なんとな〜く
母性が顔を出してきていると思う。
これはやはり、
子供の頃に母親からもらった愛情に近いのか。
私が、これをどうやって自ら救ったかといえば、(まだ未完全ではあるが)
諦めることから見出したような気がする。
堪忍かもしれない。
けど、諦めのほうが楽である。
もう、諦めたのである。
そおゆうもんなんだと、諦めた。
これは例えば
子供はそおゆうもんだとして、母親が接してきたような心境なのではなかろうか。
多分。
それを私は
自分はそおゆうもんなんだと諦めたのだ。
とても誤解の生じやすい理屈だけど。
自我が薄まりつつある上での諦めである。
そこを履き違えると、自我は益々増える。
母親が産まれたての赤ちゃんを無条件で愛する母性。
人が何かを守ろうとする母性。
これを外に放出する。
まだ私に戻ってこないけれど(笑)
まあ、誰かが一時でも幸せを感じてくれればそれでいーじゃないか。
くだらないケンカが一つ減らせたかもしれないし。
これも陰徳の一つなんだろうか?
へへ。
陰徳してまっせ。
言っちゃダメじゃん!_:(´ཀ`」 ∠):
母性が顔を出してきていると思う。
これはやはり、
子供の頃に母親からもらった愛情に近いのか。
私が、これをどうやって自ら救ったかといえば、(まだ未完全ではあるが)
諦めることから見出したような気がする。
堪忍かもしれない。
けど、諦めのほうが楽である。
もう、諦めたのである。
そおゆうもんなんだと、諦めた。
これは例えば
子供はそおゆうもんだとして、母親が接してきたような心境なのではなかろうか。
多分。
それを私は
自分はそおゆうもんなんだと諦めたのだ。
とても誤解の生じやすい理屈だけど。
自我が薄まりつつある上での諦めである。
そこを履き違えると、自我は益々増える。
母親が産まれたての赤ちゃんを無条件で愛する母性。
人が何かを守ろうとする母性。
これを外に放出する。
まだ私に戻ってこないけれど(笑)
まあ、誰かが一時でも幸せを感じてくれればそれでいーじゃないか。
くだらないケンカが一つ減らせたかもしれないし。
これも陰徳の一つなんだろうか?
へへ。
陰徳してまっせ。
言っちゃダメじゃん!_:(´ཀ`」 ∠):