おばさんの挑戦

四十の手習いで始めたパソコン、初めてのブログ挑戦。

行列のできる店

2009-02-28 10:51:16 | 日記

勤め先が変わるのは、やはり不安でした
井の中の蛙ですね よそのお店など見たことがなく
実家にある店と花○美容室しか知りませんでした。
私の配属先は、宇都宮市内{ビューティ・○イーン}材木町の本店に決まり
前のお店が昨日までと今日から本店、休むことなく
本店に住み込みの準備をして、連れて行かれました。
そんな不安は考える暇もないくらい、とても忙しいお店です
本店は16坪のお店で、鏡が7面・シャンプー台が3台
その2階が寮になっていました。
朝おきて食事が終わるとお店の開店準備、朝礼がすんで
カーテンを開けると、必ず3,4人はお客様がならんで
待っています。その3,4人が席に座る頃には
次のお客様が、見えるのです
待合ソファーには、常に4,5人は待っていました。

ここ宇都宮は餃子の街と言われて、有名になった
餃子のお店は毎日盛況でならんでいますが、そんな感じですね
ちなみに私はその店で並んでまで、食べたくありませんが
機械があったら食べてみたいと思います。
私の好きだった餃子専門店「香蘭」さんは
とても美味しくて、有名だったのに・・・
跡継ぎがなく閉店したと聞きましたが、詳細は
解りません。

一週間になりました

2009-02-27 10:53:14 | 日記
ブログを始めて、今日で一週間が経ちました
始めるにあたり最初は躊躇して、中々踏み切れませんでした。
何を書いたら良いのか、文才もないしと・・・
ある女性に、大いに刺激を受け私も書いてみたいと始めたのです。
その女性は宇都宮の電気店で今は会長さんです、
私にパソコンの勉強を勧めて下さった人です。
その女性が、4年位で、パソコンを勉強して
2年の間に小説は書く・携帯小説・ブログと身に付けていたのです。
その女性70歳代です 凄いですよね~

私はパソコンでしている事は、オークションと帳簿を付ける事だけで
この女性が、大いに私を刺激してブログを始めるきっかけを
作ってくれたのです。

オークションはビッターズと言うサイトで、ハンドルネーム「リサイクル・まこ姐」
と言う名前で出品しています。見かけたら宜しくお願いいたします。


インターン 2

2009-02-26 12:28:24 | 日記
インターンに勤めたお店は、先生と奥さん 先輩3人
皆住み込みでしたが、私のインターンが終わるまでには
それぞれ退職していきました。
その後先生夫婦と後輩と私、おばあちゃん先生もいましたが
身体を壊し入退院の繰り返しで、お店に出ることはありませんでした。
先生と奥さんは、東京で知り合い結婚したと聞きました。
東京育ちの奥さんは宇都宮の空気には馴染めなかったのですね
2人で東京に戻るのでお店を辞める事になったと
言われ、私は何れ辞める気でいたので「じゃ実家に戻る」・・・
困ったのは両親だったと思います。
「中途半端で戻ってきても」・・・仕事は基礎を教えて貰った程度
そんな折、お店を支店として借りたいという人がお店を視察に来たのです。
その先生との出会いがあり、その先生が「私のお店に来ない」
と声をかけてくれたのです。両親は勿論喜んで、
「もっと仕事を覚えてきたら」と後押ししてくれました。
その先生は数年後に、美容室では北関東一の規模を誇るお店のオーナーに
なる方で、その後の私の人生を大きく開花させてくれることになるのです。


インターン時代

2009-02-25 10:47:09 | 日記
修行を始めてインターンの初任給 当時は住み込みで5,500円 
今では考えられない給料です。普通大学を出たサラリーマンが、18,000円位と
聞きました。デパートに出かけてスカートが980円位・ブラウスも同じ位
給料で買えましたが、後は化粧品を買って、実家に帰るのに往復400円位

インターンに入り4ヶ月も過ぎた頃、突然裁判所から封筒が届きました
封筒を開けて、書面を見ても良く解らない
店主に見てもらい、説明をして貰った
店主は2代目店主、男性美容師でした 店主に預けた住民票が
忘れられて届けないでいたのだ。と言う事は4ヶ月も「私はおばけ」でいたのか
もしかして「住所不定」・・と言うこと?
私「先生国家試験受けること出来ますか?」
店主「大丈夫俺が何とかする○田君は心配するな」
そんなやりとりだったと思います。
無事に国家試験も受かり、もう少し仕事も覚えようかという矢先
天変地異と言うのか、店主が突然閉店宣言・・・・

私の父は

2009-02-23 10:16:10 | 日記
少し父の話を書きましょう 父は大正の生まれで埼玉県出身
結婚して、S郡・I町に移り住んだと言う
I町では父の事を、皆「やっさん」と呼ぶ 
子供心に 父の名前は「○ずみ」なのに、変だな~と思っていたのです。
大人になって詳しく分かった事は、
父が言った話です
今で言う高校を受験して「入学後成績が優秀だから一週間で卒業したと」・・
手が付けられず「退学」させられたのです
その後は言うまでもありません 極道の道に足を踏み入れた
私は極道の世界は知りませんが、下足番を「やし」と呼んだのだそうです。
そんな時期に母と知り合い、母に「極道とは一緒にならない」と
袖にされたそうです。母と一緒になりたかった、父はボコボコに
されかたどうか分かりませんが、足抜けして極道と縁を切ったと聞きました。
父も隠し事はできない人、極道になりそこねた話をしたのでしょう
それで「やっさん」と呼ばれたのだとか
母は終戦後 疎開先に迎えに来た父と、「かけおち」をして
I町に来て苦労して、父を支えたのだと聞きました。