南相馬市には震災前、原町区・鹿島区・小高区の3区
合わせて14軒の農家民宿がありました。
3.11の東日本大震災と福島第一原発事故により多くの
農家民宿さんが大変な被害と苦悩に見舞われました。
小高区で営業されていた「梨の里 槇」「ほほえみの宿」
「ほっと空間 泉」の3件の農家民宿さんは、福島第一原
発の半径20㎞地域が避難指示区域に設定されその後間もなく警戒区域となった為、市内の仮設住宅や県外の借上げ
住宅などで生活されいます。そして今年3月、警戒区域の見直しに共ない4月16日ようやく念願だった警戒区域が
解除となりました。しかし、解除になったからといって元の生活が出来る訳ではありません。
「一時帰宅」の不自由さからは解放され自由に区内や自宅に帰れるようになりましたが、農家民宿再開が非常に困難
な状況にあることに変わりはないのです。農業の再開どころか電気・ガス・水道の開通などインフラの問題は山積です。
元々小高区は井戸水を利用されているお宅が多かったのですが水道の復旧には長い時間がかかりそうです。
原町区で唯一の農家民宿さん「ムイ・ビエン」さんは地震の
影響により築100年の古民家は大きな被害をうけ営業する
事が困難な状況となりました。現在オーナーの勝谷さん
は原町区内で子供達と係るお仕事をされています。
鹿島区で営業されていた農家民宿は10軒。その内の2
軒の農家民宿さんが津波により自宅を失いました。
津波は無残にもお客様との大切な写真や思い出の品も全部海へと運んでいってしまったのです。
1年後、数々の困難に立ち向かい多くのボランティアの方に助けられながら営業を再開された農家民宿があります。
鹿島区烏埼にある「おっとまり」さんです。再開には県内外からたくさんのボランティアさんが力と笑顔と勇気を
くれました。そして5月。もう1軒、農家民宿再開に希望を抱き仮設住宅から新居に引っ越されたの農家民宿さん
がいます。「塔前の家」さんです。「又、新しい土地で農家民宿を再開したい!」そうおっしゃるお母さん。
今年に入り、農家民宿をやりたい!という申込者の方が増えました。その理由の一つは「地域の復興を支援してく
れるボランティアの方を自分達のできる事でもてなしたい。少しでもこの地域に来てくれる方を支えたい」という事。
困難を乗り越え震災前と変わらない優しい笑顔で人と接する農家民宿のお母さん達。
その姿にずっと培ってこられた「おもてなしの心」が見え隠れするのです。
センターでは昨年度「ふるさと復興会議、ざっくばらんに話しすっぺ!」を2回開催しました。
その2回目の席上、一人の男性が意見を述べられました。その方は震災前の秋に移住されてこられたばかりの西沢
さんご夫婦。移住されてからわずか4ヵ月で震災にあわれ、移住してからやりたかった海で遊び、農業にふれる田
舎暮らしの夢は無残にも打ち砕かれました。その西沢さんが席上こう言われました。
「東北人でよかったよ。ここに移住してきてよかった。これから少しでも地域の方の為になるよう農家民宿をめざす」
この言葉はそのままいつまでも会場に響き渡りました。
そして5月末、西沢さんはその言葉とおり農家民宿の営業許可をとり、農家民宿「かざぐるま」を開業しました!
ふるさと南相馬市を愛し、そのふるさとの良さを皆様にお伝えする農家民宿さんがこの地に1軒増えました。
どうぞお泊りにおいで下さい…。
>>南相馬市ふるさと回帰支/援センターHPへ
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