Machallah - sama dund gu baax

セネガル生活2年間を、心が向くままに書き綴るためのブログ。

ゲンダールのタバスキ

2010-11-19 | 文化・宗教 Culture/Religion
人生2度目のタバスキ。
今年はどっぷりゲンダールで過ごしました。

去年の朝は、サンルイ島で羊が屠られるまでを過ごした。
朝の静けさの中、モスケからお祈りだけが静かに流れ、
神聖な空気の中、人々が祈りを捧げて羊を絞める。

今年もお祈りが流れ神聖な空気が漂う中、島を出てゲンダールへ。

ゲンダールに入った途端、いつも以上に人が沢山いて、
お祭りだぜ~、という感じで浮かれて、ごちゃごちゃざわざわしている。
島にあった神聖な空気は一切なし。
なんなんだこの違いはっ!

それでもお祈りの時間になってモスケに集り、
気持ち一つになって祈る男性陣の姿には見惚れてしまう。



お祈りが終わったら羊を絞める時間です。
(*ここからは気分を害する写真や表現があるかもしれません。)

ゲンダールの、あの狭い敷地の中で、何匹もの羊が屠られる。
例えば私の家は、一つの敷地内に5~7家族住んでいる。
一家に一匹(最低)の羊 + 私の買った羊。
8匹くらいが犠牲にされたんじゃないかな。

犠牲祭といったって、それは儀式的なもので、
そんなに殺さなくてもいいんじゃないか???
と、羊を自分でも買っておきながら思いました。

ちなみに、愛着が湧くことを恐れて名づけなかった私の羊は、
タバスキ当日に行ったら、ちゃっかり名前が付けられていた。
その名も ハル ミ ンジャイ。(ハルは羊という意味)
犠牲になる羊は雄だけれど、私の中ではすっかりハルミちゃんになっちゃった。

私のハルミ。
大の男何人もに押さえられ、一家の大黒柱に絞められます。


続々と絞められる羊たち。


それを見つめる女性たち。


去年は首切られる瞬間を直視できなかったけれど、
今年はしっかり看取ることができました。
あぁぁぁ~という思いになるけれど、強くなったもんだ、私も。


羊が息をひきとったら、皮を剥ぎ肉を解体していきます。
これも男の人の仕事。
女性や子どもは、羊の足を持ったりして手伝います。
こんな小さな子どもでも、しっかりと。
 

満面の笑み。



男性達の仕事が終わったら、次は子どもたちの番。
内臓を海まで運び、そこで全てをキレイに洗います。
羊のうんち、消化途中の食べ物、食べたばかりの草、全部が出てくる。
ゲンダールの海岸は、羊の汚物だらけ。絶対泳ぎたくない。
そこでもくもくと作業する子どもたち。
ゲンダールならではのタバスキの光景。


ここでも笑顔。



そして、次は女性たちの仕事。
ここから一日中お肉をさばいていきます。
内臓系もぜーんぶ使う。


もちろんここでも笑顔。



ここまで来て、やっと朝ごはん。
さばいたばかりの羊を調理して、パンと一緒に食べる。

私はこの朝食後の空いた時間に、島とゲンダールで挨拶周り。
そしたら、挨拶する家ごとに朝食なり昼食を出され、
特別な日の彼らの接待を断わるわけにもいかずに、
とにかく羊!羊!羊!を食べまくる結果に。
もう当分羊はいらないや~。
って、当分は羊料理が続くんだろうけれど…。


女性たちは疲れきってタバスキを過ごすので、
子どものおめかしも翌日までお預け。

翌日の夕方になると、おめかしした子どもたちが、近所をまわり、


大人もキレイに着替えて挨拶周りをします。


こうしてタバスキは終わり。
羊のお祭りというだけあって、本当に羊づくしの日々。

これが来年も再来年も繰り返されるんだね。
またいつの日かゲンダールでタバスキを過ごしたいものです。