2010)7月、Aで示したところから北へ向かいながら大宮教会さんと後方のタワーマンションを見た。
三差路を直進し、大宮教会さんを通過して振り返った。

この頃タワーマンションはまだ完成しておらず、新聞折り込みチラシ宣伝がされていた。チラシの地図に氷川緑道西通線を赤と青で示すとこのようになると思う。ここに大宮教会さんが見える。
北に進み、Bで示したところで右手倉屋敷稲荷神社さんの由緒を見た。
境内のヒオウギ水仙を見た。

氷川緑道西通線を進み、右手大宮区役所(旧庁舎)を通過した

平成22年(2010)10月、氷川緑道西通線と一の宮通りの交差点東南角のHAIR MAKE Ashさんを見た。

平成22年(2010)11月、氷川緑道西通線と大宮中央通りの交差点で南から北を見た。
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平成28年浦和駅西口南高砂地区風景(前)

2025年07月05日 | 日記
平成28年(2016)8月、再開発工事前のマピオン地図Aで示したところを浦和駅へ向かった。右を見た。

県庁通りを駅方面に進み、信号交差点アップした。
その交差点で右前方(南側)の店舗を見た。南に延びる商店街(あさひ通り)を見た。高所を見た。

平成28年(2016)9月、Bで示した交差点を西から東へ直進しながら左を見た
次の交差点右を見た。振り返った。
直進してすぐ東を見た。振り返った。カメラを右に振った。

黄矢印のところに寄ってあさひ通り標示板を見た。

平成28年(2016)11月、浦和駅西口から地下道に入り、西に進んで県庁方面の階段を上がりながらあさひ通り標示板をアップした。
南に進み、県庁通りを横断して振り返った。
Cで示した交差点を南に進んで振り返った。

あさひ通りを南へ向かい、三差路左を見た
直進し、左手の並ぶ飲食店を通過して高梨医院さんを見た。あさひ通りを振り返った。
ところで高梨医院さんのホームページにはこのような案内がある。2024年5月私は移転先の高梨医院さんを見た
左手の小松屋さんを通過し、右手の小料理 勇さんを見た。あさひ通りを振り返った。

Dで示し三差路縦位置写真で見た。
三差路で左を見た
直進し、ここでを見た
南に進み、右手の三井のリパーク浦和駅前第3駐輪場に一旦入って振り返った。

あさひ通りを進んで振り返った
南へ向かい、Eで示しところ右を見た。振り返った。
信号交差点を直進しながら左を見た
直進して振り返った。

Fで示した歩道橋の下で北西を見た。
歩道橋の階段を上がりながら北西を見た。西を見た
階段を上がって左折した
突き当たって左に振った。
階段を降りて右折した。直進方面を見た。振り返った。
Gで示し交差点で左を見た。振り返った。

直進し、駅方面に進みながら振り返った。
突き当たりを一旦右折しアトレさんを見た。
西へ向かい、中華料理来来軒さんを通過した。
Hで示し三差路(ここ)で左を見た。

右手の交番を通過して右を見た。振り返った。
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昭和の国鉄大宮工場全景写真

2025年07月04日 | 日記
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの「駅」「大宮鉄道工場」から旧大宮市域 昭和36年 国鉄大宮工場全景を見る。
昭和32年頃大宮鳥瞰図を見ると国鉄大宮工場が描かれている。
平成19年さいたま市立博物館発行『鉄道の街さいたま』に掲載の昭和32年頃の写真を見る。
平成17年発行『大宮駅120年のあゆみ』所載の昭和34年大宮操車場の奥に国鉄大宮工場が写っている。
国土地理院サイトの(地図・空中写真閲覧サービス)から昭和21年(1946)の空中写真と昭和36年(1961)の空中写真を見る。
昭和21年空中写真に黄で囲んだ建物と昭和36年空中写真に黄で囲んだ建物は同じだと思う。
昭和50年(1975)の空中写真を見る。黄丸で示した建物と昭和36年空中写真に黄丸で示した建物は同じだと思う。
その建物は先ほどの昭和32年頃の写真に写っていると思う。
その建物はギャラリーの写真黄丸で示した辺りに建設されたと思う。
『鉄道の街さいたま』昭和32年頃写真には建設中の大栄橋が写っており黄で示す
ウィキペディア大栄橋には “ 1959年(昭和34年)7月1日に橋梁は竣工したが、東詰のビルの立ち退きが遅れたため、歩行者と自転車だけに開放された。2年後の1961年(昭和36年)8月30日に全面開通した ” と記述されている。
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの写真タイトルは「旧大宮市域 昭和36年 国鉄大宮工場全景」とあるのだが、昭和36年の撮影なら大栄橋が写っているはずである。ギャラリーの写真に黄線で示したところは大栄橋の工事中だと思う。アーカイブズセンターギャラリーの写真は昭和36年より過去に撮影されたと思う。
2019年2月の大栄橋。

前出『大宮駅120年のあゆみ』所載の昭和34年工事中の陸橋・大栄橋の写真を見る。写真左方向に大宮駅があると思う。
昭和60年国鉄大宮駅発行書籍の表紙にある大宮市街地の鳥瞰写真で国鉄大宮工場を見る。撮影時期は昭和58年頃だと思う。新幹線が開通し、鉄道高架橋が国鉄大宮工場を東西に分断した。
2016年12月ニューシャトル車内から大栄橋を見た。

平成4年埼玉新聞社発行『航空写真集さいたま』所載の平成3年撮影の写真でJR大宮工場を見る。
手前の白い屋根は塗装棟だと思う。
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平成28年11月の大宮東口の夜景(後)

2025年07月03日 | 日記
平成28年(2016)11月、大宮駅東口の大宮中央通り、マピオン地図に①で示したところの車道寄りから東を見た
歩道のビル寄りに移動してカメラを右に振った。

大宮中央通りを西に進み、大宮駅近く②で示したところから道路向かい側を見た。
マピオン地図赤矢印で示したように大宮駅東口(北))方面を見た。左に振って大宮駅東口を見た。

大宮銀座通りを横断して大宮駅東口(北)駅前広場で左手の公衆電話ボックス群を見た。振り返った。高所を見た。
東口駅前ロータリーの外周を西へ向かった。大勝軒さんのプラカード看板が写っている。2015年11月大宮南銀座で大勝軒さんを見た。
西へ向かいながら大宮駅東口(北)入口看板をアップした。
Aで示したところで西を見た。右を見た

左を見た(南)。突き当たりの看板をアップした。カメラを左に振ってアップした。振り返った。アップした。
Bで示したところで右を見た。右に進むと東武野田線の改札口に突き当たる。私は左折した
ロータリー外周を南に進ながら左前方を見た。
左後方を見た。アップした。

右手の大宮駅東口(中央)を通過し、C地点東を見た
南に進み、一般車ロータリーDで示したところで東を見た。いづみや第二支店さんをアップした。いづみや本店さんをアップした。南を見た。看板をアップした。
北にもどってバス・タクシーロータリーを見た。

Eで示したところで西を見た。右に振った。北を見た
大宮駅に入って駅ビルから東口駅前を見た。右に振って高島屋さんをアップした。
すずらん通り入口付近をアップした。左に振った。
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土呂駅改札内で見た風景 (3)

2025年07月02日 | 日記
2018年(平成30年)11月、JR宇都宮線を土呂駅で降りてホームを出口へ向かった。右を見た(西口駅前)。


2018年(平成30年)12月、土呂駅ホームの階段下で東口駅前を見た。西口駅前を見た。

2019年(平成31年)2月、土呂駅で降車し、駅名標を見た。ホームを大宮方面に進んで階段を上がった。

2019年(平成31年)4月、赤矢印のように進んで土呂駅に入り、ホームに降りて東口南側の入口を見た。東を見た。

線路敷の鉄道標識(丙号距離標)を見た。起点から33.3Kmを示している。時刻表で東京起点の営業キロを見ると土呂は33.3kmになっている。
ちなみに中島踏切踏切名標示板には33K163mと表示されていた。

2019年(令和元年)10月、土呂駅のホーム降りて東口駅前の南側を見た。2015年12の写真
ホームを大宮方面に進んで東口駅前を見た。丙号距離標をアップした。
ホームを南に進んで右を見た。左に振った。

右に振った。東武ストアとろマインさんの高所を見た。
2番線ホームに入ってきたこの電車に乗った。

2020年(令和2年)12月、土呂駅で降りて出口へ向かった。右に振った。左を見た。右を見た。大宮方面を見た。

2021年(令和3年)5月、土呂駅で降車し、ホームから改札階に上がって宇都宮方面を見た。
半回転して改札口を出(改札外)ガラスに突き当たって大宮方面を見た。アップした。

2022年(令和4年)3月、土呂駅で降りて改札口へ向かった。右に振った。宇都宮方面を見た。


2022年(令和4年)4月、土呂駅構内図(1F)に赤矢印で示した階段でホームに降りて右前方を見た。
南に進んで東武ストアとろマインさんを見た。

ホームの2番線側に移動して駅名標・案内板の反対面を見た。西を見た。東を見た。左に振った。上野東京ラインが入ってきた。
1番線西側の回送線をSaphir ODORIKO(サフィール踊り子)が通過した
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南浦和駅東口を昭和36年写真でみる 7

2025年07月01日 | 日記
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの②昭和36年(1961)9月の写真を見る。
矢印で示した建物は小松原高等学校だと思う。
平成22年(2010)12月キャプチャーのマピオン地図を見ると右上に小松原高等学校が表示されている。
平成23年(2011)1月赤丸で示したところから東を見た。

正面奥に小松原高等学校があるのだが、手前の建物でよく見えない。
平成27年(2015)以前に撮影された鳥瞰写真で小松原高等学校を見る。南から北を見ている。
拡大する。左上方向に移動する。東側から見る。小松原高等学校川口校舎ここだと思う。
平成24年(2012)9月私は黄で示した交差点で北を見た。

鳥瞰写真で北側から見る。
2012年9月黄で示した交差点で南を見た

国土地理院地図・空中写真閲覧サービスの昭和36年(1961)6月の空中写真小松原高等学校を見る。
黄丸で示した建物は鳥瞰写真のこの建物だと思う。体育館だと思う。
「小松原高等学校」をヤフーで検索すると「叡明高等学校」がヒットした。
叡明高等学校の沿革を始まりから昭和51年(1976)までをみる。体育館は昭和35年(1960)完成であるが、川口校舎は昭和50年完成なので昭和36年空中写真には写っていない。
沿革を下っていくと平成27年(2015)に “ 越谷レイクタウンへ移転 「叡明高等学校」に校名変更 ” という記事がある。

昭和36年(1961)の空中写真と昭和23年(1948)の空中写真を比較する。
大正13年(1924)の地図を見る。
昭和23年空中写真に黄で示した道は大正13年地図に赤で示した道と概ね重なると思う。
明治13年(1880)の地図ではこのような道があり、概ね重なっている。おそらくこの道は江戸時代から続いている古い道だと思う。
昭和36年空中写真にその古い道(黄)を引き継いだと思われる道を黄で示すとこのようになると思う。

昭和23年空中写真を見ていて集合住宅のようなところが目に入った。拡大する。
戦時中の昭和19年(1944)9月の空中写真にも写っている。
その場所を現在地図(マピオン)に青で示すとこの辺りになるかも知れない。
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南浦和駅東口を昭和36年写真でみる 6

2025年06月30日 | 日記
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの①昭和36年7月写真を見る。この写真に写っている建物は南浦和駅以外は全て現存していないだろうと思った。
ところが南浦和団地(昭和37年)の写真の右部分を拡大して見た時、それは間違いだと気付いた。
南浦和団地写真右部分に黄で示した道をマピオン地図に赤で示すとこのようになると思う。
白矢印で示した建物はマピオン地図に緑で示した建物で、グーグルマップ航空写真黄で示した建物だと思う。
その建物は長屋門で、平成25年(2013)3月の写真で見る。

平成27年(2015)11月の写真見る
この長屋門は①昭和36年7月写真のここ(黄丸)に写っていると思う。

1993年浦和市都市整備公社発行『浦和市景観写真集』に所載の<南浦和駅東口 1961⇒1992>を見る。
左右2枚で一対になっており、左は1961年(昭和36年)撮影の写真で右はほぼ同じ場所を1992年(平成4年)に撮影した写真だと思う。右の写真(平成4年)は南浦和陸橋を眼下にして南浦和駅方面を撮影したと思う。さくら公園ここだと思う。黄矢印の指すところが長屋門ではないだろうか。
左の写真(昭和36年)を見る。黄矢印の指すところが長屋門ではないだろうか。
平成28年(2016)2月私は南浦和陸橋の上で東を見た。北(南浦和駅方面)を見た。

長屋門は見えなかった。

国土地理院地図・空中写真閲覧サービスの昭和36年(1961)6月の空中写真を見る。
マピオン地図に赤で示した道を昭和36年空中写真に黄で示すとこのようになると思う。
現在の南浦和陸橋辺りを拡大する。南浦和陸橋も南浦和団地もまだ建設されていない。
平成13年3月浦和市発行『浦和市史 通史編Ⅳ』に掲載の写真「南浦和団地と工事中の南浦和陸橋(昭和38年)」を見る
国土地理院の昭和39年(1964)5月の空中写真を見る。
昭和36年空中写真に黄で示した道はこの道(黄)だと思う。
浦和市史掲載写真にA.B.C.D.Eで示した団地建物は昭和39年空中写真にA.B.C.D.Eで示した建物だと思う。
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南浦和駅東口を昭和36年写真でみる 5

2025年06月29日 | 日記
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの①昭和36年7月写真と国土地理院地図・空中写真閲覧サービスの昭和36年(1961)6月の空中写真を見る。
①昭和36年7月写真に黄で示した道を昭和36年6月空中写真に示すとこのようになると思う。
マピオン地図にその道を赤で示すとこのようになると思う。
平成29年(2017)12月私は白矢印方向に進み、交差点で左を見た。右を見た。直進して振り返った。

白丸で示した交差点左折して振り返った。

平成27年(2015)11月私は白矢印方向に進み、交差点右を見た
直進し、右手の矢印で示したところの小池弁財天さんを見た。鳥居の扁額をアップした。2012年8月にここを訪れた時、小池弁財天の由来を見た。そこには “ 今から26年前、区画整理によって現在地に移されたがそれ以前は清宮商事(株)の店頭当りに在り ” との案内がある。由来の作成日は平成20年2月吉日なので昭和57年に移されたのだと思う。そうすると小池弁財天を昭和36年の空中写真で見るには清宮商事さんの店頭当りを見ないといけない。
清宮商事さんはマピオン地図に清宮ビルと表示されているところだと思う。舟山通りに面している。
昭和36年6月空中写真でその辺りを見る。赤丸の辺りになるのではないだろうか。この付近一帯は南浦和駅開業のころの土地区画整理で市街化したところだと思う。以前はもっと広い境内があったのではないだろうか。小池弁財天の由来には慶応3年奉杷したとある。
小池弁財天さんを通過し、右手の建設中ビルを見た。高所を見た
道を進み、①で示し交差点を直進して振り返った。

続く②で示した交差点を直進して振り返った。

平成24年(2012)12月、白矢印方向に進み、白丸の交差点を直進し振り返った。

マピオン地図に浦和弁天公園と表示されたところを昭和36年空中写真に緑で囲むとこのようになると思う。
平成29年(2017)12月私は白丸で示したところから弁天公園を見た。

平成27年(2015)3月私は弁天公園に入り、駅寄りの門を出振り返った。看板には昭和41年4月開園と案内されており、昭和36年空中写真は開園前の景色である。2023年1月その看板を見たところ、下の看板がなくなっていた。
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南浦和駅東口を昭和36年写真でみる 4

2025年06月28日 | 日記
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの①昭和36年7月写真と国土地理院地図・空中写真閲覧サービスの昭和50年(1975)1月の空中写真を見る。
昭和36年7月写真にAで示した建物は昭和50年空中写真のAで示した建物だと思う。
センターギャラリー③昭和36年12月写真にA・Bで示した建物は昭和50年空中写真のA・Bで示した建物だと思う。
国土地理院昭和36年6月空中写真を見る。
①昭和36年7月写真に黄で示した道は昭和36年6月空中写真のこの道(黄)だと思う。
そうするとAで示した建物はこの建物(A)だと思う。
昭和36年6月空中写真にAと南浦和駅駅舎を黄線で結ぶ。
①昭和36年7月写真にAと南浦和駅駅舎を黄線で結ぶ。
③昭和36年12月写真にAと南浦和駅駅舎を黄線で結ぶ。
昭和50年空中写真を縮小してAと南浦和駅駅舎を黄線で結ぶ。
昭和50年空中写真にはAの南方面に南浦和団地が写っている。
平成13年3月浦和市発行『浦和市史 通史編Ⅳ』には、 “ 南浦和団地(南浦和三丁目)は、日本住宅公団が建設したもので、昭和37年(1962)3月に入居を開始した。52棟1,252戸の団地で浦和市としては、初めての大規模な団地であった ” と記述されている。
写真集の南浦和団地(昭和37年)の写真を見る。写真の右下部分を拡大する。
黄で示した道は①昭和36年7月写真のこの道(黄)だと思う。
昭和50年空中写真のこの道(黄)だと思う。
現在地図(マピオン)に赤で示した道だと思う。
その交差点をグーグルマップ航空写真で見る。
平成29年(2017)12月私はaからbヘ向かった。

交差点で右を見た。左を見た。
bで振り返った。
南浦和団地(昭和37年)の写真で今みた交差点の奥を見る
黄で示した道は舟山通りだと思う。
平成23年(2011)矢印方向に進んで舟山通りに突き当たった。

平成29年(2017)12月突き当たりの三差路で北を見た。東を見た。①昭和36年7月写真に黄矢印で示した方向に舟山通りを見た
昭和50年空中写真にAで示したところをグーグルマップ航空写真に示すとこの辺り(A)になると思う。
平成29年(2017)12月その辺りを見た。
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南浦和駅東口を昭和36年写真でみる 3

2025年06月27日 | 日記
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの②昭和36年9月写真を見ると、駅前右手に守屋よろづ店さんの看板が見える。
平成12年浦和市立郷土博物館編集発行『記憶の中の風景-写された20世紀の浦和-』所載の昭和37年の写真では「守屋よろづ店喫茶」となり、昭和38年の写真では「中華料理守屋よろづ店」になった。
守屋よろづ店さんがあったところは現在地図(マピオン)の大雄ビルさんのところだと思う。
マピオンで大雄ビルさんの近くに目をやると「守屋」という名前が付く場所が二つあった。「守屋ビル」さんと「守屋サイクルセンター」さんである。守屋よろづ店さんとの関係は不明である。
2011年8月赤矢印のように南大通りの横断歩道を渡った。

正面はグリーンショップもりやさんだった。
交差点角で守屋駐車場さんの看板を見た。
交差点を南に進み、右手の守屋サイクルセンターさんを見た。

先ほどの②昭和36年9月写真を見ると南大通りの左側にAとB二つの建物が並んでいる。
前記(写された20世紀の浦和)所載の昭和36年の写真拡大してみるとAの建物は丸善土地さんであるが、Bの建物はない。同じ昭和36年の撮影ではあるが、この写真の方が撮影時期が古いと思う。
国土地理院サイトの(地図・空中写真閲覧サービス)から昭和36年(1961)6月の空中写真を見る。先ほどAで示した建物はこの建物(A)だと思う。Bの建物はまだ建設されていないと思う。
昭和50年(1975)の空中写真を見る。
昭和36年空中写真に赤で示した十字路は昭和50年空中写真のここだと思う。
AとBで示した建物の位置を昭和50年空中写真に示すとこの辺り(A・B)になると思う。
空中写真に赤で示した十字路をBing地図に示すとこのようになると思う。
Bで示したところは白井ビルさんだと思う。
2013年7月南大通りで白井ビルさんを見た。

屋上の看板(白井商事)を見た
②昭和36年9月写真に黄で囲んだ看板を昭和37年の写真拡大して見るとこのようで「白井」らしき字が見える。
白井商事さんのホームページ沿革には昭和36年南浦和駅と同時に開業とある。南浦和駅の開業は昭和36年7月1日とウィキペディア南浦和駅に書かれている。この空中写真のデータには撮影日は昭和36年6月2日となっている。
以前の市広報誌に掲載された今昔写真の昭和36年当時を見る。写真の正面奥が南浦和駅で、右端に白井商事さんが写っている。2013年7月ほぼ同じ場所と思われるところから南浦和駅方面を見た。

右手前方の白井商事さんをアップした。
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南浦和駅東口を昭和36年写真でみる 2

2025年06月26日 | 日記
国土地理院サイトの(地図・空中写真閲覧サービス)から昭和36年(1961)6月の空中写真を見る。
拡大して南浦和駅付近を見る。
南浦和駅の駅舎を見ると改札口と西口を繋ぐ跨線橋が写っていないと思う。
ウィキペディア南浦和駅によれば、開業年月日は1961年(昭和36年)7月1日で当初より橋上駅として建設された。
国土地理院空中写真の撮影は昭和36年(1961)6月2日なので開業1ヶ月前である。ウィキペディア南浦和駅には西口の開設年月日のことは特に触れられていない。
昭和50年(1975)の空中写真で南浦和駅を見る。武蔵野線が開通しているので開業当時より複雑になっている。跨線橋を黄で示す。昭和36年空中写真に黄で描く
Copilot(AI)で南浦和駅西口の開設年月を質問したところ昭和36年(1961)9月との回答が得られた。正解かどうかは確認していない。
2012年1月南浦和駅の南側線路沿いの道から駅舎を見た。


昭和36年6月の空中写真には南浦和駅東口近くの南大通りに白っぽい帯状の物が写っており、黄線で示す。
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの②昭和36年9月写真を見る。この年7月1日に南浦和駅が開業して南大通りの道路整備工事が進んでいるところだと思う。
ちなみにこの時代「南大通り」の名前はない。浦和市史によれば、昭和43年の道路愛称募集の結果決定されたものである。南浦和駅から産業道路までのオレンジで示した区間だと思う。
昭和36年空中写真に黄線で示したところは②昭和36年9月写真のここだと思う。
平成12年浦和市立郷土博物館編集発行『記憶の中の風景-写された20世紀の浦和-』所載の昭和36年の写真を見る。
先ほど黄線で示したところと同じ場所と思われるところを拡大し黄線で示す。
前記(写された20世紀の浦和)所載の昭和37年の写真を見る。拡大する。昭和36年写真に黄線で示したところはここ(黄線)だと思う。
私は黄線で示したところは橋だと思う。橋の下には水路が流れているのだと思う。
昭和36年の空中写真に赤で示した道はマピオン地図に赤で示した道と概ね重なると思う。
マピオン地図に昭和36年空中写真に黄線で示したところを描くとこの辺り(黄線)だと思う。
2011年8月南大通りを東へ向かい、黄線で示しところ左を見た(北)。
2012年3月南大通りを西へ向かい、黄線で示しところの左を見た(南)。

さいたま市河川図でこの辺りを見ると南浦和駅東口の近くを流れる「大谷場雨水幹線」がある。
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南浦和駅東口を昭和36年写真でみる 1

2025年06月25日 | 日記
さいたま市アーカイブズセンターギャラリーの「まちなみ」「南浦和駅東口駅前」から「1. 旧浦和市域 昭和36年7月 南浦和駅東口駅前」、「2. 旧浦和市域 昭和36年9月 南浦和駅東口駅前」、「3. 旧浦和市域 昭和36年12月 南浦和駅東口駅前」を見る。
①昭和36年7月写真は南浦和駅東方の高台から南浦和駅方面を見ていると思う。②昭和36年9月写真は南浦和駅東口から東方面を見ていると思う。③昭和36年12月写真は①写真と同様に南浦和駅東方の高台から南浦和駅方面を見ていると思う。
②昭和36年9月写真の正面に真っすぐ延びる道(黄で示す)は南大通りだと思う。平成25年(2013)7月南浦和駅東口駅前広場から南大通りを見た。赤矢印の突き当たりをアップした。
平成12年浦和市立郷土博物館編集発行『記憶の中の風景-写された20世紀の浦和-』所載の昭和36年の写真を見る。
南大通りの突き当たりを拡大する。アーカイブズセンターギャラリーの②昭和36年9月写真より撮影月は前だと思う。
①昭和36年7月写真に南大通りを黄で示す
国土地理院サイトの(地図・空中写真閲覧サービス)から昭和36年(1961)6月の空中写真を見る。南大通りを黄で示す。駅前からの直線区間を拡大する
②昭和36年9月写真に青丸で示した建物は①昭和36年7月写真のこの建物(青丸)だと思う。
昭和36年6月空中写真の青丸で示した建物だと思う。
その場所は現在地図(マピオン)に大東ビルと表示されている。
2017年12月赤矢印方向に歩きながら右手の大東ビルさんを通過して振り返った。

③昭和36年12月写真の奥に南浦和駅が写っている。
彩の国デジタルアーカイブの写真検索から南浦和駅開業日その2を見る。拡大する。
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南浦和駅東口の平成25・26年の風景

2025年06月24日 | 日記
平成25年(2013)1月、JR東日本南浦和駅東口近くのマピオン地図に①で示した三差路を南へ向かった。

JR武蔵野線の高架をくぐって右折した
南浦和駅東口に入った。

平成25年(2013)3月、南浦和駅東口駅前広場に面した道路を南から北へ向かい、②で示しところを左折して駅前ロータリーの南から北を見た。

振り返った。
駅前ロータリーの外周歩道を北に進みながらロータリーの西から東を見た

平成25年(2013)6月、南浦和駅東口を出て駅前広場を東へ向かいながら振り返った。
横断歩道を渡って左折した。

平成25年(2013)7月、南浦和駅東口を出て駅前広場を南へ向かいながらロータリーの西(ここ)から東を見た。

南大通りをアップした。少し右に振った。振り返った。
ファミリーマートさんに突き当たって左折した。ロータリーの筋向かいを見た。
ロータリー外周を東に進み、横断歩道の手前で左を見た。
横断歩道を渡って左折し、北に進んで右に折れた。

南大通りを東へ向かった。振り返った。

平成26年(2014)1月、南浦和駅東口を出て東に進み、突き当たりを左折し、高架をくぐってすぐ右折した

平成26年(2014)4月、南浦和駅東口を東に出てすぐ右折した。
②のところ進んで道路とロータリーの北を見た。南浦和駅東口をアップした。少しカメラを引いた。

横断歩道を渡って左折して南大通りの東を見た。
車道側に移動して南大通り標示板を見た。

平成26年(2014)5月、南浦和駅東口を出て駅前広場を東へ向かい、横断歩道を渡って振り返った。
右折して南へ向かいながら右手の南浦和駅東口を見た。

歩道は南大通りに突き当たって左折した

平成26年(2014)8月、南大通りを南浦和駅方面へ向かい③で示したところから南浦和駅東口を見た。駅名看板をアップした。
南大通りが終って左に曲がり、横断歩道で右折した。南浦和駅東口を見た。駅名看板アップした。

ロータリー外周の④で示したところから北へ向かった。カメラを右に振った。
北に進み、東口入口(ここ)で振り返った。
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