アメリンゴカのプレゼンイベント
TED
世界中の人々に勇気とに感動を与えた
マーティン・ピストリウス(40歳)
彼のプレゼンテーション
人間の尊厳とは何か
人間の尊厳を守るとはどういうことか
人間の尊厳には何が大事か
それを考えさせられたプレゼン
僕は目覚めたのに誰も気付かなかった
1987年原因不明の病を発症
あらゆる検査や治療も虚しく
12歳の彼はどんどん悪くなり
息子を助けてやれないと言う絶望感から
発病から2年後に母親が自殺未遂を
父親は機械技師として働きながら
マーティンの面倒を見た
しかし寝たきりの生活になり
意識もなくなって行く
それから4年後
彼の意識がゆっくり戻り始める
視力や聴力そして思考も回復していた
19歳の時には周りで起こる全ての出来事を
理解するようになった
ところが彼の意識が戻っていると
誰も気付く事はなかった
13年間
意識がないと思われていた
永遠に続くかと思われるような
深い孤独が彼を襲う
そんな世界から彼を
救い出してくれたのが
週に一度だけ介護施設に
来るようになったアロマセラピスト
彼女はマーティンの目が微かに
動いていることに気付く
彼女は彼が全てを理解していると確信する
そして彼は復活した
彼は今も言葉を発することが出来ない
しかし彼の少年時代からの
コンピューターを操る才能は健在だ
障害者の活動を支援する団体の
コミュニケーションソフトウェアの
開発にも携わっています
自らユーザーとなり開発された
ソフトウェアは彼が世界とつながる
ために欠かせないものに
今も彼は声を発する事が出来ない
彼は壮絶な体験を語る
パソコンを使ったマシンボイスで
彼のプレゼンは行われた
想像してみて下さい
お腹がすいた
痛い
ありがとう
と言いたいのに声が出せないことを
想い通りに動かない体に
閉じ込められてしまうことを
周りに人がいるのに完全な孤独
自分の意思を伝えたい
心を通わせたいとただただ必死に願う
それが13年も続いた私の現実
大抵の人はコミュニケーションについて
改めて考えたりしないでしょう
私はずいぶんと考えた
時間はたっぷりあったから
12歳になるまではごく普通の健康な少年
しかし突然すべてが変わった
脳の感染症にかかったのです
原因は不明
あらゆる治療を試したものの
病状は次第に悪化
やがて私は体を動かせなくなり
目を合わすことも
遂には話すことも出来なくなってしまいました
入院中うちに帰りたくてたまらなかった
私は母にいつウチにと聞きました
それが自分の声で発した
最後の言葉になりました
あらゆる検査で意識がないと判定され
両親はこう告げられた
息子さんにはもう生後3か月の
赤ちゃん程度の知能しかないと
家に連れて帰って穏やかな死を
迎えさせてやりなさいと
家族全員が私の介護中心の生活を
余儀なくされ友人たちとも疎遠になり
1年が2年に2年が3年にと月日は過ぎて行く
私という存在が自然に
消えて行くかのようでした
大好きだったブロックや電子回路は
片付けられ自分の子供部屋から
介護しやすい部屋に移されました
かつて家族に愛された少年は幽霊
ゴーストになってしまった
ところがしばらくすると私の意識は
徐々に戻り始めます
しかし私が生き返ったことに誰も
気付きませんでした
普通の人と同じように
全てのことを認識していた
全てが見えてたし理解できてたのに
それを人に伝えることが出来なかった
私の人格は声も出せない体に閉じ込められ
目覚めた意識は眉の中に隠されている
残りの人生を自分の中に
閉じ込められたまま過ごすことに
なるという恐ろしい現実
話し相手は自分の思考だけ
誰も助けてくれない
誰も優しくしてくれないし友達もいない
誰も私を愛してはくれない
夢も希望もない
何も期目を合わすことも出来きない
私は恐怖の中で生きていた
そしていっそのこと死んで開放されたいと
思うようになり介護施設で孤独に
死ぬ日を待っていました
人とコミュニケーションできない
それを言葉で表現してみると
人格は濃い霧の中に消え失せ
全ての感情や願望が自分の内側に
押し込められ、もみ消される
最もつらかったのが完全な無力感
単に存在しているだけで暗闇の中
自分を見つけることも出来ない
ある意味で私は消えていた
生活のあらゆる面を他人がコントロール
いつ何を食べるか横になるか
車椅子に座るのかといった全てを
最悪だったのが子供向け番組の
バァーニアンドフレンズを何度も
繰り返し見せられたこと
陽気な恐竜を見るたび返って落ち込んだ
私は無力でした
こんな状況を変えられなかった
ただ透明人間だった私は誰にも
見られていない時に人がどんな行動を
取るか観察することが出来ました
でも不幸なことに私は
ただの観察者じゃなかった
感情を持たない無抵抗の物体と見なされた
私は人々のどす黒い欲望のはけ口にされた
格好の餌食だった
10年以上に渡り介護士達は私を罵り
肉体的に性的に虐待しました
私はその全てを感じていたのです
初めて虐待された時には
ひどいショックを受けました
何故こんなことが出来るのか
何故こんな仕打ちを受けなければならないのか
泣きたくなる自分と反撃したくなる自分が
痛みと悲しみと怒りでいっぱいの自分が
でも慰めてくれる人はいない
両親は虐待を知りませんでした
私は怯えながら生きていた
虐待は必ず繰り返されるとわかっていたから
このままでは自分が壊れると思った
ホイットニーヒューストンの歌に
こんな歌詞がある
私から全てを取り上げても
尊厳だけは奪えない
私はこう言いたい
それって本当?
両親が普通の状態なら虐待に気付いていたかも
しかし2時間毎に寝返りを打たせなければ
ならない介護を続けて来た両親は
疲れ果て追い詰められていました
父と口論になった後絶望し自暴自棄に
なった母が私にこういったことがあります
死んでくれればいいのにと
ショックでした
でも何故そんなことを言うに至ったかを
考えているうちに母への深い愛情と
同情が湧いてきました
何度も絶望の淵に立たされ
何度もあきらめた
どん底にいたそんな時
ある出来事が行った
父と買い物に出かけ私は一人残された
そこへ知らない男性が通りかかり
私の顔を見てニッコリ笑った
人と触れ合った
この一瞬の出来事が
私の気持ちを変えた
もっと生きていたいと想うように
その頃の毎日は拷問のように
単調で耐え難いほどだった
空想で退屈を紛らわせるしかなく
床を走り回るアリをテーマに
ファンタジー物語を作ったり
影の位置を見て時間を知る方法も
時間の経過と共に影が動くかがわかると
どれくらいで迎えが来るかがわかるように
私を連れ帰るために父がドアから
入って来る時が1日で最高の瞬間
私は自分の心を操った
ある時は心を閉じて現実から逃避し
ある時は空想で心を満たした
意識があることを誰かが気付いて
くれることを願いながら
しかし本当の私は
波打ち際の砂の城のように洗い流され
人々がこうだと決め付けた私がいた
ある人にとっては中身が空っぽの人間
虐待されても当然の人間
別の人にとっては脳にダメージを受けたまま
大人になった悲劇の少年
面倒を見るべき対象
つまり私は真っ白なキャンバスであり
そこにはさまざまな私が投影されていた
ところがある日
私を全く違う目で見てくれる人物が現れた
それは週に1回だけ介護施設に
来るようになったアロマセラピスト
彼女は私が周囲のことを
理解していると確信しました
専門家の検査を受けるように
両親を説得してくれたんです
それから1年も経たないうちに
コンピューターを使って
コミュニケーションを取れるようになった
本当にうれしかった
でも言いたいことはたくさんあるのに
すぐ伝えられなくて苛立つことも
自分の気持ちを伝えられるようになった
私は自分自身に言葉をかけてみたりした
そうやって自分自身の気持ちを表現すれば
みんなが聞いてくれると信じていました
しかしコンピューターを使って新しい声を
作る試みはまだ始まったばかりでした
私は未知の世界に飛び込むため介護施設に
行くのをやめました
そしてなんと初めての仕事を手に入れた
素晴らしい体験
ワクワクの連続
ただ圧倒されたり怯えた事も
子供のまま大人になった私は
新たな世界に悪戦苦闘
どうやら子供時代の私を知る人は
自分の記憶にある私のイメージを
捨てられず逆に出会ったばかりの人は
もの言わぬ人のイメージが払拭できない
一部の人々は私が彼らの期待通りの事を
言った時だけ耳を傾けました
それ以外の話は無視されてしまった
単にメッセージを発するだけでは真の
コミュニケーションにはならない
肝心なのは耳を傾けてもらい尊重して
もらうことだと悟りました
それでも状況はどんどん良くなった
体は徐々に力を取り戻し大好きな
コンピューターの仕事にも付いた
夢にまで見た犬を飼うことも出来た
でも私には人生を共に歩む
パートナーがいなかった
外を眺めてこう考えていました
人を愛する気持ちがこんなにあるのに
この愛を捧げる相手がいないと
一生一人だろうと諦めかけた頃
ジョアナと出会いました
私にとって人生最高の出来事
ジョアナは自分自身に対する
私の思い込みが間違っている事を
教えてくれました
彼女はあなたの言葉を聞いて
恋に落ちたと言ってくれたが
私はこれまでの経験から得た
確信を捨てられなかった
障害者である自分を受け入れてくれる
人などいないと言う確信を
そもそも私には自分が男だと言う
自覚すらなかった
誰かに男と言われた時は思考が停止
誰、僕のこと?と聞きたい気分だった
ジョアナはそうした全てを
変えてくれたんです
彼女と出会って正直に気持ちを
伝え合うことの大切さを学びました
そして想った通りのことを
口にする自信も付いた
何より自分には愛される価値が
あることを学びました
運命は変えられる
そう想った私は職場で積極的に発言し
周りの人に自立したいと主張しました
コミュニケーションの手段を
与えられたことで全てが変わった
言葉と意思の力が人々の
そして私自身の先入観を覆したのです
コミュニケーションが
人間を人間たらしめる
コミュニケーションが
周囲の人との繋がりを強くする
自分のことを語ったり
願望を伝えたり
人の話に耳を傾けたりすることで
そうしたことを通じて
私たちが何者であるかを
知ることがてきるんです
真のコミュニケーションは
理解を深め想いやりに満ちた世界を作る
かつての私は車椅子に乗った
心を持たない少年の亡霊
だが今の私は違います
夫であり息子であり友人あり兄弟であり
優秀な成績で大学を卒業した経営者でもある
コミュニケーションの能力がなければ
これらは一つも手に入らなかった
行動は言葉よりも雄弁と言うが
本当にそうでしょうか
言葉は行動に負けないパワーを持っている
自分自身の声で語るにせよ
目で合図を送るにせよ
代弁してくれる人に伝えてもらうにせよ
私たちにとって言葉は最も協力な手段の一つ
私は周囲の人々の想いやりと言葉で
恐ろしい暗闇から救い出されました
そして今日みなさんが話を
聞いてくれたことで
また一歩明るい場所に近づきました
もし私がコミュニケーションする上での
障害を上げるとしたら大声で叫んだり
そっと言葉をささやくことが出来ないと
言うことです
いつも同じ口調だから
でも今から言う言葉は
この上なく暖かい口調で伝えたい
ありがとう
(○´∀`○)
毎日を楽しく有意義に過ごせるような
さまざまな情報を発信しています
ブログ名
あなたの想いはあなたそのもの
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TED
世界中の人々に勇気とに感動を与えた
マーティン・ピストリウス(40歳)
彼のプレゼンテーション
人間の尊厳とは何か
人間の尊厳を守るとはどういうことか
人間の尊厳には何が大事か
それを考えさせられたプレゼン
僕は目覚めたのに誰も気付かなかった
1987年原因不明の病を発症
あらゆる検査や治療も虚しく
12歳の彼はどんどん悪くなり
息子を助けてやれないと言う絶望感から
発病から2年後に母親が自殺未遂を
父親は機械技師として働きながら
マーティンの面倒を見た
しかし寝たきりの生活になり
意識もなくなって行く
それから4年後
彼の意識がゆっくり戻り始める
視力や聴力そして思考も回復していた
19歳の時には周りで起こる全ての出来事を
理解するようになった
ところが彼の意識が戻っていると
誰も気付く事はなかった
13年間
意識がないと思われていた
永遠に続くかと思われるような
深い孤独が彼を襲う
そんな世界から彼を
救い出してくれたのが
週に一度だけ介護施設に
来るようになったアロマセラピスト
彼女はマーティンの目が微かに
動いていることに気付く
彼女は彼が全てを理解していると確信する
そして彼は復活した
彼は今も言葉を発することが出来ない
しかし彼の少年時代からの
コンピューターを操る才能は健在だ
障害者の活動を支援する団体の
コミュニケーションソフトウェアの
開発にも携わっています
自らユーザーとなり開発された
ソフトウェアは彼が世界とつながる
ために欠かせないものに
今も彼は声を発する事が出来ない
彼は壮絶な体験を語る
パソコンを使ったマシンボイスで
彼のプレゼンは行われた
想像してみて下さい
お腹がすいた
痛い
ありがとう
と言いたいのに声が出せないことを
想い通りに動かない体に
閉じ込められてしまうことを
周りに人がいるのに完全な孤独
自分の意思を伝えたい
心を通わせたいとただただ必死に願う
それが13年も続いた私の現実
大抵の人はコミュニケーションについて
改めて考えたりしないでしょう
私はずいぶんと考えた
時間はたっぷりあったから
12歳になるまではごく普通の健康な少年
しかし突然すべてが変わった
脳の感染症にかかったのです
原因は不明
あらゆる治療を試したものの
病状は次第に悪化
やがて私は体を動かせなくなり
目を合わすことも
遂には話すことも出来なくなってしまいました
入院中うちに帰りたくてたまらなかった
私は母にいつウチにと聞きました
それが自分の声で発した
最後の言葉になりました
あらゆる検査で意識がないと判定され
両親はこう告げられた
息子さんにはもう生後3か月の
赤ちゃん程度の知能しかないと
家に連れて帰って穏やかな死を
迎えさせてやりなさいと
家族全員が私の介護中心の生活を
余儀なくされ友人たちとも疎遠になり
1年が2年に2年が3年にと月日は過ぎて行く
私という存在が自然に
消えて行くかのようでした
大好きだったブロックや電子回路は
片付けられ自分の子供部屋から
介護しやすい部屋に移されました
かつて家族に愛された少年は幽霊
ゴーストになってしまった
ところがしばらくすると私の意識は
徐々に戻り始めます
しかし私が生き返ったことに誰も
気付きませんでした
普通の人と同じように
全てのことを認識していた
全てが見えてたし理解できてたのに
それを人に伝えることが出来なかった
私の人格は声も出せない体に閉じ込められ
目覚めた意識は眉の中に隠されている
残りの人生を自分の中に
閉じ込められたまま過ごすことに
なるという恐ろしい現実
話し相手は自分の思考だけ
誰も助けてくれない
誰も優しくしてくれないし友達もいない
誰も私を愛してはくれない
夢も希望もない
何も期目を合わすことも出来きない
私は恐怖の中で生きていた
そしていっそのこと死んで開放されたいと
思うようになり介護施設で孤独に
死ぬ日を待っていました
人とコミュニケーションできない
それを言葉で表現してみると
人格は濃い霧の中に消え失せ
全ての感情や願望が自分の内側に
押し込められ、もみ消される
最もつらかったのが完全な無力感
単に存在しているだけで暗闇の中
自分を見つけることも出来ない
ある意味で私は消えていた
生活のあらゆる面を他人がコントロール
いつ何を食べるか横になるか
車椅子に座るのかといった全てを
最悪だったのが子供向け番組の
バァーニアンドフレンズを何度も
繰り返し見せられたこと
陽気な恐竜を見るたび返って落ち込んだ
私は無力でした
こんな状況を変えられなかった
ただ透明人間だった私は誰にも
見られていない時に人がどんな行動を
取るか観察することが出来ました
でも不幸なことに私は
ただの観察者じゃなかった
感情を持たない無抵抗の物体と見なされた
私は人々のどす黒い欲望のはけ口にされた
格好の餌食だった
10年以上に渡り介護士達は私を罵り
肉体的に性的に虐待しました
私はその全てを感じていたのです
初めて虐待された時には
ひどいショックを受けました
何故こんなことが出来るのか
何故こんな仕打ちを受けなければならないのか
泣きたくなる自分と反撃したくなる自分が
痛みと悲しみと怒りでいっぱいの自分が
でも慰めてくれる人はいない
両親は虐待を知りませんでした
私は怯えながら生きていた
虐待は必ず繰り返されるとわかっていたから
このままでは自分が壊れると思った
ホイットニーヒューストンの歌に
こんな歌詞がある
私から全てを取り上げても
尊厳だけは奪えない
私はこう言いたい
それって本当?
両親が普通の状態なら虐待に気付いていたかも
しかし2時間毎に寝返りを打たせなければ
ならない介護を続けて来た両親は
疲れ果て追い詰められていました
父と口論になった後絶望し自暴自棄に
なった母が私にこういったことがあります
死んでくれればいいのにと
ショックでした
でも何故そんなことを言うに至ったかを
考えているうちに母への深い愛情と
同情が湧いてきました
何度も絶望の淵に立たされ
何度もあきらめた
どん底にいたそんな時
ある出来事が行った
父と買い物に出かけ私は一人残された
そこへ知らない男性が通りかかり
私の顔を見てニッコリ笑った
人と触れ合った
この一瞬の出来事が
私の気持ちを変えた
もっと生きていたいと想うように
その頃の毎日は拷問のように
単調で耐え難いほどだった
空想で退屈を紛らわせるしかなく
床を走り回るアリをテーマに
ファンタジー物語を作ったり
影の位置を見て時間を知る方法も
時間の経過と共に影が動くかがわかると
どれくらいで迎えが来るかがわかるように
私を連れ帰るために父がドアから
入って来る時が1日で最高の瞬間
私は自分の心を操った
ある時は心を閉じて現実から逃避し
ある時は空想で心を満たした
意識があることを誰かが気付いて
くれることを願いながら
しかし本当の私は
波打ち際の砂の城のように洗い流され
人々がこうだと決め付けた私がいた
ある人にとっては中身が空っぽの人間
虐待されても当然の人間
別の人にとっては脳にダメージを受けたまま
大人になった悲劇の少年
面倒を見るべき対象
つまり私は真っ白なキャンバスであり
そこにはさまざまな私が投影されていた
ところがある日
私を全く違う目で見てくれる人物が現れた
それは週に1回だけ介護施設に
来るようになったアロマセラピスト
彼女は私が周囲のことを
理解していると確信しました
専門家の検査を受けるように
両親を説得してくれたんです
それから1年も経たないうちに
コンピューターを使って
コミュニケーションを取れるようになった
本当にうれしかった
でも言いたいことはたくさんあるのに
すぐ伝えられなくて苛立つことも
自分の気持ちを伝えられるようになった
私は自分自身に言葉をかけてみたりした
そうやって自分自身の気持ちを表現すれば
みんなが聞いてくれると信じていました
しかしコンピューターを使って新しい声を
作る試みはまだ始まったばかりでした
私は未知の世界に飛び込むため介護施設に
行くのをやめました
そしてなんと初めての仕事を手に入れた
素晴らしい体験
ワクワクの連続
ただ圧倒されたり怯えた事も
子供のまま大人になった私は
新たな世界に悪戦苦闘
どうやら子供時代の私を知る人は
自分の記憶にある私のイメージを
捨てられず逆に出会ったばかりの人は
もの言わぬ人のイメージが払拭できない
一部の人々は私が彼らの期待通りの事を
言った時だけ耳を傾けました
それ以外の話は無視されてしまった
単にメッセージを発するだけでは真の
コミュニケーションにはならない
肝心なのは耳を傾けてもらい尊重して
もらうことだと悟りました
それでも状況はどんどん良くなった
体は徐々に力を取り戻し大好きな
コンピューターの仕事にも付いた
夢にまで見た犬を飼うことも出来た
でも私には人生を共に歩む
パートナーがいなかった
外を眺めてこう考えていました
人を愛する気持ちがこんなにあるのに
この愛を捧げる相手がいないと
一生一人だろうと諦めかけた頃
ジョアナと出会いました
私にとって人生最高の出来事
ジョアナは自分自身に対する
私の思い込みが間違っている事を
教えてくれました
彼女はあなたの言葉を聞いて
恋に落ちたと言ってくれたが
私はこれまでの経験から得た
確信を捨てられなかった
障害者である自分を受け入れてくれる
人などいないと言う確信を
そもそも私には自分が男だと言う
自覚すらなかった
誰かに男と言われた時は思考が停止
誰、僕のこと?と聞きたい気分だった
ジョアナはそうした全てを
変えてくれたんです
彼女と出会って正直に気持ちを
伝え合うことの大切さを学びました
そして想った通りのことを
口にする自信も付いた
何より自分には愛される価値が
あることを学びました
運命は変えられる
そう想った私は職場で積極的に発言し
周りの人に自立したいと主張しました
コミュニケーションの手段を
与えられたことで全てが変わった
言葉と意思の力が人々の
そして私自身の先入観を覆したのです
コミュニケーションが
人間を人間たらしめる
コミュニケーションが
周囲の人との繋がりを強くする
自分のことを語ったり
願望を伝えたり
人の話に耳を傾けたりすることで
そうしたことを通じて
私たちが何者であるかを
知ることがてきるんです
真のコミュニケーションは
理解を深め想いやりに満ちた世界を作る
かつての私は車椅子に乗った
心を持たない少年の亡霊
だが今の私は違います
夫であり息子であり友人あり兄弟であり
優秀な成績で大学を卒業した経営者でもある
コミュニケーションの能力がなければ
これらは一つも手に入らなかった
行動は言葉よりも雄弁と言うが
本当にそうでしょうか
言葉は行動に負けないパワーを持っている
自分自身の声で語るにせよ
目で合図を送るにせよ
代弁してくれる人に伝えてもらうにせよ
私たちにとって言葉は最も協力な手段の一つ
私は周囲の人々の想いやりと言葉で
恐ろしい暗闇から救い出されました
そして今日みなさんが話を
聞いてくれたことで
また一歩明るい場所に近づきました
もし私がコミュニケーションする上での
障害を上げるとしたら大声で叫んだり
そっと言葉をささやくことが出来ないと
言うことです
いつも同じ口調だから
でも今から言う言葉は
この上なく暖かい口調で伝えたい
ありがとう
(○´∀`○)
毎日を楽しく有意義に過ごせるような
さまざまな情報を発信しています
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