おばさんの挑戦

四十の手習いで始めたパソコン、初めてのブログ挑戦。

修行時代 5 (慰安旅行)

2009-03-06 12:23:18 | 日記
新体制で本店が動き出した 店内は3ブロックに分けられ
A・B・C各ブロックに主任を作り部下3人
各ブロックドレッサー4面になっていた
来店したお客様は受付を済まし、フロント嬢がお席まで
誘導する 
その頃は新人も増え講習会も外部から技術指導を
依頼して当時流行のヴィダル・サッスーン考案の
カット指導スタッフ全員で習得する事になった。
東京にお店を持つ 松井東夫(まつい・はるお)さんの
お店の店長さんが指導に来てくれました
松井先生は全国を講習会で飛び回る人で人気のある先生です
なぜ店長さんかと言うと松井先生よりは安くお願いできるから
凄く腕の良い店長さんでした。
勉強会は月1回火曜日に教えて貰う
そんな日が2年位ありましたか ある日お店の先生が
突然に「みんな慰安旅行はグアムに行こう」・・・
誰も海外旅行など経験がありませんから
それはとても喜びました
慰安旅行はたくさん連れて行って貰いました・・・



確定申告

2009-03-05 10:55:58 | 日記
火曜日は定休日です 3日(火)は確定申告に行ってきました
今までは計理士さんに、お願いしていましたが 担当さんが
辞めたのをきっかけに 他の美容師さんだって
一人のお店の人は自分で申告出来るのだから
私にだって出来るはずと始めました。
申告って書類が出来るまでが大変です
早めに終わらせようと市内のマロニエプラザに
意気込んで書類を持参 9時からなので
10分前に付いたのに そうしたらもうすでに
20人位並んで待っていたのです
私の番まで10分も待ちませんでした 係りの人に
目を通してもらい、パソコンの前に座って30分もかからず
終わって「はいこれが収めて頂く税金です」ですって
私思わず隣に座った担当のお姉さんに、もう少し税金安かったら
嬉しいのにね?お姉さん苦笑いでした。
言っても無駄ですが言わずにいられませんよね?

最近市町村の合併で、今までと地域が違う人も集まり
午後になって出かけると、時間がかかります
早く終わらせて良かった 午後から雪が降ってきました。


修行時代 4 (喉から手をだした話)

2009-03-04 11:37:59 | 日記
お店に勤めて5年位だったろうか 広い土地が近くにある
売りたいと言う話が、先生に持ち込まれた。
100坪位あった 先生は勿論のどから手が出るほど
欲しいと言っていた。先生が教えてくれた金額は
売却金額が3,000万と言う金額です。
たぶん先生は夜も眠れず興奮したと思います
その後先生の奮闘が始まりました 
当時新築の建売住宅が800万~980万位 
パーマ料金だって4,000円
土地と建物で億の位になるのですから、銀行の融資に
何回も足を運んで、話し合いをしたと聞きました。
融資が決まったときは、それはもう先生の顔
今でも忘れません・・キラキラと眩しい美しい顔でした。
当時お店のフロアだけで50坪のお店は、北関東には
ありません。本店の新築が出来上がるまで
今では記憶も薄れましたが、一年以上かかりましたか
地下一階・地上二階のビルが、出来上がり
住所も伝馬町に変りました 
先生は凄い人だと実感です・・一生かけても追いつきません。

新店舗オープン前に盛大な祝賀会が開かれ
先生の親類・お友達やお客様・銀行の人やビルを作った関係者
スタッフの家族など、料理はイタヤホテルの板前さんが
作ってくれました、ビューティ○イーン3店舗のスタッフは全員着飾り、
その日はホステスになりお客様を、接待することになりました。
場所はお店の三階でセメントの内流しでしたが
会場の中は熱気ムンムンで先生の顔も満面の笑顔
本店スタッフも明日からの仕事に頑張ろうと
意欲満々だった。
その三階は2年後にスタッフの寮とトレーニングルームに
なりました。


修行時代 2

2009-03-02 10:24:35 | 日記
修行して2・3年も経つと私も流石に辞めるとは、言わなくなった
さぞ両親も安心したと思います。だがその数年先に、まさか娘が
跡取りを拒否するとは両親は勿論 誰も想像が出来なかったと
思います その話は後々書かせて頂きます。
仕事を覚え楽しくなり、たくさんの講習会にも出てきました
地元宇都宮の講習会の時は先生も見えるので、最後まで
見て帰るのですが、東京の講習会は午前中だけ見て
後は仲の良かった リコちゃんと「行く?」と言って・・
エスケープして買い物に出かけてしまいました。
先生に講習費用を払って貰ったのに・・・
とんでもない弟子ですね
勿論自腹の講習会でもありましたよ この頃は生意気ざかりで
「魅力の無い講習会は飽きる」などと、
失礼な事を言った自分に 今反省しています(先生方ごめんなさい)
そんな事言う前に腕を上げろですよね

その時は高度成長時代 周りはすべて活気に溢れていました

仕事に慣れてきた時に笑っては失礼な話ですが
あるお客様がカットに見えられ「どうなさいますか?」と
尋ねたら「オカメカット」・・「えっ」・「オカメカットにして下さい」
???・どんなスタイルだぁ・・おかめと言えば、中分けで長い髪
お客様に話を良く聞き 当時流行の「オオカミカット」と判明
当時はオオカミカット・ウルフカットなどが流行でした。
日本にサッス―ンカットが上陸した頃です。


修行時代 

2009-03-01 12:19:47 | 日記
材木町本店は前の花房町から、比べると町の中心に近く
すべてが華やかでした。
近くに裁判所があり 東武デパートまで歩いて5分位で行くことが出来ました。
本店は二階が寮 仕事が終わると、後輩が用意してくれる夕飯を食べ
その後は各自、階下のお店に行きトレーニング(仕事)で先輩の指導を
受けたり、後輩のシャンプーのモデルになったりと、毎日トレーニング・・
2時間近くトレーニングが終わると、お風呂がないので
近くの銭湯(東湯)に出かける 200円だったか?・・を握り締めて
銭湯代を払って、残りのお金で「チレボン」のアイスを買って
アイスを舐めながら、お店の寮にと戻りました。
初めての給料は、前のお店の最後の給料の5倍もありました(ビックリした)
こんなに貰って良いのかな そんな記憶があります
規則は・外泊禁止・門限は9時までになりました(ちょっと気分は大人?)
車の免許取得禁止(日にちがかかるのと、日曜日に休むのは困るから)
本店の寮には、先輩4人と私で合計5人・・・
中堅で入店した私は本店の寮、私より年下は仕事が終わると○が丘店の寮に
帰っていきました。本店の寮ではもちろん私が一番下になるのですから
おとなしくしていた・・と思います。

チレボン(アイス)と言うお店 以前は小さなお店で、あちこちに
たくさんありましたが最近見かける事が、少なくなりました。
以前はジェラードのようなアイスだけでしたが。今は商品も
増えシュークリームなどもあるようです。