まあるい地球

色々な内容のブログです。

日記 道元

2018-06-16 00:10:03 | 日記
日記 道元


最近、禅の書から道元禅師の
正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)に
目がとまりました。(¬_¬)

正法眼蔵のどこに琴線が触れたかというと、極めて難解な思想本、宗教本として知れ渡っている、と読んだところにキラリ〜ん☆彡と来たのであります。

これは、悟りを体験した人にしかわからない内容だから、一般には難解書として有名なのでは?と思ったのであります。キラリ〜ンキラキラキーラ〜。

案の定、正法眼蔵について触れている書から、そのような説明を見つけることができました。キラリ☆彡

「唯仏与仏、乃能究尽」
(ゆいぶつよぶつ、ないのうぐじん)
これが該当するようです。
かいつまんでいうと…
正法眼蔵は、仏(覚者)から仏(覚者)にのみ、与える事ができる。理解し得る、という意味あいだそうです。

感覚的なところを文章には起こしづらいのではないでしょうか。
例えていうならば、
目に見えない神様の存在を、神様の実在を否定、もしくは懐疑的に考えている人に、文章にして伝えるようなものではないかと思います。


正法眼蔵か〜
私には、目が全てを物語るみたいに響いてくるわ〜キラリ☆彡

これは、私には訳がないと読めないし、また、色々な訳しかたがあるだろうから、好みの本に出会わないと、つまらなくて読み進められないだろうなと推測する。

まあ、でも
目次なんかをのぞいてみると、さらにワクワクっとさせられるタイトルが、列挙されているのが垣間見えたりするのでありますからにして、
いいとこ取りで、ジリジリ〜っと、いつかは読んでみたいかなぁ。
老後の楽しみにしよっかな〜。(笑)


「証上の修」=「悟後の修行」
悟った後の修行。
修行は誰しも永遠に続く。
し、
「本覚」人間はみな本来悟っている
「不覚」悟っていない
「始覚」始めて悟る。

つまり教わったとおり、
赤ちゃんはすでに悟っている
けれども自我の芽生えにより閉ざし、
紆余曲折後また悟る。(悟れないかたもいると思われるが…)
という流れだと、仏教は説く。らしい。

なるほど〜
私にとっては今まで馴染みのない仏教だったけれど、大いなる学びがあることがわかった。
ただ、神様を否定しているのはいかがなものかと思う。(日蓮上人のように認めておられるかたもいるが…)
観音様は神様に位置づけないのか?
菩薩と観音様は実在しない人物であると仏教本には書いてあったけれども…

とはいえ、それは置いといて…(亡くなればいずれわかることだし)
道元禅師の「末法は時期ではなく、一人一人の心中にある」と説いたというところがイイナと思った。
この時代の他の宗教家にはなかった発想らしいし。


道元禅師 54歳 8/28入滅か〜
短いよなぁ…。













最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。