まいにちこんなかんじ

めずらしい人生のありふれた日常

みんなのもとにユキマシタ

2017-08-06 14:52:13 | 日記

17年前・・・

わたしの友人Aちゃんは、
自分が飼い始めたばかりの猫を
わたしの別の友人Bちゃんに
もらってもらいました。


Aちゃんは二人目のこどもを授かったとき、
その子が難病だとわかり、
生まれてからも病院に通ったり
手術をしたり検査にいったり
子育てと病気の治療に大変になるのに、
このまま子猫の世話までできるのだろうか、と
不安になって相談してくれたとき、
私を介して知りあったBちゃんに、
「うちの子として育てるよ」と
言ってもらい、
とても悩んだ末に、
そうすることにしました。

Aちゃんは私の最初に勤めた会社の先輩、
Bちゃんは私の2番目に勤めた会社の先輩、
この二人に直接の接点はなく、
わたしを介してたまたま知り合ったばかりのとき。

Bちゃんはすでに4匹の猫を飼っていて、
自他ともにみとめる猫博士で(笑)、
その彼女が、
「連れてきなよ、こうなれば
 4匹も5匹も一緒だ!」と
頼もしいことを言ってくれて、
もちろんAちゃんの娘の病気のことも知ったうえでの
発言だったから、
わたしもAちゃんも、
「ありがとう」「ありがとう」と
ただただ、感謝の気持ちしかありませんでした。

だって・・・
猫の一生分の時間を、この子のために使ってくれる決意。
それがどういうことか、私にも想像できたから。

その後、Bちゃんはお父さんを亡くした際に
「お父さんの忘れ形見」としてもう一匹、
自宅に迎え入れたため、合計6匹と暮らし、
猫博士らしく、とにかくすべての子たちが
個性豊かにのびのびと暮らす
猫好きにとっては天国のようなお家で
Aちゃんから譲り受けた子も
Bちゃんちの子として暮らしたのでした。

その後、比較的長生きだったBちゃんちの猫たちは
一匹ずつ召されていき、
譲り受けた子が最後の一匹になって1年ほどたった
先月初めごろ。
「元気がない」と連絡が。

「わかった。近々会いに行くね」といいながら、
仕事におわれ2週間ほどたってしまったある日、
「もう長くない気がする。会いに来て」と連絡が。
実は病院に通っていたけど
薬をやると痙攣するし、
でもやらないとぐったりするし、で
つきっきりになっていたとのこと。
「わかった、遅くなるけど仕事終わったら行くね」とメールし、
彼女の家に向かって車を走らせていた矢先、
「さっき、逝きました」と。

間に合わなかったことを悔やみながら
とにかく向かう。
部屋に入ると思った以上に小さくなった体に
かわいいピンクのリボンがかけてある。
ほんとに、ほんとに、最後の最後まで
こんなにかわいがってもらって、
よかったね。ありがとね。と心から思った。
まだほんのりあたたかい体をさすりながら
『お見舞いにいくなら私も連れてって』といっていた
Aちゃんを思い出し、メールをしてみた。
「さっき逝きました」
すると電話がかかってきた。
出てみると、大泣きしたAちゃんの声。
Bちゃんへの感謝の言葉を言っているのだけど
泣いてるからなんだかよく聞き取れないけど
とにかくお礼を言っている。
「Bちゃんにかわろうか?」といった瞬間、
今度はBちゃんが顔をくしゃくしゃにして
「無理、無理」と言って泣き出した。
みんな、うまくしゃべれない・・・

電話はいったん切って、
その後はお葬式の予定とか、
先にいった子たちの話なんかをして
私もBちゃんにお礼をいって帰宅した。


後日、
「今日、みんなのいるお寺でお葬式をしてきたよ」
とメールが。
そして、
「にゃんこのいない生活はさびしいです」と。
私たちが出会ったのは27年前、
その後すぐ、一匹目を迎え、
会社で拾われた子を二匹目として迎え、
その後も足をけがして病院で保護されてたこを迎え、
道でうずくまっていたこを保護し、
Aちゃんちのこを迎え入れ、
お父さんの忘れ形見を引取り、
ひとりずつ送り出し、
最後の一匹を見送ったBちゃんにとって、
猫のいない生活は実に25年ぶりくらいになるでしょう。
それはそれは、寂しいよね。

17歳、
もともと拾われた子だったから、
長生きだったと言ってもいいかもしれない。
でも、おねえちゃんたちは20歳とか19歳まで生きたから
ちょっと早かったのかな・・・

Bちゃんは、
泣きながらお礼を言うAちゃんに、
「いいの、私は本当に猫が好きなの。だからいいの」と。
そして、
「一人になってからのこの一年は本当に手がかかってかわいかった」と。
手がかかって『大変だった』のではなく『かわいかった』と。
この言葉は私は一生わすれないと思った。
好きって、こういうことなんだな、と。

そしてAちゃんは、
娘が生まれるときに、大切な命を手放すことになって
とても申し訳なく、Bちゃんにはとても感謝していた、と。
ありがとうと思いながらごめんなさいの思いが強くて
気が引けて疎遠になってしまったことをずっとずっと悔やんでいた、と。
でも私から話を聞いたり写真を見るたびに
かわいがってもらってることに安心し、
また感謝し、そしてまたごめんなさいと
ずっと思っていたと。
結局最後まで会えないまま逝ってしまったことに
自分のしたことの後悔を強くしてしまい、
涙が止まらなかった、と。
そんな母の姿をみた娘に、
「ママ、私の病気に配慮してくれてありがとう」
と言われた、と。
その時生まれた娘、今年高校生になった娘に。
どう表現していいのかわからないが、
とにかくみんなにみんなに感謝している、と。


私にとっては、ふたりともとても大切なともだち。
その二人が、私が縁で知り合いになり、
一匹の猫の一生がふたりをつないだ。

私は猫が大好きだけど、
こんな猫好きをしっているだけに、
いまだに猫が飼えない。
ここまで命と向き合えるか?
ここまで命を慈しめるか?

私にはこどもはいない。
生まれた時から知っているその娘は今年高校生になった。
小さいときはずっと病院にいて
退院して学校へ通い、また病院へ戻る生活。
姿をからかわれることもあったという。
想像を超える母娘の戦いを
話を聞くだけでなんとなく知った気になってても
やはり二人の絆は計り知れないものだと思う。

みんなのもとに逝った一匹の小さな猫。
ナナ、
あなたの17年はしあわせでしたか?
先に逝ったお姉ちゃんたち、
そっちでみんなに久しぶりに会えたかな?
私はナナがいてくれて、幸せでした。
だって、
こんなすてきなともだちと
ずっとともだちでいられたから。
ナナ、ありがとね。
ばいばい。