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ポルシェの歴史と空冷ポルシェ乗り 保坂兄弟(保坂学と保坂耕司)のうきうきドライブ

2021-10-13 13:34:00 | 日記

今日は僕の愛車である空冷ポルシェについて、マニアックな投稿をします。



僕は911空冷ポルシェに愛があるので、乗り歴史も気になります。


ポルシェ911は、1964年から製造していて、確変に満ちたレガシーを持ちながら、基本的な車体のフォルムやコンセプトは、創業からほとんど変えず、継続的な進化を続けました。


911は長く変わらない丸目のヘッドライトとボディのシェイプで、カエル目ポルシェの由来になり、空冷ポルシェの絶大な人気を誇る20世紀最高の自動車となっています。







2代目911 930型の生産期間は1974年~1989


1974年にオープンしたパリサロンに、930ターボのコンセプトカーが展示され、スペックは、排気量が2,994cc、ボア×ストロークが、φ95mm×70.4mm、圧縮比が6.5の、930/50型エンジン、ボッシュKEジェトロニックの燃料噴射装置と、ブースト圧0.8気圧のKKK製ターボチャージャーを搭載して、260馬力/5,500rpm35.0kgm/4,500rpmの世界最高峰のレースカーを発表しました。


930型は、元々ターボのモデルを指すものでしたが、自然吸気NAエンジンも1977年までは、901型として生産されていました。

そのため、ターボより、車本来の走りが出来る自然吸気エンジンを好むユーザーも多く、「ナローボディの930」や、「930ナロー」などの愛称で親しまれたり、山口百恵のプレイバックPart2で歌われたりと、日本中でポルシェを知ることになりました。


1978年になると、NAエンジンも全て930型となり、フランクフルト モーターショーには、911ターボの試作車がディスプレイされ、280馬力で最高速度280km/hと話題を呼びました。


PORSCHE JAPANの仕様は特殊で、昭和50年の排ガス規制に適合するために、245馬力/5,500rpm35.0kgm/4,000rpmのスペックとなっています。


その後、排気量アップのパワーに対応するため、タイヤ幅を増やしたフェンダーを備え、全幅は1,775mmまで拡張されました。


年式による特殊な仕様変更はありませんが、ポルシェカタログの名称は、1978年にターボ、1979年に930ターボ、1980年では911ターボと変名していて、ハイクラスなインテリアと高性能レースカーとして、その当時に大学卒の初任給が10万円だったころに、1800万円近い高額なスポーツ車両でありながら、一世風靡しました。


このトランスミッションφ240mmは、4MT930型を採用していて、ポルシェはありあまるパワーには4速で充分と説明しましたが、ポルシェシンクロトランスミッションの許容量が、ターボのパワーに耐えられないので、4速にしたというのが俗説となっています。


僕のポルシェは、911S1976年製4MTで、Porsche Japanが日本で初めて生産したポルシェで、世界で生産台数が130台の希少車です。


NAエンジンを搭載していて、本来のポルシェの走りを感じることができる911です。



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