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保坂学のグッドバイブスではじめました!弟の耕司と2人で保坂兄弟!

会社経営者の保坂学と弟の耕司が様々な話題をピックアップ。保坂兄弟の日常や生活、新しいきっかけをブログにしました。

空冷ポルシェの夏場は地獄の日々 保坂兄弟のポルシェ911

2021-10-14 20:50:00 | 日記



こんにちは

株式会社PLUSの保坂学です。




夏がやってきて、弟の耕司と今年も暑過ぎてポルシェ乗れないねと話ていました。


エアコントラブルは空冷ポルシェ乗りにとって、一番の悩みですがす。





ポルシェ930のエアコンの問題点は、皆さんこんな感じの症状だと思います。


・時折冷気が出なくなり、送風や温風になり不安定


これはエアコンコントロールユニットの問題か、冷風温風の切り替えユニットの故障だと思います。


・エアコンガスチャージができない。


これは、配管のつまりやコンプレッサー、クラッチプーリー故障で、配管つまりの場合は、エキスパンションバルブやリキッドタンクの交換、コンプレッサーの場合はオーバーホールか交換、マグネットクラッチは交換が必要です。


・エアコンガスを入れてもすぐに効かなくなる。


これは、ガス漏れが原因の場合が多く、その個所を捜して修理していく面倒くさい作業で、まずは目視にて点検できる個所をすべて点検し、問題がなければ、エバポレーターの交換になります。


・ガスが入っているのに冷えが悪い。


コンデンサーブロアの不動によりガス圧が上がりすぎたり、温度センサーの不良によってエバポレーターが凍結したり、配管やエキスパンションバルブ、リキッドタンクが詰まっているのだと思います。





僕のトラブルは、どこから直そうと色々考えていた時に、ブロアファンやモーターから、白い煙が室内のファンから吹き出していたので、新しいのに交換しました。



911 19741989年のクーラーの仕組みは、国産とほぼ同じ構造ですが、配管の長さとラバー素材が、ポルシェACの持病みたいな弱点になっています。





冷媒のフロンをコンプレッサーが圧縮します。


圧縮されて高温になった冷媒を、コンデンサーが冷やすことで、冷媒が液体になります。






液体になった冷媒は、レシーバー ドライヤーで水分や不純物が取り除かれ、エキスパンション バルブから、液体の冷媒をエバポレーターに噴射し、冷媒が気化されてエバポレーターが冷たくなり、空気を冷やし、室内に送風して温度が下がります。







気化した冷媒は、再びコンプレッサーで圧縮して、以下の繰り返しで、温度が冷えてる構造です。



930はこれらの部品の間の配管は、すべてホースです。


964以降ですと、基本的に金属配管なんですが、930は昔の後付クーラーと同じ仕組みで、ホースがゴム製品ですので、金属のカシメの部分から漏れることもあるようです。



930クーラーの最大の弱点はコンデンサーですね。





小さなコンデンサーがついていますが、エンジンの上に付いているので、エンジン温度により、容量も足りなく、国産車のようにファンがついていません。


これは、エンジンを冷やすファンの吸気で、ついでに冷やす仕組みなので、気温が高すぎると、あまり冷媒が冷えません。






これかなり効くようなるそうです。


SingerRUFに使用されている電動コンプレッサーのクーラーシステム





Classic Retrofit

https://www.classicretrofit.com



電動なので、エンジンに負荷をかけないから、かなり欲しいけど、高価なので悩みます。



まあ、真夏は空冷エンジンにとって、厳しい環境ですので、運転を我慢するのがいちばん良いですよね。



僕のポルシェは世界80本限定のジルヴィルヌーヴF1レースハンドル 保坂兄弟の911S

2021-10-14 04:01:00 | 日記


こんにちは

保坂学です



今回は前ブログの続編なので、ポルシェってどんなクルマ?ってマニアックになりますが、興味あれば暇つぶしに読んでみて下さい。


前回のブログ投稿は、空冷ポルシェの歴史、911のスペックなど、なぜコードが901から911になったのか?、1976911Sはポルシェジャパンが設立されて、初めてのポルシェなどについてです。


今回の投稿テーマは、僕の愛車ポルシェ911Sのステアリングを変えた理由、MOMOというブランド、ジルヴィルヌーヴはどんなF1レーサーだったのか?などにフォーカスしました。



愛車のポルシェ911Sは、1976年に生産されて、40数年もの時を刻んでいるレースカーなので、MOMO70年代〜80年代前半くらいまでの同時期に生産していた、MOMO Gilles Villeneuve Steering Wheel Limited Edition 12/80のステアリングに変えました。(子供の頃を思い出すミニ四駆感覚でチェンジ)






イタリアで生まれのMOMOは、1964年にジャンピエロ モレッティが設立しました。


社名のモモは、モレッティとモンツァから付けられたのが由来みたいで、momoの設立当初は、レースやサーキット製品だけを製造していましたが、1970年からは市販車向けのステアリングホイール販売に着手し、知名度が上がりました。


僕のハンドルは、F1ドライバーシグネチャーシリーズのジル ヴィルヌーヴ モデルで、その時代の最高の讃美を得たドライバーがmomoに選ばれ、デザインをするシリーズになります。(僕の好きな伝説のF1ドライバー ジル ヴィルヌーヴ)


フェラーリの赤い閃光と呼ばれた、ジル ヴィルヌーヴが、生前最後にデザインした、世界で80本だけ限定生産された、ステアリングを選びました。(限定って人と被らないし、伝説ですから価値が上がるから好き)


真円で細身のハンドルには、円のグリップの周囲を革張りされ、グリップ部は指がフィットするように、内側の裏側だけ触ると分かるくらいにデコボコしていて、これがヴィルヌーヴの走る時の握り手の感覚なんだと、グリップに指をフィットさせながら、嬉しく思っていました。(憧れてます)


僕がヴィルヌーヴを憧れ好きになり、彼のモデルを選んだ理由は、彼の走りの心構えに魅了されてしまったからです。


彼の走りで伝説となっているのは、レース最中タイヤがバーストして、肩輪が動かない深刻な形勢でありながら、カウンターステアが動けば、三輪走行をしてでも完走するマインドの持主なんです。(カッコ良すぎる)


絶対にレースを諦めない姿勢は、不屈のドライバーとして、世界中の人々に愛され尊敬されていました。


ジルヴィルヌーヴのF1伝説の三輪走行



富士スピードウェイで行われた日本GP 最終戦、序盤にティレルのロニー ピーターソンに追突してしまい、ヴィルヌーブのフェラーリは宙高く舞い上がり、立ち入り禁止区域にいた観客の中に落下しました。


この惨事は進入禁止エリアで観客が観戦し、警備員が再三の撤退を促していた最中で起きたものである。


しかし当時の世界の常識から遅れていた日本は、モータースポーツへの理解が低く、ヴィルヌーヴは業務上過失致死の容疑で書類送検され、日本から永久追放処分となりました。


このジル ヴィルヌーヴの事故を最後に、日本におけるF1開催は10年間にわたり中断されることになった。


日本のマスコミが扇動して、各国のマスコミを巻き込み、彼らの激しい非難と誹謗中傷にヴィルヌーヴは晒されたが、業界の重鎮であるエンツォ フェラーリは「死亡事故は今までにもたくさんあった、これがF1レースの世界だ」だと、F1業界と共にヴィルヌーヴを擁護する声明を出し、全世界のメディアを一蹴しました。(その通り!)



ピローニのタイムを更新するために、タイムアタックを続ける中、コーナーのS字カーブでスロー走行中のヨッヘン マスのマシンに遭遇し、マスはサイドミラーから赤い閃光が見え、レコードラインを譲ろうとしたが、ヴィルヌーヴも同じ方向に動いてしまった。


マシンの速度は推定時速230km/hに達していて、ヴィルヌーヴの左前のタイヤが、マスの右後ろのタイヤに乗り上げ、ヴィルヌーヴマシンは宙に舞い上がり、前部からアスファルトに激突し、大破しながら150mほど転がり、この時の衝撃でシートベルトがちぎれ、ヴィルヌーヴの身体はマシンから外に放り出され、フェンスに叩きつけられた。


ヴィルヌーヴは、F1の歴史における名声を残すバトルを幾度も繰り広げ、フェラーリの赤い閃光と呼ばれる天才は、1982年ベルギーGPの最中、若干32歳の若さで儚くも散ってしまった。


この衝撃的な事故は、映像として現存していて、F1レースの中で、最も驚嘆な事故として、1983年のウィニング ラン、1987年グッバイ ヒーローなど、映画としても放映されました。


ジルヴィルヌーヴの1982年ベルギーGP事故映像


時代の寵児である、ヴィルヌーヴの鬼神の如き活躍と逝去は伝説となり、象徴である27番は、偉大な番号として愛され、誰もが羨むフェラーリのエースドライバーを象徴するナンバーなりました。


27番を背負ったドライバー全員が数々の伝説的なドライバーで、その名は錚々たるメンバーであった。


パトリック タンベイ、ミケーレ アルボレート、ナイジェル マンセル、アイルトン セナ、アラン プロスト、ジャン アレジらは、偉大な27番を自ら受け継いで、ジル ヴィルヌーヴの魂を背負いF1 GPを闘い抜きました。


ポルシェの歴史と空冷ポルシェ乗り 保坂兄弟(保坂学と保坂耕司)のうきうきドライブ

2021-10-13 13:34:00 | 日記

今日は僕の愛車である空冷ポルシェについて、マニアックな投稿をします。



僕は911空冷ポルシェに愛があるので、乗り歴史も気になります。


ポルシェ911は、1964年から製造していて、確変に満ちたレガシーを持ちながら、基本的な車体のフォルムやコンセプトは、創業からほとんど変えず、継続的な進化を続けました。


911は長く変わらない丸目のヘッドライトとボディのシェイプで、カエル目ポルシェの由来になり、空冷ポルシェの絶大な人気を誇る20世紀最高の自動車となっています。







2代目911 930型の生産期間は1974年~1989


1974年にオープンしたパリサロンに、930ターボのコンセプトカーが展示され、スペックは、排気量が2,994cc、ボア×ストロークが、φ95mm×70.4mm、圧縮比が6.5の、930/50型エンジン、ボッシュKEジェトロニックの燃料噴射装置と、ブースト圧0.8気圧のKKK製ターボチャージャーを搭載して、260馬力/5,500rpm35.0kgm/4,500rpmの世界最高峰のレースカーを発表しました。


930型は、元々ターボのモデルを指すものでしたが、自然吸気NAエンジンも1977年までは、901型として生産されていました。

そのため、ターボより、車本来の走りが出来る自然吸気エンジンを好むユーザーも多く、「ナローボディの930」や、「930ナロー」などの愛称で親しまれたり、山口百恵のプレイバックPart2で歌われたりと、日本中でポルシェを知ることになりました。


1978年になると、NAエンジンも全て930型となり、フランクフルト モーターショーには、911ターボの試作車がディスプレイされ、280馬力で最高速度280km/hと話題を呼びました。


PORSCHE JAPANの仕様は特殊で、昭和50年の排ガス規制に適合するために、245馬力/5,500rpm35.0kgm/4,000rpmのスペックとなっています。


その後、排気量アップのパワーに対応するため、タイヤ幅を増やしたフェンダーを備え、全幅は1,775mmまで拡張されました。


年式による特殊な仕様変更はありませんが、ポルシェカタログの名称は、1978年にターボ、1979年に930ターボ、1980年では911ターボと変名していて、ハイクラスなインテリアと高性能レースカーとして、その当時に大学卒の初任給が10万円だったころに、1800万円近い高額なスポーツ車両でありながら、一世風靡しました。


このトランスミッションφ240mmは、4MT930型を採用していて、ポルシェはありあまるパワーには4速で充分と説明しましたが、ポルシェシンクロトランスミッションの許容量が、ターボのパワーに耐えられないので、4速にしたというのが俗説となっています。


僕のポルシェは、911S1976年製4MTで、Porsche Japanが日本で初めて生産したポルシェで、世界で生産台数が130台の希少車です。


NAエンジンを搭載していて、本来のポルシェの走りを感じることができる911です。



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空港から約3時間くらいで行けちゃう楽園 保坂兄弟の保坂学と保坂耕司の楽園巡り

2021-10-11 18:10:00 | 日記




こんにちは

保坂学です




海外に衝動的に行きたくなることありませんか?


そういう時ってきっと自然豊かなところに行きたいですよね。


そんな時は、空港から直行便で約3時間半で、時差は僅か1時間しかないサイパンがオススメです。


飛行機の疲れを全く感じることもなく、びっくりするほどの美しい珊瑚礁の海と、緑豊かな大自然に囲まれることができます。










有名リゾートや観光地のような喧騒はないので、何も考えなくて良いのは最高の贅沢ですよね。


まあ、簡単に言えば何もない。


その通りで、目の前のエメラルドグリーンの海しかないです。


サイパンの気候は、年間の平均気温が27℃、水温は日本の海より高い25℃、海水浴するのはとても快適です。


僕がホテルを探した時は、ほとんどのホテルが、ビーチサイドです。


だから海が見えるところ良い方は簡単に見つかりますよ。









この辺りは、静かで遠浅なリーフの内側なので、ほとんど波はありません。


ホテル前のビーチでは目の前に色鮮やかな魚が泳いでいます。


なんとなく街を歩いて、その辺りの人に話しかけてたら、サイパンのローカルと友達になり、船で遊びに連れてってもらいました!





海をクルーズしながら向かったのは、波に侵食された洞窟のようなグロットです。


グロットの色は上手に言葉で表現することの出来ない色で、言うならアッシュがかったエメラルドグリーンとコバルトブルーを足して割った感じかな。


透き通る海に来たらスキューバダイビングしたくなっちゃいますよね。


実は、ダイバーの間でサイパンは、世界有数の透明度を誇る海で有名らしく、この日は人も全くいなかったので、ダイビングには最高の環境でした。


この島は何も考えることなく、のんびりと自然を楽しみ、ゆったりとした時間の流れを感じれれるのが好きです。




サイパンには大きなショッピングモールとかないので、弟の保坂耕司や株式会社PLUSにお土産を買う時などは、観光地なのに土産屋が少ないって大変です。



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金塊は自動販売機で買えるって! 保坂兄弟(保坂学と保坂耕司)のアラブ滞在記

2021-10-10 20:33:00 | 日記



こんにちは


保坂学です



前回のブログの続編です!

お時間ある時に是非ともチェックして下さいね。



今回のテーマは、7つ星ホテルのエミレーツパレスホテルの中を探索している時に、凄いの見つけちゃったハナシ




アラブ首長国連邦のアブダビの7つ星ホテルのエミレーツパレスホテルを探索していました。


新しい発見を探しながら徘徊してたら、天井が抜けた広いロビーにでました。












僕は観光客丸出しな感じでキョロキョロしてると、ロビーの端っこに、光り輝くボックスを見つけて、なんだろうと思い金色のボックスの方に向かいました。


このピカピカなやつは自動販売機っぽい。










なんと金塊が売られている。


これは自動販売機だよね?


華やかなロビーにポツンと一つ置かれてますけど。


これは、GOLD To Go世界初の金の自動販売機です。


自販機のは眩い24Kで化粧されていて、金色に照り輝いてました。


なんてリッチなんだろう。


こんなにもリッチと言う言葉が似合う自動販売機はこれだけですね。







ここで売られている金の商品は、1g5g10オンス(28.34g)の金ののべ棒、6種類の金貨、エミレーツマークが刻印されているペンダントトップ、全320種類ありました。


この自動販売機は、内部のコンピュータで、市場の価格変動をリアルタイムに反映して、10分ごとに最新の相場に変わるそうです。


1人が購入できる回数も決まっていて、24時間に3回まで、48時間空ければ、また再び購入できるようになります。


これはエミレーツパレスのVIPのお客様が、どんな状況でも、その場ですぐに現金を、安定している投資価値に変えることが出来るサービスみたいです。



僕としては自販機でゴールドを買うという発想がないので、なんとも言えない気持ちになり、アラブってリッチだなとしか言えない気持ちになります。


この自販機が設置された日は、全種類を1つずつ買っていく人もいたそうです。


一体どんな人が買っていくんだろうと思いました。








UAE は新しいモノ好きですからね。


帰りにお土産で金貨でも買おうと思いましたが、弟の保坂耕司や株式会社PLUSに、お土産でゴールドはなんか変なので辞めました。



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