くうあり

自分なりの気付きを綴るブログ  

祖父を亡くして

2013-01-17 23:16:13 | いのち
祖父が亡くなって今日でちょうど2週間でした。

1月1日に救急車で運ばれた祖父は、救急隊員の方に「ごくろうさん!」と挨拶し
救急車の中で同乗した弟に「快気祝いをやるぞ」と言っていたそうです。

1月3日の夜お見舞いに行って、あのブログを書いて、
看護士さんにはもっと、その人の人生や家族に思いを馳せて、
患者さんに敬意をもって大事に関わって欲しいと願いました。

病院にそういうメッセージを伝えたくて、また、祖父があのさみしげな病室で
少しでも力が出るようにと思って、病室に飾れる写真を夜中のうちに用意しました。

ひ孫の七五三の写真や、下の子が赤ちゃんの時だっこしてくれてる写真などを
A4の写真用紙に焼いて 「おじいちゃん一日も早くよくなってね」と書いて、
「先生、看護士さん、よろしくおねがいします」と書く予定で
 4日の午前中のうちに持っていこうと準備していました。 

なんだか頭と心がもやもやして、よく眠れない夜を過ごして、
朝 泣きながら目が覚めました。

そして、自分を責めない、という内容のブログを早朝書いて、私は眠くなったから
7時半ごろから寝たんですよ。

夢を見ました。
祖父の病室に、夜中に用意した写真を貼るんだけど、字だけ書いた紙も貼ってるんですよ。
「おじいちゃん、今までありがとう。これからも、よろしくね」
そう大きく書いてありました。夢の中でも、「今までありがとう」では死んじゃうみたいで
なんか変だようと思いました。

9時過ぎに目覚めて、母の着信に気付いてかけ直したら、祖父は8時半に息を引き取ったと聞かされました。
(後から聞いた話では、8時の採血の時は、痛い!痛い!と大声が出て、元気だったけれど、その後容体が急変したとのことでした)

寂しい気持ち、心残り、いっぱいでした。
祖父もさみしかっただろうと、自分の至らなさを色々と思いました。
祖父はひ孫をすごくかわいがってくれて
「こどもは来んか、こどもは来んか」といつも言っていたそうです。
11月に行ったときは「もっと来てもあんじゃないよ(大丈夫だよ)」と優しく言われました。
それなのに、行かなかった自分がいました。


でも、自分を責めないことが一番重要だと書いたところでした。

祖父が「命と家族が大事だよ」と、こんな形で教えてくれたんだろうと解釈しました。

たくさん、泣いて、泣いて

もうあとは、祖父が心残りなく成仏できるように、私が心を決めて、行動するだけです。



ほぼ毎日、田舎の実家に帰ってます。
往復2時間かかるけど、空気はおいしいし、星は綺麗。庭の向こうに田んぼの景色は広がって
心が落ち着きます。
実家は門もないし、多分、玄関のピンポンは壊れてて、来客のときはがらがらーっと戸が開いて
「おるかん?(居るかい?)」という感じで
そういうの、こっちの生活ではありえんことで、有難いことだなぁと思ったりします。

子ども達がもう少し喜んでくれたらいいのだけど。
おもちゃがないとか、お母さんが遊んでくれないとか色々と言ってます。

でも、星のきれいさにはびっくりしてました。
オリオン座の中に星がいっぱい見えるんですよ。

ほんと、田舎いいとこです。

2 コメント

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おはよーo(*⌒O⌒)b (ひろちゃん)
2013-01-19 08:15:55
夢でやりたいことやれたかな?四十九日までは淋しい気持ちや色んな気持ちを引きずっても大丈夫よ(^-^)それが済んだら一旦気持ちを切り替えて、また日が経ったら思い出したら良いらしいよ(^^)。私も同居してた祖父母がそれぞれ亡くなった時は辛かった~(ToT)。祖父は仕事行く前に親戚皆に見守られながら逝けたけど、祖母は賑やかな人だったのにうちの両親だけに見守られて逝きました。性格が合わず反発ばかりしてたけど、ほんと、涙が枯れました。その丁度一ヶ月後に阪神大震災だったなぁ~。逆に震災でバタバタしたから祖母もさっーと行くところに行けたかも。せっかちな人だったから…(^o^;)あ、そういやその祖母が生前体調悪くて私の父親が病院に連れて行った時に医者が深刻な病状だったのに態度が悪く(ペンを回しながら病状説明)、ブチ切れて連れて帰ってきたってことがあったよ!
生死に関わる仕事をされてる方は毎回初心に帰って欲しいものです。

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ひろちゃんへ (mame(なお))
2013-01-19 23:20:47
コメント、さっき書いたんだけど、送信する前に消してしまったのかな。気を取り直して書きます。
そうだね。夢の中でお別れを言いに行って、それが祖父には伝わってるって信じてるよ。なんだか、うまく気持ちを切り替えてまとまろうとしている自分がいたけど、ひろちゃんに49日まではと言ってもらって、もっと素直に悲しんだり、怒ったりしてもいいかもって思えたよ。亡くなったと知らずに病院にかけつけた叔母が看護士さんに笑顔で「おうちに帰られました~霊柩車で~」と言われたそうな。私は亡くなった日の夜にもう一度病院に話を聞きに行こうと思って行ったけど、その時も笑顔で「あ~はいはい。○○さんですね~。落ち着かれましたかぁ」って言われちゃったよ。亡くなったその日に落ち着くわけないよ、と言葉をなくしたよ。だんだん、慣れてしまうのかもしれないね。それに、当事者でなければ、本当の苦しみや悲しみは容易に想像できないのかもしれないね。今となっては誰かを責めてもしょうがないとも思えるし、私にもそういう面があるだろうと思ったりもするけどね。あの時自分の中に燃え盛っていたものは忘れずにいたいな。
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