山とパンと中山道

岐阜市近郊の山歩きとパン作りの記録です。最近は中山道をぼつぼつ歩いています。

大井宿

2012年02月06日 | 中山道
1月27日(金)

 雪が舞う寒い日に、大井宿を歩いた。
 スタートは、恵那駅前をほんの少し行った信号から。
 ここから東へ商店街を歩く。

 

 100mぐらいで阿木川にかかる大井橋にかかる。

 

 市街地にかかる小さな橋だが、欄干に中山道の浮世絵を写した陶板が並べられており、真ん中あたりの歩道には川に向かってふくらみがあり、川が眺められるようになっている。ただし、景色は取り立ててみるほどのものはない。

 

 川を渡ったところが大井宿で、街道が直角に曲がる枡形で区切られていた。

 

 ということで、橋を渡ったところから直角に折れ曲がった道が中山道になる。

 

 折れ曲がった先には、今でも立派な家が残っている。

 

 広い道に出ると、明治天皇が中山道を通られたときにお泊りになったという、行在所がある。

 

 見学自由ということで、入ってみたが、奥で人の気配がするが、電話応対に忙しいようなので、話を聞くこともなく出た。
 その隣は、宿役人の家だそうだ。

 

 そこからほんの少し東へ行くと、道の反対側に「中山道ひし屋資料館」がある。

 

 ここは、旧古山家を恵那市が買い取り億単位の金で改修し資料館としたものだそうだ。
 せっかくなので、入館料200円を払って中を見せてもらった。
 この時期に来る人はあまりいないようで、管理をしている方にじっくりお話が聞けた。
 大井宿は、中山道と、尾張、伊勢へ行く下街道の分岐点に当たることから、美濃にある16宿の中でも一番の賑わいだったとか。旅籠が41軒もあったことからもその賑わい振りがしのばれる。
 古山家は酒造業や商売を手広く行っていて、大井村の庄屋を150年勤めた名家で、この家の建築は確かにすばらしいものがある。
 ネットではあまりそのすばらしさが情報発信されていないのが少し残念だ。もっと知られてもいい資料館だと思う。
 そのすぐ先の曲がり角に本陣跡があるが、火災で母屋は焼失し、今は門構えだけが残っているのみだ。

 

 この先で道は再び折れ曲がり、宿場は終わる。
 明知鉄道の下の狭くかわいらしいガードを潜ると道は上り坂になる。

 

 

 この宿場はずれに石仏群があり、痰切地蔵は多くの参拝者を集めたという。

 

 そのすぐ先には馬頭観音もある。

 

 そして、現代の街道「中央自動車道」を越える。

 

 道はさらに上り坂になっているが、ここから恵那の町並みがよく見える。

 

 この先は急に山へ入る感じになる。
 関戸一里塚跡の碑を過ぎると、甚平坂に行き着く。

 

 
 ここは、難所であったのを、明治天皇が馬車で通られるため、村人総出で道を掘り下げて、無事に通ることができたというエピソードが残る。
 今日は、ここまで。
 
 


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