梅雨と真夏日が綱引きしております関東地方
いかがお過ごしでしょうか。
関東は曇りマークが並んでおります。
事程左様に日本の気候は変化に富み、他方風雨、地震、火山等自然災害に襲われる歴史を持ち、そうした災害と共に恵みをもたらす自然に適応する様に、家族だけでは生きていけず、その土地土地で生きる術が家屋や、生き方に影響を与えてきました。それは縄文の時代から、脈々と培われてきた日本人の歴史そのものであります。
時代が流れ、幕府が滅び、近代国家という名の幻影を手に入れた明治政府もまた、戦争という名の麻薬に手を染めることになる。それは西洋列強の帝国主義から「日本」を守るための大義名分であり、そこから学ぶことは多々存在することはあっても、時計の針を撒き戻すことは不可能であり、非難することは無意味と言う外無い。
同志社商学によると、当時の志士たち若かった。それでも当時の寿命が43歳位であったことを考えれば、そう若いとも言い切れませんが。
『新政権の中枢に登場した下級武士たちは,年齢も若く統一国家を運営するという経験も皆無であった。
維新前年の1867 年,薩摩の長老といわれた西郷隆盛,大久保利通でさえ40 歳と37 歳。
長州の筆頭であった木戸孝允34 歳,井上馨は32 歳で,伊藤博文はまだ26 歳に過ぎなかった。
無血革命の立役者坂本龍馬は32 歳でこの年に暗殺され,明治初期の外交・財政を担った大隈重信も29 歳になったばかりであった。
彼らは幕末憂国の志士ではあっても,近代国家を運営する政治家でも官僚でもなかった。
こうした幕末の志士たちを維新政治家・維新官僚に成長させたのは,列強諸国と対峙しなければならないという外交的自覚と,
独立のためにも不安定な財政基盤を立て直さなければならないという経済自立心であった。』
では何を学ぶのか。何を学べば良いのか。
富国強兵、殖産興業。
憲法改正、アベノミクス。
4つの単語がダブって観える。
さらに明治期の『朝鮮遣使・樺太対策・台湾遠征の三要件』も「台湾」は当時「中国」であり、なんら変化の無いと言えなくも無い。国家レベルではそういう主張であり、それは各々の「政府」の主張であって、市民レベルでは、相当変化し、互いの交流は数万倍変化しているのである。
ここに、歴史から学ぶヒントがある。
「政府」や「行政」が声高に問題を叫ぶ(リークする)のは、それは徴収した税金の使用を正当化する
為や当選する為だけの話である場合が多い。TPPは何処に行ったの。
もちろんまじめに世界平和の為に滅私奉公している公務員も存在している。
99%の公立学校教職員はそうである。98%の地方公務員も、97%の国家公務員もそうである。
公選された首長の96%もそうだ。公選された議員の95%もそう。(私見)
坂本竜馬よろしく颯爽と政界に登場した人物が現代にも存在した。
その名も維新の会。
しかし革命の立役者足りえた人物は、巨大与党により、政界から暗殺された。
その暗殺の方法が、国民投票よろしく住民投票であったのは示唆的でした。
立命館大学の村上弘氏の先の論によれば、政策の比較なき選挙は
『まさに衆愚政治の極致になってしまう。そうした選挙を望む人は,あまりいないだろう。』
ということが、逆に現実になりつつあるのが、今の日本の現状でしょう。
それは明治政府が選挙なき政府、革命による政府であったことに符号しているのではないでしょうか。
中央政府や政党の言うことを聞く立候補者が、中央政権から派遣された官吏であった時代と違うと言い切れるだけの自信がありません。
災害と共に、恵みをもたらす自然に適応する様に、家族だけでは生きていけず、その土地土地で生きる術が家屋や、生き方に現れていた日本人はすっかり影を潜めてしまいました。自然を感じることが少なくなった大都会では尚更です。インターネット、スマートフォンに生活の大半を奪われ始めている人々は、便利さと引き換えに、大切なものを、明治時代よりも数多く失っています。それは、最低賃金を上げることに象徴される経済と引き換えにされた、家族であり、個人の心の豊かさであります。
メールやSNSで情報をいくら入手したり、友達登録しても、腹を割って酒宴を催していた幕末の志士の団結には敵いませんもの。
当選するために、対立候補へ平然とネガティブキャンペーンをする候補者に、田舎者には理解できません。
苦労して掴んだ幸福と心の豊かさは一致する。
与えられた幸福と物質の豊かさは、脆く儚い。
お休みなさい。
どんどはれ
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