トントンと 2階から降りて
「おはよう~」 いつもの娘の挨拶から始まる日々
「ハーイ」こうして応えるのは 母親のふーちゃん
今朝はいない シーンとして寂しい
5月21日のこと 下書きしていました _(._.)_
今日
サークル帰りに 立ち寄ったお蕎麦屋さん
小学校の卒業文集には 将来を見据えていたかのように
「美容師になりたい!」夢を追っている文章が書かれていました
私たち家族の住所は 種子島南種子町です
地元の小・中を卒業した娘は
高校は鹿児島の女子高へ入学 そして卒業
当時から 既にその道を選択していました
いよいよ 東京の美容専門学校へ入学する
母娘は 無事に辿り着けるのか 心配でなりません
専門学校は 東京渋谷代々木にある
山野愛子美容専門学校
余裕をもって 目的地へ向かいます
母娘の緊張感は 半端ではないことは確かです
電車に乗る 降りる駅は確か記憶では新宿!
降りるべき駅が近づいた
降りる際は
左右どちらかであることさえ 理解していない!
降りなければならない 反対の方にいたのです
ギュウギュウ詰めでは その方向へは 到底無理でした
当時を思うと
田舎者の言葉以外に 何も見つからない (^^♪
で・・・ひとつ先の駅で降りることになってしまった
ここ迄 読まれてくださったブロ友さん
笑っちゃいますでしょ! (^^♪
慌てた母娘は タクシーでUターン
無事に入学式に 間に合いました
入学式では
山野愛子先生のお立ちになっていらっしゃる
すぐ近くの席になり 最高のご褒美に思えたものです
無事に卒業した娘は 東京での就職が決まりました
寮に居ながら ひとり前になるまでの苦労はあったはずです
多くの友だちに恵まれ 助け合い支え合って
それぞれの故郷を思い
家族を思い 皆さん頑張っていたことでしょう
美容専門学校でも 又職場でも全国からの集まりであり
その友情は今でも続いています
親として 有り難く思えてなりません
お父さん子の娘でした
定年まじかにして 肺癌を患い入退院を繰り返し
父親の近くに帰りたい その気持ちに揺らぎ
一度は見舞いに 帰っては来ましたが
父親の容態に 鹿児島に帰る決心に至ったようです
入院先は鹿児島ですが
私たち夫婦は まだ種子島にいた頃です
定年をまじかにして 最後まで役所の勤めを終えました
その後 種子島から鹿児島へ越したのです
現在まで美容師 一筋の道を歩んでいます
🌺~^0^^0^~🌺
お休みの取れた娘は
今朝早く(21日)
苦楽を共にした 東京でのお仕事仲間だった4人で
四国方面の旅に出かけました
「あらーベルさん・三面相さんの所よー」と
つい 娘に言っちゃいましたねぇ
早速LINEで お友だち4人の写真が・・・
(ここ迄 下書きは5月21日のことです)
♪~~~♪
今です(23日) 「小包でーす」宅急便が届きました
重たいです
お土産がどっさり入っているのでしょう
今夜 帰ってきます (*^。^*)
^^^^^^^
息子から ラインです
危険性の少ない車に替えてください
お母さん 今の車は凄く便利になっていて
お母さんの車は 心配です・と!
軽車ですが 相性がいいのか 運転しやすく
人生 最後の車と思っていたのですが
考える必要が あるようにも思えてきました
12月の車検迄 考えることにしましょう。
ブロ友さん ありがとうございます ♡