人生初のタバスキを経験してきました。
タバスキを終えて、町から羊が、消えた。
(まぁ生き残りもちらほらいますけど)
*人によっては、気持ちが悪くなるような文・写真があるかもしれません。
ご了承ください。
朝、皆お祈りを済ませ、お家の周りを掃く(これはいつもの朝模様)。
しばらくした9時頃、男性陣がキレイに正装してモスクに集り出します。
私のお家の近くには大きなモスクがあるのだけれど、
その前にずらーっと列を何列にも作って並んでいた。
そして、皆で一斉にお祈りをする。
その姿には一瞬息をのむ。
モスケでお祈りできるのは男性だけ。
女性はこの時間お家に留まり、静かに過ごす。
お祈りの時間が終わると、いよいよ羊を屠る時間。
これも男性の仕事。
羊を寝かせ、男性数人がかりで押さえつけ、
一家の長が、羊の首にナイフを入れていく。
羊の首元に、土に穴を掘っていて、そこに血が流れるようにしていた。賢い。
至る所で羊が犠牲をなっていく姿を見るのは、凄まじかった。
けれども目をつむらずしっかりと見ました。
セネガル人はこうやって毎年やっているわけだし、
しっかりと見届けることが羊に対する敬意である気もした。
羊が犠牲になっている時間帯、モスクからはずっとお祈りが流れていて、
なんだかとても不思議な、神聖な気持ちになりました。
羊が命をひきとると、次は食べれる状態にしていきます。
これもまた男性の仕事。
慣れた手つきでキレイに皮を引き剥がしていく。
内臓もしっかり取り出して、お肉の解体をしていく。
少々気分も悪くなったけれど、ここもしっかりと観察。
私たちが普段お肉を簡単に食べれるのって、
実はこういう一連の作業があるお陰なんだよね。
当たり前なことなのに、今回初めて、それを全身全霊で感じた。
スーパーでバックに包まれて並んでいるだけのお肉からは気づかなかったよ。
スーパーでは決して感じることのない「命の連鎖」を感じました。
男性が羊を相手にしている間、女性は料理の準備をしています。
男女の役割分担がしっかりとなされてる。
子ども達は、解体されていく羊横目に無邪気に遊んでる。
死んでる羊にちょっかいだしたり、そんな羊の横でパン食べたりしていて、
「こっちの子はたくましいなぁ~」と感心する私。
羊の解体が終わるとすぐに、女性たちが調理を始める。
まさに新鮮そのもの!
玉ねぎソースに絡まれたお肉を、フランスパンと一緒に食べる。
おいしいっ!!
本当にありがたいことです。
昼食が済むと、男性陣は昼寝をしたり出かけたりする。
女性陣は大量のお肉を切ったり、内臓を選り分けたり、まだまだ仕事が沢山。
大量のお肉があるけれど、冷蔵庫がない家庭がほとんどで(ゲンダールでは)、
彼女たちはお肉を揚げて保存食を作る。
その作業は夜まで続きました。
タバスキ前は「タバスキが来るっ!」って楽しみにしてるのに、
当日は「朝から晩までやる仕事が多すぎて嫌になっちゃうわ」なんて言ってる。
まぁ、日本のお正月にお節料理を作る主婦も、そんな感じでしょうか。
夕方になると、みな着飾り始めます。
セネ人、普段は「お金ないお金ない」言って、生活切り詰めてるくせに、
お洒落となると大金をかける。
イベントごとに新しいお洋服や靴やアクセサリーを買うの。
どんだけ衣装持ちなのよ???
女性は、大人も子どもも髪の毛をキレイに編みこんでいる。
どこに行っても、何歳であっても、女は女なのね~。
正装したらご近所を歩いて挨拶周りをする。
A: Dewelnati
B: Fekkee dewel
A: Baalmaa aq
B: Baalnaa la
というセリフを、とにかく繰り返す。
「これからの1年の私の無礼を許してくださいね。」
みたいな感じ。
事前に謝っといちゃえー!ってな感じかしら。
でも最後には、
「アッラーは全ての人を許して下さる。アーメン。」
的なこともしっかりと言って終わる。
そして夜9時過ぎに、晩ごはん。
もちろん羊肉。
本当に羊づくしの一日。
家族で集って、みんなで協力して働いて、お洒落して、羊を食べる。
幸せな一時です。
ジャムレック、アルハムドゥリラ~ィ
(平和だけ、アッラーありがとう)
私としては、アッラーより羊に感謝したい一日。
羊さん、皆を幸せにしてくれてありがとう。
タバスキを終えて、町から羊が、消えた。
(まぁ生き残りもちらほらいますけど)
*人によっては、気持ちが悪くなるような文・写真があるかもしれません。
ご了承ください。
朝、皆お祈りを済ませ、お家の周りを掃く(これはいつもの朝模様)。
しばらくした9時頃、男性陣がキレイに正装してモスクに集り出します。
私のお家の近くには大きなモスクがあるのだけれど、
その前にずらーっと列を何列にも作って並んでいた。
そして、皆で一斉にお祈りをする。
その姿には一瞬息をのむ。
モスケでお祈りできるのは男性だけ。
女性はこの時間お家に留まり、静かに過ごす。
お祈りの時間が終わると、いよいよ羊を屠る時間。
これも男性の仕事。
羊を寝かせ、男性数人がかりで押さえつけ、
一家の長が、羊の首にナイフを入れていく。
羊の首元に、土に穴を掘っていて、そこに血が流れるようにしていた。賢い。
至る所で羊が犠牲をなっていく姿を見るのは、凄まじかった。
けれども目をつむらずしっかりと見ました。
セネガル人はこうやって毎年やっているわけだし、
しっかりと見届けることが羊に対する敬意である気もした。
羊が犠牲になっている時間帯、モスクからはずっとお祈りが流れていて、
なんだかとても不思議な、神聖な気持ちになりました。
羊が命をひきとると、次は食べれる状態にしていきます。
これもまた男性の仕事。
慣れた手つきでキレイに皮を引き剥がしていく。
内臓もしっかり取り出して、お肉の解体をしていく。
少々気分も悪くなったけれど、ここもしっかりと観察。
私たちが普段お肉を簡単に食べれるのって、
実はこういう一連の作業があるお陰なんだよね。
当たり前なことなのに、今回初めて、それを全身全霊で感じた。
スーパーでバックに包まれて並んでいるだけのお肉からは気づかなかったよ。
スーパーでは決して感じることのない「命の連鎖」を感じました。
男性が羊を相手にしている間、女性は料理の準備をしています。
男女の役割分担がしっかりとなされてる。
子ども達は、解体されていく羊横目に無邪気に遊んでる。
死んでる羊にちょっかいだしたり、そんな羊の横でパン食べたりしていて、
「こっちの子はたくましいなぁ~」と感心する私。
羊の解体が終わるとすぐに、女性たちが調理を始める。
まさに新鮮そのもの!
玉ねぎソースに絡まれたお肉を、フランスパンと一緒に食べる。
おいしいっ!!
本当にありがたいことです。
昼食が済むと、男性陣は昼寝をしたり出かけたりする。
女性陣は大量のお肉を切ったり、内臓を選り分けたり、まだまだ仕事が沢山。
大量のお肉があるけれど、冷蔵庫がない家庭がほとんどで(ゲンダールでは)、
彼女たちはお肉を揚げて保存食を作る。
その作業は夜まで続きました。
タバスキ前は「タバスキが来るっ!」って楽しみにしてるのに、
当日は「朝から晩までやる仕事が多すぎて嫌になっちゃうわ」なんて言ってる。
まぁ、日本のお正月にお節料理を作る主婦も、そんな感じでしょうか。
夕方になると、みな着飾り始めます。
セネ人、普段は「お金ないお金ない」言って、生活切り詰めてるくせに、
お洒落となると大金をかける。
イベントごとに新しいお洋服や靴やアクセサリーを買うの。
どんだけ衣装持ちなのよ???
女性は、大人も子どもも髪の毛をキレイに編みこんでいる。
どこに行っても、何歳であっても、女は女なのね~。
正装したらご近所を歩いて挨拶周りをする。
A: Dewelnati
B: Fekkee dewel
A: Baalmaa aq
B: Baalnaa la
というセリフを、とにかく繰り返す。
「これからの1年の私の無礼を許してくださいね。」
みたいな感じ。
事前に謝っといちゃえー!ってな感じかしら。
でも最後には、
「アッラーは全ての人を許して下さる。アーメン。」
的なこともしっかりと言って終わる。
そして夜9時過ぎに、晩ごはん。
もちろん羊肉。
本当に羊づくしの一日。
家族で集って、みんなで協力して働いて、お洒落して、羊を食べる。
幸せな一時です。
ジャムレック、アルハムドゥリラ~ィ
(平和だけ、アッラーありがとう)
私としては、アッラーより羊に感謝したい一日。
羊さん、皆を幸せにしてくれてありがとう。