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がんばろう!メロン熊!

「ほぼ週日記かも」からタイトル変更。大変なのは、敢えて東北だけではないとの思いで、変更しました。

水野忠辰と赤目小籐次

2013年06月15日 12時30分10秒 | 日記

梅雨明けした沖縄地方を除き、前線の通過と共に雨足が駆け抜けた土曜日、いかがお過ごしでしょうか。

毎日新聞に水野 忠辰(みずの ただとき、享保9年閏4月22日(1724年6月13日)生)を例に、昨今の組織の長、現代のお殿様について論じておりました。TKCグループのコラムに水野忠辰の生涯が記されております。その生涯を振り返り曰く

『理想を実現するためには挫折と敗北と悲惨と戦わなければならないことと、なにごとも変化のないこと、昨日までよかったことは今日もいい、今日いいことは明日もいいと考える人々にとっては安易な妥協、怠惰がいかに甘い魅力にあふれているかを物語っている。』

一方、昨夜NHKで観た佐伯泰英氏の小説が原作、赤目小籐次を主人公に描かれた『御鑓拝借~酔いどれ小籐次留書~』。忠義を貫き、大名と立ち向かう厩番。

片や『安易な妥協、怠惰がいかに甘い魅力にあふれているか』、こなた『君( きみ) 辱( はずか) しめらるれば臣( しん) 死す』。

『本質をあっさりつかみ、世間の表面的で偽善的な反応を切り、自分に正直なひとことを述べる』ある談志師匠評です。『「落語とは業の肯定」と言い放ちました。業、つまり意味もわからず衝撃的に行動してしまうこと、』

自分の心を支えてくれる何か、水野忠辰にとっての祖父、赤目小籐次にとっての藩主への想いがその行動原理になっているのでしょう。想いが強すぎると、周りが見えなくなる。水野忠辰は実在し、赤目小籐次は架空の人物であった。そこが悲劇とハッピーエンドの差になっている。「プロ球技のトップ」と新聞に呼ばれてしまっている殿様に到っては、もはや喜劇でしかない。球技に対する想いは強い様ですが、世間に疎い。

真摯な姿勢で事に当たりたい。それだけは誰にでも出来ることだと信じているのです。

どんどはれ。


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