ポンコツ爺いの戯言

初老ポンコツ爺いの戯言

OPM パート2

2005年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム
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 以前 OPMについて書きましたが、今回は男性シンガー編  
私はOPMについて決して詳しくないですが、知っている範囲で云うと、GARY VALENCIANOとMARTIN NIEVERAの
2大シンガーです。GARY・Vはダンサンブルな曲からバラードまでこなし、フィリピンの「マイケル・ジャクソン」と言われてました。(今では、このような呼び方はしません)
今では、「ピュア・エナジー」と評されているくらい、エネルギッシュに歌にダンスが得意です。

一方、MARTINは「コンサートキング」といわれ、LIVEの盛り上げ方は素晴らしい物です。彼のバラードは、フィリピーナの心を虜にします。元の奥さんでPOPS FERNADEZは「コンサートクィーン」と評されています。

私は、2人のコンサートは、東京の渋谷公会堂で観ましたがバックバンドがなくカラオケでのコンサートでしたが、
2人ともパワフルな歌声で、会場のピノイやピーナを魅了してました。GARY・Vの時は、会場がディスコ状態でした。
この時、私が感じた事は、フィリピンでは、ビッグスターなのにバッグバンドが無いのが不思議でした。
これは、他のフィリピンシンガーについても同じです。
小規模の招聘会社が呼んでいるから仕方がないと思います。(この問題は、別の機会で)

私が、後知っているシンガーは、HIP HOP系で、ANDREW・E 彼はタガログ語でラップを歌い日本語も取り混ぜて歌う事もします。ラッパーの顔を持つ彼は他にも、コメディアンや俳優でもあります。以前は、日本のクラブでライブをした事も有ります。

写真は、レジーン・ヴァラスケス



サーフィン

2005年03月13日 | スポーツ
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 サーフィンとの出会いは、25~6年位前で、当時の雑誌「ポパイ」で紹介され、カッコいいスポーツでした。ファッションでもサーファーブームで、映画「ビッグウェンズディー」も公開され、巷はサーファー&サーフィンブームでした。当時、中学生だった私は、あこがれのレジャーと「モテル」アイテムのひとつだと思いました。
 
日焼けとシェイプアップされた身体に潮焼けのロングヘアー、ファッションどれをとっても、「カッコいい」としかいえません!実際にサーフィンを始めたのは、高校1年の初冬でした。
 バイトをして初めて買ったボードで西湘の柳島でした。サーフィンも見るのとやるのでは、おおちがいでした。
当日のコンディションは、晴天でフッラット(波が無い状態)パドリング(腕で波を漕ぐこと)だけのデビューでした。
これだけのことでも、かなりの運動でした。サーフィンは、レジャーではなく、スポーツだと思いました。
カッコだけならシティーサーファーで充分とも思いました。
(当時シティーサーファーと言う言葉が有り、サーフィンは、出来ないがファッションだけのニセサーファーが渋谷、新宿、六本木でナンパしていました。)
早く上手くなりたい! ボードの上に立ちたいという気持ちがつよくなりました。
 それから、ボードの上に立てるまでがかなり時間が掛かりましたが、サーフィンの魅力にひかれていくことになりました。
写真は、今日3月13日の午前中の湘南、辻堂です。