2009-2-5
『古地図に描かれた草津』(草津市発行・草津市街道文化情報センター編集)よりますと、「村域はほとんど条里制におおわれ、隣村との境界も条里の線に沿って引かれている。開発が条里に基づくものであることが知られる。」とあります。聞き取りをおこなっていて、渋川でも条里制にまつわる話にいくつか出会いました。
では「条里制」って何でしょうか。『志津村史』(著:奥村修)に記されていました。
(草津)市域の沖積平野には、方格の道路畦畔をもつ水田地帯が広がっていろ。これは道路が直角に交わっているため、方形の区画が連続しているのである。この方格プランの広がりは、大きく分けると2つの異なったパターンが構成されている。109m×109mのものと、100メートル×30mあるいは100m×300mのものである。前者はいわゆる「条里」に由来するもの、後者は近年の圃場整備事業によって新たに造成されたものである。
「条里」とは何か。古の農村計画であると言ってよい。この種の土地区画は、我が国の平野部においてしばしばみられるもので、北は東北地方の秋田付近から、南は九州の大隅半島に至るまで分布していることが確かめられる。
では、「条里」とはどのようなプランを有していたのか。条里制では6町四方の正方形が1つの大きな単位となる。この6町とは1町が約109m強にあたるから、約654m強を1辺とする。6町四方の区画を「里」と呼ぶが、「里」は条と里という座標軸によって「○条○里」という特定の位置が示されるわけである。もっとも条や里の方向は各地方によって異なる。
「里」はさらに1町四方の区画に36等分される。これを「坪」と呼び、面積は3.600歩、すなわち1町歩となる。ところが「里」に○条○里という呼び方があるのと同様に、この「坪」にも1から36までの数詞名がつけられる。ある特定の1町四方の坪は「○条○里○ノ坪」と表すことによって、その位置が示されるのである。
「坪」はさらに10等分される。その各々が「1段」(現在の1反2畝)の面積をもつ耕地で、条里区画の最小区画単位ということになる。この10等分のしかたに2種類あった。30歩×12歩を1筆とする「半折型」と、60歩×6歩を1筆とする「長地型」がそれである。これら最小区画である「1段」の土地も、たとえば長地型であれば「○坪東(西)より何段目」という表現によって、その位置を明示することができる。
日本全国どこにあっても、その位置を文字で表現できた。すなわち「○国○郡○条○里○坪より○段目」というきわめて合理的で便利な呼称法で、きわめて明瞭にその位置を示すことができるのである。この土地区画法と呼称法を総称して「条里制」とよんでいる。市域では、どれぐらい条里と関係のありそうな地名が残っているのか-(「志津村史」P52~55)
渋川は、「一ノ坪・十ノ坪・三十六・南三十六・十二」と残っているそうです。
『古地図に描かれた草津』(草津市発行・草津市街道文化情報センター編集)よりますと、「村域はほとんど条里制におおわれ、隣村との境界も条里の線に沿って引かれている。開発が条里に基づくものであることが知られる。」とあります。聞き取りをおこなっていて、渋川でも条里制にまつわる話にいくつか出会いました。
では「条里制」って何でしょうか。『志津村史』(著:奥村修)に記されていました。
(草津)市域の沖積平野には、方格の道路畦畔をもつ水田地帯が広がっていろ。これは道路が直角に交わっているため、方形の区画が連続しているのである。この方格プランの広がりは、大きく分けると2つの異なったパターンが構成されている。109m×109mのものと、100メートル×30mあるいは100m×300mのものである。前者はいわゆる「条里」に由来するもの、後者は近年の圃場整備事業によって新たに造成されたものである。
「条里」とは何か。古の農村計画であると言ってよい。この種の土地区画は、我が国の平野部においてしばしばみられるもので、北は東北地方の秋田付近から、南は九州の大隅半島に至るまで分布していることが確かめられる。
では、「条里」とはどのようなプランを有していたのか。条里制では6町四方の正方形が1つの大きな単位となる。この6町とは1町が約109m強にあたるから、約654m強を1辺とする。6町四方の区画を「里」と呼ぶが、「里」は条と里という座標軸によって「○条○里」という特定の位置が示されるわけである。もっとも条や里の方向は各地方によって異なる。
「里」はさらに1町四方の区画に36等分される。これを「坪」と呼び、面積は3.600歩、すなわち1町歩となる。ところが「里」に○条○里という呼び方があるのと同様に、この「坪」にも1から36までの数詞名がつけられる。ある特定の1町四方の坪は「○条○里○ノ坪」と表すことによって、その位置が示されるのである。
「坪」はさらに10等分される。その各々が「1段」(現在の1反2畝)の面積をもつ耕地で、条里区画の最小区画単位ということになる。この10等分のしかたに2種類あった。30歩×12歩を1筆とする「半折型」と、60歩×6歩を1筆とする「長地型」がそれである。これら最小区画である「1段」の土地も、たとえば長地型であれば「○坪東(西)より何段目」という表現によって、その位置を明示することができる。
日本全国どこにあっても、その位置を文字で表現できた。すなわち「○国○郡○条○里○坪より○段目」というきわめて合理的で便利な呼称法で、きわめて明瞭にその位置を示すことができるのである。この土地区画法と呼称法を総称して「条里制」とよんでいる。市域では、どれぐらい条里と関係のありそうな地名が残っているのか-(「志津村史」P52~55)
渋川は、「一ノ坪・十ノ坪・三十六・南三十六・十二」と残っているそうです。