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歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

豊臣蒼天録紀行19―大谷刑部終焉の地―

2012-05-17 23:37:54 | 豊臣蒼天録
さて、大谷の陣に行くには宇喜多陣地の後方から行けるのですが、、、
「今、道が通行止のようになっているので、止めたほうがいいですよ」
と、レンタサイクル店さんから情報が。
そのため、一度旧中山道側に出てから、回り込む感じになります。
不破の関(あとで取り上げるとして)を通過、




黒血川、線路を渡って山中へ。
そう、大谷の陣は山の中です。知らずに来たら、これはかなり意外。
西軍諸隊の中で、交通の便?は極端に悪いです。


山道を進み・・・



「大谷吉隆陣所古趾」


で、更に山道を進みます。







山中に突如、旗が出現したり(w
関ヶ原の街の中には東西両軍の旗が翻っていますが、
大谷の旗は「紺地に白三丸」が使用されています。
この山中だけ、「違い鷹の羽」が。
残念ながら、「対い蝶」はなかったな(w
豊家に殉じた勝色の旗は、今も関ヶ原に立つ。







大谷吉継墓所。
隣は家臣の湯浅隆貞(五助)の墓です。
五助は『関ヶ原群雄伝』には、息子の十郎ともども出ました。
墓は合戦後、交戦相手であった藤堂家の建てたもの。
西軍首脳の中、関ヶ原の戦場で戦死したのは大谷吉継が唯一。
一応、『関ヶ原群雄伝』の時はそれを踏まえて、あのラストとなりました。
主従ともに、関ヶ原に眠る。


ところで、吉継は関ヶ原の合戦に臨むに際して、
名乗りを「吉隆」に改めたとされ、古碑もそのようになっております。
謀反人と呼ばれる三好義継と音が通じ、それを避けたとのこと。
『関ヶ原群雄伝』の際は、実は「吉隆」でやっています。
実はあれ、ちゃんと理由があったんです。
全3巻の間、披露する機会がなかっただけで。
そういえば、これまでの3作全部出てますね、吉継(『豊臣蒼天録』は夢のシーンだけど)


さて、大谷家のみなさまには非常にお世話になっておりので、お参りを。
息子さん、『豊臣蒼天録』では家康に勝ちますよ・・・とか(w


アクセスよくない割に、そこそこ人とすれ違いました。
正直、笹尾山(石田)の次に人がいた(w
やはり、石田と大谷は西軍の両翼か。

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