おばさんの挑戦

四十の手習いで始めたパソコン、初めてのブログ挑戦。

    親の決めた線路(レールは)パート2

2009-02-22 11:59:10 | 日記
普通の親と言うより一風変わった両親に育てられた娘が、
普通にはなれるはずがありません。美容学校を卒業時期に、
勤める気などありませんから
「約束どおり学校でたら、もういいでしょう」と言った私に
両親が「馬鹿言うな、資格取ってから考えろ」・・
そう言われれば確かに、学校を出ただけでは何の意味もない
勤め先を決めていない娘に、急いで父は修業先の
お店を見つけてきました。
学校卒業後に、宇都宮市の「花○美容室」に住み込みで
修行することになりました。父はそのお店に挨拶をかね 
住み込み修行の娘をつれて
経営者を待つ間「おまえは今日からここで一人前になるよう
、家族の人に可愛がられるように、家族だと思い、
一生懸命働きなさい」父は目が潤んでいました。
私は心では なんでここにほっぽりだされるのだと
悲しくなり泣いた。後に母から その父が「置いて来るのに、
泣かれて忍びなかった」と話していたそうだ。
親不孝な娘・・・

修行は厳しかった3ヶ月は実家に帰るのは禁止・その3ヶ月も
外出禁止火曜日の定休日は先輩が1人付いて、
家事を教えてくれた。
やっと3ヶ月たち、外出を許され朝早く起きて
実家に出かける 門限7時には戻らないと・・
バスと電車を乗り継いで1時間、やはり親に逢えたのは嬉しかった。
(まだまだ子供でした)

親が引いた線路に パート1

2009-02-21 11:51:25 | 日記
私の母は美容師でした 何処にでもある話ですが、親の家業を継ぐ
家族は両親と兄と私、当然のごとく両親は私を 美容室の
跡取りと決めていたのです。
私は子供の頃から、生来は普通の高校生になりOLになり
普通の結婚と思っていました。
美容の仕事が嫌いではありませんが
ご近所の家と比べると、夕方6時位に食事をして 8時頃にはくつろいで
いますが、私の家は夜の8時に夕食時間が普通です
美容室が遅く終わる時は、出前が何時もでした。
家族旅行なんて、一度も出かけた事がありません
母と田舎(母の実家)に、遊びにいくとか
子供会には何時も父(役員もあり)が、付き添いでした

中学も2年になると進路を決めることになり、両親から美容師の道に進むように
言われて「嫌だ」と猛反発・・・
親は上手です「美容学校出るだけで良いから」と、親の引いた線路に乗せられた
のです。今考えれば良く解るのに馬鹿ですね

通勤には

2009-02-20 11:23:54 | 日記
仕事に出るとき、私は毎日自転車に乗り荷台には愛犬くぅを乗せ
毎日 同じ時間に同じ道を通いますから、有名になっているのでは?
と思います。普通通勤に犬を連れて出勤する人は少ないはずです。
しかも自転車で・・自転車に犬を乗せるようになったのは
前犬まこの時からですから、もう12年位たちます 自転車に犬を乗せた
お姉さんと、言って貰えたら・・嬉しいです。
最近は後に付いた、自転車の人が愛犬くぅに声をかけてくれます
「おとなしく乗っているね」たぶん自転車の上は身の危険を感じておとなしく
しているのだと思います。お店に着くと もう大変
人がお店の前を通れば「入ってきてよ 遊ぼうワンワン」
犬が通れば「遊ぼうよワンワン」
お客様が店内は入るまで、ワンワン 帰るときは帰らないでワンワン
雄犬のくぅ 特に男性がライバルなのか、敵意むき出して
猪突猛進で、店入り口に飛んでいきます。
閉店後は自宅に戻ると、夫の所に飛んでいき「オレ父ちゃん大好きだ」と
猫みたいにゴロニャンと、纏わり付いてます。
この前まではライバルで、歯を剥いて噛み付いてたのに・・

パソコンを習ったのは

2009-02-19 11:23:51 | 日記
平成5年に母が亡くなり、その後最愛の妻を先立たれて悲しむ父を介護しながら
平成11年にその父も亡くなり、父優先に生きてきた私も目的を失い
半年くらい、何も手に付かない・何をしたら良いか解らず過ごしていました。
父が生存中から、もしもの事があったら「何か習い事」と思っていましたが
見つからず半年も過ぎた頃、お客様の勧めもありパソコンを習う事になりました。
パソコンなんてと・・・とても不安でしたがパソコンの家庭教師がいるのだと聞き、
早速紹介して貰い、最初に先生に面接して「私パソコンは初めてでワープロ
も触れた事が、ありませんが大丈夫でしょうか?」間髪いれず「大丈夫です」と
先生が答えてくれました。その言葉に安心して早速ノートパソコンを注文。
翌週から勉強が、始まりました。
もうすでに10年・・何とか使いこなせる自分がいます。
先生に感謝とPCを勧めてくれたお客様に感謝です。