日本人の心ー息吹き 空缶が土に、土が桜になった話 出光財団
「空缶が土に、土が桜になった話」
このお話は私が30年ほど前に(1974年)、千葉市の埋め立て地区に
できたガーデンタウンに少年野球チームをつくり、地域のコミュニティ
づくりをしていた時の話です。
たった6人で始まった少年野球チーム リトル・インディアンズが中心になり、
地域に緑を増やし、インディアンズ祭りなどの行事を増やして行き、やがて
5000坪もの広さの「子ども広場」を作りました。
少年達が廃品回収など一生懸命働く姿は地域の人たちの心をうち、
すばらしいコミュニティが出来上がって行きます。
そして1979年、日中友好条約締結の翌年、中国から招待を受け、
世界で初めて少年野球を紹介するために北京、上海を訪問しました。
その過程を出光石油の創始者である出光佐三さんが創った出光財団の雑誌
「日本人の心」(1979年 )が取り上げてくださいました。
この時のことが今でも、自分の原点になっているように思えます。
著者は当時、出光の広報にお勤めの木原陽一郎さんです。
30年前の話ですが、最近、問題になっている子どもの教育と地域について
考えるとき、この実話は参考になるかも知れません。
幸町リトル・インディアンズの訪中の様子を日本テレビが同行取材をし、総理府の提供で「日本レポート」:「少年野球で日中親善」というテーマで全国放送した。1978年日中平和友好条約締結の翌年で、しかも1979年が国際児童年であったことで高い視聴率を上げた。
http://blog.canpan.info/harada/daily/200611/01
関連資料:
少年野球 米・中を行く
ー中国に少年野球を紹介
(日本経済新聞 文化欄1984年12月12日 )
http://blog.goo.ne.jp/mamakatz/e/f45a23e2b0ea28d24208478624178010
振り返ると「なぜあんなに夢中」だったのか、何がそうさえたのか不思議なる世界でした。日本人がまだ残していた「純」な言葉があったのでしょうか。
もうこのこの時代はあの少年の高らかな声は呼び起こせないのでしょうか。
私も中国に行かせていただいたのでこの記事を読むと感慨深いです。
ところで、インディアンズですが2007年より8年ぶりに活動再開しています。
3、4年生を中心に部員は14人だそうです。
今は昔と違って子供広場周辺は建物があり、風通しが悪く暑い中子供たちは一生懸命練習しています。
インディアンズOBのT監督とともに昔学んだ経験を伝えていこうと思っています。
読みました。
30年余のことが思い出されます。
「空缶が桜になった話」を書かせて頂いた者です。当時、I社の千葉支店に勤務しており
会社で発刊している「日本人の心」への投稿依頼を受け、市役所他で聞き込みをしました。
そうして、鈴木さんとリトルインディアンズを知り、お話を聞きまとめました。
グランドを歩いていると「桜に恥じない人になろう」という掲示板が目に留まりました。
それを文章の最後に書きました。
少年たちの夢は海外、オリンピックまで広がり
各人がそれぞれの道を歩かれています。
とても嬉しいことです。感動します。
私は、今、退職して生家を使ってささやかな
ふれあい活動のようなことをしています。
たまたま明治初期の建物が使われてないまま残っていたので、庭に妻が植えている山野草を観て頂いたり、食事を提供したりしています。
出会い・再会の場、ふれあいの場になっています。どこか通じるところがあります。
皆様のご活躍、ご健勝
お祈りしております。
山口県周南市
木原陽一郎
(ぎゃらりー 野草の庭)